nanaの魂を、この夏空に解き放ちたかった。
本当は、ナナとヨシを始めてキャンプに連れて行った奥日光の夏空にと願っていた。
それは残念ながら台風余波の悪天候で叶わなかった。
帰宅して、祈りの聖地、八ツ塚の夏風景の中にnanaの魂を解き放つことにした。
それは思いの外、上手くいった。
風に乗って虹色の水玉がふわふわ舞い上がる。
さようならnana。
さようならnana。
nanaの魂を、この夏空に解き放ちたかった。
本当は、ナナとヨシを始めてキャンプに連れて行った奥日光の夏空にと願っていた。
それは残念ながら台風余波の悪天候で叶わなかった。
帰宅して、祈りの聖地、八ツ塚の夏風景の中にnanaの魂を解き放つことにした。
それは思いの外、上手くいった。
風に乗って虹色の水玉がふわふわ舞い上がる。
さようならnana。
さようならnana。
という言葉が頭から私もなぜか離れません。この
前のブログで、飼い猫達のことで書かれてました。
多分お別れに来たのではないかと思います。猫を
借りてーーー。
そんな場所で姪の魂を解き放つのは最適かも?
シャボン玉風景写真、以前から頭の片隅にあったイメージが姪の死によって形を結びそうです。
ナナの冥福を祈る私なりの祈りの風景です。
試行錯誤しながら完成形を目指したいたいです。
テーマとしていた祈りの風景。
こういう形で具象化するとは思いませんでした。
やはり信仰の風景は大事な人を亡くすという痛みを伴わないと身体化しないのかもしれません。
そして写真に救われた思いです。
植物を擬人化したテクニックもさることながら、早く逝った友人の高堂の姿も描かれていますね。
掛け軸の中から現れる高堂、ふと姪御さんと重ねてみました。
ランスケさん、すばらしいおじさんの前に現れると思います。
当事者でないものが書きましたが、絶えず身の回りにいて見ていると思いますよ。
元気な姿を見せてあげてください。
私も姪とは、何処かで会えると信じています。
姿形は違っても、それと分かる形になるだろうと⋯
会いたいという強い思いを抱いて、もう一度お遍路の長い旅に出ると願いは叶うでしょうか?
それまでは姪の魂が安らかであることを願って、美しい風景の中にシャボン玉を飛ばし続けます。
シャボン玉風景写真は私なりの供養と祈りです。
それにしてもお盆明けからの秋雨前線の停滞と梅雨のような天候は何でしょうね?