-映画のことについて書いていません-
私が初めて就職した年、8月12日のお盆休みに、日航123便は落ちた。もう四半世紀前のことだが、ある理由で、今でも鮮明に記憶にある。新幹線で帰省して、自宅につくと、テレビのどのチャンネルも、この事故のことを伝えいてた。そのときはまだ、「消息不明」「日本海に墜落か?」とアナウンサーは叫んでいた。御巣鷹山の名を知ったのは、翌日の朝だったろう。長野県とも群馬県とも言い、混乱していた。もともと、落ちたところには地名がなかったようで、しばらくして、御巣鷹の尾根と呼ばれた。地名のない山に向かう道はもちろんなく、困難な捜索の様子が毎日伝えられた。
満員のジャンボ機が落ちたというだけでドキドキしたが、このドキドキ感はなんだろうと、日航だけではない、他の大きな事故や災害や事件も、起こる度に思う。対岸の火事はでかいほど面白いと言うが、結局はそういうものなんじゃないかと私は思っている。身内や知人が巻き込まれてなかったらほっとするし。遠ければ遠いほど実感は薄い。いかんねー、けしからんねー、かわいそうだねーと心の底から思えるなんて術を私は持ってない。心の底から思っている人は行くんだろうね。行けない人は大金を振り込むか・・・。お金がなければ号泣して眠れぬ朝を迎えるか・・・。でも、だいたいは、テレビ報道を見ている時だけですよ。厳粛な気で見ていても、その時だけです。マスコミは視聴者を興奮させるように煽り続けている。注目して、なにを攻撃すればいいか探っている気配もある。その成り行きをドキドキしながら、ある時は厳粛な面持ちで見ている。ドキドキも厳粛も、どこまでが本当かねー。私は、阪神大震災に遭ったけれど、日本中が野次馬に見えたものね。野次馬で結構だし、大災害、大事件なんてものは、ある程度片付くまではそういう見方でいいのじゃないかしらん?と私は思う。考えなきゃならんのは、その後。これを二度と起こすな、用心せよ。この世には人の想像の及ばない大災害、大事故がまだまだ起こるだろうから。
この大災害で、私はシュンとして、その日は口もきけなかったことがあった。テレビに映し出された遺族と、実際に会った生の遺族の感情の違いの大きさ。昔は、ビデオカメラかかえて、葬式なんてのも撮ったりしてて、たまたま、直後の、ある家族の葬式を撮りにいった。正面に遺影が5枚あって、お父さん、お母さん、幼い子供が3人。ずらーっと端から端まで並んでいる。喪主はお祖父さん。帰省で帰ってくるときに日航の事故にあった。生き残ったのは迎えにいったお祖父さんとお祖母さんの二人だけ。これには胸が苦しんだ。二人ともうつむいて顔をあげられない。一番前の席に座ってうなだれてるだけ。とても心境なんて察することもできないけれど、生き地獄を年老いた二人は味わっているのだろうことはわかる。あの時、口もきけなくなると同時に、怒りがこみ上げてきた。相手は日航。どんな理由があろうが、弁解があろうが、こんなに人の心を苦しめる日航は許せねえ。理屈なんてない。とにかく許せない。悔しい。ニュース映像だけでは「こりゃひどいなあ。いけないなあ。」と言った次の言葉が「さ、風呂入ろうか。」だもの。テレビを見る者も残酷だ。テレビ局もその二人にインタビューするから、その度胸というか、恥ずかしさとか、まるでない。マイクを5本くらいだして、質問をまくしたてる。誰に向かって聞いているのかと思うと、吐き気がしてきた。
今でも鮮明に覚えているのは、年老いた喪主の顔をじっとファインターから狙っていた自分を思い出すからだうと思う。この大事故は、話が出ると、昨日のことのように思い出す。
待ちに待った映画だが、あの日から今日まで、年月が経ちすぎている。よくぞ公開されたとも思う。だけど、生まれた子は25歳。35歳の観客だって、おぼろげだろう。上映前に「本当にあった事故です」なんてテロップがいりそうだ。反対されようが、圧力がかかろうが、やるものはやる!すべて責任はオレにある!と、みんなが知っている間に、新鮮な間に、突貫工事でも作ってしまうハリウッドは、やっぱり民主主義の国。押し付けられた民主主義の国にはできないことだ。
10分の途中休憩の間、外に出て、タバコを一服。2人の若い女性が「これって、本当の話よね?」「墜ちたことは墜ちた。」と話している。都会では満員御礼らしいけど、小倉では400席に10人しか座ってなかった。もっと観てほしい作品のひとつなんだけど。脚本は橋本忍、監督は山本薩夫じゃないが、脚本も頑張ってて、演出も丁寧で、じっくりみせてくれる。なかなかいいぞ。 <85点>
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