昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (二百三十六)

2022-05-24 08:30:53 | 物語り

 ひとみと言う女、年のころは二十代前半か?  
痩せぎすの体型が若く見せるきらいがあると考えると、後半かもしれない。
顔立ちは、不美人ではないけれど、美人でもない。
 正三の知る女性ー小夜子を除けば、年上ばかりだ。
源之助の息がかかった女性で、正三の教育係りのようなものだ。
痒いところに手が届かんばかりの対応をしてくれる。
正三の目線の動きで察知し、口に出すまでもなくことが済む。
選民だと意識させられている正三にとっては、実に居心地の良い場所だ。
「いいか、正三。我々は選ばれし者なのだ。
日本国民を正しい道に導くために選ばれたのだ。
ユダヤ民族が選民であるように、我々官吏はお上に選ばれし選民なのだ。
その自覚を常に持って行動をしなさい」

 そんな正三を認めない女性ーそれが、小夜子だった。
そしてそれが苦痛にならない正三だった。あの再会の日までは。
“小夜子さんも、今のぼくをどう見てくれるだろうか? 
もう一人前の男として、認めてくれるだろうか? 
尊敬の眼差しをくれるだろうか? 
そしてそして、ぼくの伴侶と、意識してくれるだろうか?”
それらことごとくが、裏切られた。
官吏としての正三は勿論、男としても認めはしない小夜子。
どころか、非難の矢が矢継ぎ早に飛んできた。
そして除ける間もなく、その矢は正三の胸に突き刺さった。

 しかし今、ひとみという女に出合って、正三の胸に激しく燃えるものが生まれた。
正三を見下すわけではなく、といって見上げるわけでもなく、正視するひとみ。
「お待たせ~! 正坊。美智子姉さん、ありがとうございました」
 嵯峨美智子ファンだと言う正三に宛がわれた女給は、確かに色気たっぷりではあったが、正三の興は戻らなかった。
襟をすこし緩めに着付けている着物姿に、「ほお、色気ムンムンだね」と声をかける者もいたが、正三にはだらしなさとしか映らなかった。

「しょう坊、どうかしたん? 元気ないやん」
「そんなことはない」
「ウソ! あたしがおらへんかったから、泣いてたんやわ。
よしよし、もうどこにも行かんからな」
 酔いつぶれたのかと思われていた正三が、突然に身体を起こした。
「ひとみ、ひとみ! 何してたんだ? 淋しいなんてものじゃないぞ。
ぼくは、生きる気力さえ失ったぞ。
だめだ、ひとみと接吻をしないと、ひとみの口を吸わないと、元気がでなーい!」
唖然とする一同を後目に、ひとみに圧し掛かっていく正三。
「はいはい。しょう坊、みんながびっくりしてるわよ。おいたが過ぎると、お尻ぺんぺんよ」

「坊ちゃん!」と、津田が裏返った声で、言う。
「今夜、店がはねた後なんですが、寿司でもお摘みになりませんでしょうか?」
「おいおい、声が変だぜ」
「いや実は、彼女に今、『ひとみさんと一緒なら良いわ』と言われたものですから」
「なんだなんだ、どうした口説き落としせたのか、おい。
この野郎が! ひとりで良い思いをするつもりか?」

 小山が噛みつくが、他の者からは声がない。
「おいおい、ひょっとして、俺だけか? みんな約束、取り付けたのかよ。
美佐江ちゃん、ぼくたちもなんとかなろうよ」
 すがるような目を向けるが、
「ごめーん。今夜はどうしても、だめなの。
次に来てくれた時には、きっとお付き合いするから」と、手をこすり合わせた。

 



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