あなたの笑顔は誰よりも輝き くもり空まで晴れにしてしまう
何度も高い壁 乗り越えたから 何も怖くない ひとりじゃないよ
みんな空の下...
綾香「みんな空の下」より
今朝は道路も所々濡れていて、雨雲も接近中だったが南を擦めて通り過ぎたから、ポツリポツリと数分雨粒が落ちて来ただけで、その後は急速に青空が広がっていった。
近頃の私は自分で言うのも烏滸がましいが、精力的である。2度寝も出来るし、朝、夜明けが待ち遠しい。夜が明けると外出の用意をして出掛ける。一時は靴を履く事さえ躊躇していた私が嘘の様である。
玄関を閉めるとレジ袋を広げ(レジ袋はたたんで結んで保管している)、階段を降り乍らゴム引きの手袋をはめる。最近はないが、階段にゴミを捨てる住人が居た。階段に落ちているかも知れないゴミを拾う為。道路に出るまでの敷地内にも時折ゴミが落ちている。それらを含め玄関を出たらゴミ拾い開始。
暫く遠ざけていた人通りの多い道、敢えてその道を行きゴミを拾いまくる。生け垣に隠しても無駄、私は抜け目なく見つける。時折、「遅刻」し、バス待ちの列の前をゴミ拾いする為だろうか、バス停のゴミも減った。今朝も公園内で私より年上の人に声を掛けられた。「時々見掛けるけれど、ゴミ拾いしてるの?」「はい」「ご苦労様」「有難う御座います」と、私が思う以上に私の行動を知っている人は多い。
私の公園でのお喋り友達ヨっちゃんは、私が今年7ヶ月程引き蘢っていた間、「あの人はどうしたの?」と聞かれてばかりで少々ウンザリしていた様だ。それも、多分私の知らない人達に。
ゴミ拾いするのは世間に対してのメッセージとか、恩に着せるつもりは毛頭ない。ただただ、自分が嫌だなと思う事を取り払っているに過ぎない。「うつ」を悟る前の私は了見が狭かった。そう云う場面に遭遇しなかったが、私がゴミ拾いしている側でゴミを捨てたら注意していただろう。条例で罰金が課せられている事を楯にして。が、今は違う。このBlogに記したかも知れないが、私がゴミ拾いしている所を通り過ぎ、タバコをポイ捨てした人を見て、「心が貧しい人だな」と哀れむだけ。それは、モラルが欠けているという意味で、私の方が立派だと言い張る気持ちも毛頭ない。ゴミ拾いも、その事をBlogに記す事も、褒めて欲しいからではない。ただただ、好き勝手にしているまでの事。結果としてポイ捨てが減る事は歓迎するけれど。
以前よりは減って来たけれど、未だに犬の糞が落ちている。ポリ袋を取り出し包み取る。昨日小学校の校門前に落ちていたけれど、登校児童も居ないし、試しに取り去らなかった。案の定今朝も残っていた。児童が登校する前に取り去る。犬の散歩をする人は多い。大半が犬の糞の始末をしてくれるけれど、始末する準備をしているのに他人様の犬の糞まで取ってくれる人はいない。それが普通と云えば普通なのだろうが、何か寂しさを感じてしまう。
公園のゴミ拾いも終ると、四阿で一服する。一服もそそくさと、紫陽花の下草取りに向う。今日は欄干2スパン進んだ。レジ袋2つ。今日は公園管理業者が草刈りに来ていた。仕事は丁寧にしてくれる。有難い事だ。
私が雑草取りを始めた頃は、アメリカ由来の雑草が蔓延っていた。アメリカ何々と名の付く雑草。それらはトゲトゲしいものが多く、取り去るのも大変だったが、何年も掛けて駆除に成功した。だから、生える雑草も変わって来た。川向こうの公園愛護会が仕切る場所にはまだ残っているが、川がカーブしていて川筋を流れる風が川向こうに吹くので、種がこちらに飛んで来る事は少ない。雑草取りをし乍らもそう云う要因を考え乍ら、自然とはを学んでいる。
煙草を切らしてしまったから、預金をおろしてタバコ屋さんに寄る。そのタバコ屋さんとも仲良くなったのだけれど、切っ掛けは私がゴミ拾いをしている事を知っていたから。何故に知っているの?と少々驚かされたが、見ている人は見ているのだなと改めて思い知ったのである。
最初の頃は、「幾ら貰ってる?」と要らぬ詮索をされもしたけれどね。
( ´ー`)yー-~
或る日本人がイエローキャブに乗った。
暫くすると1台のホンダ車が追い越して行った。
日本人は自慢げに言った。「やっぱり速いねぇ。Made in Japanは」
暫くすると1台のトヨタ車が追い越して行った。
日本人は自慢げに言った。「やっぱり速いねぇ。Made in Japanは」
暫くすると1台のニッサン車が追い越して行った。
日本人は自慢げに言った。「やっぱり速いねぇ。Made in Japanは」
目的地に着いて料金を尋ねると運転手はかなりの高額を要求した。
「幾ら何でも高過ぎるだろう」と文句を言ったら運転手は料金メーターを指差し
「早いだろ。Made in Japanだからね」