人のことではない、私のことである。
ついつい、ジュリーファンじゃない人が、ジュリーをどう思っているのか知りたくて、
他人様のブログを覗いてしまうのだが、
たいていの方々は、沢田研二ですごい数検索でやってくる人たちに
度肝を抜かれている。
今、仲良くしていただいてるブログやHPさんもすべて検索でたどり着いた。
意見交換しながら、様々な観点からジュリーを見ることができるようになったと思う。
これからも決して側面からだけ見るようなことは避けたいな、と思う。
何故、今、こういうことを言うかというと、
我が窮状で、ものすごい数のブログにとりあげられているからだ。
確かに、朝日新聞に載り、ジュリーは自分の考えを新聞というメディアで発表したかもしれない、
けれど、それもジュリーの側面に過ぎないと思う。
だから、こうだ、という決め付けを一番してはいけないのがファンだと思うのだ。
ファンじゃない人の反応はこうだ、
あの沢田研二が・・・こういう歌を歌うなんて・・・。
何故今、この歌なのか。
こういう歌を歌うなんて見直した。
あの沢田研二がね~・・・。
CD、新譜出してたんだ・・。
あげくは、自分たちの会に講演に呼びたい、だの、
テーマソングにしたい、だのというものまであった。
あの沢田研二っていうのはどの沢田研二なんだ?と言いたい。
そのひとつひとつに反論したい自分を抑えながら、
だったら見なきゃいいじゃん、と自戒するのである。
ジュリーの平和に対する想いは深いのだ。
いつの頃からか、歌にメッセージを込めるようになり、
そしてその言の葉は、私たちファンの心の奥底に眠る、
平和への祈りを呼び覚ましてくれた。
今更、他の人たちのように、我が窮状を歌ったからといって、ことさら驚くこともなかった。
そして、ジュリーが決して偏った人間でないということを知っている。
大きな心と、そして繊細な愛情で、
私たちファンに熱くメッセージを送り続けるのである。
すべては、私たち受け取る側のまごころをジュリーが信じているからに違いない。
検索好きのおばさんはそう思う。