昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

愛の横顔 ~地獄変~ (十三)ツバメ

2024-05-22 08:00:24 | 物語り

 ある夜のことでございました。
娘がいつものようにわたくしの体を気づかっている時、妻がわたしの部屋に入るや否やキッとした険しい目で娘を睨み付け、悪態をついて娘を追い出しました。
なんと言いましたか、うーん、はっきりとは覚えておりませんのですが。
「いい加減にしなさい!」とか何とか、そんなことだったと思います。

えっ? そ、それは、その。
ひょっとしたら、
「その辺にしときなさいね。」だったかも、しれません。
しかし、しかし。
わたくしが見た妻の顔は、それはもう、恐ろしい形相でございました。

その昔、まだ赤線というものがありました頃のことでございます。
亭主を寝取られたと娼婦のもとに出刃包丁を手に乗り込んできた、半狂乱の女が居たと聞き及んだことがございます。
その女の形相が、妻を見たときはっきりと思い浮かべられましたのでございます。

もっとも、無理もございません。
妻もまだ、三十路も半ばの女盛りでございます。
夫婦の契りを断って、一年近くの月日がたっております。
娘のためによりを戻そうとしてはみるのですが、やはり口論となってしまいます。

 買い物だとわかっております折りに、帰りの時間がいつもより遅い時がございました。
そんな時“若いツバメ” を作ったのでは、と疑ったりするのでございます。
また、艶っぽい仕草を垣間見せることがございますと、“やはり居たか”と、思ってしまうのでございます。

娘と妻の口論時には、どうしても娘の味方をしてしまいます。
妻の止めるのも聞かずに、一週間ほどのクラブの合宿に参加した時でございます。
正直のところは、わたくしも内心では反対でございました。
いえ、妻の申すような心配事からではございません。

 妻の申しますには、女ばかりの合宿は危ないと申すのでございます。
引率の教師が女性であること、湖畔のバンガローのような宿泊所であること、等々。
わたくしの反対の理由は、妻とふたりだけの日々が苦痛なのでございます。
また、娘と離れての日々を過ごすことが、苦痛であり淋しくもあるのでございます。

 己の都合だけからの反対心でございました。
自己中心的だとのご指摘、その通りでございます。
申し訳ありません。
しかし、その頃のわたしには、娘の居ない日々は考えられなくなっておりました。
正直のところ、毎日の学校ですら苦痛でございました。

”片時も離したくない”そんな気持ちでございました。
ですが、娘のたっての希望を、頭ごなしに反対する妻に味方することはありませんでした。
一度は反対いたしましたが、結局のところ娘の希望を叶えてやることにしたのでございます。
物わかりの良い親父を演じてしまいました。
今にして思えば、やはり反対すべきでしたが。

しかし娘の喜びようといったら、それはもうありませんでした。
「お父さん、ありがとう! 大好きよ!」と、わたくしに抱きついてくるのでございます。
その勢いの余り、後ろに倒れるほどでした。
「好きよ、お父さん」と耳元で囁かれた折りには、天にも昇る思いでございました。
わたしの人生において、この頃が最良でございました、はい。



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