昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (二百九)

2022-03-22 08:00:14 | 物語り

「どうしたんだ、灯りも点けずに。
寝てたのか、このソファは良いだろう? このひじ掛けを枕にして眠ると、良く眠れるんだ。
俺もよく眠るぞ。そうだろ? 小夜子にいつも起こされているよな」

 饒舌な武蔵に対し、唇を真一文字に結んだままの小夜子が、一点を凝視して身動きひとつしない。
灯りを点けると、出かけたままの洋装姿だ。帰宅時には着替えるのが常の、小夜子なのにだ。
「どうしたんだ? 正三くんには会えただろう? 
喧嘩でもしたのか、それとも変わってしまった正三くんに、驚いたのか? 
まあ男というのは、三日会わないとと変わるものだからな。
まして、官吏さまとなると、いろいろあるだ、、、」

「タケゾー! タケゾーのせいよ! タケゾーのせいで、わたしの人生は無茶苦茶よ。
あの人は、正三さんじゃない! わたしの正三さんじゃない。
別人よ、他人よ。タケゾーのせいよ、タケゾーの」
 激しく慟哭しながら、武蔵の胸をたたいた。
弱々しいそれがそして声が、小夜子の衝撃の深さをあらわしている。
「タケゾーよ、タケゾーが悪いのよ。タケゾーのせいよ、全部」

 儀式のはずだった、単なる儀式の。
いまさら正三と結ばれるなどとは考えていない小夜子だった。
武蔵との幸せな人生を、贅沢三昧の生活を送るこれからを見せる。
まさに正三への、不実な正三へのあてつけのはずだった。
涙ながらに許しを請う、正三がいるはずだった。
土下座をして小夜子の愛を求める、その正三でなければならなかった。
そして、そして、学生服に身を包んだ正三でなければならなかったのだ。

「小夜子さん、小夜子さん……」。正三が取るべき行為すべてに小夜子の許しを得る、そんな正三を思い描いていた。
そんな正三に投げかける言葉。そしてそんな正三に対して、小夜子がとる行動――毎夜毎夜、思い浮かべたことだ。
「よろしいことよ、正三さん。あなたを許します」

「でもね、小夜子は、あなたのもとへは参れないのです。
武蔵という伴侶と、世界を旅するの。
アーシアと共に過ごすはずだった日々を、武蔵という伴侶とともにです」
なんどもなんども、伴侶ということばをつかう。
正三がそのことばにたいして、歯ぎしりして後悔するであろうことを思い描いたことばだ。
 
「正三さん。ありがとう、いままで。
小夜子はあなたと出会えたことを、神さまに感謝したいと思います。
正三さん。どうぞ、お国のために国民のために、しっかりとお仕事をしてくださいな」
ひざまずいて許しを請う正三を見下ろす小夜子。
慈愛に満ちた笑みを浮かべて見下ろす小夜子。
そんな己の姿を思い浮かべていた。
しかしそれが現の世界ではなく、夢想の中だけと知らされた。



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