安心してください、最後です。
⑤太刀振り、ササラ摺り、棒持ち、道化など、ししに付属する踊りの有無を見てみます。
二戸市2/2、一戸町1/1、八幡平市1/1、岩手町1/1、滝沢市0、盛岡市4/4、雫石町0、
矢巾町3/6、紫波町5/5、花巻市2/3、北上市0、奥州市0、野田村0、普代村0、
田野畑村0/2、岩泉町0/5、宮古市0/16、山田町1/2、大槌町5/5、釜石市7/11、遠野市20/20、
他に旧八戸藩領として軽米町1/2、葛巻町0、九戸村2/2、洋野町0、久慈市0
中断・廃絶しているものを含め、調べられる範囲での数です。但し不明なのは0とします。
合計54/88に踊りが付属します。
旧閉伊郡で付属の踊りが付くのは、遠野市、釜石市、大槌町、山田町。一方、岩泉町、
宮古市では踊り無し。また、道化のような役だけが付く例は、盛岡を中心に見られ、
軽米町と一戸町のしし踊りには、明らかに剣舞と思われる衣装で太刀振りが付属します。
f8 上郷町 板澤しし踊り 太刀振り
関東周辺の三匹獅子舞や山形・秋田のしし踊りの中には獅子役の他、ささら摺り、道化、
太刀持ち、棒持ち、万灯持ち、花笠などの役があるので、
南部領のしし踊りにこのような付属の踊りがあることは特別ではありません。
f9 紫波町 二日町鹿踊
享保9年(1724)、伊達領内では「公儀御触御国制禁」と云う御触れにより、しし踊りは
田植踊りと同じく10人を限りとすること。剣舞はしし踊りと人数を同じにすることなどが
定められました。(田植踊りだけは、その後5人に減らされます)
このことが、剣舞としし踊りに大きな影響を与えたと考えられます。
もしかすると江刺の八幡堂系の行山流久田鹿踊のように、しし8+笛1+坊主1=10が基本に
なったものが、笛と坊主が無くなり、現在の太鼓踊り系八鹿踊りのように、
しし8だけに変化したとか、剣舞も踊り手8+笛1+太鼓1=10になったとも考えられます。
また、服飾の上では当初から剣舞には大口があり、ししには無かったものが、人数制限と
衣装替えと出番の都合などから、剣舞が無くなったグループでは大口を付けた
ししだけが残ったとも考えられます。
同じように剣舞との関係がしし踊りの編成に別の影響を与えた可能性もあります。
剣舞が無くなったことで剣舞の太鼓役が残ったことから、ししの太鼓を止め、踊るだけの
ししが分離したとも考えられます。逆に太鼓を付けて踊るししはそのままで、
剣舞の太鼓だけが無くなり、笛だけ別に残った可能性もあります。
f10 宮守町 坊主役の子供達が付く行山流湧水鹿踊 江刺の久田鹿踊から伝習
遠野では、これまでに無くなったり激減した芸能がいくつかあります。
最初に記した遠野古事記の頃には行われていたもので後になくなった剣舞の他、
激減したものに田植踊りがあります。田植踊りが激減したのは昭和以降なので、
しし踊りに影響を与えたとすれば、現在のような小踊りの編成だと思われます。
その中で剣舞に無くて田植踊りにあるものは中太鼓。
中太鼓はf11のように棒を2本持って踊りますが、太鼓という名前があるように
棒は元々はバチです。
また、ふくべ振りは田植踊りだけでなく、念仏剣舞にもあります。
f11 遠野市小友町 長野獅子踊り
前列の右から二人の子が、両手に持つのが中太鼓
左から三人が、ふくべ振り
また神楽については、明治以降に一般の人に伝えられるまでは宗教関係者の芸能であり、
その神楽が広く普及するまでの期間を考えると、直接しし踊りに影響を及ぼした可能性は
低いと思われます。
現在の軽米町・九戸村・一戸町のしし踊りを見ると付属する踊りは衣装も剣舞そのもので、
二つの芸能が一つになったように見え、田野畑村の菅窪鹿踊・剣舞のように一つのグループ
が二つの芸能を演じたものがしし踊りに集約されたようにも感じます。
そのような変化が基本となり、集落単位で行われていた田植踊りの要素が加わったのが
遠野郷のしし踊りなんだろうと思えてなりません。
以上のことから、三匹獅子舞の変化形を基本として、
(しし+太鼓+笛)+(太刀振り+ふくべ)+(中太鼓)
という構成変化をしながら、現在の形に落ち着いてきたように感じています。
次にししの着物としての袴です。遠野と釜石の一部では股引を付けます。
県内の他の地域では例外はあるものの、ほぼ袴着用です。
また関東から東北地方に広く伝わる三匹獅子舞でも様々な形ですが袴で
ごく一部にズボンも見られます。これらのことから、おそらく遠野でも古い時代には袴着用
だったとかなりの確率で考えられます。袴ではなく股引に変わったことで、
遠野のしし踊りは他に比べて、ししのはげしい動きを可能にしたのかもしれません。
f12 釜石市鵜住居町 神ノ沢鹿踊
最後に駒木の覚助が踊りを伝えたという伝承の他に、しし踊りの一部を変えたという
異なる言い伝えもあり、他の幕踊り系しし踊りと大きく違うものとして、
先ほどからの大口と袴、付属する踊りの他に、雰囲気を醸し出すのに十分な量の
かんながらの意匠性もあるのではないかと考えられます。
f13 青笹町 青笹しし踊り ししのお尻付近に青い布が見えるのが流し
f14 宮守町 行山流湧水鹿踊 背中の「南無阿弥陀仏」とある部分が流し
最後に
太鼓踊り系しし踊りには100%付いている「流し」、遠野のしし踊りではf13の
ような布が垂れ下げられています。
他の幕踊り系しし踊りに、流しを付けている団体がどれぐらいあるのか、
なぜ付けているのか、これもまた興味深いところです。
私の処に立ち寄る人達から、そんなことどうでもいいじゃないか!
調べてどうするんだ!と云われ続けています。
しし踊りの踊り本来の伝承についてでもないことを、長々とつぶやいてみました!笑
結局、何が云いたかったの?と聞かれそうですが、
それも何だかわからなくなってきました。笑