創り手の魂なき物は只のマテリアル。
例えば、あなたは蝉の音(ね)が皆同じに聞こえるか。
きっと、アブラゼミ、ニイニイゼミ、ヒグラシ等、種の違いは聞き分けるけれど、アブラゼミの音に個を感じていまい。
私は個々に聴こえる。
「原発反対」の声を「大きな音だね」と言った首相が居た。
個々には違う想いの語らせた「声」を「音」にしか聞こえぬ者に、想いなど伝わらぬ。
個々に別々の人生を歩む者達の人生を只一括りにして「一般大衆」と呼ぶおこがましさと同じ。
然し乍ら、何も権力や権限を持った者だけがおこがましさを持っている訳ではない。ほぼ皆が大小厭わず持っているのではないかな。
もう一つ例を挙げようか。
あなたはレジで買物を済ませる時に接客してくれるレジ係の人に「ありがとう」と言いますか。
私は「ありがとう」と言う。
お金を払う方が偉いと勘違いしている言動をよく見聞きするが、私は対等だと思う。「買って下さりありがとう」に対して「売って下さりありがとう」と思う。至極当たり前に行動として「ありがとう」と言う。
私は物造りに永年携わって来たが、造り手として思想をも込めて造って来た。ライン作業とて、設計にも思想があり、その思想通りに如何に製品にすべきか考え抜いて組立にも手を抜いた事がない。故に、私の意図通りにいかなかった時には助けを求めるが、「いいよ、そのくらい」と無視された時には例え立場が上の者にも噛み付いたし、喧嘩もした。
YouTubeにウクライナの保線作業に関する映像がある。「ウクライナ 保線」とでも検索すればヒットする。映像を見るだけでびっくりするが、レールを枕木に止めるボルトを絞めるのによれよれの手作りっぽいT字ソケットハンドルを使い乍ら、メディアに「人命と荷物と列車の安全が、かかっているんだ。(日本語訳字幕)」と応えている。「書類にはっきり書いてある。法的に可能な速度は時速70kmです」「あの列車は、時速100kmで走っています」と保線作業員が嘆く。ウクライナ鉄道に時速160kmの高速鉄道として韓国ヒュンダイの列車を導入する計画に対しメディアが取材した。後に実際に導入し死亡事故も出ているし、故障も多発している。
ウクライナ鉄道の幹部は、そこ軌道があって速く走れる列車があれば事足りると思っている様に感じるし、見た目「鉄」なら「鉄」以外の何物でもないと云う唯物論的な思考しか持ち合わせていない様だ。その鉄の不純物が、その組立・組付がどのように作用するか、まるで無視…或いは無知なのだ。
JR北海道が騒がしいが、ウクライナとは逆の様だ。保線や整備に携わる者、社員は恥を知れ。一昨年、人ひとり(社長)が自尽しても尚気付かぬか。
私の言葉も蝉の音か。虚しいのでBlogをやめる。
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