2008.06.29鑑賞
何ヶ月か前の1本立て封切作品を2本立てで1,000円。女性サービスデー、毎月1日、シニアという割引は、800円になる。時には先月公開したはずの映画が2本立てでかかることもある。昔はこういう映画館は、いっぱいあったけれど、今はない。というわけで、これが、小倉昭和館の魅力である。昔のままである。単純に、要するに二番館だが、この映画館直営の一番館はない。
ミニシアターものを2本立て、全国系を2本立て・・・昭和館1は邦画に徹して、昭和館2は洋画に徹している。地方都市であるが、しっかりこだわりを持って番組編成を考えてある。新世界を舞台にした「ビリケン」の台詞ではないが、どんな組み合わせやねん!と思うことはあるけれど、ソレはソレで面白い。共通点のあるかけ方の面白さよりも、意外性でニヤリとさせる。大阪では、新世界、小阪、駒川中野くらいしか思い出せない。
ただ、私は映画をたくさん観るタイプのオッサンで、かかる映画、かかる映画、ほとんど観ている。2本のうち、1本だけ観ているということもある。ホームページを見ながら、腕組みしてしまう。2月から今日まで5ヶ月。ようやく2回目の小倉昭和館となった。この間、すべて、大阪で観たか、シネプレックスの封切を観ていた。
下関駅のホームで電車を待っていると、意外に長い編成の列車が入ってきた。8両もある。下関は、昔、東洋一の港町であったこともあり、九州への玄関口でもあり、プラットホームの数が多く、また、長い。今の大阪駅は、実は下関駅を真似て造られたらしい。何気なく歩いていると気づかないだろうが、改札からホームまで、意識して歩いてみると、大阪駅と下関駅は造りが同じだ、ソックリだと気づくだろう。大阪駅が真似をするくらい、下関駅は人でごった返していたのだ。だが、今は昔、人はいなくなって、大袈裟な駅舎だけが残った。いたずらに長いホームに、2両、3両、4両編成の電車、ディーゼルカーが、真ん中辺りにチョコンと停車する。
だが今日は、珍しく8両もつないである。電車は1両でも編成で、1両でも列車と呼ばれるが、今日は、立派な列車となっている。列車運用の仕組みはどうなっているのだろうかよくわからないが、この列車、真ん中で色が変わっているので、どこか途中の駅で切り離すのかしらん?と思う。4両つなげても全員座ることのできる時間帯だから、私はガラガラの車両に乗り、小倉へと向かった。下関駅を発車し、しばらくすると、短い鉄橋を走り、関門トンネルに入る。戦争の真っ只中、昭和17年に開通したこのトンネルは、石炭を本州へ運ぶために日本初のシールド工法で掘削された。今のシールド工法は、死者が出るのは珍しいが、このトンネルは多くの人命を落とした。窓の外を注目していると、下関トンネル入口側に、慰霊碑がチラリと見える。
小倉駅を背中に、右手の歩道を下り、銀天街へ出る。小倉は、ここだけが華やかで、人通りも多い。アーケードの下をしばらく歩いていると、近代化は背後の姿となり、大きな道路を渡れば、昔ながらの昭和の香りがする店がいくつも現れる。この辺り、どこにカメラを向けても画になりそうで、白黒写真にしたら、行ったこともないのに懐かしい感じがするだろうと想像する。昭和館の看板を左手に見て、右折すると、目の前に映画館が現れる。ここへ来るのは3度目(帰郷してから)だが、いつも天気が悪い。今日も小雨がチラチラしている。だが、小雨がチラチラするというのが、これまた昭和館の建物に似合っている。叱られるかもしれないが、太陽サンサンで、健康的じゃないほうがいい。
人いりは少ないと思って遠慮して入った。遠慮したのは、招待券でやってきたからだ。次の上映まで10分ばかりあるので、覗くようにドアをあけると、結構、いっぱい入っている。いま、入って座れと言われても、誰かの横に座らなければならないくらいだ。ロビーの椅子に腰掛け、次回の番組のポスターをながめていたら、3人のおばさんが、雨傘を激しくたたみながら、ワイワイと入ってきた。雨粒がロビーに飛ぶ。「あと、何分?」と、モギリの女性に聞いている。私の見ているポスターを指差し、「今度、これに来よう!」と言い合う。よくやってくるのだろう。私の観る回は、最終回の2本で、終わるのが20時30分を過ぎる。そんな時間までおばさんたちは大丈夫なのかな?と、いらぬ危惧をしたが、1本目はいたけれど、終わると出て行き、そのまま場内には戻らなかった。1本だけ観て、帰ったようだ。
この映画館に私がはじめてきたのは、高校一年生のときだった。今は、どちらも一般映画をやっているが、あの頃は、どちらかが洋画2本立の封切、どちらかがポルノの2本立てだった気がする。近くには松竹系、東映系、東宝系がデーンと構えていた頃で、独自の映画をひっぱってきていた。ここで私は「ジャンク」を観た記憶がある。あのような恐いもの見たさ、惨酷なドキュメンタリー映画は、今ならR-18だろうが、その前に、輸入もされないだろう。ゲテモノ映画もいっぱい日本に輸入され、面白い時代だった。エログロなんでもあり、年齢制限もされなかったが、今のような異常な犯罪は少なかった。だから、犯罪は、映画のせいにされなかった。今は、とりあえず、映画のせいにされる。健全な映画ばかりが輸入される。だから、とても狭い中で、作品を選び、輸入している。そのうち、文部省選定モノばかりになりはしないか・・・これは、自分達の責任にされたくない、そして、頭の堅い大人たちへの皮肉である。
小倉昭和館は、番組編成、料金、すり鉢状の客席、椅子、入れ替え無し、指定無しなど、とても嬉しい映画館だが、ひとつだけ気に入らないことがある。映画と映画の間の休憩が、わずか5分なのだ。いや、確かに、昔の映画館の2本立て、3本立ては、間の休憩が5分だった。それが、あたり前だった。だが、この休憩時間は、1本立てのシネコンが乱立している今、そのまま現代にあてはまらない。私のようなハシゴするようなアホな男であっても、映画と映画の間は、一呼吸したいという体になっている。
トイレは、場内からロビーに出て、右側の小さなドアをあけると、遠くに見える。劇場の後ろから前まで歩くのと同じ距離で、トイレまで細く長い通路を歩かされる。誰も居ないので、写真を撮ってみた。静かなので、カシャッという音は、ロビーまで響いたろう。どこで何の写真を撮っているのか?と思われたろうか。写真を保存した後、足早に駆け込み、素早く用を済ませ、もときた長い通路を小走りにロビーへ出る。モギリの女性と目が合った。が、もう、場内から、映画の音が聞こえている。5分も経ってない。3分くらいだ。前の回が、ちょっと時間を過ぎたのだろう。かかっているのは予告篇だったけれど、写真を撮って、足早に駆け込んで、小走りに戻ってきたというのに、もうはじまっているのでは、気を抜く間がない。ここだけ、難がある。
1本だけ予告を観て、「潜水服は蝶の夢を見る」がはじまった。入ってきたときは、かなりの観客で、「マリア・カラス最後の恋」で、入れ替わったけれど、20人以上いたはずなのに、この最後の上映は、私を含めて、たった2人だった。どちらもいい作品だが、この2本立ては私には重過ぎた。テーマが重い。
退屈ではないのだが、ボソボソと喋るとても静かな映画だからか、後ろの映写機のカラカラという音が、いつもより大きく聞こえていた。カラカラ音は、フィルムチェンジする度に大きくなった。カラカラ、カラカラ・・・私の大好きな音である。
ランキング ← 参加しています。クリックしてネ☆