ご存知軍師官兵衛は有岡城の牢獄に一年という長きにわたって幽閉されました。一方私は官兵衛の幽閉された一年という時間に匹敵するような長く長く感じられる時を質問席でフリーズ、つまり固まっておりました。ああある筈の最も念入りに準備した原稿がなくなったのでした。その部分は議会で質問したわけではないので議事録には載りません。
ここにそのところを転載いたします。
江副質問 ;さて、大河ドラマ軍師黒田官兵衛を皆さん見られておられるでしょうか。 今さら言うまでもありませんが、官兵衛は秀吉の軍師として活躍した人です。官兵衛は秀吉の命により呼子に名護屋城をつくり、朝鮮出兵しました。その時鳥栖を通った可能性は高く、もしかすると轟木や田代の宿に泊まったかもしれません。
秀吉没後の関ケ原の戦では官兵衛の息子黒田長政の活躍もあり半日で勝負が決し、家康の天下となりました。実はその時官兵衛は関ヶ原の戦いは膠着状態となり数か月はかかるだろうとの読みのもと九州平定に乗りだしました。小倉城、久留米城、柳川城、熊本城をすぐに制圧し八代城で島津との戦いのさ中、家康から停戦命令が出て、九州平定の夢が潰えてしまいました。もし、関ケ原の戦いがしばらく続き官兵衛が九州を平定していたならば日本の歴史は大きく違ったものになっていたと私は思います。福岡は家康から命じられて中津から移ったところで、自ら望んだところではありません。自ら誰に気兼ねするもなく城を築き九州を治める拠点つくりが出来たとすればそれは鳥栖市を含んだところのクロスロードになっていただろうというのが私の考えるところです。官兵衛は力によって九州統一を目指しました。一方道州制移行を求める現代ではコンセンサス合意によって九州統一を目指しています。次の還暦を迎える60年後の鳥栖市の姿を九州の州都としてクロスロードの一画をなしている夢を描くのは如何思われますか。
執行部答弁 ;江副議員の道州制における鳥栖市の役割についてのご質問にお答えいたします。
現在、わが国では、少子高齢化が進行し社会保障費が増大しており、長引く景気の低迷や、1,000兆円を超える国の借金など、依然厳しい状況にあります。
こうした、国や自治体を取り巻く課題を克服するために、中央集権体制を見直し、二重行政を解消することで行政組織のスリム化を図ることと、住民に身近な基礎自治体が、自己決定のもとで地域の実情に応じたまちづくりを実現することが道州制導入の大きな目的であると考えられます。
また、国、道州、基礎自治体は、適切な役割分担のもと、自立的で活力ある圏域を実現していく必要がございます。そのためには、多様な地域特性へ配慮した広域的な視点と、各地域の声に耳を傾けることのできる細やかな視点の二つが同時に求められるものと考えておるところであります。
これらをふまえて、道州の拠点に着目すると、州都となる地域は、域内各地へのアクセスに優れ、ヒト、モノ、情報の集積に適した場所が望ましいのではないかと考えておるところであります。
そうした点から見ましても、九州において、抜群の地理的優位性を持つ、鳥栖市を含めたこの地域が果たす役割は、これからも非常に高いものがあると感じております。
今年度より、筑後川流域クロスロード協議会においても、道州制勉強会を設置し、われわれの地域が果たすべき役割について県境を越えた意見交換を行っております。
今後も道州制議論の動向を注視しながら、九州の拠点地域としての強みを最大限に活かしていく方法を検討していくことで、官兵衛公も夢見られたであろう、九州全域の発展を目指すことが鳥栖市の役割として重要であると考えておるところでございます。以上、よろしくご理解賜りますようお願い申し上げ、ご答弁といたします。
これまでクロスロード地域は分断統治の歴史が長く続き、地域的な一体感を形成することが出来ませんでした。こうしたことはあまり言う人は少ないとは思いますが、私はそう思います。振り返れば2回統一化するチャンスはあったのかと私は思います。一つは鳥栖市を本拠地とした勝尾城主筑紫氏の支配拡大でありましたが、島津から城を追われてしまいました。もう一つは明治維新後の廃藩置県で4か月足らずですが実在した合併後の拡大三潴県、現在の福岡県南部と佐賀県を併せた地域です。そしてその県庁があったのが久留米城でありまして、そこを核とする三潴県というエリアを明治政府は選択しようとしました。しかし、共に歴史から消えてゆくこととなりました。歴史をたどれば、二三百年に一度こうしたチャンスが訪れるのかもしれません。筑後川流域クロスロード協議会においても、クロスロードが道州制の核となるところとして育つように道州制勉強会が設置されたのだと思います。そして偶然か地理的条件の為か拡大三潴県はサガン鳥栖を応援してくれているエリアと大変ダブってまいります。クロスロードとサガン鳥栖共に強くなり、サガン鳥栖というシンボルがホームタウン鳥栖市からクロスロードを経てこの地域の一体感として広がっていくことは今後の九州にとっても大変望ましいことであると確信いたします。
。全文は私のブログ2014年3月議会一般質問をご覧ください。
ここにそのところを転載いたします。
江副質問 ;さて、大河ドラマ軍師黒田官兵衛を皆さん見られておられるでしょうか。 今さら言うまでもありませんが、官兵衛は秀吉の軍師として活躍した人です。官兵衛は秀吉の命により呼子に名護屋城をつくり、朝鮮出兵しました。その時鳥栖を通った可能性は高く、もしかすると轟木や田代の宿に泊まったかもしれません。
秀吉没後の関ケ原の戦では官兵衛の息子黒田長政の活躍もあり半日で勝負が決し、家康の天下となりました。実はその時官兵衛は関ヶ原の戦いは膠着状態となり数か月はかかるだろうとの読みのもと九州平定に乗りだしました。小倉城、久留米城、柳川城、熊本城をすぐに制圧し八代城で島津との戦いのさ中、家康から停戦命令が出て、九州平定の夢が潰えてしまいました。もし、関ケ原の戦いがしばらく続き官兵衛が九州を平定していたならば日本の歴史は大きく違ったものになっていたと私は思います。福岡は家康から命じられて中津から移ったところで、自ら望んだところではありません。自ら誰に気兼ねするもなく城を築き九州を治める拠点つくりが出来たとすればそれは鳥栖市を含んだところのクロスロードになっていただろうというのが私の考えるところです。官兵衛は力によって九州統一を目指しました。一方道州制移行を求める現代ではコンセンサス合意によって九州統一を目指しています。次の還暦を迎える60年後の鳥栖市の姿を九州の州都としてクロスロードの一画をなしている夢を描くのは如何思われますか。
執行部答弁 ;江副議員の道州制における鳥栖市の役割についてのご質問にお答えいたします。
現在、わが国では、少子高齢化が進行し社会保障費が増大しており、長引く景気の低迷や、1,000兆円を超える国の借金など、依然厳しい状況にあります。
こうした、国や自治体を取り巻く課題を克服するために、中央集権体制を見直し、二重行政を解消することで行政組織のスリム化を図ることと、住民に身近な基礎自治体が、自己決定のもとで地域の実情に応じたまちづくりを実現することが道州制導入の大きな目的であると考えられます。
また、国、道州、基礎自治体は、適切な役割分担のもと、自立的で活力ある圏域を実現していく必要がございます。そのためには、多様な地域特性へ配慮した広域的な視点と、各地域の声に耳を傾けることのできる細やかな視点の二つが同時に求められるものと考えておるところであります。
これらをふまえて、道州の拠点に着目すると、州都となる地域は、域内各地へのアクセスに優れ、ヒト、モノ、情報の集積に適した場所が望ましいのではないかと考えておるところであります。
そうした点から見ましても、九州において、抜群の地理的優位性を持つ、鳥栖市を含めたこの地域が果たす役割は、これからも非常に高いものがあると感じております。
今年度より、筑後川流域クロスロード協議会においても、道州制勉強会を設置し、われわれの地域が果たすべき役割について県境を越えた意見交換を行っております。
今後も道州制議論の動向を注視しながら、九州の拠点地域としての強みを最大限に活かしていく方法を検討していくことで、官兵衛公も夢見られたであろう、九州全域の発展を目指すことが鳥栖市の役割として重要であると考えておるところでございます。以上、よろしくご理解賜りますようお願い申し上げ、ご答弁といたします。
これまでクロスロード地域は分断統治の歴史が長く続き、地域的な一体感を形成することが出来ませんでした。こうしたことはあまり言う人は少ないとは思いますが、私はそう思います。振り返れば2回統一化するチャンスはあったのかと私は思います。一つは鳥栖市を本拠地とした勝尾城主筑紫氏の支配拡大でありましたが、島津から城を追われてしまいました。もう一つは明治維新後の廃藩置県で4か月足らずですが実在した合併後の拡大三潴県、現在の福岡県南部と佐賀県を併せた地域です。そしてその県庁があったのが久留米城でありまして、そこを核とする三潴県というエリアを明治政府は選択しようとしました。しかし、共に歴史から消えてゆくこととなりました。歴史をたどれば、二三百年に一度こうしたチャンスが訪れるのかもしれません。筑後川流域クロスロード協議会においても、クロスロードが道州制の核となるところとして育つように道州制勉強会が設置されたのだと思います。そして偶然か地理的条件の為か拡大三潴県はサガン鳥栖を応援してくれているエリアと大変ダブってまいります。クロスロードとサガン鳥栖共に強くなり、サガン鳥栖というシンボルがホームタウン鳥栖市からクロスロードを経てこの地域の一体感として広がっていくことは今後の九州にとっても大変望ましいことであると確信いたします。
。全文は私のブログ2014年3月議会一般質問をご覧ください。