昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (二百六十四)

2022-10-16 08:00:26 | 物語り

 その夜、ふたりして武蔵の自宅で酒盛りをした。
縁側に座り込んで半欠けの月をながめながらの、二人だけの酒盛りだ。
「久しぶりのことだな、五平。店を立ち上げる前には、こうやって二人で、カストリを飲んだよな」
「うーん、何年になりますかね。十、年はたたないか。店を立ち上げる、あぜ前夜夜以来じゃないですか。
たしか、いつもの十五度じゃなくて、いきなり四十度なんて代物に手を出して。
喉はひりつくし、胃はひっくり返るし。それから頭がガンガン鳴って、死ぬかと思いましたよ。
まったく武さんの冒険心にゃ、付いていけません。あ、タケさんなんて呼んじまった」

「いいよ、いいじゃないか、タケさんで。会社ではまずいが、ふたりだけなんだ、タケさんでいいよ。
俺もな、ちょっと反省してるんだ。会社では、五平じゃなくて専務とよばなくちゃならんとな」
「へへ。こそばゆいですよ、専務なんて。もっとも、はいて捨てるほどいますかね、日本中に」
「なに、言ってる。富士商事株式会社の専務さんだ、大企業とは言わんが、優良企業だぞ」
 コップを空にするよう徳利を手にすると、「せっかちなんだから」と五平が苦笑いする。
「ゆっくりやるか」と言いつつも、たけぞうもまたコップを空にした。

「二人目をな、産めなくなったらしい。そのおかげで命びろいよ。
しかし乳が出ないってのは、当の赤子にしてみりゃ死活問題だ。

おまんまなんだから、赤子のゆいいつの。で仕方なく、もらい乳をと。
ところが間がわるく、ご近所に誰もいないときてる。
で止むなく、米のとぎ汁ということだ。とぎ汁が乳代わりだったんだぜ」
「それはなんぎなことだ。しかしおふくろさんも、さぞかしおつらかったでしょう」
「だろうな。鳥越八幡宮って知ってるか? 山形の新庄市なんだが。
武運長久のご利益があるらしい。お袋がな、お百度まいりをしたらしい。
兵隊になるんじゃないぞ、赤子がなんとか育ちますようにってだ」

「しかし今じゃ、この頑丈さだ。どういうことで?」
「盗みに走っちまったよ。とにかく腹ぺこだ、手当たりしだいだったよ。
近所じゃ顔を知られててまずいってんで、となり町に遠征さ。
んでもって、走った。店先から盗んでは、一目散に走った。とっつかまったら、こっぴどく叩かれるからな。
足の遅いやつはいっつもだ。あんまり可哀相なんで、そいつに少し分けてやったよ」
「社長の親分肌は、その頃からですか。しかも、あのご時世なのにだ。
子どもの食いものまで取り上げた親がいた、なんて話も珍しくもなかったのに」

 庭の木々の上にあった月が、雲間に隠れた。 
「しかしなんで、すぐにあきらめるんだ? 子どもの足だぜ、本気だしゃ追いつけるだろうに。
かわいそうに思ってのことだったのか? そのせいかと思ったよ、に追いかけるのを諦めちまうのは」
「そりゃ、あれですって。店をからっぽになんか出来ませんて。
それこそ、根こそぎ盗まれちまいますよ。子どもだけじゃなく、大人だって腹をすかせてたんですから」



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