活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

遠くの空に消えた

2007年08月31日 23時30分00秒 | た 行 (2006.2007)

Photo_323  <なんばパークスシネマ>

 本作、「遠くの空に消えた」に関すること、感想などは一切書いていません。

 私が行定勲の名前を知ったのは、各賞を総なめにした東映の「GO」だった。映画を観ていても、その構成や台詞から脚本家の才能が窺え、宮藤官九郎を一躍メジャーにした。行定勲監督の活躍は、賞を獲ったけれども、一部をのぞき、あまり大きく扱われなかった。監督名を確実に多くの人に知れわたせ、メジャーにしたのは「世界の中心で、愛を叫ぶ」である。本作も(「世界の中心で、愛を叫ぶ」の行定勲監督!)とポスターにある。いつまでこの宣伝文句でいくつもりだろう。

 東映制作の「GO」の成功がきっかけで、東宝制作の「世界の~」の監督を任せられたのだろうが、さすがは東宝で、ロングラン、とんでもない興行収入をたたき出した。東映は、宣伝が下手だ。これは、私が映画を観はじめた頃から感じている。しかし、私としては、「世界の~」が、なぜロングランで、「セカチュウ」なんて流行語まで生まれた作品なのかわからない。悪くはないが、良くもなかった。撮りたい映画だっかどうかは別として、あれほどの社会現象だったのだから、名前を知られる監督になったと自分でも確信しただろう。後に、東映の「北の零年」、東宝の「春の雪」と、大きな映画を手がける。大手の映画会社の制作、直営の映画館で全国一斉公開がどんどん続く。現在の日本映画界で、とても恵まれた仕事が入ってくる。大作ばかりが続くと時間をとられ、ミニシアター系から行定勲監督の名前が消えつつある。

 これまでの作品を観させていただいて、私は「きょうのできごと」が行定勲監督の最高傑作だと思っている。とても地味な内容で、とても地味な公開をしたが、私の手帳をみると、「きょうのできごと<テアトル梅田>95点」となっている。なんでもないようで、ちょっと何かがある一日。大学生の田中麗奈の物語が柱になっているが、いくつかの場所のいくつかの物語を交互に流していく。なにがどうということはないのに、どの物語も居心地がよく、ずっと観ていたい気分になる。本作に出ている伊藤歩、柏原収史の他、出演者も 妻夫木聡、 池脇千鶴、 大倉孝二、北村一輝と豪華だ。田中麗奈、池脇千鶴は別として、「きょうのできごと」を作った2003年は、それぞれ、まだ現在のように超有名人で、主役をはれるほどではなかったと思う。配給、上映劇場も決まっていなかったのか、私は「世界の~」が世間で爆発した後、ミニシアターで観た。「世界の~」からは想像もできないような監督の魂、息吹のようなものをスクリーンから感じた。機会があり、もう一度、私は昨年も劇場で観ることができた。二度観ても、いいものはいいままだった。「いいなあ、この空気感・・・」ずっと観ていたいが、映画は終わる。二度観て、まだ次の機会はないだろうかと感じたくらいだった。ずっと観ていたいなんて観客が思うと知ってか、映画は池脇千鶴の一言でパッと終わる。ゆっくり、のんびり時間は進むからこそ、ゆっくり、のんびりエンディングに近づき、フェードアウトするのを避け、ズバッと幕を引く手を使ったのだろう。これが観る者の心をくすぐる。「あっ、終わっちゃったよ!」と、突如、残念な気持が胸にくる。うまいなあと思う。原作があるにせよ、この空気感を作り出したのは、監督の演出と技術によるものだろう。俳優やスタッフに自分の空気感をどう伝えたかはわからないが、その空気をみんなが汲み取っている。気持は一致団結なのだが、俳優は、バラバラ感を求められている。いつまでも素人に毛がはえたような芝居を見せる伊藤歩も、本作では抜群の演技力である。見事で、みんなに観てほしいが、この空気感を味わうのはビデオでは難しいかもしれない。どうしても、映画館で観てほしい逸品である。

 東映、東宝、東映、東宝の順番できたので、東映の番だと思っていたが、次は、東宝の大作で、「クローズド・ノート」だ。助監督としてついていた岩井俊二監督よりも忙しい大監督になってしまった。岩井俊二は、時代の作り人であった。そういう風に、時代もあるだろうが、あまり作らされていないで、本人が作りたい映画を撮ってほしい。いつまでも旬でいられない監督のはず・・・私はそう思っている。

★ランキング★  参加しています


呪怨 バンデミック(字幕版) 再び

2007年08月29日 23時30分00秒 | さ 行 (2006.2007)

__8  <TOHOシネマズなんば>

 明後日のビデオの完成を控え、バタバタしている。それが終わると、3本のビデオ制作を同時にとりかかる。9月、10月、11月と、珍しく忙しくなりそうだ。以前のように、一週間も休んでどこかへ行くなんて時間はない。偶然だか必然だかわからないが、よくできていると思う。春から夏にかけては時間はいっぱいあったが、ひとつのことが終わると、時間のない日常になった。そういうわけで、映画をいっぱい観ている時間もあるかどうかはわからないが、一応、無理にでも暦通りに休むこととし、レイトショーに通うつもりなので、更新はできそうである。昨年は映画館での鑑賞作品は300本を超えたが、今年は200本を目指そう。いま、どのくらい観ているのか面倒なので計算していないが、100本ちょっとではないかと思う。

 仕事場から「なんば」に着いたのが21時ちょっと前。今日は、もっとたくさん観られると期待していたのに、そうでもなかったパスポートを使って、一度観た同じ作品にしようとやってきた。ちょっと焦って走ったりした。中年で、ちょい腹が出てきたので、走るとやや揺れる。若い女性が走って胸が揺れるのは好まれるだろうが、中年が走って腹が揺れるのは醜いことこの上ない。腹を左右上下に揺らしながら、TOHOシネマズなんばに着く。

 21時10分の「レミーのおいしいレストラン」または21時20分の本作だけ、間に合う。どちらにしようか悩んだが、精神的に疲れているので、ぼーっと楽しく観ていられる映画にしたい。私は、チケット売り場でパスポートを見せ、先日、90点をつけた本作を告げた。これで、パスポート利用は11作目となる。いくら水曜のレディスデイでも、この時間帯は人が少ないが、ロビーは意外と人が多い。「呪怨」が受けているのかどうかはわからないが、21時20分~23時15分という上映時間にもかかわらず、客席の半分くらいが埋まっていた。この頃の風景で、外国人もいる。

 ホラー映画は大好きで、スプラッターも大好きで、なんにも考えずにスクリーンをながめていたい時は、私はこういう類の映画をやっていないか探す。コメディよりも、ノンストップアクションよりも考えなくて済む。テーマなんてどうでもよく、「恐いでしょ!楽しんだ?」というスタッフ、キャストの笑い顔が見えてくる。90点も付けたのだから、もう一度、観ようというきっかけもあったが、この作品に私は90という数字をつけてしまったのかと驚いた。90以上だと、もう一度観ても楽しめる、何度観ても楽しめる作品のはずだったが、二度目だというのに、それほどでもなかった。あの日は、どういう気分で観たのだろうか。気分で映画は良くも悪くもなるのはわかっているが、90はあんまりだ。今日は、75点としておきたい。おそらく、ビデオ版の「呪怨1」「呪怨2」、映画版の「呪怨1」「呪怨2」、ハリウッド版の「呪怨1」を頭に思いっきり浮かべて観たのだろう。作られてきた5作品のトップをいくのは間違いない。もし、私のブログを読まれて、観に行かれた方には申し訳ない・・・。

 ハリウッド版の「呪怨2」の話があったとき、清水監督は、『もういいでしょ。いつまでこの映画で稼ぐつもりって感じで、私はもういいですよ。』なんて言っていたが、どういう経緯か、しっかりと監督を務めた。脚本家はアメリカ人で、前作同様だが、オリジナルをそのままに、見事な新しい物語を創造していると思う。続くよって終わり方もいい。アメリカンホラーは、解決する作品が多いが、いくらでも作ることができそうだ。もし、パート3を撮るならば、この水準を保ってほしい。それにしても、羨ましい。セットが。ちょっとした小さなシーンでも立派なセットを作っている。オールロケでミニシアターで公開した日本版から火がついたとは思えない。目をつけたサム・ライミも凄いけれど、サム・ライミが観たというだけでも凄い。都市伝説ホラー「スクリーム」や「ラストサマー」でアイドル的人気だったサラ・ミッシェル・ゲラーも美人だけど、あのジェニファー・ビールスも魅力的な歳のとりかたをしている。私と年令は同じだが、なにがしかの「もっとも美しい50人」に選ばれているらしい。世界的ヒットをしたフラッシュ・ダンスから、もう20年以上経つ。いろいろ考えて書いているうちに、やっぱり90点のような気がしてきた。やはり、ホラー映画は、ドキドキ感が減る分、二度目、三度目はいけないのだろうか。なにも考えずに観たいと思って入ったが、あまりにもあまりにも何にも考えずに観ることができた。

 前に観たときも思ったが、今回もエンディングロールが終わっても、すぐに明るくならず、しばらく、一呼吸おいて明るくなった。シネコンは、終わってもすぐに明るくはならないが、本作は、普通の倍の時間、真っ暗なままにして、ゆっくり明るくする。観客は、なかなか明るくならないので、ザワザワとする。配給会社の指示か、映画館の計らいか、ちょっと粋なことをしてくれる。

★ランキング★  参加しています


Life 天国で君に逢えたら

2007年08月27日 23時30分00秒 | ら 行 (2006.2007)

Life_  <TOHOシネマズなんば>

 トラックバックというのはどういう仕組みでできているのだろう。私は、基本的に、映画と関係ないトラックバックは削除させてもらっている。でたらめのようにトラックバックしてくる人もいるけれど、記事の内容を読んだからこそ、(映画とは関係ない)トラックバックをしてくる人もいる。わけのわからないトラックバックの大半はエロや出会い系だが、これは別として、ブログの中で「私は貧乏で、お金がない」と書くと、キャッシュローンなどのサラ金がトラックバックしてくる。「引越ししよう」と書くと、賃貸物件屋がトラックバックしてくる。「あの新人女優はグラビアアイドルらしいが、芝居がうまく、これから期待できそうだ」などと書くと、グラビアアイドルファンサイトがトラックバックしてくる。読まなければ、その記事にトラックバックする気にはなれないだろう。私の文章はだらだらと長く、ちょっぴり書いただけ、中の一行に反応してきたりするから、大変だなと思う。映画とは関係ないトラックバックは、私も返しようがなく、削除してしまうので、とてもご苦労だが、申し訳ない。意味があるのかと不思議だ。毎日、書いていると、いろんなトラックバックが集まっている。その9割が映画と関係ない。以前、一年前までは、帰宅すると20も30も映画のトラックバックをしていただいたが、その数は徐々に減っていって、現在は2つか3つで、映画ブログがひとつもないこともある。そのかわり、エロやグラビアアイドルブログのトラックバックが山のようにくる。

 今日はどうかしらん?と、思いながら、今日も映画を観て帰ることにした。この先、私のTOHOシネマズのパスポートは9月6日までだが、観ていない作品は、2本しかない。何も考えずにパスポートと引き換えて、私はしまったと思った。どうして、もう少し遅く引き換えて、9月9日までにしなかったのか。そうすれば、9月8日(土曜日)封切の3作品が追加されたのに・・・。映画の入場料に鈍感だったが、こんなものをもたせてもらうと、なんだか損をしたような気持ちになる。それでも、TOHOシネマズのポイントは、まだ36ポイントもたまっていて、6ポイントで1作品が無料だから、パスポート以外に6作品観ることができる。大阪を去らねばならぬと、パスポートを使ったり、たまった招待券を使ったり、ポイントを消化しているうちに、どんどんせこくなってきた。

 本作を観たことを書くか書くまいか迷った。「鑑賞記録のみ」とだけ書いて寝てしまおうかと思った。しかし、少しだけ、辛辣なことを書く。私は、本作にまったく感情移入できず、気持もまったく伝わらず、涙も出ず、感動もしなかった。これで、感動したり、涙が流れるとしたら、よほど心の澄んだ純粋な方か、若しくは、とても充実した満足のいく毎日を過ごしている方だろうと思う。事実を基にした物語であるのに、これは、それをなぞっただけではないだろうか。映画というには大げさで、テレビ放映で十分の作品をスクリーンで観た。本人が書き遺したエッセイをつなぎあわせて映像化したもので、そこには脚本家の魂がこもっていない。いきなり、プロのウィンドサーファーからはじまって、結婚し、子供をつくり、ガンで亡くなるまでを描いている。これならば、予告篇で十分伝わる。こんな作り方があるかと私は憤慨した。取材が浅すぎる。

 これが、もし、ハリウッドやヨーロッパで作られたとしたら、単なる家族愛(これも伝わってこないが)にとどまらず、彼がどのような環境で育ち、ウィンドサーファーに出会い、その魅力に傾いていったかを丁寧にシナリオ化するだろう。親友や先輩との命のつながりも、小さなシーンで凝縮して表現するはずである。主人公の人間的な厚みをしっかり表現し、そしてガンとの闘いの中で、家族愛を描くだろうと思う。本作は、それらがすっぽ抜け、何もない。ここまで薄っぺらなトゥルー・ストーリーを私は他に知らない。その上、死にゆく主人公が、最期まで苦しむのを感じない。死相の感じもない。死相の感じがなければ、勢いよく生きようとする迫力があろうが、そうとも思えない。要するに、表現できていない。

 閉じこもり、ヒステリーを起こすことを「医者は、パニック障害だと言うんだけど」なんて台詞が出てくるが、実際にそう言われたのだろうが、パニック障害というものは、あんなものではない。私は10年、パニック障害だが、閉じこもったりもしないし、爆発もしない。日常会話というのは、そう面白いものではないだろうけれど、あまにもあたり前な日常会話が延々と続き、これぞ言わなければならない台詞は、踏ん張りをかける。これで、一人の人生を描いたつもりなのだろうか。頻繁に出てくるが、娘がなぜ反抗するのかも、明確ではなく、スクリーンから伝わってこない。笑い顔が多いが、それでも笑うという気持が、これでは観客に伝わらない。カメラもドリーショットを多用し、ただきれいに撮ることに専念していて、どんな演出だろうかと首をかしげた。秋口に封切る作品としては、とてもお粗末だ。演出のせいか、俳優陣の魅力も失われている。

 500席の劇場に、観客は15人程度。場所は、大阪一の繁華街、なんばである。海外ロケをして、俳優の仕込みは大変だっただろうが、お金ばかりかけて、テレビドラマの域にも達していない本作は、観客はますます尻すぼみになるはずだ。亡くなった主人公、主人公の家族には申し訳ないが、脚本、監督に魂がこもってないのである。スタッフを総入れかえすれば、素晴らしい秀作になり得る物語だから、私としては、とても残念だ。  <25点>

★ランキング★  参加しています


アヒルと鴨のコインロッカー

2007年08月26日 23時30分00秒 | 90点以上(2006.2007)

Photo_321  <梅田ガーデンシネマ>

 昨日は、はじめてのシネコンで、ロハで新作を3本も観るという贅沢をさせてもらったのだから、今日はじっとしておこうと思っていた。ちょっと早いが、年内に引っ越さねばならないし、片付けや連絡にこの日を使おう。だらだらと片づけをしながら、スーパーへ買い物に出かけようと財布を取り出し、いくら入っているかな?と中をのぞいて、お金よりも、招待券が目に入った。梅田ガーデンシネマの招待券が2枚ある。やっていることがわけわからないが、ネットから梅田ガーデンシネマのタイムテーブルを開いてみる。まだ、「アヒルと鴨のコインロッカー」をやっている。先週まで、レイトショーの1回のみとなっていたが、今週から2回に増えて上映している。気にはなっていた映画だが、すぐに終わると思っていたので、縁がないなとあきらめていた。時計を見ると15時30分。映画の上映は17時30分と19時45分の2回。もしかしたら、縁があるのじゃないか・・・いや、この偶然は観ろといっているのではないか・・・いや、とりあえず梅田へ行こう。自由気ままだが、叱るものはいない。片づけを放りだして、財布をジーンズのポケットに入れ、地下鉄に乗った。

 上映の1時間前に着き、招待券を出して、整理券と引き換える。1時間も前なのに、番号は49だった。結構、入っている方だと思う。ここは角川映画直営で、映画好きの、知る人ぞ知る映画館で、映画好きの、知る人ぞ知る映画をかけている。総じて、質の高い作品をかけてくれる。マニアックな作品も多いが、知らぬ世界に足を踏み入れて、けっこう楽しいものだなと発見することもある。1時間前で49番目だから、17時30分の回は100人を超えるだろう。受けている。

 原作があり、その原作が素晴らしく、賞まで獲得していると、その映画化には気合がいる。原作を読んだ99%の方が、映画より原作がよかったと言う。日本映画に限らず、世界中、どの映画でもそうである。私もその一人で、原作を読んでしまうと、自分で舞台を頭に設定し、風景をつくり、人物の顔かたちまでつくり、声までつくる。一般的には評価の低い原作であっても、自分の想像の設定がよければ、良作となり得る。だから、原作を読んで映画を観てはいけない。映画を観てから原作を読むのが順序である。だが、これは原作と映画をどちらも楽しむ場合であって、映画を観ない人は関係ない。本の方が、映画よりも早く書店に並ぶ。自分で作り上げた最高の世界があるわけだから、他人が作ったものにゲンナリするのは当然だろう。私は「ダ・ヴィンチ・コード」で、大失敗した。映画を観ている気がしなかった。原作を早足でなぞっているだけのような気がした。感想もなにもあったものではなく、書くことができないで、いつもの点数もつけなかった。本作は、「吉川英治文学新人賞」に輝いた同名小説の映画化である。もちろん、読んでいない。というより、この10年以上、ドキュメンタリーばかり読んでいて、小説をほとんど読まなくなった。私は、原作を無視して、映画だけで語る。原作と比較すると、とても書けない。原作を読み、映画を観て、その上で評論なり感想なりを書ける人が羨ましい。私は、そこまでの才能は持ち合わせていない。オリジナルではなく、原作のある映画が増えているので、映画を抱っこして生きている私としては、ますます、小説とは縁がなくなりそうである。

 (照明のあたり具合から)セットをワンカットも使ってないと思われる、このオールロケの映画、とてもいい映画です。原作があるので、ストーリーは沿っているのだろうけれど、それを知らない私としては、意外性の連続に驚かされる。短い時間の中で、実にめまぐるしくいろんなことが巻き起こる。その行動範囲は狭いので、とてもめまぐるしい。じっくり構えるところと急ぐところとメリハリもはっきりしていて、観る者の体をふっと震わせ、奮わせてくれる。そういう意味でも面白い。一人二役、いや、一人一役・・・その変わりようが、やや急ぎすぎの嫌いもあり、流れに無理っぽいところもあるが、それを差し引いても、よくできている。筋を知らなければ、この映画の前半に完全に騙されてしまうだろう。この騙しは、過去の出来事をモノクロ反転を使用することによって、さらに活かされていた。

 この作品の完成度の高さは、すでにシナリオにあるのだろう。シーンの切りかえ、過去と現在の切りかえがわかりやすく、そして上手い。脚本家の頭が現場スタッフによく伝わり、現場スタッフの作り手の勢いがあり、それを押しつけることなく、観客の心理がわかっている。何度も同じシーンが出てくるが、これもくどくなく、もっと先を知りたくなる。観ながら、もっと先を知りたいなんて言葉が頭に浮かぶことはあまりないような気がする。だが、エンディングが切なく、ちょっと不満がある。それも、もっと先を知りたい気持が起こさせるものだろうと、私はよい方へと解釈した。ただ、何を差し引いても、秀作と言える。私はとても満足感に包まれて、劇場を出た。  <90点>

★ランキング★  参加しています


恋するマドリ

2007年08月26日 23時00分00秒 | か 行 (2006.2007)

Photo_322  <シネ・リーブル梅田>

 片づけをほったらかしにして、ちょっと遠い新梅田シティまでやってきたからには、もう1本、観ておきたい。1時間後にはじまるレイトショー、20時30分からの「恋するマドリ」と決め、外の空気を吸いにいく。ここにも外国人が多い。ツインの梅田スカイビルを見上げて、写真を撮ったりしている。その他は、暗闇で、カップルがいちゃつく。先ほど観た映画の余韻を楽しみながら、それらをぼーっと見ていると、コンクリートの上で、バリバリッという音がする。聞き覚えのある音で、虫の羽とコンクリートが擦れているのである。その音の方に近づいていくと、小さなセミが最後の命を振り絞ってバタついていた。しゃがんで、セミをつかむと、力強く足を踏ん張り、私の手にしがみつく。手のひらが痛いほどに力がある。蛍光灯にすかしてみると、透明の羽である。私の子供のころはミンミンゼミと言ったが、正式名称はなんだったっけ?すでに一週間後の命。うまくパートナーをみつけ、交尾して、子孫を残すことに成功したのかな?しがみつくセミを持って、ビルの横の人工的に作られた小さな森の方へと歩く。最期の時、コンクリートではなく、せめて、土の上でと思う。公園の道からそれ、柵で囲った、入ってはならない土の上に踏み入る。辺りは真っ暗だ。薮の中に入れようとすると、力を振り絞って、オシッコを私の手のひらにかけ、しばらく飛んで、落ちていった。セミのオシッコなんて、もう何十年もかけられていなかった。小学生の頃の夏休みがふと、鮮明に頭に浮かんだ。飛んでいった方を見送って、虫の声を聞く。まだ残暑は厳しいが、鈴虫が勢いよく鳴いている。

 久しぶりに地下一階の石焼ビピンバを食べたくなった。石焼ビピンバを食べると、顔がちょっと脂っぽくなるが、おこげが好きなので、迷わず入る。どこでも石焼ビピンバのメニューがあると、好きなので入って食べるが、まずいと思ったことがない。麺類も好きだが、これには賭けがある。石焼ビピンバは安心して食べられる。私は、カレーに似ているなと思った。なにを注文してもまずいかな?と思わせる(たとえば、高速道路のサービスエリア)店に入った時は、カレーを頼むと、まず間違いはないという。

 日曜日のレイトショーの客入りは、一週間の中でもっとも悪い。それでも、10人ばかりの観客を入れ、上映がはじまった。なんとも心地よい空気感を漂わせてくれる映画だと思う。飛び跳ねたくなるような作品を観たばかりだが、私はこの作品の空気感を楽しんだ。監督の演出があってか、俳優陣は、とても控えめな芝居をする。それにしても、この主演の女優、新垣結衣。子供のように若いが、とても美人で、しかも愛らしい笑顔をつくる。目がとてもきれいで、吸い込まれそうだ。大げさでもなく、素人臭さもなく、作品の「風」に溶け込む、ほどよい動きと台詞だ。恋をして、はにかむ笑顔も、観ている方がニコッとするくらい、控えめで抑えた演技だ。沖縄出身のモデルで、グラビアアイドルらしい。テレビドラマや映画出演作もあるらしいが、私は初めて見たと思う。この女優、出会う監督によっては、どんどん出てきそうな感じがする。

 短い出会い、短い不思議な縁・・・それだけの物語で、何が起こるということはない。何が起こるわけでもないのに、カメラアングルも基本的である。それがなぜか新鮮に思うことができる。観る者は、主演、準主演の2人の気持をそれぞれ客観的に知り、わかるようになっていて、ちょっとじれったいが、この三者のまわりをカメラは淡々と撮り続ける。私は男だが、主演の女子大生演ずる新垣結衣のどうしていいかわからない気持ちもわからないことはないので、後がちょっと恐い(ストーリーを思わせて、実はストーリーを書かないので、ご覧になられた方しかわからない書き方になっているが、これがすべての柱となっているので、あえて書けない)。この心地よさ・・・菊池凛子が旅立つのを追いかけるところから、急にガクンと気持が下がる。「大切な人が飛行機で外国へ」「それを追いかける」「間に合うのか間に合わないのか」「外国へ旅立とうとするショット」「空港に着いた!会えるか?」・・・こういう、あまりにも使い古してきて、テレビでもベタな展開を真面目に演出している。ひねりをつけたいようだが、そのひねりが無茶で、私はあららっと、急に気持が沈んでしまった。空港のシーンが終わると、もとに戻る。成田のシーン以外は、確実に心地よい風が吹いているので、そこだけが残念である。

 日常会話の何気ない台詞も気が利いている。「引越ししたら、イヤでもいろんなものを捨てなきゃならないでしょ」「あんな歳になって、恋愛沙汰でまわりに迷惑かけてどういう神経してんだか」・・・こういう言葉は、今の私に響いた。日本の純愛映画なので、ややナルシスト的な台詞もあるが、かなり練っている。原作ではなく、原案で、こういうオリジナルの佳作をもっと作ってほしい。興行的な安心感はないだろうが、比較されないオリジナル脚本に、私は惹かれる。

 昨日は、映画って楽しいなと思いながら帰ったが、今日は、映画っていいなと思いながら帰った。23時15分に長居駅に着いたが、世界陸上が終わったばかりらしく、構内整理で乗客はホームにも入れず、改札口で次の電車が客を乗せてホームの空くのを待っていた。みんな汗だくで、私は酸っぱいにおいを嗅ぎながら、駅を後にした。  <70点>

★ランキング★  参加しています


TAXi4(日本語吹替版)

2007年08月25日 23時30分00秒 | た 行 (2006.2007)

Taxi4  <TOHOシネマズ泉北>

 封切の映画を3本、観る計画を立てた。それも、今日がすべて初日である。こんなこと、いつ以来だろう。封切りも3本も初日も、パスポートのおかけである。TOHOシネマズ高槻が閉館になって、別の経営になってしまったので、近くは、いつも行くTOHOシネマズなんばもしくは、TOHOシネマズ泉北だ。京都の二条、奈良の橿原にも同系列の映画館があるけれど、交通費を思うと、パスポートの意味がない。私は、TOHOシネマズなんばで上映していない作品を、TOHOシネマで観る為、まだ一度も行ったことのないTOHOシネマズ泉北へ行くこととした。「TAXi4」「ラッシュアワー3」「シッコ」を続けて観るべく、朝から家を出る。長居駅前は、いつもとは様子が違い、繁華街のようである。「世界陸上」が今日から一週間、開催されている。

 御堂筋線で終点の中百舌鳥(なかもず)で下車し、泉北高速線に乗り換える。山を削って敷設した線で、いきなり、次の駅から区画整理整理された人工的な街があらわれる。平野がなくなると、どんどん奥へ削っていき、一直線に線路が敷かれるのは、大都市ではよく見られる光景になった。私は鉄道好きでもあるが、こういう鉄道は、あまり好きではない。乗っているというより、乗らされている気持がとても強くなる。駅前の顔もどこも同じで、個性はない。街があって鉄道ができたわけではなく、鉄道を敷いて街を造ると、こういう風になる。とはいえ、中百舌鳥という名から想像されるだろうが、この辺りは「古事記」「日本書紀」にも出てくるところで、いたるところに人工池がある。邪魔だからと埋め立てず、古代からの池をそのまま残しているのは嬉しい。みまわしてもよくわからないが、古墳も至るところにある。

 「栂・美木多」という駅で下車する。真ん中に「・」のある駅は珍しいだろう。2つの地名をくPhoto_311 っつけて1つの駅名とするところはあるが、分けている。ここから歩いて20分のところに目的のTOHOシネマズ泉北があるらしい。無料の連絡バPhoto_312 スが出ていて、しばらく駅前で待つ。造りました顔のコンクリート駅前をぶらぶらする。都会のベッドタウンの最寄り駅という空気は、どこも一緒だ。自家用車がなければ、不便なところなのだろう。10分ほど待つと、マイクロバスがやってきた。10人ほどの客を乗せ、5分ばかり揺られると、やはり、想像していたような巨大な空母があらわれた。電車やバスの客は相手にしていないアウトレットモールだ。敷地面積も広いが、延べ床面積の3/4は、駐車場だろうと思われる。土曜、日曜は、TOHOシネマズの入り口に停まってくれるらしい。

 TOHOシネマズにしては、こじんまりしたチケット売り場へ行き、3作品を続けて言う。買Photo_313 うのではなく、言っただけでチケットが発行されるのは、どこか嬉しく、そして恐縮してしまう。アルバイトのおねえちゃんは、ニコッと笑ってパスポートPhoto_314 を受け、私の会員番号と作品のタイトルを書き込んでいる。横のおねえちゃんは、それをじっと見ている。土曜日なのに、のんびりしたシネコンだ。3作品の指定席を決めなければならないので、時間がかかる。それでも、横のおねえちゃんは、じっとパスポートを見ていた。3枚のチケットを受け取り、財布にしまう。13:45~15:30「TAXi4」15:45~17:30「ラッシュアワー3」18:00~20:15「シッコ」となった。計画通りで、よくできていると思うが、映画と映画の間が15分、30分と食事する時間がない。一人で行くと、こういう計画になる。

 なぜ、日本語吹替版かというと、一日中、字幕版の上映がないからである。ここのところ、字幕版より、吹替版の方に客が集まるのだろうか。字幕版を観たい客は、レイトショーまで待たなければならないというような時間表になっている作品が多い。日本人も、アメリカ人のように、映画を観ながら、同時に字幕を読めなくなったのだろうか。そういう人が増えてきたのだろうか。フィルムを輸入してきて、さらにお金をかけて手がかかっているのに、私などは、テレビで映画を観ているような錯覚をする。どうも安っぽく感じる。

 リュック・ベッソンという作家は、女性とうまくいっているウキウキしている時に、コメディ作品、アクション作品を書くようだ。もめていたり、別れたりしている時には、自己愛のような、物悲しい作品を書く。反論されそうだが、私はそのように思っている。だからだろうか、とても楽しい娯楽作品に仕上がっている。これまで以上に、ハイスピードでアクションと笑いを積み上げていく。何度もくりかえされた笑いだが、それでも面白い。新しい「ピンクパンサー」も、これだけテンションを上げてくれたら、またシリーズになりえるだろうと思った。何も考えず、ぼーっとスクリーンを観て、今日のイライラを忘れたいならば、迷わず、本作をご覧になったらいい。自分が眉間に皺をよせて、しかめっ面になっているのが、恥ずかしくなるかもしれないほど、鮮やかに計算された馬鹿っぷりである。4ともなると、客入りは悪く、この映画、意外と穴かもしれない。           <70点>

★ランキング★  参加しています


ラッシュアワー3

2007年08月25日 23時00分00秒 | ら 行 (2006.2007)

3_18  <TOHOシネマズ泉北>

 次の映画まで15分・・・と思ったが10分。巨大なアウトレットモール内を少し歩いてみたいので、早足に別館の屋上へあがる。大きな駐車場からPhoto_315 見える風景は、遠くに山を抱いて、小さく集まる団地と一戸建てだ。こんもりした森は公園なのか、古墳(これも人工的)なのか。駅がどちらにあるのかまったくわからない。360度、どこを見ても同じ景色である。店らしきものもない。家はあり、道路はあり、車は走っているが、人の気配がない。地下のない、平べったい空母の中の店も、マクドナルドがあり、ダイソーがあり、回転寿司があり、お好みPhoto_316 焼きの風月があり、フードコートがあり、ゲームセンターがあり、そしてシネコンがあり・・・日本中、どの空母も同じになっている。

 一ヶ月パスポートなどをいただかなければ、大阪市内で観ただろうし、ここへやってこなかったと思うから、今日が最初で最後だと思う。二度とこの地を踏むことはない。大阪での27年間、私には本当にいろいろな出来事があり、大切だと信じていたものがたくさん消えていった。遠くに見える山は、金剛山か?あの麓に、私の通った芸大があった。遠い話だが、つい数年前のような気もする。歳はとったが、まだ十代の気でいる。気だけがそうならいいが、私の場合、精神もそうだから、自分で墓穴を掘る。人生、いくつも掘ってきて、今はどこが穴だか平地だか、わからなくなっているところを歩いている。

 せっかく、全米デビューを果たしたのに、50を過ぎて、ジャッキー・チェンって、ちょっとかわいそうだなと思う。ハリウッド、呼ぶの遅い。プロジェクトAなど、かつての勢いはまったくない。あたりまえだが、あの頃のジャッキー・チェンの映画をアメリカ人は知っているのか知らないのか、このくらいのスタントなしアクションがヒットしている。わたしは、このシリーズをすべて劇場で観てきたが、1作目から、面白いとは言えない。ヒットしたから続編を作る訳で、どこが面白いのか、なぜヒットできるのか、わからない。アクションが弱くなってきたのに、それでもすべてジャッキー・チェンに頼っていて、ストーリーもシナリオもどうでもいいような、くっついてきたような感じになっている。3作品、すべて。どこかひとつでもいいところは?と、考えてみても、何も思いつかない。華やかな頃のエンドロールのNGも、すごかった。今は、どうでもいい台詞の間違いなどをメインにNGを出す。NGを観ながら、私は、単純なストーリーすら忘れかけていた。

 平成3年か4年頃、私はフランスで撮影する機会をいただき、一週間かけ、あちこちロケハンを行ったことがある。高い建物がないので、現地コーディネーターに、エッフェル塔からパリの街を撮りたいと言うと、上がって撮るだけで、日本円で50万円要求されると知り、断った。それならば、ヘリコプターの方が安い。エッフェル塔を撮るのは無料なのに、エッフェル塔から撮るのは50万円とは何事か。ムカムカした覚えがある。本作は、そのエッフェル塔で、実際に撮影されている。営業が終わるのを待ち、クルーが乗り込み、撮影に挑んだのだという。これが、大宣伝のひとつになっているが、何が大変なのか、多くの観客はピンとこないだろう。「ダ・ヴィンチコード」のロケのように、あり得ない場所での撮影。声高に言っても、大した宣伝にはならない。それに、この程度のシーン、カットでは、セットだけでいけそうだ。本物とセットの組み合わせはうまいが、セットだけで十分だ。こてんぱんに書いているが、歳をくつても、香港のジャッキー・チェンの方が、今でも活き活きとしている。  <35点>

★ランキング★  参加しています


シッコ

2007年08月25日 22時30分00秒 | さ 行 (2006.2007)

Photo_309  <TOHOシネマズ泉北>

 観たいということだけを言えば、本作だけであった。時間がなく、お金に余裕がなければ、前の2本は観に行かなかったろう。とてもけしからん映Photo_318 画ファンである。お腹がすいているが、時間がないので、アイスコーヒーとホットドックと「なにかしら」を買う。場内の暗闇で食べたが、洋のハンバーガーのような、和の肉まんのような「なにかしら」であった。今でもよくわからないが、肉汁が出てきて美味しい。私の知っているTOHOシネマズにはなかったもので、ちなみに、その「なにかしら」は、400円だった。よそで買った食べ物を持って入ってはならないなんて、いつから決まったのだろうか。儲けと、館内の清掃を考えたからだろうが、入場料金を安くしつつ、どんどん映画というものを高級にしていく。あと10年もすれば、日本には、全席指定、入れかえのシネコンのみになるだろう。その前に、地球があと10年もつのかとも思うが・・・。

 面白いねえ、この監督のドキュメンタリーは。膨大な映像の中から、必要な材料を探し出し、編集の為のシナリオを書くというのは、順番からするとテレコで、とても厄介で、面倒で、時間ばかりかかる。言葉があって映像を撮るのは、映像家に創造する力を要す機会を与え、それが自然な流れだ。映像があって言葉を足すのは、ちょっとややこしい。ニュースのように無機質なものをただ伝えるのではなく、そこに息吹というか、魂というか・・・観客を惹きつける力のある編集と台詞を生むのは至難の業なのである。その上、自らも出演しつつ取材に行く。どうなるか先はわからず、これを帰ってから、シナリオ化し、他の映像とくっつける。さらに、テレビニュースや昔の資料映像まで持ち出してくる。たくさんのスタッフの協力に支えられているとはいえ、気のおかしくなるほどの苦労を背負いつつ、魅力ある映画にしなければならない。これはもう、監督の生まれもった才能でしかないと私は思う。

 私の仕事の中にも、1年、2年と撮りためた映像や写真をひとつの作品にしなければならないことがある。10時間の材料をナレーションをつけ、20分にする。主に、大きな建造物の記録だが、そういう時間を追うだけの単純なものであるのに、ナレーションを考えるのは、普通のビデオとは大きく違う。頭を悩ませ、じとじとした毎日を過ごす。何もせず、じっとしている日もある。撮ったというより、撮りなぐったバラバラの画をつなぐ作業を頭の中でやる。普通のビデオであれば2日、3日で書き上げるシナリオも、ひどい時は1ヶ月なにもできないなんてこともある。決まった映像があり、後でつないで、そこに説明をつけて、それが一般人でもなんとか見ることができるようにするには、並ではない精神力を必要とするように思う。1ヶ月というと大げさで、実は、ずっと何もしないわけではない。その間、他の作品を仕上げる。その中で、ある時、頭の中でふと、バラバラになった画たちが、ひとつの柱にくっつく時がある。これが起こると、もう出来たのも同然で、1日、2日で夢中で書く。今まで、無理矢理と言われようが、できなかったことはなかったが、何も浮かばなかったら、どうなっていたのかと思う。そう考えると、ブルッと震える。

 アメリカの悪いところばかりをあげて、他国の良いところばかりをあげるので、これらにも裏はあるだろうし、素直には受け取れないが、最もわかりやすい手法だ。観客に現在のアメリカの保険、医療問題を責めて攻めていく。日本にもまったくあてはまることで、アメリカのやり方に追随していることがわかる。さすが、経済大国第一位と第二位だ。大手保険会社の不払いが問題になったのは、記憶に新しい。生命保険なんて、本当にいい加減で、支払う者を馬鹿にしていると思った。私もそうだが、保険で家計を圧迫しているなんて、アホじゃないかしらん。さらに不払いで、医療費は高い。それら混在した問題を、わかりやすく教えてくれ、そして叩く。9.11で支援、協力した人までも巻き込んで話しは進むから、アメリカって酷い国だと思わせてしまう。ある時は凶暴に、ある時はちゃかしながら、ある時は危険を冒しながら、物語は進む。観る者の心がしっかりわかっていて、エンターテイメントされていて、だからこそ、マイケル・ムーアというドキュメンタリー監督は世界中から注目を集めるのだろう。凡百のディレクターにはマネのできない、どこにもないドキュメンタリーの手法で、私たちを楽しませ、考えさせ、しっかりと記憶させてくれる。出演している監督の母親。エンディングの「この映画を母に捧げる」が、一番、関係者にとって皮肉の言葉になっている。今日は、ほとんどの時間、クーラーの冷えた劇場内にいるので、1時間経ったあたりからトイレに行きたくなった。しかし、トイレに立たせない映像の力がある。終わって、私は、歩くのが大変なくらいに、我慢をしているのがわかった。

Photo_317  映画館を出ると、空は暗く、クロスモールは光り輝いていた。ゆっくり食事をして帰ろうと思ったが、どこもアベックやファミリーで、一人というのは居心地が悪い。目の前の無料シャトルバス乗り場へ行く。4、5人の男女Photo_319 がバス待ちをしている。3本、休みなく観たので、少々、眠気がある。ここが駅前だったら、私のような電車移動野郎は、喜んで何度もくるだろうと思う。立ったままウトウトしていると、小さなバスがやってきた。乗ったまま眠りたいが、駅まで5分である。クロスモールはネオンでギラギラしていたが、途中は真っ暗で、両側がきれいな一戸建ての道路を走る。遠くに明るい光が見え、大きな駅に着いた。駅に人は少ない。とても明るいが、改札を抜け、階段をおりると、寂しい田舎のホームに立っている気持がする。

 それでも、中百舌鳥の乗換駅では、たくさんの人で混雑していた。地下鉄で唯一の黒字線、さすが御堂筋だと思って電車に乗ると、10両の車内にはほとんど人がいない。走るPhoto_320 のかしらん?と、出発を待つ。数人しか乗せず、地下鉄は千里中央に向かって走りはじめた。途中の駅でもほとんど乗ってこず、降りない。私の乗った車両は、ついには、長居まで一人だった。だが、長居駅に着くと、ホームにあふれかえるほど、乗客が待っている。思い出した。「世界陸上か!」私はここで降りるが、一人、下車して振り向くと、誰もいなかった車両は、ギュウギュウ詰めだった。  <80点>

★ランキング★  参加しています


レミーのおいしいレストラン(字幕版)

2007年08月24日 23時30分00秒 | ら 行 (2006.2007)

Photo_308  <TOHOシネマズなんば>

 明日から大阪で「世界陸上」が開催される。私の住む長居から歩いて3分で、メインスタジアムの長居陸上競技場に着く。この一週間ばかり、テロを警戒して、警察がうようよしていて、ここ2、3日、外国人選手団もうようよしてきた。朝から夜まで、地下鉄もJRも大変な人ごみになるだろう。駅まで行って、めまいがして、引き戻すかもしれない。私は今から10年くらい前、この長居陸上競技場を建築するところから竣工するところまで、2年間にわたって撮影し、1本の工事記録ビデオを作った記憶がある。後に、国際マラソン、ワールドカップの会場となり、華やいでいるのをテレビで見たことはあるが、竣工の時のセレモニーの撮影から、まったく行っていない。あの羽の屋根は、とんでもない精密な工法で広げている。浮かせた状態から、各柱に載せるまで、1㎜の狂いもなく、羽を広げさせていた。

 だからか知らないが、今夜のTOHOシネマズなんばには、外国人が多かった。金曜日の夜は、映画館に人が集まらない。本作も多くはないが、金髪の男女が目立つ。日本人は面白い場面でも黙って笑顔だけ作るが、外国人(アメリカ人?)は、大声で笑う。劇場内は、外国人の笑いで包まれていた。21時00分上映。フリーパスポート、6本目の鑑賞となった。

 この作品、CGアニメだが、久しぶりにCGアニメという意識をなくして、観てしまった。子供にはもったいないなんて言うと子供に失礼だが、大人の為のアニメのような内容になっている。舞台も小道具もエピソードも、小学生ではわかりにくいだろう。バブルの頃、フランス料理ブームなんてあって、一流と言われたレストランがミーハーの溜まり場のようになった風景を思い出す。ある程度の知識も必要で、大人だからわかる・・・という部分が多い。CGアニメというもの、CGアニメでしか表現できないものに食傷気味だが、ストーリー、内容で本作はみせてくれる。現在では、実写とCGの合成でも映画化可能だろうが、絶対にありえない世界だから、実写ではげんなりするだろう。これは、アニメで正解である。アニメだからこそ、その世界にのめりこむことができることをあらためて知る。そして、芸術である映画の中で、芸術である一皿を作るのはネズミで、これを実写にしたら、オエッともなりそうだ。本物のネズミっぽいネズミが、厨房を占拠して料理を作っている映画などは観ていられない。アニメだから、楽しい。よくこんな物語を創造すると感心する。

 CGアニメとしては上映時間が長いが、苦になるどころか、短く感じた。いちいち、エピソードは気が利いていて、それが次々と続き、制作者は、観客の心のツボのようなものを知っている。カメラアングルが自由自在なので、尚更に楽しい。ところが、頭から最後まで、大したことはおこらない。実は、これがいい。ある目的に向かってはいるのだが、でかい仕掛けをしない。なにが心地よいって、これが心地よい。とんでもない展開が起こると思っている方には残念だろうが、大したことが起こらないで、平凡に進んでいく心地よさが、本作のひとつの魅力ではないかと思われる。この心地よさは、エンディングまで続く。それらすべてを含めて・・・やはりこれは、大人の為のCGアニメのような気がした。

 南街劇場が取り壊されて、昨年、TOHOシネマズが建った。現在の日本の私鉄を語る上Hi380016_1 で避けて通れない小林一三の言葉が、1階のエレベーター奥に残されている。小林一三は、私鉄を軸に、百貨店を作り、遊園地を作り、映画館を作り、沿線を宅地化して不動産を作った。これを日本の私鉄は、次々にマネをしていくことになる。現在の私鉄の経営学は、阪急を祖としている。私はエレベーターを待つ間、いつもこれを読む。日本ではじめて映画を上映したのは神戸だが、興行として、入場料金をとってはじめて映画を上映したのは、まさにここ、TOHOシネマズなんばのある、この地なのである。  <85点>

★ランキング★  参加しています


アドレナリン

2007年08月22日 23時00分00秒 | あ 行 (2007)

Photo_305  <ホクテンザ1>

  月曜日から水曜日、徹夜で仕事をして、そのまま映画に行く・・・この間、炎天下の中、ロケがあった。顔と腕は日焼けで真っ赤になって、肌がPhoto_306 ひりひりする。ディレクターという仕事は、デスクワークのように思われるだろうが、体力が勝負で、体力のあるものが生き残るようだ。よくここまでやってきた。二十代の頃は、こんなことがあっても、ちょっときついなという程度だったが、今の私は体に鞭を打つような行動である。だれてしまう。二晩寝ていないので、少しだけ早めに仕事を切り上げ、地下鉄に乗り、ふらふらで、天神橋筋六丁目へ。シネ五ビルを目指す。茫漠の頭で、日のあたらない裏道を歩く。何が哀しくてこんなことをしているのかと思うが、観たい一心なのだろう。

 裏道を歩くと、次回予告の看板がかかっていて、これはすべて未見である。番館おちの1_21 体であったが、ようやく、シネ五ビルが蘇えったのかと思う。「ビックシューPhoto_307ター」のみが番館おちで、後は、大阪ではこの映画館だけの封切だ。ちょっと嬉しい。そして、この看板、昭和の色が濃く、どこか懐かしくある。昔はポスター ではなく、手書き看板だったのではないかしらん?と思う。ポスターを貼ったトタン板もいい。つい10年前は、どこもこういう映画館だった。入れかえでもなく、指定席でもなく、気軽にふらっと入ることができた。途中から入るのは好きではないが、途中から観て、観たところの途中で座席を立って帰る人もたくさんいた。どんどん、シネコンに押しつぶされ、昔ながらの映画館が少なくなってきた。大げさではなく、大衆娯楽とは言えなくなった。なんとなく入る・・・駅前娯楽のパチンコに似ている気もするが、昔は、映画というのは、そういうものだった。芸術としても低くみられていて、私よりちょっと年令が上の世代は、映画好きというと、不良扱いされたらしい。

 本作の監督は「憧れきたノンストップ娯楽アクションを撮りたかった」という。だが、私の鑑賞の印象は最悪である。B級はB級で、好きなジャンルだが、どこがノンストップアクションになっているのか、かなり無理矢理な手段でスピード感をつけている。映像そのものにはノンストップアクションとは言いがたく、スピード感もない。ここへ、ハードロックミュージックをこれでもかと、流す。よくある手だが、画がしょぼいので、ハードロックがうるさくかかるのが気になる。同じ主役で「トランスポーター」と比較すると、天地の差がある。ストーリーも単純でわかりやすすぎるが、ただただ、アクションに憧れをもった監督が作った、という印象のみ。単純なストーリーなのに、観終えた後、すぐに忘れてしまっている。これは、私の弱った体力のせいではない。映画がはじまって、私は目がギラギラしていたからだ。

 つまんないよと思いつつ観ていて、1時間経ったあたりから面白くなってくるが、また、つまんなくなる。眠たくはならなかったが、私は何度も腕時計を見た。監督が自信を持つアクションも大したことはない。A級作品では、何気なく通り過ぎるシーンを大げさにみせる。それも、ハードロックにあわせながら・・・特別、あわせて編集しているわけでもない。つながった画に、ハードロックを挿入しただけのようだった。とても興味わく邦題にもかかわらず、内容はお粗末で、久しぶりにつまらない作品を鑑賞した。

 もう一本くらい観る体力も頭もあるが、今日は帰って寝る。明日から編集がはじまる。仕事の追い込み中である。今年中に、仕事の8割を済ませておきたい。  <35点>

★ランキング★  参加しています


怪談

2007年08月19日 23時00分00秒 | か 行 (2006.2007)

Photo_304  <アポロシネマ8>

 この頃の私のドタバタ劇をお読みになり、軽蔑されている方も多いと思う。映画のことだけを書いていて、いつしかプライベートと映画のブログになってしまい、ある記事などはプライベートそのままだけで映画を無視していたりする。自己愛のような記事もあり、読み返してみて、よくも恥じることなくこんなことを書いているなと思う。ハンドルネームならブツクサ呟いていてもまだマシだが、私は珍しく本名ではじめた。いろんな人を巻き込むことになったのは、本名のままプライベートブログを続け、それに傾いていったせいだろう。いつまでも私は私で、子供の頭のままだ。

 でも、やはり、少しでもプラス思考で生きていかねばならないので、私は今年中に今の仕事を辞し、故郷へ帰ることとした。そうなると、やることが多い。27年も居たので、変更しなければならないこと、仕上げておかねばならないことが山のようにある。あと4ヶ月とちょっと。仕事をしながら、これらを片付けて、故郷の地を再度、踏む。生まれたところだ。来年になってからも、今の仕事と半々の生活で、シナリオを書いたり、編集作業を手伝ったりする予定で、1ヶ月から2ヶ月に一度、一週間から10日くらいは、大阪に出ることになる。徐々に減ってくるだろうが、しばらは、半々の生活となる。

 さて、実につまらないことだが、私は、たくさんの映画館の会員となっていて、たまったポイントは中途半端ではない。ちょっと頭で計算してみても、無料で観ることができる映画が30本ある。これを消化してしまおう。貧乏臭い話だが、何を隠そう、私は貧乏である。今年の12月で会員期限の切れるアポロシネマ(どこの直営でもないシネコン)に久しぶりにやってきた。あと2本の無料ポイントが残っている。TOHOシネマズの一ヶ月フリーパスポートを頂戴したので、ここでは東宝以外の作品を選んで観るようにしよう。そこで目にとまったのが、「怪談」だった。中田秀夫監督を知ったのは、「リング」で有名になるもっと前、「女優霊」で、ミニシアターで観た。この映画、私はとてもゾッとした。演出がうまいな、霊の出し方がうまいな、恐がらせるテクニックがうまいな・・・これまでとはちょっと違うホラー映画で、私はこの監督の名を覚えた。「リング」以降の活躍は、もう大変なものだが、最近の監督作をそれほど面白くないなと思っていた。ヒットを飛ばしてきて、自信がついたからだろうか、スクリーンに風格は出てきたが、もっと粗かった頃の中田監督が、私は好きだった。「怪談」も観ようとは思っていたが、なかなか足が向かなかった。

 時代劇の恐怖映画は、私の生まれた頃の60年だから70年代、大映を中心に、たくさん作られた。なかなか観る機会がないが、知られざる安物の作品でも、とても面白い。「怪猫シリーズ」なんて、私は大好きである。日本独特のおどろおどろしい恐怖映画は、時代劇を舞台にすると、ますます恐さが増す。本作は、まさに、それである。

 脚本がうまいのだと思うし、それに惹きこまれる。中田監督は、どんと落ち着いた画を撮るようになった。どの画もきれいで、構図もしっかりしていて、観ていて、巨匠の風格さえ思う。脚本のうまさと、監督の技により、見事な時代劇恐怖映画が平成の世に誕生した。だが、難を言えば、少々長すぎる。落ち着いてじっくりみせていくのが狙いなのだろうが、全体を通してじっくりで、私は、後半に近づくに従ってピッチをあげていけば、もっと楽しい作品になったのではないかと思った。前半はあのままで楽しめるが、後半がゆるゆるしている。2時間じゃなく、恐怖映画は1時間半くらいが、観るものとしては満足である。恐い恐いと2時間も観ていられない。キレイで終わってほしくないが、黒木瞳のためか、美しく終わる。以前、中田監督と黒木瞳が組んだときも、なぜか黒木瞳をきれいにみせることにこだわっていた。「リング」のように、これからどうなるのだ!というどん底で終わった方が、恐怖映画は、もっと後味の悪さを楽しめる。

 この映画、タイトルが悪い。「怪談」と、あのポスターでは、なんのことだか・・・。そのまま「真景累ヶ淵」または「怪談・真景累ヶ淵」の方が、若い人たちも食指が動くのではないかと感じる。「この映画のタイトル、どう読むの?」と、疑問をもたせるだけでも違う。

 観終えて、外へ出ると、雨が降っていた。毎日、炎天下で、体にまとわりつくような暑さだったが、久しぶりに雨を観た。明日からしばらく仕事で、朝早く、夜遅くなる。しばし、映画は休憩となるのだろうか。新しい人生のスタートから4日目。映画ばかり観てきた。以前も、以降も、映画を観ていることに変わりはないが、浮き沈みはまだあるにせよ、気持は前向きだ。少しだけでも、人に優しい、人に温かい生きかたをしたい。人生の教訓をいっぱい拾い集めたのだから。  <70点>

★ランキング★  参加しています


西遊記

2007年08月18日 23時30分00秒 | さ 行 (2006.2007)

Photo_303  <TOHOシネマズなんば>

 TOHOシネマズの1ヶ月フリーパスをもらったからには、この間、なるべく多くの作品をロハで観たい。映画料金に興味ないなどと偉そうに言ってきたが、ロハとなると、観なきゃ!と、貧乏根性が出る。出まくる。実際、貧乏なのだから、それでいい。松竹や東映もかけていたTOHOシネマズ高槻がなくなってしまったので、観る本数は少ないだろうが、TOHOシネマズ泉北へ行けば、それらも観ることができる。ただ、レイトショーを観てしまうと、帰ることができないので、時間の調整が難しい。そんなわけで、今日もなんばへと向かった。ポケモンをのぞいて、観るものは3作品である。これをすべてと考えていたが、早朝にある方からメールをいただき、一字一句真面目に返事を書き上げるのに、昼の3時半を過ぎた。今日は映画をやめて、部屋の片付けでもしようかなと思ったが、来週の月曜日から撮影や編集でレイトショーも観ることができるか?というスケジュールになっている。とりあえず、地下鉄に乗る。2作品にしようと、地下鉄内であれこれと時間を練る。どうも時間がうまくつながらない。「呪怨」が初日で、今からならちょうどいいが、狭いスクリーンなので、きっといっぱいだろうと想像する。

 なんばへ着き、地上へ出て、液晶掲示板を見ると、「呪怨」は×印だった。「西遊記」は◎である。「レミーのおいしいレストラン」は字幕版を観たいので、時間がありすぎる。エレベーターで8階のチケット売り場へ行き、私はケツカッチンを承知で、最初に「西遊記」、次に「呪怨」のハシゴと決めた。ケツカッチンは業界用語かどうかわからないが、今の仕事が終わる時間と次の仕事がはじまる時間が同じなどの場合に使う。「西遊記」は17時50分~20時00分、「呪怨」は20時00分~21時55分である。「西遊記」が終わった時点で、「呪怨」がはじまる。瞬間移動できたら、とても良い時間だ。

 20時00分に終わるといっても、これは目安で、CMや予告篇の関係で、それを何分か超えるのが普通である。レイトショーの場合のみ、電車の都合を考えてくれていて、ぴったり終わる。シネコンというところは、そういうことになっている。20時00分を食っても、次の映画の本篇開始は20時10分と踏み、それを信じてチケットをもらう。買うのではなく、もらうのである。ロハで申し訳ないが、「西遊記と呪怨がちょうど同じ・・・」と丁寧に説明してもらう。わかっているが、懸命に説明してくれるので、黙ってそれを聞く。2枚のチケットを発行してもらい、ロビーで時間をつぶして待つ。2本の間がないので、気合を入れているつもりである。トイレには走ろうと思う。

 観たいのか観たくないのかわからない作品で、封切から一ヶ月経っている。今更なにを西遊記で、香取慎吾主演なのだろう。ファンに叱られそうで、偏見かもしれないが、私は香取慎吾は、なにをやっても香取慎吾にしか見えない。求められるのか、叫ぶ芝居が多い。それとともに、大芝居で、また、香取慎吾だなと思う。出演陣を見ても、夏休みの親子用に作ったのだろうと馬鹿にしていた。フジテレビが作ったので、フジテレビが隙あれば大宣伝している。そういうの嫌いだけれど、これもパスポートあればこそで、観る側に入れた。ランクどん底の映画だと半年くらい思い続けてきたので、その助けがあったからだろう、楽しめた。ありえないが、楽しみにしていたら、がっくりきたはずだ。そして、やはり、今回も、香取慎吾は香取慎吾として出ていた。「俺は孫悟空だ!」と叫んでいるが、いや、香取慎吾である。「俺は香取慎吾だ!」でも、気づかずに観ているかもしれない。スマップの中でも、映画やドラマに恵まれているが、他の4人の方が芝居は上手だと思う。

 それにしても、日本映画のCGって、このところメキメキと技術が上向いてきた。いつごろからか、もう特撮とは言われたくないのだろうか。CGだらけの西遊記だ。デジタルドルビーの音響も椅子がブルンブルンと響く。CGと音響で、確かに迫力がある。空中の追いかけっこなんて、ハリウッド並みではないか。この頃、私の作る企業のビデオもCGがたくさん入るようになってきた。CGは、ディレクターの範疇ではなく、CG制作者にある程度のことを伝えるだけで、仕上がりは、CGを作る人のセンスによる。センスに頼るだけで、仕上がったものを編集してつなげるだけだ。ビデオなど、80%がCGで作られるものも多く、私など、脚本を書いた時点で、もう用がないのではないかと思うこともある。

 本作の出来は、CGと音響にあり、キャストに魅力があるわけでもなく、脚本に魅力があるわけでもない。物語は単純極まり、台詞も魅力はなく、どういう脚本の仕上がりか、読みたくなる。エンドロールをながめていたら、画コンテの名が流れた。画コンテこそが、脚本になったのではないかと思う。これは、実写部分より、後の作業に随分と時間とお金がかかったことだろう。それにしても・・・これって、エンディングからして、続けようとしてる?

 エンドロールが終わり、場内が明るくなって時計を見ると、20時02分。「呪怨」のCMがはじまっている頃だ。トイレに小走りに入り、小走りに出て、目的のスクリーンへ向かう。「一度、チケットを切ってから入って下さい。」とは言われていたが、2階も下りなければならず、また上がるという意味のないこうどうをせねばならない。私はそのままスクリーンを移った。  <50点>

★ランキング★  参加しています


呪怨 パンデミック(字幕版)

2007年08月18日 23時00分00秒 | 90点以上(2006.2007)

Photo_302  <TOHOシネマズなんば>

 予告がはじまっているが、はじまったばかりの様子。場内は満席で、私は一番後ろの一番隅におさまる。座席前は広いので、足を上げてもらわなくてもいい。シネコンは好きではないが、贅沢な作りで、予告がはじまって入るというイヤな奴でも、あまり気にならない。そのイヤな奴が今の私である。5分の予告がはじまり、本篇となる。東宝の日本映画はシネマスコープだったが、ハリウッドのホラーはヴィスタサイズだ。いつもの調子と逆。この頃、東宝はお金持ちになってしまって、シネマスコープ作品が多い。

 ビデオ版「呪怨1」「呪怨2」、劇場版「呪怨1」「呪怨2」、ハリウッド版「呪怨」そして、本作のハリウッド版「呪怨2」・・・同じ監督で、どこまで作り続けるのだろうか。私は安物のホラー映画が大好きで、ビデオを借りて見た。その後、劇場版が低予算で制作され、ミニシアターでロードショー公開され、私は電車で1時間半かけて小さな劇場に観に出かけた。劇場版といっても、ビデオとの差は予算的にも内容的にもそれほど違いはなく、それでも、新しいスタイルの幽霊の出し方、日本的なおどろおどろしい雰囲気はそのままで、この映画を楽しんだ。1作目は、小さな劇場であるにもかかわらず、ガラガラだったが、劇場版の2作目となると、結構、人が入っていた。低予算は低予算で、すべて、ロケだと思われた。実際、そうだったらしい。

 これがサム・ライミの目にとまり、ハリウッドでリメイクというニュースを聞いたとき、そんな馬鹿なと私は思った。あの和の独特のおどろおどろしさは、アメリカ人にはわからないだろうし、舞台はアメリカだろうから、やめてくれよとだけ呟いて、それを忘れていた。だが、ニュースが耳に入るうち、私はそんなぁ、そんなぁと疑った。監督はそのままで、舞台を日本にするという。作り直す必要なんてないじゃないか。サム・ライミは好きだが、嫌いになってしまうのではないか。そんな気持で、ハリウッド版を観た。主役は、かわいこちゃん女優のサラ・ミッシェル・ゲラーで、スタイルは変えているが、話しはまったく同じものだ。ロケで使った家をそのままセットで仕上げ、お金をかけている。家の外観を変えず、そのまま作ってくれたのは、嬉しい。洋と和の合体で、ハリウッドにはみられないおどろおどろしさを残してあった。このおどろおどろしさが、アメリカ人にわかるのか・・・これが大ヒットをしたらしい。和のおどろおどろしさがわかるか?思えば、溝口健二の世界が受け入れられた時代があったのだから・・・。関係ないか・・・。いつまで「呪怨」をやればいいのだと、清水監督もこれで終わりだと言っていたが、パート2がやってきた。ハリウド版は、日本で作った4作品の総まとめとも言えるもので、これ以上の話しは無い。新しく考えたのだろうか。今回は、完全なオリジナルストーリーで展開する。

 よく、あの続編を考え、ここまで仕上げたと思う。物語もとても面白く、広がりをもたせて、そして、オリジナルから外れていない。あの低予算のビデオから、ここまできたか。しっかり、うまく進化している。このシリーズは、幽霊の出し方が、これまでのホラーものとは違って、うまい。スクリーンの隅にふっと何気なく写るときもあり、大胆にどーんと出るときもある。ふっと写っても、それがなかったかのように話が進む。見えた・・・というより、はっきり見える。いきなり驚かす古典的な手法も交えながらもある。新作では、これまでになく、ほっとする瞬間を一切排除している。90分、突っ走りの和のホラー映画だ。出るぞ、出るぞという長ったらしさはカットして、出るぞ!出た!で、次のシーンへいく。幽霊版のゾンビ映画のように、スピードがはやい。そして、日本のあの家で起こることと、アメリカで起こることを同時進行させている。同じ恐怖が起きているのだが、これを交差させることによって、ちょっとでも気を抜かせる隙間を捨てていた。

 なぜ、このような呪いが生まれて、繁殖していくのかを解説するが、それも無理矢理ではない。私などは、なぜそうであるかは、どうでもいいのだが、パート2ともなれば、そこを説明しないと、納得しない観客も多いことに配慮したのだろう。なぜ、こうなったかは、もっと丁寧にみせてくれてもいいけれど、わかった?じゃ、次のこわいところ、行くよ!そんな勢いで進む。清水監督は、もう6本の「呪怨」を制作しているが、私としては、最高の出来だと思う。もしかしたら、手馴れてきたのではないだろうかとも感じる。高得点をつけると、期待して行かれる方もいるかもしれないが、できたら、前作の5本をすべて観てから、ご覧になるといい。私はその上で、ハリウッド版パート2を最高だと思えた。これまでに観たことのない、極上のお化け屋敷に入ることが出来る。

 全米3,000館以上で公開したという本作。物語は増殖し、途中で終わる。明るくなって、みんな口々に「次はどうなるのかな。」などと言っている。次があるの?まだ?・・・儲かったら、パート3までは作るのがあたりまえのハリウッド。清水監督をはなさないだろう。同じものに縛られすぎて、数あるアイデアを出さずに消えてほしくない。映画監督の活きのいいとき、才能には期限がある。もっともっと、たくさんの作品を撮ってほしい監督だ。観終えた後、ふうーと、緊張感をとかねばならないいい時間を味わえる。          <90点>

★ランキング★  参加しています


ストレンジャー・コール

2007年08月17日 21時30分00秒 | さ 行 (2006.2007)

Photo_299  <天六ユウラク座>

 世間はまだまだお盆らしく、通勤電車も空いていて、繁華街はごったがえしている。大阪で一番混む地下鉄御堂筋線も楽に座ることができる。電車が空いてる混んでるで一喜一憂する私ではないが、映画を観て帰ろうと思うと、ちょっと問題だ。平日なのに、昼間も夜も映画館が混んでいる。座席が混むのはいいが、チケット売り場に行列ができているのがイヤだ。今夜は「レミーのおいしいレストラン」を観て帰るつもりだったが、なんばの人ごみを見ているうち、賑わう映画館へ入る気が失せてきた。それにしても暑い。38度という。暑い寒いで一喜一憂する私でもないけれど、人ごみを歩いていると、酸っぱいくらい汗臭い。私も臭いのだろうが、自分のにおいは気にならない。もう帰ろうかしら?と思っていたが・・・。

 シネコン、ミニシアター・・・どこで何をやっているのか、頭にめぐらせる。好きなので、半分くらい、頭に入っている(二十代の頃はすべて入っていたが)。仕事を終え、地下鉄に向かいながら、ふと長く忘れていた映画館を思い出した。天神橋筋六丁目の「天六ユウラク座」「ホクテンザ1」「ホクテンザ2」である。古い映画館だが、ひとつのビルに5つの映画館(あとの2つはポルノ専門)が入っていて、いま、考えてみると、現在のシネコンのはじまりのような気がする。この映画館から足が遠のいていた。どれくらい行ってないだろうか。とても長い期間・・・実は、日本の大きな配給会社が敬遠するB級映画を、毎日オールナイトで上映してくれるただひとつの映画館だった。

3_17  5、6年前までは、どの映画館も2本立てで、私は仕事を終えて、ここに着き、朝まで映画を楽しんだ。2つの映画館をハシゴするだけで、新作のB級作品を4本も観ることができた。そのうち、すべて1本立てになったが、新作のB級作品を観るところは、ここしかない。「ホクテンザ1」は、日本映画を専門としていて、どこからこんな作品をもってきたのかと思うような映画をたくさん観てきた。そういえば・・・東京国際映画祭で上映された「KAMIKAZEタクシー」も英語字幕つきで観たなと思い出した。

 だが、このところ、新作ではなく、大劇場で公開され、終わった映画をかけるようになった。これでは、昔の二番館である。チェックしていたが、3つの映画館すべてが古いフィルPhoto_300 ムをかけているだけで、魅力はなくなった。先月、先々月、観た映画をかけていた。そのうち、チェックすらしなくなった。シネコンの乱立で経営も苦2_29 しいだろうが、映画館としての魅力がなくなった。携帯電話であれこれ映画館を調べているうち、諦め半分に「天六ユウラク座」と「ホクテンザ」をクリックしてみた。そこには、聞いたこともないような映画のタイトルがあった。『ストレンジャー・コール』と『アドレナリン』である。ちょっと解説を読む・・・前者は、女子高生を主人公とし、人里離れた豪邸を舞台にしたサイコサスペンス。後者は、毒の作用を遅らせる為にアドレナリンを放出し続けなければならないアクション劇。私は、迷わず、地下鉄堺筋線に乗り、天神橋筋六丁目へ向かった。

 あった。何年ぶりではなく、何ヶ月ぶりだろうが、懐かしい。制作費はいくらなのだろうPhoto_301 か、100万、200万というところか・・・まだまだポルノ映画は頑張っている。出演料など、微々たるものだろう。アダルトビデオに出ているのは、AV女優と呼ばれているが、女優ではない。あれは、AV嬢だ。映画に出続ける女優は、AVとは違う。ギャラも雲泥の差だろうし、拘束時間も大きく違うだろうし、監督の芝居の要求もあるだろうが、女優として、映画にこだわる。藍染恭子という懐かしい女優の名前もあった。まだ、現役なのだ。

 カミーラ・ベルという女優、端整な顔つきで、とても美しい。21才らしいが、初々しい女子高生をしっかりした演技力をもって取り組んでいる。設定も、出演者も、舞台も、B級サスペンスらしい。B級の典型的とも言える物語だが、本作は「夕暮れにベルが鳴る」のリメイクだという。観たはずだが、よく覚えていない。何がどうということはない。ドキドキさせる場面もあまり用意されていない。にもかかわらず、カメラポジション、ワークが凝っている。また、たくさんの短いカットをつなげている。カット割で、カメラは右に左に前に後ろに移動するが、だから何が起こるということもない。「想像を絶するエンディング!」は、70年代から80年代のホラー映画で何度も繰り返されてきた。

 私は、本作を観終えた後、父のある話を思い出した。戦後、お祭りがあると、化け物屋敷、お化け屋敷が、いたるところに立てられたという。入り口のおにいさんが「怖いよ!怖いよ!入っていきな!」と、大声で客を呼んでいる。おにいさんに入場料を支払い、友達と一緒に中に入る。内部はほとんど灯りがなく、うっそうとした竹林の設定で、ぬかるんで歩きにくい。今にも竹林の中から何か出てきそうだ。太鼓橋が現れ、それを渡る。橋のいたるところに血痕がある。渡り終わると、井戸がある。井戸のまわりも血がいっぱいついている。さらに先に進み、竹林をゆっくりゆっくり歩いていくと・・・出口となり、明るくなった。結局、真っ暗闇の竹林の中を歩き、太鼓橋を渡り、井戸を見ただけである。私の父は、入り口のおにいさんに「何もでなかっじゃないか。」と問うた。おにいさんは笑いながら「怖かったろう。」と返した。何も出なかったが、怖かったのは間違いない・・・私の父と友達は、黙ったまま、その場を後にした。おにいさんは、前を通る人に「怖いよ!怖いよ!」と、呼び込みをはじめた。おにいさんの呼び込みの声は正しい。

 それを連想させる映画だった。怖いよ、怖いよ・・・でも、何も起こらない。これが全体の4/5を占めている。ラストまで、何も出ないではエンディングロールを出せないので、今まで何も出なかったのに、急にバタバタと出てくる。あまりにも引っ張りすぎて、観る側は期待しすぎているから、どうでもいい、こじつけのような気がした。が、これがB級ホラー、B級サスペンスのいいところで、大作と比べたらとってもつまらない映画に違いはないが、私などは、大好きである。  <50点>

★ランキング★  参加しています


オーシャンズ13

2007年08月16日 23時00分00秒 | あ 行 (2007)

13  <TOHOシネマズなんば>

 映画のことだと思って読まれる方には申し訳ないが、今日も本作品とは関係のない文章からはじまる。映画の感想は、ブルーの色としているので、よければ、そこから読んでほしい。前文は、本作品、映画とは、まったく関係がない。

 終戦記念日の翌日、今日から、遅いのかもしれないが、もう一度、人生をやり直したいと思っている。変わらなければ、私はただ、多くの人に嫌悪を抱かせ、迷惑をかけに生まれてきただけである。自分が最悪な人間だと思ったのも、許されるなら、自分自身がある程度、わかったということで、ひとつの成長として、前向きに考えたい。ブログをはじめるのではなかったという気持もあるが、反対に、やっておいてよかったという気持もある。ブログによって、たぶん会わなかった人にも会い、ある時は精神的に助けていただいた。ただし、書かなくてよいことを多く書き過ぎてきた。それは頂点に達し、先日、あってはならないことを書いてしまった。たくさんの人を傷つけた。道で偶然に顔をあわせることもできなくなった人を作った。大げさではなく、これは一生、抱えていく。今日はスタートの日で、ちょっと道はそれるが、やはり、関係ない自分のことを書く。

 今日から仕事で、私は、来週に撮影が決まっているシナリオの改訂を行う。第三稿であった。原稿を書き終えたあたりから、私に久しぶりの大きな発作が襲ってきた。私は10年もパニック障害という神経精神を患っている。まだ、日本に、パニック障害という言葉がなかった頃に、何の前触れもなく、いきなり発作に襲われ、私は救急車で病院へ運ばれた。全身を徹底的に調べたが、異常はなく、神経精神科へ行くことになった。はじめての診断で、私は「不安神経症」という名をつけられた。後に、パニック障害という名前が入って、私は病名を変えられた。普段の生活には何の異常もないが、突然、呼吸が困難(過呼吸)になり、頭全体が痺れ、目眩がし、心臓はバクバクし、冷や汗が出てくる。10秒くらいで止まることもあるが、1時間以上続くこともある。どのような常態か、たとえるならば・・・「道を飛び出した途端、猛スピードでトラックが走ってきて、身動きできなくなった自分の目の前で急ブレーキをかけて、止まる」・・・これによく似ていると思う。それが、波となって、何度も私の体を襲う。たとえが浮かぶのに、症状から7年もかかったが、私は、パニック障害のことを聞かれると、それを話す。

 自分の好きな「旅をしていること」「映画を観ていること」という行動には出なかったが、はじまってから3年くらい経ったある日、スクリーンを観ながら、出た。スクリーンを観ている場合ではなく、私はロビーにへたり込んだ。それ以来、ところ構わず、発作が出た。毎日のように発作は続いていたが、この何年かは、一ヶ月に1回か2回で落ち着いている。自業自得だが、私の行動、言葉が要因で、今日、仕事上がりに出たのである。助けを求められる身分ではないが、まだ、誰かに助けを求めているのだろうか。今日は、人生のやり直しの日だと思っていたのに、久しぶりの大きな発作である。いつも右ポケットに安定剤の頓服を入れているので、私は唾をためて、それを飲んだ。

 座っていても、寝転んでいても、立っていても、症状は変わらない。だが、どういうわけか、歩き回ると少しは楽になる。歩き回っても、空中を歩いている感じだが、それでも、立っているよりは楽な気がする。電車に乗ったが、乗っていられなく、今にも倒れそうな痺れが全身を覆い、帰りの日本橋駅で途中下車し、なんばの街をひたひた歩く。どれくらいの気温なのか、恐ろしいほどの暑さだが、発作の方が勝っている。汗だくで歩くうち、高島屋の前に着いた。商店街をぐるぐる回る。意味のない行動だが、こうするうちに、症状は軽くなってくる。これは、ン百回も経験した。1時間ほど経ち、徐々に平常心を取り戻した。暑いと思えたからである。人によっては我慢できることでも、私の弱い精神力では我慢できず、じっとしていると、発作が起こる。

 なんばで発作が起きて、ぐるぐる回るのは、一度や二度ではない。何十と同じ行動を繰り返してきた。そのうち、発作時の行動には、パターンが生まれた。道頓堀から千日前へ抜けて高島屋前に至り、戎橋通りを抜けて、また道頓堀に戻ってくる。このぐるぐる回りのパターンを続けているうち、はたと私は思いあたった。映画館の前を通っているのである。偶然かもしれないが、ほぼ、なんばにある映画館の前を通っている。それに気づいたのは、歩き回るという行為の中に、ちょっと楽になりかけたら、映画館の前に立ち止まることが何度も何度もあったからだった。映画館に何を頼っているのかわからないが、発作が鎮まりかけると、映画館の前で、ポスターや看板を見て、コピーを読んでいたりする。そんなことは忘れていたが、今日も、発作の鎮まりかけたとき、私はTOHOシネマズなんばの時間表液晶の一階に居た。今の映画は・・・オーシャンズ13だ。発作が一段落したので、時間を見る余裕がある。ここのところ、自分が自分でわからなくなっていたところ、具体的に仕事をしたので、ふっと気持が和らぎ、発作が出たのだろう。このパニック障害の発作は、緊張しているとき、仕事をしているとき、忙しく走り回っているとき、問題が起こっているときには、なぜか一度も出たことがない。それらの後、一呼吸おいて、表れる。オーシャンズ13がはじまろうとしている。症状がぶり返すのをちょっと恐れながら、8階へ上がり、テケツに一ヶ月フリーパスを出した。

 今日はまだ休日の会社が多いのか、歩いている街の様子も平日より人で賑わっていたが、映画館も人が多いようだ。普通の木曜日の夜ではない。ここまで、関係ないことを書いた。ここから、感想に入る。

 やってくる作品、どれも話題作で、大ヒットをしているし、数々の賞も獲得しているが、私はスティーブン・ソダーバーグ監督の映画をそんなに好きではなかった。観る時の気分、精神状態もあるだろうが、満足した作品は、一本しかない。満足したのは、監督をはじめて知った「セックスと嘘とビデオテープ」である。公開から20年になると思うが、この超低予算のインディーズ映画を、私はビデオで何度も観た。覚えやすい独特の名前だし、その後も監督名に注目して観たが、大作になるにつれて、面白さは薄れていった。賞を総なめにした「エリン・ブロコビッチ」も「トラフイック」も、私としては楽しめなかった。それ以前に、難しいなあと思った。構成も、物語も、台詞も、私には難しく、まったく違った世界であるにもかかわらず、興味を抱かなかった。頭の悪いことだが、それに加えて、撮り方も好きではなかった。「オーシャンズ11」「オーシャンズ12」も、私の好きな映画ではない。好きな映画だったら覚えているが、物語もどこかへ飛んでいる。「セックスと嘘とビデオテープ」をはっきり覚えているのは、観たときが若かったからだろうか。いやしかし、その時でも、忘れてしまった作品は山ほどある。

 本作は、20年ぶりに「構成も物語も撮り方も面白いなあ。」と思わせるものだった。スティーブン・ソダーバーグの映画は、明るい素材であっても、どこか陰りがあると私は感じていた。ところが、それをまったく感じさせず、とんとん拍子に物語は進んでいく。じっと構えて撮っていると思っていたのに、ある瞬間からクレーンで動き出すのが、ぎょっとして楽しい。マルチ画面も凝っていて、どこを見ていいかわからないが、これまでの作品など寄せ付けぬほど、緊迫感を出す。あの画面は、シネマスコープなので、ハイビジョンでも迫力をもつて再現できない。映画館ならではの効果である。そして、いつも難しいなあと思っていたのに、難しさはなかった。出演者は多いが、わかりやすく配している。

 歳を重ねるごとに味の出るアル・パチーノがまたいい。裏切りによる報復だが、貫禄を出したり、粋がったり、怯んだりと、演技力は自由自在である。期待や絶望の顔も、アメリカの俳優としては珍しく、大芝居ではない。私などが理屈で口をはさめないほど、いい俳優だ。これほどの主役級の俳優を多く配し、ギャラだけで目を張るような金額だと思われる第三作を撮ったが、次回作を期待させるようなエンディングである。つまんないと思っていたスティーブン・ソダーバーグ監督に期待する。私はとても単純で、この監督を好きになった。私の理解力が足りなかったのか、こんなに面白いならば、第一作、第二作も、もう一度、観てみたくなった。

 14日からこの3日間、私は誰とも話しをしていない。また、水分は摂っているが、まったく食事もしていない。3日間も何も食べないと、普通はおかしくなるが、私は長い不規則な食生活で、そうでもない。ただ、ちょっと疲れがある。起きても、すぐに眠たくなる。今夜はまともに食事をしよう。人生をやり直す日だ。昨日までの私ではいけない。少しずつ、まともな人間になろう。  <80点>

★ランキング★  参加しています