<TOHOシネマズなんば>
映画のことだと思って読まれる方には申し訳ないが、今日も本作品とは関係のない文章からはじまる。映画の感想は、ブルーの色としているので、よければ、そこから読んでほしい。前文は、本作品、映画とは、まったく関係がない。
終戦記念日の翌日、今日から、遅いのかもしれないが、もう一度、人生をやり直したいと思っている。変わらなければ、私はただ、多くの人に嫌悪を抱かせ、迷惑をかけに生まれてきただけである。自分が最悪な人間だと思ったのも、許されるなら、自分自身がある程度、わかったということで、ひとつの成長として、前向きに考えたい。ブログをはじめるのではなかったという気持もあるが、反対に、やっておいてよかったという気持もある。ブログによって、たぶん会わなかった人にも会い、ある時は精神的に助けていただいた。ただし、書かなくてよいことを多く書き過ぎてきた。それは頂点に達し、先日、あってはならないことを書いてしまった。たくさんの人を傷つけた。道で偶然に顔をあわせることもできなくなった人を作った。大げさではなく、これは一生、抱えていく。今日はスタートの日で、ちょっと道はそれるが、やはり、関係ない自分のことを書く。
今日から仕事で、私は、来週に撮影が決まっているシナリオの改訂を行う。第三稿であった。原稿を書き終えたあたりから、私に久しぶりの大きな発作が襲ってきた。私は10年もパニック障害という神経精神を患っている。まだ、日本に、パニック障害という言葉がなかった頃に、何の前触れもなく、いきなり発作に襲われ、私は救急車で病院へ運ばれた。全身を徹底的に調べたが、異常はなく、神経精神科へ行くことになった。はじめての診断で、私は「不安神経症」という名をつけられた。後に、パニック障害という名前が入って、私は病名を変えられた。普段の生活には何の異常もないが、突然、呼吸が困難(過呼吸)になり、頭全体が痺れ、目眩がし、心臓はバクバクし、冷や汗が出てくる。10秒くらいで止まることもあるが、1時間以上続くこともある。どのような常態か、たとえるならば・・・「道を飛び出した途端、猛スピードでトラックが走ってきて、身動きできなくなった自分の目の前で急ブレーキをかけて、止まる」・・・これによく似ていると思う。それが、波となって、何度も私の体を襲う。たとえが浮かぶのに、症状から7年もかかったが、私は、パニック障害のことを聞かれると、それを話す。
自分の好きな「旅をしていること」「映画を観ていること」という行動には出なかったが、はじまってから3年くらい経ったある日、スクリーンを観ながら、出た。スクリーンを観ている場合ではなく、私はロビーにへたり込んだ。それ以来、ところ構わず、発作が出た。毎日のように発作は続いていたが、この何年かは、一ヶ月に1回か2回で落ち着いている。自業自得だが、私の行動、言葉が要因で、今日、仕事上がりに出たのである。助けを求められる身分ではないが、まだ、誰かに助けを求めているのだろうか。今日は、人生のやり直しの日だと思っていたのに、久しぶりの大きな発作である。いつも右ポケットに安定剤の頓服を入れているので、私は唾をためて、それを飲んだ。
座っていても、寝転んでいても、立っていても、症状は変わらない。だが、どういうわけか、歩き回ると少しは楽になる。歩き回っても、空中を歩いている感じだが、それでも、立っているよりは楽な気がする。電車に乗ったが、乗っていられなく、今にも倒れそうな痺れが全身を覆い、帰りの日本橋駅で途中下車し、なんばの街をひたひた歩く。どれくらいの気温なのか、恐ろしいほどの暑さだが、発作の方が勝っている。汗だくで歩くうち、高島屋の前に着いた。商店街をぐるぐる回る。意味のない行動だが、こうするうちに、症状は軽くなってくる。これは、ン百回も経験した。1時間ほど経ち、徐々に平常心を取り戻した。暑いと思えたからである。人によっては我慢できることでも、私の弱い精神力では我慢できず、じっとしていると、発作が起こる。
なんばで発作が起きて、ぐるぐる回るのは、一度や二度ではない。何十と同じ行動を繰り返してきた。そのうち、発作時の行動には、パターンが生まれた。道頓堀から千日前へ抜けて高島屋前に至り、戎橋通りを抜けて、また道頓堀に戻ってくる。このぐるぐる回りのパターンを続けているうち、はたと私は思いあたった。映画館の前を通っているのである。偶然かもしれないが、ほぼ、なんばにある映画館の前を通っている。それに気づいたのは、歩き回るという行為の中に、ちょっと楽になりかけたら、映画館の前に立ち止まることが何度も何度もあったからだった。映画館に何を頼っているのかわからないが、発作が鎮まりかけると、映画館の前で、ポスターや看板を見て、コピーを読んでいたりする。そんなことは忘れていたが、今日も、発作の鎮まりかけたとき、私はTOHOシネマズなんばの時間表液晶の一階に居た。今の映画は・・・オーシャンズ13だ。発作が一段落したので、時間を見る余裕がある。ここのところ、自分が自分でわからなくなっていたところ、具体的に仕事をしたので、ふっと気持が和らぎ、発作が出たのだろう。このパニック障害の発作は、緊張しているとき、仕事をしているとき、忙しく走り回っているとき、問題が起こっているときには、なぜか一度も出たことがない。それらの後、一呼吸おいて、表れる。オーシャンズ13がはじまろうとしている。症状がぶり返すのをちょっと恐れながら、8階へ上がり、テケツに一ヶ月フリーパスを出した。
今日はまだ休日の会社が多いのか、歩いている街の様子も平日より人で賑わっていたが、映画館も人が多いようだ。普通の木曜日の夜ではない。ここまで、関係ないことを書いた。ここから、感想に入る。
やってくる作品、どれも話題作で、大ヒットをしているし、数々の賞も獲得しているが、私はスティーブン・ソダーバーグ監督の映画をそんなに好きではなかった。観る時の気分、精神状態もあるだろうが、満足した作品は、一本しかない。満足したのは、監督をはじめて知った「セックスと嘘とビデオテープ」である。公開から20年になると思うが、この超低予算のインディーズ映画を、私はビデオで何度も観た。覚えやすい独特の名前だし、その後も監督名に注目して観たが、大作になるにつれて、面白さは薄れていった。賞を総なめにした「エリン・ブロコビッチ」も「トラフイック」も、私としては楽しめなかった。それ以前に、難しいなあと思った。構成も、物語も、台詞も、私には難しく、まったく違った世界であるにもかかわらず、興味を抱かなかった。頭の悪いことだが、それに加えて、撮り方も好きではなかった。「オーシャンズ11」「オーシャンズ12」も、私の好きな映画ではない。好きな映画だったら覚えているが、物語もどこかへ飛んでいる。「セックスと嘘とビデオテープ」をはっきり覚えているのは、観たときが若かったからだろうか。いやしかし、その時でも、忘れてしまった作品は山ほどある。
本作は、20年ぶりに「構成も物語も撮り方も面白いなあ。」と思わせるものだった。スティーブン・ソダーバーグの映画は、明るい素材であっても、どこか陰りがあると私は感じていた。ところが、それをまったく感じさせず、とんとん拍子に物語は進んでいく。じっと構えて撮っていると思っていたのに、ある瞬間からクレーンで動き出すのが、ぎょっとして楽しい。マルチ画面も凝っていて、どこを見ていいかわからないが、これまでの作品など寄せ付けぬほど、緊迫感を出す。あの画面は、シネマスコープなので、ハイビジョンでも迫力をもつて再現できない。映画館ならではの効果である。そして、いつも難しいなあと思っていたのに、難しさはなかった。出演者は多いが、わかりやすく配している。
歳を重ねるごとに味の出るアル・パチーノがまたいい。裏切りによる報復だが、貫禄を出したり、粋がったり、怯んだりと、演技力は自由自在である。期待や絶望の顔も、アメリカの俳優としては珍しく、大芝居ではない。私などが理屈で口をはさめないほど、いい俳優だ。これほどの主役級の俳優を多く配し、ギャラだけで目を張るような金額だと思われる第三作を撮ったが、次回作を期待させるようなエンディングである。つまんないと思っていたスティーブン・ソダーバーグ監督に期待する。私はとても単純で、この監督を好きになった。私の理解力が足りなかったのか、こんなに面白いならば、第一作、第二作も、もう一度、観てみたくなった。
14日からこの3日間、私は誰とも話しをしていない。また、水分は摂っているが、まったく食事もしていない。3日間も何も食べないと、普通はおかしくなるが、私は長い不規則な食生活で、そうでもない。ただ、ちょっと疲れがある。起きても、すぐに眠たくなる。今夜はまともに食事をしよう。人生をやり直す日だ。昨日までの私ではいけない。少しずつ、まともな人間になろう。 <80点>
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