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活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

真昼ノ星空

2006年09月18日 22時00分00秒 | ま 行 (2006.2007)

Photo_93 <梅田ガーデンシネマ>

 独特の空気が銀幕に流れている。というより、澱んで留まっている。こういうタイプの映画は珍しいわけではなく、私が大学の3年あたりから徐々に出て、しかも流行った。1980年代後半である。プロも撮ったし、自主映画を制作する連中も撮った。その空気を漂わせる作品の制作は、5年は続いたろう。だから、私にとっては懐かしいタイプの作品であった。こういう空気を残しつつ焦点を明確にしたのが、犬童一心監督の「二人が喋っている」だと、当時、私は思った。そういう記憶がある。

 大して疲れているわけでもないのに、途中から眠気が襲った。二本のハシゴだが、私はハシゴをする時は、上映時間より、作品の順番を決める。「重圧感のありそうな映画」→「日本映画」→「何も考えないで観ることのできる映画」・・・一例だが、要するに3作品観ても疲れない順番である。 昔は洋画は二本立て、邦画は三本立てが当たり前で、二本観ようが三本観ようが、そんなことは考えなかった。しかし、一本が当たり前になった今、移動して(映画館を変えて)観るという状態になった。人間は移動すると疲れる。同じ劇場内で、どんな作品であろうが、三本立てでも疲労感はない。しかし、劇場を変えて三本観ると、ひどく疲れる。私が歳をとったせいではなく、これは十代、二十代の時から思い続けてきた。 オールナイトの特集で五本連続上映でも疲労感はさほど無い。しかし、オールナイトで映画館を3館で三本観ると、かなり疲労感を覚える。人間の身体というものはそういうふうにできているのだろう。なぜかは、よくわからない。

 二本なので、順番は考えなかった。しかし、「トランスアメリカ」の次の本作はきつかった。私は基本的に予備知識ゼロで映画を観るので、15分経ったあたりから「このタイプの映画はきついなぁ。」と思った。順番をテレコにすればいいのだが、本作は、レイトショーのみの上映である。静かな空気の中で、ばらばらだった3人が交差していく。主人公が台湾人で殺し屋という設定は安っぽく、インチキくさいが、彼、彼女らの心情をとらえた良いタイトルだと思いながら観ていた。が、最後の30分は眠気と戦った。どんどん空気が澱んでくるからだ。 眠気と戦いながら観た映画を評する資格は私にはないのだろうが、変幻自在に自分を操れるようになった鈴木京香という女優に感心した。モデル出身で、水着姿でグラビアに出ていた頃とは別人になっていて、テレビドラマより、映画に重きをおいている。ここのところ「キリッとした役」が多かったが、生きているのか死んでいるのか、掴みようのない過去を引きずった女を見事に演じていた。 <55点>

ランキング★


森のリトル・ギャング

2006年08月14日 20時45分00秒 | ま 行 (2006.2007)

Photo_78 <動物園前シネフェスタ>

観かたによっては、21世紀版の「トムとジェリー」である。90分と長いので、それだけに偏るわけではないが、感じとしては言える。「シュレック」も「マダカスカル」も大して記憶にのこるものではないが、本作はよくできている。スピード感あるドタバタが上手い。話は単純だが、結構、凝っていて、大きな柱の中にエピソードを積み込んでいる。それをプラスしているので、尚更、スピード性がある。「カーズ」には新鮮さがあったが、本作にはノスタルジックな安らぎともいえるものがあった。は、言いすぎだが。

しかししかし、どこまでがCGで、どこまでが実写?すべてCG?すべてがCGなら、もうカメラで写すものはこの世にないほどの細かさだ。せめて、冒頭とロールがあがった後に出る自動販売機のシーンは、実写であってほしい。デジタル技術は歩み続けるが、これほど緻密なCGをあまり目の前にしたくはない。隙間を残してもらわないと困る。睡眠不足の上にCGアニメを好まなく、ハシゴ三本目だったが、それでも楽しめたことを考えると、良作なのだろう。だろうか。

フルCGアニメとして話題になった「トイ・ストーリー」にはちょっと感激した。それからさほど経ってはいないのに、フルCGアニメは珍しくなくなった。大変な小さな苦労の積み重ねがCGを生むのに、感激もない。馴染みになったからには、内容で勝負するしかない。これから続々とフルCGがやってくる。映像のグレードも上がるだろう。しかし、それだけでは何も感じない観客達は、やはり、CGでしか表現できない発想を求める。それが無ければ消えるのみで、CGアニメに明るい未来はないだろう。ドタバタアニメをぱくっている本作。これを平均点として、今後、上回る作品を期待したい。 本作を書こうか書くまいか迷った。書くことがありそうでなさそうで。書きはじめたのでのこしておく。読み返しても何が言いたいのかわからない。駄文だ。駄文を書かせないCGアニメを待っている。 <55点>

ランキング←自分でも駄文とは思いますが☆


M:i:III ミッション・インポッシブル3

2006年07月01日 19時45分00秒 | ま 行 (2006.2007)

Photo_46 <梅田ブルク7>

上映前、一人でやってきた中年のおじさんと待ち時間、映画館のベンチで、1時間ばかり話をした。私がソフトクリームをなめていたので、それを見て、僕も食べたいなあ、が話のきっかけだった。「いくらですか?」「300円でした。」白髪まじりで野球帽をかぶり、独り言と目をうろうろさせる。普通の人ならば、近寄らない。見るだけでどこかおかしいのがわかる。尋常ではないが、暇だし、近寄ってきたし、話しかけてきたので、それに応えた。48才というその男は、若い頃の病気で結婚を逃し、働くこともできず、健在の両親と暮らし、お金も両親からもらって、やってきたのだという。私は20時からの上映を待っていたが、その男は21時からの上映を待っていた。私のなめるソフトクリームを羨ましそうに見て、阪神や映画の話を1時間ばかりした。語りものろかったが、親に面倒をかけて、仕事に就けないことをひどく悔いていた。仕方ない。病気をしてしまったせいだ。「ご結婚もされているのでしょう。」と聞かれたが、正直に「私も独身ですよ。これだけは縁です。病気のせいじやないですから。先を見ないで、今日を楽しんで下さい。」と言った。上映5分前になり、別れを告げて、あわてて劇場内へ入った。

一本目は、ブライアン・デ・バルマが監督した。おそらく、撮りたくて撮った作品ではなかったろう。ブライアン・デ・パルマは「殺しのドレス」「ボディ・ダブル」「スネーク・アイズ」というサイコサスペンスの名匠であり、それを撮りたい監督だ。もっと言えば、地味な作品を好んで撮る。だから「アンタッチャブル」を撮った時、私はブライアン・デ・パルマは消えたと思った。が、その後、撮りたい映画と撮らされる映画を交互に作っていて、撮りたい映画がくると、私はその度に嬉しい。「レイジング・ケイン」を観た時は、内容より、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。 二作目は、香港のジョン・ウー監督だった。この監督は何でもアリのような気がする。ハリウッドで活躍し、アクションの演出は秀逸だが、監督自身が、何を世にのこしたいのか、私にはわからない。安定した娯楽映画を作り続けける。

J・J・エイブラムス監督なんて、私は知らない。今、宣伝中のアメリカTVドラマ「LOST」の監督だという。しかし、それも知らない。何も知らない。だから何の期待もしていなかった。映画は監督のものだと思っているので、私はそういう意味で期待しない。多くの映画ファンは、トム・クルーズがすべてを作っているような言い方をするが、主演であり、プロデューサーであって、トム・クルーズの映画ではない。J・J・エイブラムスの映画なのである。 この監督、素晴らしい。構成、ストーリー、脚本の出来もいいのだろうが、それらをひとつにまとめて完成させるのは、監督の力である。芸術的なアクションで、どんどん盛り上げていく。すべてにおいて、とてもハリウッド的だが、抜群に面白い。私は映画を観ていることも忘れるくらい、スクリーンをみつめた。J・J・エイブラムスは、これからの監督なのだろう。本作を撮りたかったとしたら、アクション監督としては最高の部類に入るだろう。シリーズの中で、最も楽しめた。1や2にある、考えさせられる要素なんてない。イギリスが無理矢理に続けている「007シリーズ」も、これくらい練り上げてやってくれたらいいのにと思う。考えることなかれ。単純明快に楽しめる。  表へ出たら23時前。雨など降った形跡も無い。それはそうと、そうか。ソフトクリームが300円とは高い。1000円の日にやってきたあの男に、ひとつどうぞと買ってあげたらよかったと思った。<85点>

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水霊 ミズチ

2006年06月13日 23時00分00秒 | ま 行 (2006.2007)

_ <動物園前シネフェスタ>

タイトルがいい。興味をそそる。予告篇の作りもいい。観たくなる。

しかし、本作全篇を観る価値はほとんどない。怖くもおかしくもない、平坦なドラマがただただ続くだけだ。原作を知らないが、映画は原作と比較して観るものだとは思っていないので、映画としては駄作の部類に入る。もし、原作が秀作ならば、かわいそうだ。深夜テレビドラマなら何気なく見るのだが、わざわざ客を映画館まで足を運ばせる必要はない。

脚本が仕上がって、監督をしようと思ったきっかけは何なのか。それに賛同した「水霊制作委員会」は、何なのだ。監督は、自意識過剰で、自己満足に浸ったのだろうか。とても毒舌な書き方だが、見終えても何も残らない。ならば、大げさなテーマがあるのか。しかし、何が言いたいのか、何を知らせたいのか、何を伝えたいのかがさっぱりわからない。本作に多くの観客が「佳作、秀作」と言ったら、もう私には映画を観る価値のない人間だと思う。人はそれぞれ考えは違うが、それでも私は映画を観る、映画を語る力がなくなったと言わねばならない。

本作からは、何も見えてこなかった。ホラー映画だから、先に何かあるのだろうと、退屈はしない。その、退屈をしないのが、なお更、気に入らない。・・・多くの方からまた、批判をいただくだろうが、私には本作を褒める箇所はひとつもみつからなかった<20点>


迷い婚 すべての迷える女性たちへ

2006年06月03日 23時31分55秒 | ま 行 (2006.2007)

Photo_29 <ホクテンザ2>

巧い演出、豪華なキャスト、楽しい構成、ストーリー、場面転換、面白い台詞。文句のいいようがない、完成度の高いラブ・コメディだ。シャーリー・マクレーンは大女優だが、とてつもない確かな演技力、表情を見せてくれる女優となった。本作の中で、もっとも活きがいい。若い頃もよかったが、年老いてますますよくなった。貫禄が並みではない。でありながら、主役を食わず、引いて脇役に徹している。

ケビン・コスナーがやってきたとき、シャーリー・マクレーンはサングラスをして玄関から出てくる。そこへミュージックが。「続・夕陽のガンマン」(エンニオ・モリコーネ作曲)のテーマだ。シャーリー・マクレーンはガンマンとなって、ケビン・コスナーと会う。「続・夕陽のガンマン」は「夕陽のガンマン」とはまったく関係ない作品で、原題を「良い奴、悪い奴、ずるい奴」という。演出も音楽も編集も楽しんで凝っている。

監督は、このようなラブ・コメディを撮らせたら、間違いなく楽しめる作品に仕上がる。と、私は思っている。「恋人たちの予感」の才能は少しも色あせていなかった。とにかく、今を楽しみたい方にはお勧めだ。が・・・タイトルの付け方が悪い。「迷い婚」では、客が集まらない。女性を狙った?女性にうける?どうだろう・・・副題まで付けてしまった。配給会社、宣伝だけに文句を言いたい<70点>

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メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬

2006年05月04日 23時51分10秒 | ま 行 (2006.2007)

Photo_5 <梅田ガーデンシネマ>

メルキアデス・エストラーダとの親交は多く描かれていない。描かれていないのに、その友情が固い絆で結ばれていることがわかる。これは脚本の高い技術、素晴らしさだ。大きく3つの物語が前後しながら、交差しながら進んでいくので、本当は長い筈である前段の物語はいらないのだ。ロードムービーに時間を割きたい為の苦心の策だ。こういう手法は、めまぐるしくなり、わけがわからなくなるパターンが多いのだが、とても分かりやすく見事である。それにしても寂しい。出演する人、全員が寂しく、重い心、ジレンマを抱えて生きている。彼ら彼女らは、明るく振舞っているが、心の底はどんよりと曇っている。しかし、気丈に生きている。エストラーダも同じだった。

脚本(構成、台詞、ト書き)がしっかりしていれば、おっ?と思わせるカメラワークなんていらない。ドリーやクレーンやステディカムを使うと、逆に邪魔になる。見せたい、聞かせたいものの焦点から観客を遠ざける。この作品で、カメラが一番に力を入れているのは、山越えのカットだ。一歩間違うと谷底に落ちてしまう道を二人の男、一人の死体、四馬が歩くところ。これは、引き連れられて行く男の心境を表現させたい為のクレーンアップから俯瞰となっている。ロードを長々やるより、このひとつのカットで、いかに恐怖を感じているかを観客は知ることとなる。その上、馬が落ちるシーンを入れることにより、感情に拍車をかける仕掛けになっている。そこまでで十分だが、このロードは面白い。エピソードが詰まっている。蟻のたかった死体を火で焼いて大切に扱うエピソード。盲目の老人と遭い、死を願うエピソード。毒蛇に噛まれ、荒治療するエピソード。地理的には理解できないが、それらはロードムーピーを立体化させる役割を担っている。

男の友情は無駄だと言う人もいる。男の友情は、無償の友情だからだ。しかし、その無駄を生きがいとし、大切にする気持ちはよくわかる。私でも同じようなことをするだろう。友達と呼べる人は多いが、そうなるだろう親友が数人いる。近頃の男の友情は薄っぺらいとも聞くが・・・。  ロードによって、友情は別の方向へいく。「一人で大丈夫か?」という顔のアップは、トミー・リー・ジョーンズを気遣う情へとかわっている。あんな酷い目遭わされのに、最後の仕事が終わった時、180度、変わった。言い方を変えれば「俺も連れて行ってくれ」となるのだろう。

すべての人物が明るく生きようとし、しかし挫折し、重いものをかかえながらふるまっている。スクリーンから、すべての人物の笑い顔を見ることはできる。だが、目が笑っていないことに気づいた。本当は笑っていないのだ。笑い終わった後、すぐに寂しい目をする。細かなところにも気を配る演出だ。トミー・リー・ジョーンズ監督に、ただ拍手を送りたい。<85点>

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マザー・テレサ

2006年03月25日 22時00分00秒 | ま 行 (2006.2007)

Motherteresa_1 <アポロホール>

とても激しく、とても勇壮で、とても果敢で、とても優しく、とても穏やかな時間を過ごした。そして、久しぶりに魅せてくれたオリビア・ハッセーの役への挑み方に圧倒された。彼女は20年以上、マザー・テレサを演じるのが夢だったという。 映画は、まだ、修道院にいたころのマザー・テレサからはじまり、カルカッタのスラム街に出て、さらに世界をまわり、そして晩年までを描く。マザー・テレサの生涯と、彼女に共感して働くまわりの人物の物語を、よく2時間にまとめたものだと思う。あまりにとんとん拍子に進むが、これは、マザー・テレサという純朴で汚れのない心が、運命を決めてくれるのだろうか。神が手助けしてくれているとしか思えない。マザー・テレサだけではなく、そのまわりの人物も丁寧に映像化されているのが嬉しい。主役はマザー・テレサであったが、そのまわりの人物たちも一生をかけ、命をかけ、または祖国を捨てて運命を共にしている。彼ら、彼女らの助けもあって、マザー・テレサは世に名を残したのだ。細かな脚本と演出が光る。 苦しくても苦しみに思わず、貧しきものの為に動くマザー・テレサを演じるオリビア・ハッセーは、女優として、いい歳のとりかたをしている。悲しみの顔の中に、優しさ、温かさを見事に表現している。貧しきものにも愛を与え、それは無償であることをなんとも表現しがたい笑顔で見せる顔なのだ。観客は、温かい空気に包まれる。まさに大作であり、秀作だ。老いていくのは仕方ないが、これからの女優、貫禄をもったオリビア・ハッセーに期待は膨らむ。<80点>

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ミュンヘン

2006年02月23日 23時05分00秒 | ま 行 (2006.2007)

Myunhen_1 <松竹角座>

イスラエル、パレスチナ、ユダヤ、アラブ・・・これらの事件、事故、ニュースは、多くの日本人には対岸の火事である。だから、情報もあまり入ってこない。私は、こういう情勢に疎い。私にとって、スピルバーグのシリアス版の中でも、もっとも難しい題材であった。 裏付けるように、配給会社、映画館は、日本ではヒットしないという事をはじめから認識していて、シネコンでは座席数の少ないスクリーンでかけている。緊張感とスピーディーさは、さすがスピルバーグとは思わせるものの、作品全体をつかめずにいた。これでは評論にならぬ。インディジョーンズ4が待ち遠しい。<40点>


燃ゆるとき

2006年02月14日 23時00分00秒 | ま 行 (2006.2007)

Moyurutoki_1_2  <アポロシネマ8>

映画を観るまで、関係資料は読まないことにしている。だから、これが事実に基づいているのか、まったくのフィクションか、私は知らない。事実か架空かよりも、どうしてこんな駄作を全国公開するのだろうか。これほどの役者陣を集めておいて、この程度の映画しかできないのか。脚本を読んだ俳優たちは、いい作品ができると思ったのか。燃ゆるとき・・・だから、燃えているのだろうが、どこか見当たらない。燃えてない。燃えカスでも観ているのだろうか。困難であること、難問が積み重なっていること、考えあぐねたアイデアを生み出すこと・・・それらはわかるが、スクリーンを通じて、何も伝わってこない。しっかり観たつもりだが、早く終わらないか、気にしていた気もする。<30点>


愛してよ

2006年02月13日 23時30分00秒 | ま 行 (2006.2007)

Aishiteyo_1 <動物園前シネフェスタ>

西田尚美をスクリーンでよくみかけるようになった。魅力的な女優とは言いがたいが、使いやすいのだろうか。 ありきたりな内容であった。だからか、観やすかった。日常の会話も自然と不自然が交じり合って面白い。時折出てくる凝ったカメラワークに助けられている。 心象を表す風景、人物映像が、退屈だ。珍しくもなく、私にとってはどうでもよいシーンだ。が、その風景、人物に重きをおいている監督の気持ちが伝わる。観る者より、自分の頭の中が大切なのかもしれない。父親側のストーリーを丁寧に観てみたいのに、惜しい。足を運んで観るほどの作品ではない。<45点>


メゾン・ド・ヒミコ

2006年02月05日 22時20分00秒 | ま 行 (2006.2007)

001_1 第一回おおさかフィルムフェスティバル<大阪市立鶴見区民センター大ホール>

犬堂一心監督は何でも撮る。どう思ってもつまらない東宝のミーハー映画(キャッツアイ、タッチ)も、映画の基本のまま感情のないような東映映画(死に花)も・・・なんでもあれの監督だ。 がしかし、同じ監督と思えない作品も撮る。本作もそうだ。スクリーンから読み取れる脚本の素晴らしさもあるだろうが、地味ながら、いい映画だと思う。「ジョゼと虎と魚たち」と同じ脚本家であり、同じ監督だ。前作の心をしめつける映画とまではいかないが、出来は他群を抜いている。 犬堂一心監督の撮りたい映画は、このような落ち着いた日常の生活ではないだろうか。「二人が喋っている」をはじめて観た時の、スクリーンに映し出される間は忘れがたい。ただ、こういう地味な作品は、単館になる。出演者も演出もビッグである。なのに、単館なのだ。映画は興行だが、犬堂一心監督を「キャッツアイ」「タッチ」でしか知らないのは、もったいない。<70点>