活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

沈まぬ太陽

2009年10月28日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_3  <小倉コロナシネマワールド>

 -映画のことについて書いていません-

 私が初めて就職した年、8月12日のお盆休みに、日航123便は落ちた。もう四半世紀前のことだが、ある理由で、今でも鮮明に記憶にある。新幹線で帰省して、自宅につくと、テレビのどのチャンネルも、この事故のことを伝えいてた。そのときはまだ、「消息不明」「日本海に墜落か?」とアナウンサーは叫んでいた。御巣鷹山の名を知ったのは、翌日の朝だったろう。長野県とも群馬県とも言い、混乱していた。もともと、落ちたところには地名がなかったようで、しばらくして、御巣鷹の尾根と呼ばれた。地名のない山に向かう道はもちろんなく、困難な捜索の様子が毎日伝えられた。

 満員のジャンボ機が落ちたというだけでドキドキしたが、このドキドキ感はなんだろうと、日航だけではない、他の大きな事故や災害や事件も、起こる度に思う。対岸の火事はでかいほど面白いと言うが、結局はそういうものなんじゃないかと私は思っている。身内や知人が巻き込まれてなかったらほっとするし。遠ければ遠いほど実感は薄い。いかんねー、けしからんねー、かわいそうだねーと心の底から思えるなんて術を私は持ってない。心の底から思っている人は行くんだろうね。行けない人は大金を振り込むか・・・。お金がなければ号泣して眠れぬ朝を迎えるか・・・。でも、だいたいは、テレビ報道を見ている時だけですよ。厳粛な気で見ていても、その時だけです。マスコミは視聴者を興奮させるように煽り続けている。注目して、なにを攻撃すればいいか探っている気配もある。その成り行きをドキドキしながら、ある時は厳粛な面持ちで見ている。ドキドキも厳粛も、どこまでが本当かねー。私は、阪神大震災に遭ったけれど、日本中が野次馬に見えたものね。野次馬で結構だし、大災害、大事件なんてものは、ある程度片付くまではそういう見方でいいのじゃないかしらん?と私は思う。考えなきゃならんのは、その後。これを二度と起こすな、用心せよ。この世には人の想像の及ばない大災害、大事故がまだまだ起こるだろうから。

 この大災害で、私はシュンとして、その日は口もきけなかったことがあった。テレビに映し出された遺族と、実際に会った生の遺族の感情の違いの大きさ。昔は、ビデオカメラかかえて、葬式なんてのも撮ったりしてて、たまたま、直後の、ある家族の葬式を撮りにいった。正面に遺影が5枚あって、お父さん、お母さん、幼い子供が3人。ずらーっと端から端まで並んでいる。喪主はお祖父さん。帰省で帰ってくるときに日航の事故にあった。生き残ったのは迎えにいったお祖父さんとお祖母さんの二人だけ。これには胸が苦しんだ。二人ともうつむいて顔をあげられない。一番前の席に座ってうなだれてるだけ。とても心境なんて察することもできないけれど、生き地獄を年老いた二人は味わっているのだろうことはわかる。あの時、口もきけなくなると同時に、怒りがこみ上げてきた。相手は日航。どんな理由があろうが、弁解があろうが、こんなに人の心を苦しめる日航は許せねえ。理屈なんてない。とにかく許せない。悔しい。ニュース映像だけでは「こりゃひどいなあ。いけないなあ。」と言った次の言葉が「さ、風呂入ろうか。」だもの。テレビを見る者も残酷だ。テレビ局もその二人にインタビューするから、その度胸というか、恥ずかしさとか、まるでない。マイクを5本くらいだして、質問をまくしたてる。誰に向かって聞いているのかと思うと、吐き気がしてきた。

 今でも鮮明に覚えているのは、年老いた喪主の顔をじっとファインターから狙っていた自分を思い出すからだうと思う。この大事故は、話が出ると、昨日のことのように思い出す。

 待ちに待った映画だが、あの日から今日まで、年月が経ちすぎている。よくぞ公開されたとも思う。だけど、生まれた子は25歳。35歳の観客だって、おぼろげだろう。上映前に「本当にあった事故です」なんてテロップがいりそうだ。反対されようが、圧力がかかろうが、やるものはやる!すべて責任はオレにある!と、みんなが知っている間に、新鮮な間に、突貫工事でも作ってしまうハリウッドは、やっぱり民主主義の国。押し付けられた民主主義の国にはできないことだ。

 10分の途中休憩の間、外に出て、タバコを一服。2人の若い女性が「これって、本当の話よね?」「墜ちたことは墜ちた。」と話している。都会では満員御礼らしいけど、小倉では400席に10人しか座ってなかった。もっと観てほしい作品のひとつなんだけど。脚本は橋本忍、監督は山本薩夫じゃないが、脚本も頑張ってて、演出も丁寧で、じっくりみせてくれる。なかなかいいぞ。  <85点>

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さまよう刃

2009年10月27日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_2 <小倉コロナシネマワールド>

 わかりやすい娯楽映画に偏りがちな私だが、今日は社会派「さまよう刃」「沈まぬ太陽」の2本を観る。特に「沈まぬ太陽」は待ちに待った映画で、「作る!」と発表してからかなりの年月が経ってしまい、私などは待ちすぎて、観たいのかどうかも漠然としている。作る!と発表したのは連載中だったのではないかしらん?かなりの製作費がかかりそうなのに、スポンサーもつきにくいだろうし、日航の邪魔もあったらしいし、撮影場所も大変だったろうが・・・。と、その前に本作である。

 映像化不可能と言われた問題小説、待望の映画化!らしい。小説は読んでないけれど、なんて薄っぺらな脚本だろう。面白いのは最初の30分だけで、どんどん尻すぼみになる。最後の30分が面白ければすべて万歳!なのに・・・。主人公が犯人と思われる部屋に侵入し、「ビデオ」を再生するシーンは、観客も剃刀で胸を切られるように苦しいだろうけれど・・・まあ、そこまで。後は、主人公の無計画に感情の赴くままに行動する様と警察が翻弄されてジタバタするだけを観るようになっていた。警察より、ぼーっと腑抜けになっている主人公の方が情報が早いのも白ける。ラストは、大芝居が待っている。だいたいこの男、誰なん?なにしてんの警察?と、イライラしながら観るのみ。懸命に頭をひねって捕まえようとしているけど?難しい顔して、揃いも揃って凡人。観客の私としては、主人公の味方だけど、もひとつ主人公の感情が伝わってこないのも背景が描かれていなさ過ぎるせいか。

 グイグイ惹きこむベストセラーらしいけど、映画は筋を追っただけで、それぞれの人物に厚みをもたせてないように思う。厚みは、会話やシーンの長さではないんだけどなあ。ペンションの親子なんて、説明的な会話に頼って特に薄いもんだから、なんでそこまで?と首を傾げてしまった。誰でもわかる、なるほどそうか!というワンカットがあればいいんだけど。

 似ていて異、本作を観て思い出したので書くけど、「狼よさらば」なんてよくできてたねえ。現代のアメリカ、ニューヨークを痛烈に批判しながら、しかも娯楽映画としてみせてしまう。いけないことだろうけど、復讐は理屈じゃないんで、観客もチャールズ・ブロンソンに思いっきり情を傾ける。馬鹿なはずの警察も進んでいくと馬鹿ではなくて、最後は観客の味方ってところが粋だった。この手は作り尽きたのかもしれない。もう古い時代の映画。犯罪社会・・・悪い意味で、ようやく日本がアメリカに追いついたってことなのかしら。       <40点>

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カイジ ~人生逆転ゲーム~

2009年10月20日 23時00分00秒 | か 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo <TOHOシネマズなんば>

 テレビのおかけで映画は衰退した。今はテレビの力によって映画が救われているようだ。いずれまた、捨てられてしまうのかもしれない。拾ったり捨てたり忙しいが、今の映画はテレビに踊らされている時代なのだろう。どちらにしても、テレビは強い。藤原竜也は、テレビのバラエティ番組に出ずっぱりだ。映画の宣伝に使われてかわいそうな気もする。宣伝とあらば、ギャラも安いだろうし、出たくない番組にも笑顔で立ってなきゃならない。2時間超えの特番が多いから面倒だろう。意地悪な言い方だけど、テレビ局としては、日ごろはあまり呼べない俳優をはべらして、パーセントも稼げるし、スポンサーにもいい顔できる。宣伝だから、映画のヒットにもつながる。ここまでくると、映画を食いものにしていると憮然としてしまうが、そういう時代なのだろう。どういう時代なんだ・・・映画の将来に悲観するつもりはもうない。映画のよき時代なんて、昔の映画を観ればいいことだ。また、20年後、30年後に、現在の映画界がよかったなんて思うかもしれんし。2009年のあの名作は・・・という言葉は出ないだろうけど。

Hi380022  三重県津市で所用を済ませ、旧友に会うべく名古屋で一泊、近鉄特急で大阪難波へとやってきた。ここでまた一泊し、明日は旧友を訪ねて高速バスで徳島へ渡る。私の27年間の大阪生活で私の安らぐ場所は、ここ難波だった。梅田より難波だ。大阪では一番賑やかな繁華街だが、ミナミのゴチャゴチャした「らしさ」は好きである。久しぶりに「なんばグランド花月」に入りたいが、時間が中途半端な上、残席わずか。道具屋筋や道頓堀をぶらつく。住んでいた時より、よく歩く。

Hi380023 安ホテルの狭いバスタブで一浴し、風に吹かれて高島屋前を歩き、マルイの最上階のTOHOシネマズにやってきた。最後に行くところは、やっぱり映画館なのだろうか。さて、21時前。ロビーに人の姿は少ない。とりたててコレ!という映画は一本もなかったが、テケツの前に立っていると、「カイジ」がやたら売れている。若いカップルばかりだ。テレビの影響かはわからないが、それをながめていると、私の頭にもテレビバラエティに出まくっている藤原竜也の顔がとりまいて、どーしても観たくなった。これしかやってないような錯覚も手伝う。「カイジ一枚。後方の通路側で・・・。」若い人ばかりだろうから、気の弱い私などは、目立たない後方の通路側がよろしい。

 コミックが原作で、テレビアニメにもなったが、私はこの物語をまったく知らない。命がけの博打とゲームなんて、誰もかれも、何もかも、現実では決してありえないエピソード(世界は広い。知らないだけであるかもしれん。)がてんこ盛りだけど、映画の空想世界、手に汗握る。なかなか面白い。ビルとビルの間の一本の鉄骨の上を渡りきったら一千万円などは、荒唐無稽で口アングリなはずだが、なぜか、この世界に浸ることができてしまう。あまりにもあんまりなのに、演出が冴えているのか、この不思議な気分は楽しい。極限状態の中で、藤原竜也の「一生、借金漬けで苦しんでもいいから生きたい!」という心の叫びは、普通に生きていたらとても出てこないだろう。なかなかの台詞だ。本当にそう思うかな?なんて観客が思う隙を与えず、そうなんだろうな!いや、そうだ!と、こちらの思いを封じ込めてしまう、黙らせてしまう迫力を感じた。

 卓を挟んでの香川照之とのカードの対戦では、私は額から汗が出るほどの緊迫感があった。台詞と心の言葉が重なるように矢継ぎ早に交わされる。つまり、台詞の言葉尻を消すように心の言葉が発せられ、その言葉尻を消すように台詞が出るのだ。なかなかうまい。俳優の仕事は、ほとんど表情勝負である。と共に、カメラは卓をぐるぐる回り、次はどのカードを出すかを考える顔に移動ズームする。または表情のアップからアウトする。出演者はほとんど動かないが、とても動きのある画が連続する。このシーンは見事だと感心した。観ている私は緊張感でいっぱいなのに、なぜか居心地もいい。これまでも、カードゲームで緊迫ある映画は観てきているけれど、対戦している二人は、緊張感で吐いてしまうのではないか、気が狂ってしまうのではないかと私は心臓がパクパクしてしまった。

 こういう類の作品は、おそらく映画祭に何の部門もノミネートされないだろうが、香川照之の緊張の限界を超えようとしている狂気、憎しみをこれでもかと形にした表情、人生がここで終わったという覚悟の目の芝居に、助演男優賞をおくりたい。  <85点>

Hi380027  翌日の昼過ぎにバスに乗り、明石海峡大橋を渡り、徳島に着く。旧友とたらふく焼肉を大いに食べ、投宿した部屋で朝まで大いに話す。映画を志した友なので、話はつきない。気づくと外は白々とあけ、寝る時間がない。2時間ばかりベッドにもぐりこんだが、寝たのか寝ないのかわからぬままホテルを出た。JR徳島駅に向かってテクテクあるく。途中、どこかで見た山をみつけた。ここにきた覚えはないのだが?はたしてその山は、映画に何度もうつし出される「眉山」であった。うまい写し方をしたんだなと思う。私の目に映る眉山は、どこから見ても、ビルと電信柱に邪魔されて、美しさとはかけはなれた風景だった。街を歩いているだけでは、タイトルにしたいほどの山ではないように感じた。

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