<TOHOシネマズ高槻>
映画を観る事ができなくとなるとして「ブログの休止」を書いたが、その舌の根もかわかぬうちに、日曜日をはさんだだけで映画を観るという体たらくである。これは、人間の行為としてはとてもけしからん。休止のコメント、直接いただいたメールの相手を馬鹿にした行為だ。いけない。馬鹿にするつもりはまったくなく、私の稚拙な文章にしっかり反応してくださる人に感謝している。ただし、私はいい加減な性格の上、自堕落に目を瞑っている傾向にある。映画をやめるということは、煙草をやめるよりも苦痛で、やったことはないが、覚醒剤常習ときっぱり縁を切るのに似ているのかもしれない。やめようと思ったら、その種の病院に入って強制訓練を受けねばならない。私は何を書いているのか・・・そんな病院はないが。
土曜日の夜、サスペンス傑作選3の二本立てで、当分は映画も終わり・・・そう思って日曜日はテレビもつけず、むさい男の部屋でジトジトしていた。休止と書いたが、ある事情で、本心はインターネットブログをやめるつもりだった。自分の言葉を素直に書けない、監視されて書かねばならぬ状態に置かれたからである。昨年末の記事も、今年初頭の記事も「削除しろ」となり、不本意ながら削除した。また、気を遣って書かねばならず、自分の言葉をそのままアップでくなくなった。削除しろと言われるか、訂正しろと言われるか・・・そんなことばかり考えていると、映画評論どころか、映画を観ることすらアホらしくなってきた。1月末の土曜日の夜、映画鑑賞中、映画を観ていることそのものがグータラのような電話がかかってきて、私は映画を観るのをやめようと思った。自分が馬鹿馬鹿しくなってしまった。生きているのも邪魔くさい。
ただ、この1年に何度もやめると言っているヤカラで、たくさんの方に迷惑をかけいていて、本心を書く勇気がなかった。高校生が隠れて煙草を喫うように、私は隠れて映画を観たくなった。これは事実で、これをアップすると、さっそく電話がかかりそうだ。
私は削除しろと言われても、訂正しろと言われても、映画の途中で映画館を出ろと言われても、そのことだけは逆らうことにした。逆らうとまた、恩を仇でかえすようだが、私の精神を苦しめても何の得も、徳も、なかろうと思う。90%の病は精神から起こるとされる。こんなことで、精神的苦痛が、肉体的苦痛となり、生き甲斐も、生きていく意味も見失うのはイヤだ。大袈裟だが、そんなことで命を削りたくない。私は「反抗期」とレッテルを貼られていて、今度は、我が儘だと言われそうだが、映画に関しては無視を決め込む。あとは何を言われようが、頷く。映画を観たいのに観ることはできない。映画のことを書きたいのに監視されて自分の言葉を文章にできない。実につまらない。これからは「削除せよ。」とされても、何も反応しないことにした。
日曜日は何もせず、練って考えた予定表を破り捨て、食って寝ただけの一日を過ごした。実にもったいない。1月も末だというのに、暖かくも寒くもない。部屋でジトジトしていると梅雨と錯覚する。暖房なしでTシャツでも暖かくも寒くもない。とろとろと過ごすうち、夜になり、外を見ながら、京都か奈良でもぶらついてくればよかったと思う。明日は月曜日で仕事の予定が入っているが、いろいろ(休日)やり残したようで、休むことにした。こういう時、サラリーマンとは違い、私のような我が儘な仕事は便利である。休むとしても誰も文句は言わない。そのかわり、後にしわ寄せがきて、バタバタすることにはなるが・・・。未明に寝て、朝の9時に起きる。さっそく着替えて、さてどこへ出かけようかと思う。思うが、どこに行くなどまったく決めずに寝てしまったので、着替えたはいいが、地団太を踏んだまま玄関の扉を開けたり閉めたりする。予定は破棄して、頭にも入っていない。まったく、気持ちの悪いオッサンだ。自分でも呆れつつ、小春日和の長居を歩く。昨日は大阪国際女子マラソンで中継されていた陸上競技場が目の前にある。地下鉄に乗り、このままどこまで行こうかと考える。すべて漠然としている。梅田まで乗ったが、これ以上先に行っても住宅地が建ち並ぶばかりだ。人の流れにまかせて下車する。御堂筋線の梅田では、座っていないかぎり、人の流れに身をまかせると、自然に下車する。自分の意思ともどうともつかぬ足取りで梅田を歩く。月曜日の朝はサラリーマンやOLが灰色のような顔をして歩いている。金曜日の朝は楽しそうに歩いているのに・・・。
さあ、梅田で・・・アルコールも駄目で、風俗も駄目で、コミックも駄目で、パチンコから足を洗った私は、繁華街を歩いても、落ち着いて座るところがない。いつもの習性で映画館を見歩いた。ナビオTOHOプレックスは、大阪で一番豪華な椅子と座席数を誇っていたが、シネコンの乱立で、大きいだけの映画館になってしまった。悪いわけではないが、スタジアム(すりばち状)形式のシネコンが人気なので、前の頭が邪魔になるナビオは不利だ。梅田の中心部という位置に恵まれていて、平日でも人入りはいいが、このままではとり残されてしまう。このシネコンも阪急デパートの改築と共に変わるらしい。・・・などと、どうでもいいことを考えながら映画館のチケット売り場あたりをぶらついていて、私はハタとTOHOシネマズ高槻へ行きたくなった。土曜も日曜も人入りは悪いが、私の好きなシネコンである。今日は月曜日で、まだ午前中なので、おそらくガラガラだろう。ちゃんとした人たちは来ない。
大阪駅から新快速に乗り、11時30分に高槻駅に着いた。何を観ようなんて考えてない
が、とりあえず4階のチケット売り場へ行く。思ったとおり、人はいない。大
きな映画館で、9つのスクリーンがもったいない。時間表 を見て、私は12時00分からの「モンスター
ズ・ハウス」に決めた。何 ヶ月も前 から本作のチケットは財布に入っていて、そろそろ終わりな
ので、半分、 あきらめていたが、朝、2回だけやっていた。チケットを取り出してカウンターへ向かう。客は私一人なので、売り場の2人のアルバイトの女性が同時に私を見た。2人が同時に見たので、いけないことでもしているかのような気になる。平日の昼の日中からオッサンが映画を観るという行為が、とてもいけないことのように思えるような、キリッとした目で見る。
本作は「プレミアスクリーン」だった。通常、2,500円もするのだが、劇場の都合によって、プレミアスクリーンを解放する。劇場の都合の場合、通常料金である。私のよく通う「TOHOシネマズなんば」では、しっかりとプレミアっているが、高槻でプレミア料金としてかけているのを見たことがない。椅子は、左右が離れた一人席で、自分専用のテーブルもあり、背もたれがリクライニングする。スタジアム形式の映画館の上、前に誰が来ようが、頭まですっぽりと背もたれにおさまるので、まったく他人を気にせずに鑑賞できる。「今でしたら、どこでもお取りできます。」と言われ、私は久しいぶりに「後ろ目の真ん中で。」と頼んだ。上映3分前に入ったが、広くて座席数の少ないプレミアスクリーンには誰もいなかった。私は指定されたとおり座席に座ったが、予告がはじまっても誰も入ってこない。しばらくすると、映画館の係員がちよろりと覗きに来た。人がいるかどうか見に来たのだろう。私が一人いる。
従来の、普通のアニメーションより、CGアニメを観る機会が増えた。というより、CGアニメが多く作られるようになっただけなのだろう。昔のセル画のアニメーションの製作過程は知っているが、現代の鮮やかなアニメーションもフルCGアニメーションも、私はどうやって仕上がっていくのかわからない。わからない私でも、フルCGの方がたくさんお金をかけているのだけはわかる。なにもCGにしなくてもいいじゃなかというアニメーションもあり、どこにどうお金をかけているのか、どう技術力が高いのか、要するのか、私にとっては曖昧である。まだCGアニメの歴史は浅く、この先、もっと変革を遂げていくのだろう。昨年の「カーズ」は最高の出来ばえだった。他のCGアニメとはまったく違い、卓越したストーリーの上に、無機物の自動車を観客に感情を持つ生き物としてみせたのには驚くだけだった。二次元ではなく、三次元のフルCGにした意味もよくわかる。オープニングのレースシーンは特にCGの魅力が詰まっている。あれはセル画では出せない迫力だ。画いたモノとは思えず、私は生唾を呑みながらスクリーンをみつめていた。
動物モノは、私は飽きた。人間も人形も飽きた。実写と合成してCGにした方が迫力があるのではないかと思う作品も多い。ところが、本作は出演がオール人間というフルCGアニメーションでありながら、実写であった方がつまらないのではないかと思わせた。童話、御伽噺、都市伝説が入り混じった子供の為の子供のフルCGアニメである。でも、私の子供の頃も、こういう怪しげな家、怪しげな大人っていなかった?大人に真剣に話しても笑って済まされなかった?観ながら、私は子供になってしまった。今でも脳構造は子供だし、親には「反抗期」と烙印を押されているので、オッサン顔の子供かもしれないが、本作では、まわりにいる大人の気持ちの欠片もわからないのに、3人の子供の気持ちはよくわかる。家に入るドキドキ感も伝わる。懐中電灯の灯りのまわりが妙に恐い。単調に進むのではなく、モンスター・ハウスという真相がわかってからのクライマックスは、映像も音響も凄まじい迫力だ。神業のようなアクションが展開する。これが実写であれば、「ありえないよ!」と大人気なくなってしまうが、アニメの効果で、自然にのめりこむことができる。はっきり、面白い。後味もよいのだが、ラストの日本のイメージソングはどうでもいい。なんであんなことするの?タイアップか金儲けか、ちょっと間違えば映画そのものを台無しにしかねない。日本語吹替版ばかりで、子供だけを対象にしているが、大人も楽しめる娯楽フルCGアニメーション大作である。
長いイメージソングが終わり、場内が明るくなった。しこたま楽しんだが、結局、この回は、私一人の為に上映された。プレミアスクリーンで贅沢をさせてもらった。出口にもモギリにもスタッフはいなかった。 <80点>
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