Tosh!'s Blog

ただ生きるな善く生きよ(ソクラテス)

ミズキ

2013-05-10 15:38:20 | 世評


写真は「ミズキ(水木)」、ミズキ科ミズキ属の落葉高木。白い花笠が林や森でも一際目立ちます。最近、花は概ね憶えてしまいましたので木に移りつつあります。この~木なんの木気になる木ってなものです。とは言えど、花や実がなっていないと、木肌や枝振り、葉っぱだけでは調べようにもなかなか難しく、こうして紹介しつつ憶えている段階です。メジャーな木(何をもって?)は小さい頃から虫取り等で憶えていますが。

その昔、石を愛でる人を不思議に思い父親に聞いたら「歳をとると、段々動かないものが好きになるんだよ」と云われたのですが、段々その気持ちが判る様になって来ましたよ。半世紀近くも生きていたら、若い頃には理解出来なかった事も理解出来る様になって来るもので。

その昔、図解入りの固有名詞図鑑があったのですが、高額過ぎて買いそびれましたが、人体から工業製品まで載っていて欲しい一冊でしたが、買う気になった時には既に遅し、後悔しております。

年配者とお喋りする機会が多く、内心イライラするのが「あれ」「それ」「あっち」「こっち」「でっち(余計)」で、代名詞ばかりで喋る人が多いのですが、仕事でも新米の頃先輩から「それ取って」とか「あれをこうして」とか、一向に意思疎通が上手く行かないのに辟易してから、陰で専門書で勉強して先輩に固有名詞を突き返しては、先輩をも教育する術を学んで来たものですから、知らない物の固有名詞を調べるのは癖になっております。

ただ、一般的な固有名詞を知っていても、会社会社で独特の言い回しが在ったりして、例えば工具ですらも地方地方で呼び方が違ったりしますから、そこは機転を利かせなければなりませんが、一般的な固有名詞を知っていて損はありません。相手にしてみれば自分の知らない事を知っているだけで、一目置かれる事になります。

「あっちの…」と指差す方向には話の内容と合致せず、よくよく聞いてみると指差す方角が違うじゃん!と云う事が良くあるのです。私は京都生まれで東西南北碁盤の目の通りで「あっち」と指差されても間違う事はなかったのですが、ここ神奈川では方角が判らないと「あっち」「そっち」では通じません。太陽が出てりゃ時間で方角が判りそうなものですが、年配者がそんな事すら知らないのですから、或る意味呆れてしまいます。サバイバルなど到底無理ですな。

そうして若い頃からどうも上の年代・世代は、関心のない事には無頓着で基礎的な事すら知らない人が多く、自分の知っている事だけでしか話が出来ないし、知らない事は相槌は打つけれど次の日には忘れているから、昔とった杵柄にしがみついて、それでしか威張れないもので。ちょっと前に流行った言葉の「ガラパゴス携帯」と云うのも或る意味そう云う柔軟性の無さの象徴でしょうな。

だから経団連米倉なんか、SP侍らす程偉くはないと思うのです。さっさと隠居しやがれっ!

昨日もボランティアしていた最中、隣のお宅が防音工事、2人で足場を組んでいて、どちらもいい歳なのですが、先輩が「あれ」「それ」「あっち」「そっち」のオンパレードで、もう一人が「どれ」「どっち」と半ばキレてお互いに喧嘩腰。猫を相手し乍ら黙々と心穏やかにしていた私もムカムカしてきて気分が悪いったらありゃしない。私が家主なら、そんな事で喧嘩している様じゃ良い仕事など期待出来ないから「帰れっ!」と怒鳴りつけ、業者を変えまっせ。

さて、紹介したミズキは、加工し易く例えば下駄なんかに使われたりします。芽を吹く早春に大量に水を吸い上げる事から「ミズキ(水木)」と云われるとか。早春、枝を切ると水が滴るそうです。今度、試してみようかな。

( ´ー`)yー-~

科学者が、薬局に駆け込んで言った。
「アセチルサリチル酸をくれ」
「アスピリンの事ですね?」
「そうだ、そうだ、私にはどうしてもその名前が覚えられないんだよ」