JR好きが集う村

JR関係で撮影してきたことについて書いていきたいと思います。

Hiroshimaへの旅 その4(マンモスタイム)

2014年03月25日 | 遠征日記
さて、すごいこと続きが起きたと予告しておりましたので紹介します。
1095レのEF66 52を撮影できたあと、上り貨物は依然としたまま全く動いていませんでしたが下り貨物は30分に1本間隔でやってきてくれました。
ここから遅れ貨物が発生していたため列番は省かせていただきます。
まずは、下り貨物から



EF200-15 西条~八本松にて


初撮影となった15号機でした。
15号機は、特に他の同機とは変わりなく普通のEF200ですね。
ここで上り貨物が動き出し、どの釜が来るか待ってると・・・。



EF200-10 八本松~西条にて


EF200でした(笑)
この10号機もほかの同機と同じ普通のEF200です(笑)
手前の草が気になりますが・・・(笑)
そして、今度は下り貨物が



EF200-5 西条~八本松にて


ここでもEF200でした。
今、901号機・19号機が吹田機関区で休車にかけられているEF200もおり、全機で20台しかないEF200ですが中には廃車が危ぶまれているとの噂が流れていたりしています。
つい先日には17号機が復活しましたが今のところパンタグラフの故障で吹田に入場していたとの情報がありますが、そうなると前にもお話ししたように19号機からの部品を取ってきた可能性が高いと思われます。
なにしろ、EF200の部品取りにされていた1号機が昨年解体されましたからもしかすると19号機が部品取り機になる可能性が高いかも知れませんね。
復活してくれるといいのですが・・・。
話は戻って、今のところ3回連続EF200続きですが、また下り貨物がやってきて・・・



EF200-6 西条~八本松にて


またもや、EF200でした(笑)
しかも、連番でやってきてくれましたねぇ。
そして、今度も下り貨物です。



EF200-14 西条~八本松にて


14号機も初撮影ですね。
これで5回連続です(笑)
こうなったら、もう上りもEF200できてほしいと願いつつ待ち、ここで上り貨物が動き始めたみたいで数分後来ました。



EF200-17 八本松~西条にて


願い通りEF200で来てくれました。
しかも、故障して吹田に入場していた17号機でした。
復帰後、撮影できて良かったですが、その反面部品を提供してくれた19号機のことも心配です。
17号機をみると19号機を思い出してしまうのは、僕だけでしょうか・・・?
八本松カーブでEF200が撮れたのは連続6回ということで自分でもびっくりしましたが、長時間待ちでもEF200の価値観を考えると退屈なく待つことができてよかったと思います。

Hiroshimaへの旅 その3

2014年03月23日 | 遠征日記
岡山で一泊し、ホテルを出たのが4時半でした。
この日(14日)の夜中2時07分に伊予灘付近で震度5度の地震があり、岡山でも震度4度と観測され、寝ていた私もすぐ地震だと判別がつきました。
それから、寝ようと思っていたのですが4時半出発ということもあって目をつぶるぐらいしかできませんでした。
そして、岡山駅発糸崎行きの始発5時18分発に乗り広島へと向かいました。
糸崎で岩国行きに乗り換えさらに西へと向かい着いたのが8時10分でした。
岡山駅には始発に出発しましたが、やはり広島に近づくにつれ列車は遅れていました。
特に上り線では30分以上の遅れが目立っていました。
広島につき荷物を預け、早速撮影地に向かうのですがここでもダイヤはグタグタでもう適当来た列車で有名な八本松カーブに向かうことにしました。
やはり、EF67の撮影ポイントはいくつかあるのですがここ以外の撮影地は30分~1時間半ほどの場所が多く、お手軽に撮れる撮影地としては駅から5分のところにあるここがいいかもしれませんね。
でも、JRとの境界線がギリギリのところにあるので撮影する際には注意が必要です。
さて、撮影地に着くとすぐに踏切が鳴り始め何が来るかと思えば・・・・





単???レ EF67 1 西条~八本松にて


いきなりネタが来ちゃいましたね。
この日は、運用が2本ほどしか撮れなく朝の単機回送はあきらめていたのですがダイヤが乱れているおかげで祈願のEF67 1を撮影することができました。
串パンになっているのが悔いですなぁ・・・。
ここでもう一本とれることを期待したのですがこれが・・・・。
1号機を撮れたことを満足しながら待つのですが、普通列車しかやってきません・・・。
天候は、曇りのち晴れで風も吹いており寒いですがそれでも待ち続けました(笑)
そして、1時間後下り貨物が動いたとの情報が入り30分後最初の貨物が来ました。



1095レ EF66 52 西条~八本松にて


52号機でしたか。
これで3回目の遭遇です。
52号機とは相性がいいみたいで(笑)
ここで下り貨物が動き始め本数が多く撮れるのはいいのですが、肝心な上り貨物がまだ動かないみたいでここからまた寒さと戦います。
そして、ここからはすごいこと続きになりますが明日お伝えしたいと思います!

Hiroshimaへの旅 その2

2014年03月18日 | 遠征日記
坂出駅で予讃線を撮り終えた後、15時にチェックイン予定していた岡山市内のホテルへと向かいました。
駅から20分ほど歩きましたが、地元で歩く20分とは違い時間が過ぎるのが早く感じました。
たぶん、新鮮な風景を見ながら歩いたこともあるからなんでしょうね。
すぐにチェックインを済ませた後、某サイトで山陽本線通過の貨物が遅れているということで通過時刻ギリギリでしたが中庄駅でEF64とEF66が撮れることを願いつつ向かうことにしました。
そして、中庄駅に到着後すぐに西岡山ターミナルで待機していた2077レがやってきました。



遅2077レ EF210-303 中庄にて


約1時間30分遅れてやってきた2077レの牽引機は、吹田機関区所属のEF210-303でした
去年の頃から試運転が開始され一時は、広島機関区所属となっていましたが試運転が終わり本線での本務機となった時には吹田所属へと転属しましたね。
この303号機まだ一回も撮れてなくていつ撮れるだろうかと思っていましたがこの日撮れてしまいました(笑)
これで、EF210-300番台はコンプリート完了です。
後は、綺麗に順光で撮影できればいいのですが・・・?
そして、8分後に後続で米子行きの3083レがやってきました。



遅3084レ EF64 1043 中庄にて


こちらも初撮影となりました。
少し駅撮りで見づらい構図ですがご了承を・・・。
そして、時間になり3083レが倉敷方面からやってきました。



3083レ EF64 1019 中庄にて


運よく原色の1019号機でした。
と言ってもこの時伯備線貨物には原色が2機?いましたからね(笑)
そりゃ、当たる可能性は高いですね(汗)
この1019号機、数日前の8865レで関西にやってきたときにも撮影しており2回目となりました。
そして、15分後にもう一つのネタである5056レ



5056レ EF66 33 中庄にて


約半年ぶりに33号機を撮ることになりました。
それにしてもこの33号機長らく故障もせず毎日元気に走ってくれているようで安心しました。
現在、同僚機のEF66 27が故障で吹田に入場しておりますがこちらも検修庫の中で動きがあるようで復活の見込みはあるそうです。
そして同じような話で、EF200-17が運用復帰しましたがパンタグラフの故障で運用離脱していたと思うのですが、もしそうだとすれば現在パンタグラフがつけられていないEF200-19のパンタグラフを移設した可能性が高いものと思われます。
あくまでも仮説なので・・・。

次は、いよいよ広島ですかね。

Hiroshimaへの旅 その1

2014年03月17日 | 遠征日記
お久しぶりです。
つい先日3月15日にJR各社でダイヤ改正が実施されましたね。
毎年この月になると寂しい気持ちとうれしい気持ちが重なりますね。
JR東日本では、寝台特急あけぼの号が44年の歴史に幕を下ろしましたね。
JR貨物ではEF81の運用が減り、EF510-500番台の貨物機化工事が完了するまではEF81の代走が見られそうですが長くはないと思います。
今のところ把握できているのはこれぐらいですが、もう少し調べてみようと思います。

さて、本題に入るとします。
3月13日~14日にかけて広島に行って来ました。
そう狙いは、今もっとも離脱を危ぶまれているセノハチのEF67 1です。
事前に確認したところ神戸からの始発で乗っていくと撮れるチャンスが1回しかなく少しリスクが高かったので岡山で一泊して向かうことにしました。
夜行バスで向かうことも良かったのですがせっかくの青春切符が無駄になることも考え、ホテルを予約しました。
値段がこちらのほうが安いということもあって後押しされました(笑)
13日の10時頃に出発し、いつも通り岡山に向かいます。
そして、12時半頃に無事に到着しホテルのチェックインまで時間があったので予讃線を撮りに行くことしました。
場所は、雨でしたので屋根のある坂出駅で撮影することにしました。
この駅には快速マリンライナーが止まるので移動には便利です。
まず駅に止まっていた121系



121系A16編成 坂出にて


四国の普通といえばこれが主流ですね。
121系はトイレがついていないことや窓が上昇式になっているため、瀬戸大橋線では運用ができないみたいです。
もし、瀬戸大橋線の普通運用に代走が発生すれば113系が担当することだそうです。
そして、次にやってきたのが



121系A1編成 坂出にて


121系のトップナンバー車でした。
そして、ついでにA2編成も撮れたので



121系A2編成 坂出にて


赤帯の121系は2011年にワンマン化改造されていてワンマン運転ができるようになりました。
現在のところ赤帯をまいた車両はこのA1とA2編成の2編成だけどそうです。
さらに面白いことにワンマン運用の時には、運転士と車掌ではなく客室乗務員が乗車しドア開閉や運用上の操作は運転士が切符の回収などは客室乗務員が行うようにされているようです。
でも、これは特例であり5×××Мの運用番号の場合に行われるようです。
そして、ドア上のドアセンサーはA1編成しかつけられていないことなどA2編成とは相違点があります。
撮影していると、5000系M1編成との並びも



5000系M1編成+223系5000番台P3編成 坂出にて


今まで知らなかったのですが5000系に連結されている3両ユニットのうちの223系ベースの車両は5000系の分類になるみたいですね。
この5000系のこともまた紹介したいと思います。

阪神にもスズメバチが・・・。

2014年03月05日 | 阪神電鉄
今日は、学校がなく部活だけでしたので最近話題になっている近鉄特急の阪神線内での試運転をついでに撮ってきました。
撮影場所は、地元の岩屋駅付近にある橋梁です。





近鉄22600系 西灘~岩屋にて


5年前に阪神なんば線が開通し近鉄と阪神が相互運転をしていますが快速急行などの運用で阪神線内を走る近鉄車は通勤用の9820系や5800系などが主流ですが、3月22、23、29日と4月5日に賢島~阪神三宮までの団体列車が走ることになり現在毎日のように阪神線内で近鉄特急車を使った試運転が行われています。
使用されている車両は、近鉄の最新型車両である「ACE」といわれる22600系が使用されています。
この車両は2009年に12200系の置き換えようとして登場しました。
そして、2012年12月末に阪神線の直通運転に備えて22601(AF01)、22651(AT51)編成が2013年に22652(AT52)、22602(AF02)編成に阪神用の列車種別装置や阪神ATS関連装置などの設置工事が行われおり、今回乗務員訓練として使われている車両は、この4編成だそうです。
それにしても愛称名が「スズメバチ」ともいわれておりまさにその通りですね。
阪神線内では、このような独特の形をした車両がいないせいなのか少し違和感を感じますね(笑)
今回は、あくまでも定期便ではないのですがこれを機に阪神線内に近鉄特急車が乗り入れてくれるといいですね。
そして、将来的には姫路まで乗り入れてくれると便利だと思いますが、これに伴いまたいろいろと問題が出てきそうですので当分時間はかかりそうです。

京急甲種

2014年03月03日 | JR貨物
昨日は、久しぶりに京急甲種が走るということで撮影に行ってきました。
まず、川崎重工から出場して神戸(鷹取)ターミナルまで運ばれ午後から輸送されました。
京急が神戸(鷹取)ターミナルに置かれた後四国から里帰りしてきた初代フリーゲージが川崎重工に入場したようでしたね。
こちらは、土曜日に撮影してましたので人が多いと予想し行きませんでした。
午後になり撮影に向かいますが何かネタがあれば甲南山手駅は必ず人が多いのでこの日も8866レを撮った場所で撮影しました。



9866レ DE10 1192 摂津本山~甲南山手にて


もう甲種輸送ではお馴染みの1192号機でした。
少し前までは、DE10 1743号機でしたがもう1192号機も「Mr.甲種」と言われるようになりましたね。
撮影後、吹田貨物ターミナルからEF65が牽引予定だということで電車に乗り摂津富田駅で撮ることにしました。
時間になり、みなさんは無我夢中でシャッターを押し続けられていました。



9866レ EF65 2121 摂津富田にて


予想通りの原色2121号機が担当でした。
金曜日から土曜日にかけて初代フリーゲージを多度津から神戸(鷹取)ターミナルまで牽引し帰ってきて吹田で一晩したときには2121号機が担当することに確信ができていましたので。
原色が甲種輸送を担当するのを見たのは4年ぶりになります。
4年前は、EF66 54が小田急3000系を牽引した時です。
それ以来も甲種輸送を撮っていますが、EF210が担当したりEF65でも更新色でありなかなか原色が担当する甲種輸送は見れていなかったのでよかったと思います。
先日、EF65のことをお話ししましたがこの2121号機も残り時間の問題となりいつまで活躍してくれるかもわかりません。
なので、せめて一枚でも撮っておこうと思ったのが行くきっかけとなったのかもしれません。