昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~(百三十六)

2021-09-16 08:00:21 | 物語り
「お父さん。だから、あたしのこと、どう言ったの」
 肉を頬張りながら、怒りの言葉を武蔵にぶつける。
「ううむ。やっぱり、美味しいわ! お肉が、全然違うのよね。だから、あたしをどう紹介したの?」
「おいおい、食べながらじゃ怒ってるのかどうか分かんないぞ」

 苦笑いしながら、武蔵が受ける。
高い天井には大きなシャンデリアがあるが、輝度は弱めだ。
壁にもランプ形の灯りがあり、それらで以て店内を柔らかい照度で照らしている。
各テーブル上のランプの炎が、シーリングファンの微風でゆらりと動いた。
小夜子の眉がピクリと動き、八の字になった。

「怒ってるに決まってるでしょ」
「ハハハ、まぁそう怒るな。高井の早とちりなんだから」
「そういう言い方したんでしょ? うわあ、このじゃがいも、ホクホクしてる!」
 怒りの口調の中に嬉々として頬張る様は、どうしてもそぐわない。
「小夜子、どうも調子が狂う。食べ終わってからにしろ」

「そうね、そうするわ。ああ、でも、ほんとに美味しいわ。お父さん、ずるい!」
「なんでだ?」
「だって、いっつも食べてるんでしょ? だから今夜は食べないんでしょ?」
 口を尖らせて詰る小夜子の唇が、武蔵には悩ましくそして好ましく見える。
今この場でその唇に触れたいと思ってしまう。吸い付きたいと願う。
時に傍若無人な態度を見せる武蔵といえども、ここでのそれは憚られる。

「俺の嫁さんになったら、毎晩でも食わせてやるぞ。どうだ、なるか?」
「もう! なるなる、なんて言うわけないでしょ。正三さんのお嫁さんになるの。そして、アーシアと暮らすの」
あっけらかんと言う小夜子に、武蔵は耳を疑った。
「ちょっと待て。正三くんの嫁さんになって、アーシアと暮らす? そのアーシアって、誰だ? 初耳だな」
「アーシアは、アナスターシアと言うモデルさん。世界中を旅してるの」
「世界を旅するモデル?」

「そう! 人気があるの。あたし、以前にあの百貨店に来たの。
で、あたしもモデルとしてお手伝いしたの。
それが縁で、アーシアの妹になったってわけ。分かった?」
「デパートに来て、その時、ファッションショーとかでもやっていたのか?」
「そうなの、偶然だったんだけど。ホントは、ジャズ演奏を聞きに来たのよ」

 話の内容があちこちに飛んでとまうのは小夜子の常だったが、今夜の小夜子は特に激しかった。
久しぶりに訪れた百貨店で、高揚感が激しい。
特にアナスターシアとの想い出が詰まった、この百貨店は特別なのだ。


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