日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

四王天延孝著『ユダヤ思想及び運動』附録第三 シオンの議定書 第一議定 ユダヤ金権の獨裁

2024-04-19 22:33:42 | 英帝国ユダヤ・フリーメイソン


   四王天延孝著『ユダヤ思想及び運動』
                附録 第三 シオンの議定書
 

         
第一 議定   


緒言  
・・・・・・・力は権利を生む
・・・・・・・自由主義は反て眞の自由の敵
・・・・・・・目的の爲には手段を選ぶ勿れ
・・・・・・・政治と道徳とは何の関係もない
・・・・・・・群集は力盲目なり
・・・・・・・獨裁以外には政治の方式は無い
・・・・・・・ユダヤ的フリ—メーソン
・・・・・・・恐怖政治
・・・・・・・自由・・・・・・・平等・・・・・・・友愛
・・・・・・・君主政治の破壊
・・・・・・・ユダヤ金權の獨裁。

 六づかしい言葉の言ひ廻し方などに、拘泥せずに、思想の本質を全部檢討して見よう。
そして比較と推理とを用ゐて事情を明かにしょうではないか。

 私はこう言う行ひ方で、一面自分を吾々ユダヤ人の立場に置き、
他面自分をゴイ(註、非ユダヤ人のこと)の立場に置いて、
吾々のやり方を明かにして見るつもりである。

〔政治の最も善い方法は強圧と恐怖〕
 世の中には低級な考の人が多くて、高尙な考の人は少ないことを忘れてはならぬ。
であるから政治の最も善い方法は強圧と恐怖とで行くのであって、學説の論議などではいかね。

 誰もが権力が欲しい。
誰もが出來るなら獨裁者になりたいので、
實に個人の利益を獲る為には公益をも犠牲にして顧みないものばかりである。

  昔から人間と名ける野獣を押へて來たのは何であつたか。
人類社會の原始時代には盲目的暴力であった。
その後は法律であったが、法律とても外見の違った暴力に外ならないのである。
故に自然の法則から推論すると権利は力の中に存すと言へるのである。

〔政治的自由〕
 政治的自由といふものは理想であって、現實ではない。
併し現に政権を執って居るものを倒そうと思へば、
民衆を誘惑してその力を自分の党へ引附ける必要が起るから、
理想に過ぎないその政治的自由をも働かせることが出來なければならぬ。

 そうすれば、倒そうと思ふ反對黨が
自由主義と云ふ自由の思想に立って政權を把握してゐる場合に仕事は一層容易に出來る。
吾々の學説が勝利を占めるのは正に左様な時である。

政権の手綱が手放されると、自然の法則通り必ず新たな手が直ぐ之を捉まへる。
それは盲目的民衆は一日も指導者が無くては居られないからである。
新しい政権は自由主義で弱められた古い政権に取って代る丈である。

〔金の力〕
 今日に於ては金の力が自由主義の權力に代って来た。
昔は信仰がシッカリ支配した時代もあった。
 が自由と云ふ考へでは物は適確には極まらない。
なぜなれば、自由を適度に使うふと云ふことは如何なる人にも出來ないからである。
或る期間人民に自ら支配することを許して見ると、彼等は腐敗する。
その時から尖鋭な競争が起って、
やがて社會闘争までに展開して來、
終には國家は火焔に包まれ、その権威は灰燼に帰してしまふ。

 國家が内部欠陥の爲に弱められるにせよ、
内乱に乗ずる外敵に利せられるにせよ、
最早快復の途なき没落の外はない。

やがて吾々ユダヤの權力下に入るのである。
卽ち、資本が全然吾々の獨裁下にあるので之を投げると、
溺れるものが投げられた板にしがみ附く樣に、
いや應なし之に飛び附いて全滅を免れようとするのである。

 諸君の中には自由主義的の考へ方から、
私の此ゝる提案を悪辣、不道徳と評するものがあるかも知れないが、
之に對しては私は次の如く答へる。

〔国家の敵、内敵と外敵〕
 国家には内敵外敵の二つの敵がある。
そして外敵に對しては如何なる封敵手段を用ゐても、それは正当であって、
不道徳とは認められない。

 例へば敵に吾々が攻撃計画を悟らしない為に夜襲をかけるし、
優勢な兵力で急襲したりする。

 然るに外敵よりも寧ろ一層悪質の敵卽ち秩序の紊乱者、
安寧の妨害者に對し同じ方法を用ゆることがなぜ不道徳と咎められるかと。

〔群衆の心〕
 群集の心は常に物の表面丈しか判らない。
そんな群集を吸ひ込む様な矛盾、不理屈の穴があいてゐる所で、
本當の理屈を捏ねたり主張を述べて見て、彼等を指導することがどうして出來るか、
人民は下層民であると否とに拘らず、
常に唯々浮き浮きした感情や迷信や風習や傳統や、
感傷的理論に引きづられ てゐるから、
当派軋轢の中に卷き込まれるのである。 
その軋轢といふのは如何に賢明な理論から出来上ってゐる調停案でも、
凡てその妥協の可能性を破壊するのである。

 下層民の決議と云ふのは凡て
偶然か表て向の多數によるのだが、
それは政治の秘密を知らない為に不條理な決議をし、
政府の中に無政府の芽を持ち込んで居るのである。

〔欺瞞と偽善〕
 政治は道徳とは何等の関係はない。
道徳に基づいて政治をする人は練達の政治家では無い。
從て永く政權を保つことは出來ない。
政治をしょうとする人は欺瞞と偽善とを用ゐなければならぬ。

民間の大徳目である所の正直と率直とは政治に於ては不道徳である。
なぜなれば此の徳目は強い政敵よりも一層確實、容易にその政府を倒して仕舞うからである。
此等の道徳はゴイ國家の持ち前へのものであって 吾々は決して之を模範としてはならぬ。

〔權利は力の中にある〕
吾々の權利は力の中にある。
權利と云ふ言葉は抽象的の概念であって何等具體的のものでない。
乙れは唯次のことを意味する丈だ。

 僕は君より強いと云ふことを證明する爲に僕が欲しいものを寄越せ。
權利は何に始まって、何に終るか。
薄弱な組織を持つ國家で法律が餘り行はれず、
政府が自由の權利を與へて權威を失なった國には、新たな權利が發見出來る。

 新しい權利が有らゆる制度と秩序を破壊し、法律を軽視し、
有らゆる制度を變革して、
今迄維持して來た權利を、自由意志で、吾々ユダヤ人の利益の爲に抛棄するのである。

 現今凡ての政治勢力が不安定である中に、
吾々の力は外の如何なる力よりも危なげがない。
それは其の力が如何なる技術を以てしても之を倒せない程に根を弘ってしまふ迄は
外には現はれないからである。

 吾々が今用ゐなければならない一時的の悪政から、確乎たる善政が生れ出て、
現在では自由主義によって中絶されてゐる人民生活の機能を、
普通に運用できる様に恢復するであらう。

〔手段を択ばない〕
 目的が善ければ手段は選ばないのだ。
吾々の計畫を立てるに方っては、善いこととか道徳的とか云ふことよりも、
必要であるとか有用であるとか云ふことを主として考へなければならぬ。

 吾々が眼前に持つ計畫と云ふのは、それに戦略的の線が描かれてゐて、
それから外づれることは出來ないのだ。
その線から外づれるならば幾世紀かの仕事は一空に歸する處があるかでらだ。 

 吾々の實行計畫を硏究するには、
下層民の卑劣なこと、
動揺性のあること、
軽薄なこと、
安寧幸福の條件を評価したり尊重したり、
することの出来ないことを考慮の中に置かなければならぬ。

 又民衆の力と云ふものは盲目的で衝動的であり、
判断力がなく一方からも他の方からも引きずられことを知らねばならぬ。
盲人が盲人を導くことは、両方とも深淵に落ち込む虞があるからいけない。


〔専制政治の訓練を受けたものだけが政治の秘訣を諒解する〕
 
 故に人民から選ばれて群集の代表となった人達が天才的な人でも、
政治に無能であつて、下層民を指導するならば、國民全部を滅ぼすことになるであろう。
幼少の時から専制政治の訓練を受けたものだけが政治の秘訣を諒解することができる。

  自治を委ねられた國民、
卽ち國民の各層から出た首領に委かされた國民と云ふものは、
政權慾、名誉慾から起つた政黨政派の争いよって凋落し、
之によって國内の動搖と混亂が生れ出る。

 民衆が競争や個人的利害を度外視して國政を指導出來るものであろうか? 
彼等が敵に對抗する能力があるであろうか?それは不可能である。
なぜなれば、群集の中に違った意見のある通りに、
計畫案が分裂して統一が缺け、譯の分らない、實行不可能なものになるからだ。

〔文明は絶對専制の外にはあり得ない〕
 唯専制政治家の立てる計畫丈が簡単で明瞭で、政治機能を凡て調整出來るのである。
であるから國家に最も有益なる政府と云ふものは、責任を負ふ一人のものに集中されなければならぬ。
文明は絶對専制の外にはあり得ない。

何となれば政治は大衆によって指尊されるのではなくて、吾々の首長によって指導せられるからである。
野蛮な群衆は如何なる機會にも野蛮性を発揮する。
下層民が自由を獲得すると忽ち之を無政府状態に變形して仕舞ふ。
この無政府状態は野蛮の絶頂である。

  アルコールに浸ったり、酒で馬鹿になった獣類(註、ゴイ=非ユダヤ人の単数を意味する言葉)と見よ。
自由が彼等に無制限の飲酒を許さしたのだ。
勿論諸君は吾々ユダヤ民族に此の如き教育を興へることは出來ぬ。
ゴイム(註、ゴイム=非ユダヤ人の複数を意味する言葉)は強い酒で馬鹿になった。

 彼等の若者は過度な古典研究をしたり、
吾々ユダヤの手先の手に乘って、色々不良のことをやって精神缺陷を來すのである。

 手先とは富豪の邸宅に於ける家庭教師、婢僕、家政婦などで、
その外ゴイムの娯楽場に居る女などである。
之等の婦人の中には所謂社會婦人も這入るので、
ゴイムの相手となって不徳や贅沢に忙がしいのだ。

〔力と僞善〕   
 吾等の標語は力と僞善である。
政治では力丈が勝つのである。
力が政界の才智の中に隠されてゐる場合には殊に然りである。

 強圧政治が根本原則であって、
新政權の手先に屈伏しまいとする政權に對しては、偽善と奸計とを用ゐるのが通則である。
そんな惡は善事を爲さんとする唯一の手段に過ぎない。

 それであるから、吾々は我々の目的逹成の爲に、
腐敗手段や叛逆が役立つ場合には之を用ゆるに躊躇してはならぬ。
政治では對手を屈伏させその權力を奪取する爲には、
他人の財産と奪ひ取ることを遠慮してはならぬ。

 戰爭の惨禍を招かず、もっと目立たず有効な死刑の宣告を以て之に代へて、
平和的征服の必要に應ずることも出来る。
即ち之で恐怖を続けて人民を盲従せしめるのである。
吾々はそれから尚ほ強圧と僞善の政策を持続せねばならぬ。

 それは之が吾々に有利と云ふばかりでなく、
之は吾々の義務であり、之によって吾々は勝利を得られるからである。

 打算を基礎とする主義はその用ゆる方法と同様に効果的である。
故に吾々は之等の手段によるばかりでなく厳正な主義によって、
勝利を獲、凡ての政權を吾々の超政權に切り從へるであらう。

〔金権貴族政治〕
 古代に於いて真っ先に自由、平等、友愛を民衆に投げたのは吾々ユダヤ人である。
この標語はその好餌に向かって駆けつける不真面目な鸚鵡(註、オウム)共に依って
いやになる程繰り返されて世界の繁栄と、
以前は下層民の猛威に対して
善く保護されて居た眞の個人的自由を破壊し去った。

 教養あり才智ありと稱するゴイムも、
この三標語の間に陰れた矛盾のあることに氣が附かなかった。

 彼等は自然には平等の存立しないことや自由のあり得ないこと注意しなかった。
自然は人々の精神や気質や能力等を不平等にし、
之を全く天然方則に從はせてゐるからだ。

 彼等は群集の力は盲目的であることを見なかったし、
彼等の仲間から選んで彼等を支配することを頼んだ選良も、
亦彼等同様に政事には盲目であることを知らなかった。

 唯政治の奥義と授けられたものは馬鹿でも統治が出來るし、
奥義を授けられないものは天才的の人物でも政治のことは皆判らないのだが、
ゴイムにはそれが、一切見逃がされてゐる。

 併し永い間王朝政治はその原則に從って、
父から子に政治變轉の秘密を相傳して來たから、
王室の者丈がこの秘密を知り、統治されてゐる人員には誰にも知らされなかった。
その後眞の政治原則を一子相傳する意義が次第に失はれて來たので、
吾々の成功に都合善くなって來た。

 地球上到る處に自由、平等、友愛の標語が吾々の何も判らぬ旗持ち人足の熱心な努力で、
莫大な人間を吾々ユグャの陣営に引入れた。

併しこの標語はゴイムの繁栄を蝕み、
到る所平和、共同一致を破壊し、國家の基礎を転覆しようとしたが害虫である。

 此の情態が如何に吾々の勝利に役立ったことが判るであらう。
即ちこんな風で吾々に幾多の有利なこともあったが、
就中第一の切り札を與へたのは、特權廃止、
換言すればゴイムの貴族改治の本質を破壊し之に依てきた吾々に對する唯一の國家、
國民 の保護を無くしたことである。

〔金権貴族政治〕
 自然的世襲的の貴族政治を倒した廃墟の跡へ、
吾々が吾々の知識階級の貴族政治打ち建てた。
それが金権貴族政治である。
吾々はこの新貴族政治を富と名け、
吾々と吾々の賢人達が説明する科學とに従属させるのである。

 吾々の勝利を一層容易ならしめたものがある。
それは吾々に必要欠く可らざる人々との交際によって、
人々の最も感じやすい心の琴線に触れた、
卽ち貪慾、飽くなき個人主義的欲望を動かさしたのだ。

 之等人間の弱點は何れも人間の獨創の精神を殺してしまって、
人々の意向を、彼等に金を出してやる人々思ふ儘にさせる様になるのである。

 自由と云ふ空疎な観念が民衆にこう考へさせる様になった、
統治者と云ふものは國家の所有者、即ち人民を代表する管理者に過ぎない。
従て使ひ古しの手袋の様に自由に取換へられるものであると。

 此の如く人民の代表者は取代へ得るものだと云ふことが、
吾々の權力に引渡したことになるので、
實際上吾々が任命の特權を握ることになるのだ。



最新の画像もっと見る