昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

ボク、みつけたよ! (十)

2021-10-24 08:00:35 | 物語り
 翌日に早速クリニックを受診しましたが、すぐに入院設備のある病院を紹介されました。
そこで入院となり諸々の検査を受けました。
二日、いや三日後でしたか、狭心症と診断されて大学病院へ移りました。
そこでもまた検査検査の日を送り――前の病院と同じ検査のようですが、どうして二度手間をかけるんでしょうかね。
お金が勿体ないと思うんですよね。
結局の所ほぼ二週間あまり後にステント手術ということになりました。
こんな大ごとになるとは想像もしていなかったので、ビックリです。
この頃はと言えば離婚後でして、一人暮らしなんですよね。
世話をしてくれる人間がいないということで、少々気まずくてばつの悪い思いをしました。

 6人の大部屋でして、患者さん全員に付き添いの方がいました。
色々と世話をしてみえます。けれどもわたしには一人も付いていません。
日当を支払って世話をしてもらうおばさんが見えるようです。
ご存じでした? 民間の医療保険に加入しておられる方が利用されるようです。
が、そういった保険に一切入っていないー全て解約してしまいましたーわたしでは、その費用を捻出することができないわけですわ。

 でも手術前はまだそれでも良かったのです。
一人で出歩けますから、必要な物は売店に買いに行けるわけです。
ですが手術後はそうは行きません。
ベッドに縛られていますからーホントに縛られているわけではありませんよ、比喩ですからー自由がききません。
といっても、何をしたいというわけでもありませんから、不自由は感じませんでした。
ただ退屈なわけです。日がな一日をぼんやりと過ごすわけです。

 声をかけてくれる相手と言えば、精々が看護婦さんだけですからね。
幸いに窓際のベッドでしたので、空を漂う雲の形なんかに慰められたりしました。
幼児でもあるまいしと思うのですが、あれは象さんだ、あっちは飛行機だ、そしてこっちはイチゴだなどとです。
そうそう、怪鳥ーラドンを見つけたこともありました。
そのときは、どういうわけか突然に涙が溢れましてね。いえ理由は分かっていました。

 子どもたちと観た映画です。
ラドンの映画ではなくゴジラの映画だったのですがね。
そのことが思い出されて。数少ない子どもたちとの想い出なんですよ、数少ないお出かけなんです。
子どもたちが観たいと言ったのか、わたしの意向だったのか。
妻は板東妻三郎主演の怪談映画を観たいと言い出したことを覚えています。
わたしと子どもたちだけの数少ない共有時間を持たせてくれたのだと、いまは解釈していますが。

その後、マクドナルドで待ち合わせをしまして、ハンバーガーを一家でパクつきました。
息子はビッグマック、娘がフィッシュ何とか(母親と同じ物です)。
そしてわたしは、テリヤキバーガーでした。
といっても最初のひと口だけで、息子と娘に取られてしまいました。
息子が大食いでしてね(これはわたし似というより、食べ盛りだからでしょう)、娘は人の物(特にわたしが食する物)を欲しがるのですよ。
でも楽しい外食でした。


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