以前、何でも観るから、選んで観るに変わったと、私はブログの中で書いたことがある。間違いなくそうなった。また、今年こそはたくさん観たいとも書いた。しかしこれは、間違いなくそうなってはいない。
映画情報のホームページやシネコンのホームページをウダウダと見ていて、アレにしようか、コレにしようか悩んでいるうちに、何でも観ていた私がこの頃思うのは、どれも観たいがどれも観たくないような気がする・・・ということである。これまでにない、不思議な感覚が私の中で膨らみつつある。観たい観たくないを無視して、観ていた時代が長かったから、とてもおかしな感覚が私の中に生まれている。
今の環境は、映画を観るということに恵まれていないのだが、住む周りからの影響も大きい。私の周りにいる映画好きは、DVDで見るのが映画だとしている人が多いのである。映画館で観るという喜びなんて話すと、それはわかるが・・・だけで、映画館へは見向きもせず、DVDを大量に見ることだけを思っている。映画とは、DVDで見るものであるらしい。仕方ないときは別として、いま、映画が公開されているのに、いつDVDになるのかを気にするような人があまりにも多い。馬鹿馬鹿しくて、同じ映画好きでも話にならないし、したくもないが、私の故郷で会う映画好きは、たいてい、こういう人である。映画館で公開されたからこそのDVDの映画なのに・・・。「映画館は縛られるから、自宅で見る方がずっといい。」なんて、私をカチンとさせる言葉もかえってくる。どっか見えないとこ、行っちゃえ!とまでは思わないが、それに似た憤りもある。ますます、タバコの本数が増えて、体によろしくない。
私の映画の観かたも変わったけれど、昔は観ていたんだけどね、なんていう連中と同じようになってしまいたくない。悟ったように見切りはつけていない。観続けたいが、どーしても観なきゃならないと思う映画が見当たらないだけだ。それでも私は観続ける。それほど観たくない映画でも観続ける。私は映画と共に生きてきた。映画を観るために生まれてきたとは思っていないが、私から映画を消すと、私も消えるという仕掛けになっているような気がしている。もう少し、私は消えたくない。・・・大げさだが。このままでは、この世に何をしに生まれてきたか、よくわからぬ。
トム・クルーズは二度と俳優ができない・・・そんな話題が飛び交い、映画に詳しい友達もそう断言していたが、いやいや、超大作とはいかないが、けっこう、何本も出てくる。何でも受けるようになったのかもしれないが、本作も悪いわけではなく、ハラハラドキドキを堪能させてくれた。鋭利な刃物を顔の前で近づけたり、遠ざけたりされているドキドキ感があり、スクリーンをじっとみつめる。小品ではない。私はワルキューレ作戦を知らないけれど、無理なく、説明的でなく教えてくれるのも親切な映画だ。その国の言葉は無視して、米語だけでやる!というハリウッドのいつもの開き直った作り方もイヤミではない。と言っても、これは日本人だから思うことか・・・日本が舞台だったら釈然としない。
アメリカ本国では風当たりが強いのか、日本へニコニコとやってきて、ファンに大サービスをしている映像がテレビに流れる。日本のファンは、昔から温かい。好意的に迎えられたのがよほど嬉しかったのだろう。握手する姿が延々と流されていた。地道な活動が、ミッション・インポッシブル4を現実とするか?まだまだ旬の俳優なので、落ち着いた芝居よりも、まだまだ、体をはって、走り続けてほしい俳優である。 <75点>
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