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活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

エンドゲーム 大統領最期の日

2007年12月24日 23時30分00秒 | あ 行 (2007)

Photo_3Photo_5  <天六ユウラク座>

 メリークリスマス!クリスマスイヴだ。私は前日のことだとばかり思っていたが、イヴは、前夜祭という意味のイヴではなく、イヴニングの略らしい。昔の暦では、日没を日の境としているため、12月24日の夕刻から祝うのが正しいことになり、これからすると、最近、目につく、イヴイヴなどはあり得ない言葉のようだ。クリスマスは、イスラム教徒も祝う。日本人も仏教徒でも祝う。仏教は洗礼などはなく、仏教の家に生まれたら、その日から仏教徒だけれど、クリスマスイヴは、お坊さんも神主も、みんなケーキを買ってその日を祝う。宗教など関係なく、ひとつのお祭りとしていて、このあたり、日本はいい国だと思う。

 こんな日の夜に、天六の映画館にやってくる人はいないだろうと思ってやってきたのだが、10人ばかり。けっこう入っているほうだ。アベックもいて、意外である。長く付き合っていると、特別な日でもないのだろうか。私は彼女がいるクリスマスイヴは、いつも特別な日だった。いろんなサプライズなイベントを用意して、喜ばせることばかり考えていた。私は人からサービス精神が大きすぎると言われる。そんなことばかり考えていたからだろう。去年に続き、今年も一人だ。

 これだけの有名俳優陣が名を列ねているのに、B級扱いで輸入し、上映されている。大統領が暗殺されて・・・CIA、FBIなどの内部の陰謀かとも思われ、大統領を護るはずのシークレットサービスも関与?・・・そこに報道が加わって複雑になるけれど、全体的にとてもわかりやすいし、二転三転して面白いサスペンスだ。それでもB級で、全国一斉といかないのは、あまりにも坦々とした、淡々とした展開だからだろう。ちょっとしたカーチェイスがあると、そんなに時間が経ってもいないのに、エンディングか?と思う。しばらく経って、大爆発シーンがあると、あっ、エンディングか?と思う。それほど、地味な仕上がりだ。

 すでに悪役顔のジェームズ・ウッズが出ているので、出てきたところから、すでに怪しいと思ってしまう。その通り、関与しているのだけれど、映画ファンなら、すでにわかる。映画ファンを裏切ってほしかったなと残念。でも、ジェームズ・ウッズがすべて悪の根源ではないので、まだ先は楽しめる。

 アクションを全面に押し出した予告、チラシだけれど、これは謎解きサスペンスだ。大統領がどのように殺されるかはどうでもよく、殺されたことによってどう変わるかではなく、そこに至る経緯を楽しむ作品である。誰がどう関与しているかが絡み合って、それを解いていく。大統領が暗殺された経緯を楽しむなんて不謹慎だけれど、これは完全なる娯楽映画であるから、それはどうでもいい。  <70点>

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アイ・アム・レジェンド

2007年12月16日 23時00分00秒 | あ 行 (2007)

1_2  <TOHOシネマズ梅田>

 エンディングについて触れるので、観ようと思っている方は、絶対に読まないで下さい。良いとか悪いとかではなく、とりあえず、私を憎むかもしれません。

 映画館は映画館と言うが、試写室を試写館とは言わない。試写室は、あるビルの中に設けられた一室にあるため、試写室であり、それは当たり前だが、この頃の映画館は、はたして映画館なのか。シネコンなどは、あるビルの一室に設けられているので、これは映画室だろうと思う。シネコンのようにビルの中に集まったそれらは以前から存在していたが、どーんっと一館で構えた映画館の方が断然多く、集まっているなんてのは、アメリカやフランスを思わせ、日本にはそれほどなかった。だが、シネコンだらけになり、一館でどでーんっと構えている映画館がとても少なくなった。シネコンは、映画館ではなく、映画劇場の集まりで、映画室だ。そのうち、映画館という言葉は廃れ、シネコンという名になるのではないかしらん?と思う。

 TOHOシネマズ梅田は、10月に名前を変えたが、その前は、梅田シネプレックスだった。その前は、3つの映画館が8階に集まっていて、それぞれ「北野劇場」「梅田スカラ座」「梅田東宝」だった。3つの映画館は、すべて70m/mをかけることができる大劇場である。それに追加されて、4、5と7階にできて、数年後、6、7とできて、今は10のスクリーンをもつシネコンへとなった。無理矢理にシネコンにしたような観がある。最初の3つのスクリーンは、椅子は変わったけれど、場所もそのままで、現在も70m/mをかけられる大きな劇場だ。プレミアムシートはあるけれど、TOHOシネマズになってからは、特別料金は取らなくなった。同じ料金で、一番いい場所で、大きな椅子で観ることができる。それにしても・・・プレミアムなんて言葉・・・大袈裟な。

 「マリと子犬の物語」も、そのプレミアムで鑑賞させてもらったけれど、本作もプレミアムに座る。料金は同じである。しかも、私は貯まったポイントで鑑賞するので、ロハで座っている。お正月映画の中で、最も話題作かもしれない本作。夕方からの回は、700の椅子はほとんど埋まっていた。

2 誰もいない。はじまって長々と、その理由はわからない。それを知りたいという欲求が、どんどん膨らんでいく。あまり長いので、早くしろよ!と、苛立ってくるけれど、その説明は、物語として、画として、同時進行していく。方法としてはよくある形だけれど、ストーリーも解説も読んでいない私には、まったく、予想できない意外な展開だった。「それからどした?」「さぁ、それからどした?」・・・現在と過去の展開は、必ずいきつくところがあり、2つの物語を楽しむという仕掛けになっている。現在へ至るエンディングと、現在から未来へのエンディングだ。

 『ニューヨークで蝶が舞うと、北京で突風が吹く、または嵐が起こる』・・・カオス理論だが、何度もこれが画として出てくる。カオス理論なんだなと思うが、しつこいくらい出てくる。何度も出てくる割には、それが解決などのキーにはなっていないのではないかしらん。

 それにしても、よくまあ、見事なCGだと唖然とする。CGばかりに頼るのは卑怯だと思いつつも、こういう誰もいないニューヨークの景色を実写のようにみせるのは、10年、いや5年前までは思ってもみなかったことだ。私は、ある程度の決められた狭いフレームの中で、それをみせてくれるものだとばかり思っていたけれど、とても広い。それに、計算されたクレーンアップダウンだけではなく、ブレブレの手持ちカメラもある。計算されたカメラ移動では、コンピュータにそれらの数字を打ち込んで、自動でカメラが動くように設定し、スタジオとロケーションとCGを合体融合させ、人物を配することができていたけれど、手振れでも計算できるものだろうか。ハンディカメラのようにみせかけた、計算された構図なのだろうか。後の仕事が大変で、面倒なシネマスコープサイズであるのに・・・。

 2つのエンディングがあると書いたが、観ている最中、そう思っただけで、現在に至るエンディングは消化不良だった。ここまでみせたのだから、「お客さん、もうわかるだろう」と、終末をそれほど大事にしていなかった。完全にはつながってはいず、だいたいこの辺りで・・・と、現在進行中の方を盛り上げていく。つなげたら、もっと面白いのにぃ、と思う。それに、現在進行中の一人ぼっちのニューヨークの終わり方も、スカッとするものではなかった。えっ?そんなところで終わらせるのかいっ!と、しり切れトンボのような気がした。ウィル・スミス、ここまで頑張って生きてきたのに、別に生きている人が現れたら、それで自分は終わりかいっ。感染していない村を信じていないくせに。レジェンドなんて呼ばれず、最後まで見届けなきゃいかんだろ。じゃないと、観客が2時間かけて、これまであんたをみてきた甲斐がない。命がけで助けようとした、愛する犬の死をも無駄にしておるぞ。「マリと子犬の物語」を観たばかりなのだろうか、犬の動向が気になる。本作は、犬が行動することで、主人公に危機が迫るという風な作りになっていた。

 「ミッドナイト・イーグル」で、なんとも日本的な終わり方だと憮然としたけれど、本作は、ハリウッドらしくない。美しく、幻想的な映像ではないものの、主人公が自滅するなんて。実際に、隔離されたような村はあったけれど、そこまで、どうやって親子はたどり着いたのか。よく、あの修羅場をかいくぐってきたものだが、それは映画としては無視している。カットされたのかもしれないけれど、ウィル・スミスは、その村を信じなかったとしても、見届けなくてもいいの?と、後味が悪い。エンディングのナレーションで済ませるやり方も気に入らない。あの親子が、無事にたどり着けなかったら、レジェンドではなかったわけで、手柄は、ウィル・スミスよりも、あの親子の方にあるような気がする。ラジオを頼りに、ニューヨークまでやっきて、さらに隔離された村まで行ったのだから。ウィル・スミスは、ニューヨークの中で、じっとしていただけだ。郵便、宅配便(親子)がきて、自分の血液をもっていってくれるのを待っていただけで、それほどの活躍はしていない。私は、ウィル・スミスよりも、あの親子をカメラで追いかけた方がずっと面白いような気がした。

 と、文句ばかり書いているけれど、2時間、スクリーンは、観客の目を釘付けにしてくれて、離さない。物語の発想と映像だけで2時間、楽しめるのだ。過去から現在へ至る過程。現在の一人ぼっちの状況。それ加え、なにごとが起こっているのかわからない前半、なにごとが起こったかわかる後半と、はじまりとおわりがいくつも用意されているので、全体の構成そのものに好奇心を抱かせるからだろう。飽きる前に次がはじまる手法は、面白いけれど、だからこそ、全体の終わりが壮大になってくれればと思う。ウィル・スミスが死んだところで、私は萎えてしまった。主人公が死んだら、あとは短いエンディングが待っているだけだとわかるからだ。そのエンディングが、不発したように思う。その前に、主人公、最後まで生きておいてくんなきゃ。生きたまま、レジェンドになってほしかった。と、私は思う。  <75点>

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PEACE BED アメリカVSジョン・レノン

2007年12月14日 23時30分00秒 | あ 行 (2007)

Peace_bed_vs   <TOHOシネマズ梅田>

 点数のみを付け、本作「PEACE BED アメリカVSジョン・レノン」の評論、感想は一切していません。

 今からちょうど30年前。私が中学3年生だった時、親しいクラスメイトから1本のカセットテープを渡された。それは120分テープで、何やら私の知らない世界の音楽が入っているという。A面、B面、全部埋めていると友達は言った。テープには何も書かれていず、私は「誰の曲?」と聞くと、「ロック」と、一言、返事がきた。邦楽は、フォークソングが全盛期で、私は洋楽に興味ないと言ったけれど、あげると言うので、学生鞄に入れて持ち帰った。

 中学3年生だから、受験勉強をせねばならない。いつもはラジオを聞きながらだったけれど、その日は、もらったテープを聴くことにした。誰の曲と聞いたのに、ロックと答えた友人だったので、私は何が流れてくるのかわからず、とりあえず、A面をかけた。タイトルはわからなかった。流れたのは、後にタイトルを知ることになる「ヘイ・ジュード」だった。この曲は、歌がはじまりだ。私のビートルズとの出合いは、ポール・マッカトニーの歌声である。ビートルズという名前も知らず、私はそれを聞いた。120分テープには、彼が選んだ曲が入っていた。私のために、レコードからカセットテープに編集してくれていたのだった。次々に曲は流れた。「プリーズプリーズミー」「ハードデイズナイト」「サージェントペパーズロンリーハツークラブバンド」「イエローサブマリン」「イエスタディ」「ロングアンドワイディングロード」・・・テープのそれは時代の順を追っていないが、何度も聴いているうちに、その曲にどんどんトキメキのようなものを感じだした。そして、一週間もしないうちに、私は、カセットデッキの小さなスピーカーから流れてくるメロディ、歌声の虜となった。

 「もっと聴きたい」という私に、彼はとても喜び、次々とテープをくれた。そのすべてが、どれもこれも、なにもかも私の心をとらえた。自宅に聴きに来いというので、訪ねると、彼の部屋には、大きなステレオセットがあり、一枚一枚、丁寧に拭いては、レコードを聴かせてくれた。私の小さなモノラルカセットとは違い、ステレオのその音は涎が出るほどの良質で、それから毎日のように、彼の自宅へ聴きに行った。当時のステレオコンポは巨大で、スピーカーも巨大で、10万円以上が当たり前。私は親にせがんだけれど、10万円という大金は、今なら50万円はするだろう。受験に合格したら買ってあげると言われて、その時を待った。ところが私は高校受験に落ちてしまった。必ず合格すると担任から言われていたので、すべり止めの私学も受けていなかった。中学卒業から高校入学まで余裕ある時間はなく、3月の私学の第二次募集の受験を受けた。容易な普通科コースではなく、大学を目指す進学科コースを選んでしまったので、この最後の糸がつながるかどうかはわからなかった。進学科コースは、デキのいい高校を落ちた学生達が受けにきている。県外からも受験にきている者もいた。いよいよ切羽つまって、もしダメだったら、私は中学浪人をすると母に言った。母は、寂しそうな顔をしたが、キリッと私の目を見て、「中学浪人するなら、今年に受けた高校よりもレベルの高いところを目指しなさい。」と言った。本当に私は親不孝の塊であり、今でもそれは続いている。

 受験後の合否はわからなかったが、しょんぼりしている私を見て、母は、ステレオを買ってあげると、街へと誘った。パイオニアの大きなステレオコンポ。10万円以上する買い物を、母はしてくれた。ステレオだけではどうしようもないので、ビートルズのアルバムも一緒に買ってくれた。イギリス版の「ヘルプ!」と「アビーロード」だった。当時のLPアルバムは、2,500円だった。30年前と今、アルバムの値段はほとんど変わっていない。父の学生時代、今から50年前もLPアルバムは、2,500円だったらしい。ステレオやアルバムは、お金持ちのシロモノだった。私の家は、とても裕福とは言えないし、お金に苦労したこともあるのだけれど、高校受験に失敗し、中学浪人するかもしれない私に、黙って、高いプレゼントをくれた。あの時の母の気持ち、父の気持ちはどうだったのだろうと時々、振り返る。

 3月25日を過ぎていたと思う。私のもとへ、合格通知が届いた。両親、今は亡き祖父母もほっとして、笑顔になった。一学年500人以上のマンモス中学の中で、最後の合格者が私だった。春休みの新学期になってから、4月になって、私は中学の担当教師に合格の知らせとお礼を言いに行った。私学なので、授業料は高い。それでも、私の両親は何も言わなかった。思えば、大学も芸術大学という私学で、高い授業料だが、何も言わなかった。陰で苦労させているけれど、私の目の前では、一言もお金の話しはなく、合格した、大学に通っていることだけを喜んでくれた。いま、私は、その時の親の歳になっている。私は何をやっているのだと思う。この映画を観て、帰郷は正解なのだと思った。

 高校に入ってから、私は小遣いをもらうと、お年玉をもらうと、ビートルズのアルバムを買った。イギリス版をすべて揃えたい一心だった。一枚だけ、アメリカ版にしかない「マジカルミステリーツアー」も買った。当時、ビートルズに関する書籍はほとんどなく、たった一冊のビートルズにまつわる本を買い、何度も読み直した。来日した時の様子や熱狂的ファンの様子が文章にされていて、私は空想にふけった。ビートルズが結成されたのは1962年で、私の生まれる前年である。そして、解散したのは1970年で、私は7歳だった。だから、当時のことはまったく知らない。ベトナム反戦など、その後のジョン・レノンとオノ・ヨーコの行動も、高校生の時に知った。私がビートルズに熱狂的になったのは、解散してからすでに10年経っていたが、それでも、編集しなおした新しいアルバムが新発売されていた。第二次ビートルズブームである。

 小倉の映画館で、ビートルズ特集をやると聞き、友達二人と観に行った。「ビートルズがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!」「ヘルプ!」「レット・イット・ビー」の3本立てだった。日曜日の朝からの劇場は超満員で、私は一番前の席で、スクリーンを見上げながら、3本を鑑賞した。しばらくして、アメリカでテレビ放映された「マジカル・ミステリー・ツアー」も上映され、これも観に行った。とにかく、音楽はビートルズだった。さだまさし、イルカ、チューリップなどの邦楽も好きで聴いていたし、友達の勧めもあり、ローリング・ストーンズやキッスも聴いていたけれど、何度も何度も、レコードが擦り切れるくらい聴いていたのは、やっぱりビートルズだった。学校から帰るとかけて、寝る前も小さな音にして、タイマーをかけて眠った。

 ビートルズが解散した後の、ジョン・レノンのアルバム、ポール・マッカートニーのアルバムもいくつか買った。どういうわけか、リンゴ・スターのアルバムも買った。それらは今、すべて実家に保存してある。もちろん、巨大なステレオもそのままである。私が大阪に長く住みついて、30年経ち、それらはお宝になってしまった観がある。CDではなく、レコードがある。モノに執着せず、なんでもかんでも捨ててしまう私だが、帰ったら、丁寧に拭いてあげようと思う。そして、レコードの針をおとしてみよう。私は楽しむ一方だったが、それを買ってくれたのは、父であり、母であり、亡き祖母だった。デキの悪い息子に、あの時代、高価だったが、買ってくれた。これが宝物でなくて、なんであろうか。古いお宝という意味ではない。これこそ、魂のこもった宝物と呼べるものだ。ホワイトアルバムは、2枚組みでちょっと高かった。一枚一枚、シリアルナンバーが打ってある。

 高校3年生だったと思う。冬の寒い日だった。「ジョン・レノン射殺される」というニュースが流れた。私は胸が高鳴った。朝見たニュースを頭に、ドキドキして、登校した。その日は、団塊の世代の教師も含め、ジョン・レノンのニュース一色で過ごした。享年40だった。私は今、44歳。ジョン・レノンより4年も長く生きている。あの日、あの時、とても歳のはなれた大人であり、神のような存在だと思っていたが、ジョン・レノンの歳を過ぎた。だが、今でもジョン・レノンはとても歳の離れた大人であり、神のような存在だと思っている。きっと、70になっても、80になっても、ジョン・レノンは、私の中で、そうあり続けるのだろう。

 しばらく、ジョン・レノンの曲を聴いていなかった。久しぶりに、ドキュメンタリーの中で聴くその曲。私は背筋がゾクゾクした。ゾクゾクするのをおぼえたわけではなく、実際に何度もゾクゾクと体が前後左右に揺れ、震えた。映画監督になりたい、映画の脚本家になりたいと思いながら、音楽はビートルズだった18のあの日に、あの頃の気持に瞬時にかえされた、戻されたことが、とてもこの世のものではない、恐ろしいもののように私には感じた。時は間違いなく流れていた。  <75点>

 

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エクスクロス 魔境伝説

2007年12月06日 23時30分00秒 | あ 行 (2007)

Photo_2  <なんばパークスシネマ>

 もう、あきらめた。とても映画館で観ることができないようなので、先週の木曜日の夜、レンタル店で「蛇イチゴ」を借りた。昭和ブームの恩恵か、昔の映画がDVDとなってずらずら並んでいる。その1本だけを借りるつもりだった。私は滅多にビデオで映画を見ないのだが、ずらりと並んだDVDを手にとってながめているうちに、全部、借りてみたいような気がしてくる。ついでにと思っては失礼だけれど、思ったついでに、小津安二郎監督の「晩春」「麦秋」「お茶漬けの味」、成瀬巳喜男監督の「娘・妻・母」、新藤兼人監督の「三文役者」を借りた。タイトルだけでは観たのかどうかわからなくなっているけれど、つまらない作品ではないと決まっているので、あらためてDVDで見るのもいい。木曜の夜に借りたのだが、翌日の朝、レンタル店の前を通ると、今日から3日間半額と旗がたっている。それはないだろう・・・プンプンッ!

 毎日帰宅後、晩御飯を食べてお風呂に入って、2本立ての気分で見る。DVDなので、感想は書かないけれど、自宅のテレビに映るそれらを何日間、これだけ続けて良作を見続けてしまうと、しばらく目は肥える。テレビで見ても、良作は良作だった。その肥えた目で、本作を観ることとなった。

 よく考えられた構成。丁寧な撮影、照明、編集。すさまじい音響。プロの仕事である。しかし、とても薄っぺらい脚本、とてもベタな演出で、とてもベタな芝居をする人たちの映画だった。親の狂気的な遺伝子はこの監督に受け継がれていない。以上が私の感想である。

 携帯電話を頼りに一夜をあかすが、切れているのがわかっているのに「もしもし!もしもし!」は、演出があまりにも古すぎる。切れて、プープーといっているのに、まだ喋ろうとする演出の時代はかなり昔話だ。こういう荒唐無稽な物語は、リアリティを随所に配することによって、観るものを納得させるのだが・・・。そこをつかめていない。奇想天外、そんなことあり得なくても、その中に入り込める工夫をされた演出というものがある。今までもたくさん制作されてきた。本作は、生け贄のシーンでもわかるように、みんな脳をもたないゾンビのようで、簡単に払いのけることができるし、ハサミを持った執念深い女も、どこからそんなハサミをと、ちょっとおかしかないかい?と、思う。ちょっと工夫するだけで、納得させることができるハズなのに、手を抜いているのかしらん?

 荒唐無稽の中に真実味を完全に封じ込めてあった。だから、私は途中から、漫画だなと思って観ていた。漫画な脚本をそのまま演出してしまっている。構成は面白いのに、台詞も行動も実に不自然で切羽詰ったものを感じない。都市伝説的な物語と、おどろおどろしさを合体させようとしたけれど、これは完全なる失敗作だ。どれをとっても誉めるわけにはいかない。恐いところが一箇所もない。もう少し、思いついたことがあるけれど、もう書きたくない。ただ・・・鈴木亜美、ふけたなぁ・・・映画館を出た後、それだけが記憶に残った。  <25点>

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ウェイトレス~おいしい人生のつくりかた

2007年11月26日 23時45分00秒 | あ 行 (2007)

Photo_3  <シネ・リーブル梅田>

 この頃はシネコンに行ってばかりで、ミニシアターから遠ざかっている。全国一斉公開ものもよいけれど、先週の「この道は母へとつづく」「めがね」なんぞを観てしまったものだから、やっぱりミニシアターものっていいなとあらためて思う。これはン百回も思い、言いつづけたのだが、ミニシアターものを観に行って、これは駄作だ!と思ったことがないように思う。ミニシアターが増えすぎて、ちょっと選択をさぼっている、または取りあっている観もあるけれど、まだまだ大丈夫だ。記憶にのこる作品をかけてくれている。「フラガール」や「めがね」など、大手がふんだくってかけるのはイヤだ。ミニシアターを潰す気かと大袈裟に思う。さて、シネコンものはいっぱい観てきたので、今日もミニシアターへ行こう。ミニシアターの3本はつらいものがあるので、2本を観ることにし、スケジュールを立てた。

 てっきり今日も寒いとばかり思い込んでいて、ダウンジャケットを着込んできたけれど、梅田のビルの隙間からさす陽は温かく、辺りを見ると、ダウンなんて着ている人はまったくいない。ダウンを脱いで歩くけれども、それでも暑さを感じるほどだった。私は手になにかを持って歩くのがイヤで、小雨ならば傘を持たずに出かける。仕方なく傘をささなければならない時は仕方ないが、傘を持って出かけても、帰りが晴れていたら持って帰らない。来る時は傘をもっていても、帰りは晴れていて、わざとそこに置いて帰ったことも数知れない。とにかく、手ぶらがいい。何も手に持たないのがいい。ダウンジャケットを手に持っているが、捨ててしまおうかしら?と、一瞬でも頭をよぎる。でも、昼間と夜の気温差は激しいので、帰りは絶対に必要である。100円ショップで買うことのできる傘と、ダウンジャケットでは、やはり違う。もったいない。私は、常識人と話があわないのが、この辺で何となく分かるかと思う。

 主人公の女性は才能あふれるパイづくりのウェイトレス。小さな田舎町で、小さな出来事が積み重なっていき、彼女に小さな幸せが生まれる。端的に言えばそれだけの物語である。彼女を取り巻くクセのある脇役たちが面白い。彼女を幸せにしてもくれ、不幸にもしてくれる。そんなことはお構いなしに、彼女は自分の道を歩き続けているのだけれども・・・。というわけで、私の感想は、ストーリーを想像できるものとして書くので、これから観たい方は注意してほしい。

 この女性は倫理観や正義感は別として、とても強く描かれていた。ダメな亭主、のらりくらりとしたオーナー、文句しか言わない店主に対しても、真正面から向かっていく。不倫と知りながらでも、感情を自分からぶつける。自分から抱きしめ、キスをする。待っている女性ではない。向かっていく女性だ。我が儘で身勝手ともとられるけれど、彼女の中にはすべての環境にあわせる常識というものが存在していて、これが彼女の腕を掴んで離さない。そういう時に現れるのが、パイである。この自分の抑えられない感情をパイの創作にぶつける。パイを作っている時、パイのレシピを頭で描いている時が、彼女の本当の時間であり、本当の自分なのだろう。その他のシーンでは、いつも凛として背筋を伸ばしている。私は、彼女の作るパイをみながら、生唾がやたらと出てしまった。アルコールのダメな私は、甘いものが大好きである。「スイーツ」なんて言葉になって、店も増えて流行っているけれど、これはいい。

 彼女がなぜ、ダメ亭主との子供を秘密にして産もうとしているのか、いつもダメ亭主と一緒のベッドに寝なきゃならないのか、どうしていつまでも田舎のウェイトレスにおさまっているのか。それは、彼女が計画性のある人だからだろう。この計画性が邪魔をするけれども、これは、彼女のパイの作り方と同じである。憎しみをこめたパイであっても、腹の立つことをパイにぶつけても、それはしっかりとした美味しいパイとなっているからである。すべてが順調にはいかない小さな物語だけれども、ラストは小さな幸せを二人で掴むことができる。彼女の気丈さがそうさせたのか、偶然の産物か・・・だから人生、あきらめないで、というエピソードのような気が私には感じた。そう思わせるプラスの台詞が随所に出てくる。

 ひとつだけ、彼女を完全に助けたものがある。ウェイトレス仲間の存在だ。気丈である彼女に、親身にもなり、どうでもよい時もあり、仲間意識を前面に出す時もあり。つまり、パイの店の職場環境がとてもうまくいっているのである。人が仕事をやめる理由の90%以上は、仕事そのものではなく、人間関係だという。このひとつが、もっとも彼女を助けてくれたのだろう。エンディングの見送るシーン、ラストカットで、私はそう感じた。このラスとカット、印象的でとてもいい。夕暮れの一本道、二人が遠くに行けば行くほど、一枚の画となってくる。どこが最高の画になるか・・・もう一度、振り返って手をふるところか・・・どことも言いようがない。こういうカットを観ると、芸術は永遠のものだと思わせる。  <80点>

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オリヲン座からの招待状

2007年11月25日 23時00分00秒 | あ 行 (2007)

1  Photo <なんばパークスシネマ>

 テレビ、テレビで見る映画、映画館で観る映画・・・すべて違うと思ってはいるけれど、今現在、テレビやビデオ業界の人達は、はじめ、そのほとんどが映画人を志していた。何年、何十年とテレビやビデオに携わると、もう自分を諦めているのか、あの「ニューシネマパラダイス」を観ていない人が多い。私は、多くの仕事仲間に勧めたが、おかしな答えが返ってきた。「映画に詳しい人だけが楽しめる映画じゃないの?」・・・映画に詳しい人だけが楽しめる作品もあることはあるけれど、私は自分自身をまるで馬鹿ではないと思っているし、そこまで勘違いしないと思ってるし、そんなマニアックな作品であれば、よかったとしても誰にも勧めない。映画の仕事を目指すのをやめ、テレビに染まってしまい、ただ、飯を食うための仕事でしかなくなった者だらけで、私は今の業界にいる人たちをあまり好きではない。それでも映画を観続け、映画からヒントを得てビデオの仕事をしている人もごくわずかにいて、そういう人は、建築業の中の宮大工のように、自分に誇りをもってカメラをかかえている。とても少ないのだけれど・・・。

 映画館を舞台にしたら映画に詳しい人だけが楽しめるならば、野球を舞台にすれば野球に詳しい人だけが楽しめる、ヤクザを舞台にしたらヤクザに詳しい人だけが楽しめるという理屈になる。私たちの知らない世界をみて、私たちは喜ぶという部分も映画にはあり、これがほとんどを占めている。身につまされるような物語は少ない。本作は映画館を舞台にしているけれど、映画好きの私も知らないことが多かった。映写機の30ミリのかけかたなんて、難しいとは知っていたけれど、ちょっとドキドキした。映写技師には免許がいる。

 この作品の前半部分に、フィルムを入れたアルミ缶を自転車の荷台に載せて2つの映画館を行ったりきたりするシーンが出てくる。映画館が全国にたくさんあった頃は、映画フィルムよりも映画館の数の方が多く、かけもちをしていたのである。そういう時代があった。映画館は、2本立、3本立で上映していたから、1本の映画フィルムしかないけれど、時間をずらしたタイムスケジュールを作り、2つの映画館でかけていたのだ。1本の映画フィルムに対し、3つの映画館でかけるということもあったらしい。映画の中では、この説明がまったくないので、観られた若い方は、何をしているのだろうと思われたろう。1本のフィルムをあちこちで上映する・・・この簡単な説明ができてない。面白いエピソードなのでするべきだと思う。昭和35年は、私はまだ生まれていないが、小学生の低学年まで、アルミ缶をバイクの後ろに載せて運んでいたのを覚えている。

 とても安いけれど、傷の付きやすい、燃えやすいセルロイドフィルムであった。何百とかけられていて、傷だらけは当たり前だった。封切当初はいいけれど、一ヶ月も上映されると、フィルムに傷がつき、溶けたフィルムは映画館側が勝手につないでしまうので、コマ飛びも多かった。だから、あのスクリーンに映し出されている古い映画は、とても状態の良いフィルムなので、おかしい。ほとんど、映写機にかけてないのじゃないかしらん?それはないだろうと思う。これは、先日、お喋りをさせてもらったKeiさんも指摘していて、あれはないだろうと仰った。セットや道具にかなりのこだわりがあるのに、そこだけ、デジタルリマスターのようだ。あの頃を知っているからこそ、傷がついたフィルムを流してほしい・・・これには大きく頷けるものがあった。

 いい話である。過去と現在を交差させるみせかた、また、その融合も自然の流れにまかせるが如く、無理はまったくない。彼ら彼女らが、なぜ映画というものにこだわるのか、映画館というものにこだわるか・・・これは、映画を少しでも好きな方ならば、本作を観ていただければ自然とわかる。だから、彼ら彼女らの映画館に行きつくまでを一切、映画は語っていない。だが、映画のよき時代は遠い日となり、廃れた昭和は、平成の今では通じなくなってしまった。時の流れの残酷さをこの映画を観て実感した。今が悪いわけではないけれど、やはり、あの頃の方がよかったと、映画は語る。ノスタルジックに浸っているわけではなく、ふらっと入り、映画を気軽に楽しめるシステムの方がいい。今の映画は、すべてが堂々と構えている。さあ、観ろと言う。1時間半でよいものを、1本立てでかける為に、2時間に調整する。大作といわれる映画ばかりがやってくる。喫茶店に入ってコーヒーを飲むように、時間がぽっかりあいたのでふらっとパチンコ屋に入るように、気軽に映画館は間口をあけていない。

 団塊の世代がどっと定年を迎えるからか、いま、昭和を描いた作品が多く作られる。団塊の世代が心打たれたテレビドラマ第一位の「私は貝になりたい」も、映画化されるという。「椿三十郎」もそうで、どういう層をターゲットにしているか、最近の封切を観ていて思う。若い人たちも『昭和っていいなぁ』なんて言っているから、昭和ブームは大当たりだけれど、団塊の世代が青春真っ只中で、感性豊かな頃の再現なので、すべて覚えている。だからこそ、フィルムの傷なんかも、しっかりと再現してほしいのである。グラインドハウスのクエンティン・タランティーノのこだわりは、まずそこからはじまっていたのに・・・。  <75点>

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鬼の花宴

2007年11月16日 23時30分00秒 | あ 行 (2007)

Photo  <ホクテンザ1>

 大阪での長い生活も終わろうとしているので、最後っ屁をかまそう。この映画に関する記事は、ほとんど書いていないです。ご了承を。

 私は、ビデオのディレクターとして、たくさんの作品を完成させたが、この11月14日に、久しぶりに自分の作品と言えるものができあがった。出来が良いからと、放映以後、いっぱいのDVDの注文がきた。撮影は素人だが、脚本、編集、資料集め、編集、MAV、そしてなんと、私の声がナレーションとし出来上がった。最後の最後で、自分そのもののビデオが出来上がったことも、運命の何らかで、そういう場を与えたのだろうと思う。これまで、たくさんのビデオを制作してきたが、そのほとんどは、私の作品とは言い難い。9月に仕上がったン周年記念ビデオは、寄ってたかって無茶苦茶になり、誰が作ったのか、誰のためのビデオか、私はわかりかねている。長くなるけれど、企業ビデオとは誰のための作品なのか、私の視点で書き残しておこうと思う。

 一度、編集したオフライン(仮編集)を根底から覆される意見が出てくると、企業ビデオを制作しているディレクターは、あからさまに不機嫌になる。オフラインでつながったそれが私の作品だが、ここから打ち合わせによっていろいろと変化する。まったく変えない、あまり変えないオフラインは、ディレクターとしても後々の作業が楽になるけれど、これが私の作ったもので、本編集のとき、もっと凝ってやろうと踏ん張る。丹念に時間をかけて編集する。一日でできる編集でも、二日かけたり、徹夜も惜しまない。私を尊重してくれた敬意のようなもので、音楽もSEも時間をかけて挿入する。お金をいただいておいて、平等ではないと叱られそうだが、長い間、この仕事をしてきて、ほぼ100%に近いディレクターがそうだろうと感じている。

 相手の組織の為に作っているのだけれど、しかし私も人で、相手も人で、人と人の信頼関係や気持のよさによって、凝るか凝らないかを知らずうちにやっている自分に気づく。一生懸命に誠意をもって接してくれる人。私は会社に対してより、その人のために作っている気がする。態度も言葉もいい加減で、下に見ていて、こちらの考えに文句ばかり言ってくると、私はアイデアを出すのを途中でやめる。ここで、この人にアイデアを出すのがもったいないと思ってしまうのだ。時間をかけるのも惜しんで早く片付ける。相手とは、直接の会社の社長や担当者であったり、広告代理店の担当者だったりする。良い方へ変えようとする場合は、その熱意が伝わってきて、懸命に頭をひねくりまわすけれど、自分だけが満足いくように変えようとする場合は、頭を使うのがもったいないと、何も言わなくなる。ビデオは、ビデオを見る者のことを考えて作るべきであって、相手の自己満足のためだけではない。

 つまりは、人と人との関係で、それによってビデオ作品の出来上がりが大きく変わるのだ。ディレクターという人間は、我が儘で、身勝手なものだから、へそを曲げてしまったら、もういい作品はできないと諦めた方がいい。細かく指示されはじめたら、私はディレクターがもう一人現れたと一歩も二歩も下がる。ディレクターは一人でいい。二人、三人と素人がディレクターの顔をしはじめたら、言われたとおり、指示されたとおりに作る。作るのは、素人に近い、いや素人だから、そんなに優れたものはできない。そんなことはわかっているだろうに、言われたままに作ると満足している。本来ならば、このビデオ作品を見たい人が満足するべきである。それなのに、担当者が満足している。違うと私は心の中で思う。私がこれまで制作してきた400本以上のビデオのうち、私が作ったと言えるものは20本くらいだろう。

 そういうわけで、8月から9月にかけて、大きなその状態があった。オフラインをたくさんの人で寄ってたかってバラバラにした。20人はいたろう。20人の相手がいると、20作品必要だが、最後は1作品にせねばならない。20人のバラバラの意見をまとめるのがディレクターの仕事かもしれないが、かけ離れた意見の数々をまとめるのには限界がある。1度目の打ち合わせでは、間違いの箇所だけを修正する予定だったが、数日経って行くと、20人以上の相手が待ち構えていて、出来上がったオフラインを粉々にしようとした。私はそれでも良い作品をと、踏ん張って意見を言って、なんとかその場は落ち着いたが、オフライン2回目を編集中、そこ(会社、学校、団体・・・)から、なんじゃこりゃ?と愕然とするような修正箇所の細かい指示書が届いた。ここをカットしろ、ここを増やせ・・・シーンによっては、ナレーションが長いのに、画だけをカットしろというものまである。真っ暗闇で画面を出したままナレーションだけをいれるわけにはいかない。新しい資料や写真も届く。私の頭をもっとも悩ませたのは、アップ部分をなるべくカットしろということだった。脚本段階、もしくは撮影中に言われればよいけれど、撮り終えた素材からでは無理な注文だ。私はカメラマンに、場所場所でアップを要求した。アップの画が多い。撮りなおすしかないけれど、一日分のロケ費も出るわけがないし、今からそんなことをしていたら、納期には到底間に合わない。

 私は、細かく書かれた指示書のまま、オフライン2を作った。オフライン1とは大きく変わっているので、私は休日を返上して作業をした。よくしようなどとは考えなかった。指示に従って編集するだけで、3倍以上もの時間を要したからだ。出来上がったオフライン2を見て、オフライン1が、見てもらえる作品だと確信できた。どんどん悪くなっていく。オフライン2は、自己満足だ。あなたは満足できるだろうが、これを見る者は退屈だろう。言いなりはよくないけれど、企業ビデオのディレクターは、そうやって諦めながら仕事をしている人が多い。限られた制作費の中で、1日の撮影費だけしかもらっていないのに、3日も行ったら、営業は怒るし、赤字が出て、会社が潰れる。写真一枚撮って、テープにつり上げるだけでも費用がかかるのだが、打ち合わせに行く度に写真や資料を出してくる。写真を撮って、つり上げるのも無料だと思っているらしい。料金のことは言いたくないので、タダで、追加することにかる。

 無から有を作る。そこからタダだと思っている人も少なくない。頭から出るアイデアは無料らしい。脚本も、用紙とインク代だけで、コストがないと思っている人も意外に多い。脚本は、建物の設計図と同じで、お金はかかるのだ。時々、あまりにも馬鹿らしい打ち合わせに、黙りこくってしまうこともある。言われるとおり、はいっと、その通りにする。大人のなりをして、妻子もいて、家庭を築き、子供を成長させ、しっかり稼いでいるのに、私の幼稚な頭よりも、目の前のあなたは子供すぎる。そう思いながら、打ち合わせをする。そんなわけで、1日の編集が3日かかった。ここに私のアイデア、感情を入れ込んだら5日もかかるだろうけれど、苦労して魂を削っても、相手の思いではないから、一言で切られてしまう可能性は高い。残りの2日の苦労が一言で切られる。無意味な苦労だったことになる。ディレクターは、好き勝手に生きていて、好き勝手に行動している特殊な人物なので、杓子定規に動きはしないのである。以上の私の文章も、我が儘極まりないことはわかっているけれど。

 11月14日に、ある会場で放映された50分のビデオ作品は、私の作品である。好き勝手に脚本を書き、添削もなく、好き勝手に編集し、そのままOKとなった。だったらそれで完成だが、45分と制限がつけられていたので、はしょっていく作業に入った。言われてやったわけではない。もっと良い作品に仕上げていこうというサービス精神が、私を行動させたのである。徹夜も2回した。そこまでしなくていいけれど、自分の作品ができるなと思うと、もっとよくしたいというだけで、時間を惜しむことなど考えなかった。魂を削る場所は、いまここにあった。3回目で本編集し、放映の前日に完成した。「いいものを作っていただいてありがとうございますす。みんな、喜んでいます。」という言葉だけで、私はすべての疲れがとれる。たくさんのDVDコピーの注文がきた。全国に送ろうと話し合ったらしい。大阪での最後の最後の大きなビデオ作品が、自由に私の考えで制作できたことに、何かの意味があるような気がしている。

 さて・・・「鬼の花宴」だが、この手のポルノ映画を、よくもまあ一般の劇場でかけたなと思う。新東宝の名前も懐かしいけれど、昨年の「花と蛇」が頭に残っているので、私は観に来たけれど、昔の新東宝の3本立の添え物映画を1本立で観ているような気がした。団鬼六の原作は読んだことはないけれど、映画の魅力を超える作品なのだろうか。はっきり書くけれど、本Photo_2 作は、昔のポルノの中でも下に入る。主演女優も素人臭い喋りで台詞を棒読みする。濡れ場が多く、AV化したポルノ映画を観ているようだった。何もないのに、90分という短い上映時間が長く感じた。       <20点>

 ハシゴで、落ちてきた「グッド・シェパード」を隣のホクテンザ2で観る。大作で、主演級がこぞって出ているのに、あっという間に終わってしまって、観ていない。ところがこの映画、3時間近く、どうしようかと思うくらい長い。はじまって2時間が意味なく長い。私は本当に頭が悪いのか、わけがわからなかった。番館落ちしてきたのもわかるような気がした。ラストの30分、目が覚めるように面白くなるけれど、いったい何をみせたいのか私にはわからない。観終えて劇場を出た瞬間、物語も、目が覚めるように面白くなった箇所も忘れてしまった。  <30点>

 今日は早く終わったが、映画のハシゴで、最終電車に乗る。もう忘年会がはじまっているのだろう。酔ったサラリーマンがあちこちで口をあけて寝ている。ドアに頭をこすりつけて苦しがっている若者もいる。久しぶりに時間ができたので、少しは映画を観歩こうと思う。一人旅もしたいが、我慢我慢。

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ALWAYS 続・三丁目の夕日

2007年11月10日 23時30分00秒 | あ 行 (2007)

Always Always_2  <TOHOシネマズなんば>

 この頃、テレビ局がよく映画を作る。本作は日本テレビが制作している。日本テレビは、日本アカデミー賞を放映している放送局である。前作は、日本アカデミー賞の各賞を総なめにした。すべての点で最高だったらしい。すべての点で最高だったならば、他の作品はその次ということになるけれど、それはあんまりだと思う。とても公平とは言えない。

 中学生の頃、第一回から放映を楽しみにして、その時間にテレビの前に座っていたけれど、第十回あたりからビデオで録って、早送りしながら見るようになった。この賞獲り合戦には大手映画会社、放送局の確執が浮き彫りにされて、ただならぬ偏見があるので、長く見ていると、受賞できる作品、出演者の見当がつくようになった。私は日本アカデミー賞に憮然としている一人で、どうして、あんなにたくさんの映画賞があるのに、たったひとつしか放映しないのだろうかと思う。米国アカデミー賞にお金まで支払って、アカデミーの名前を使うことはない。日本は日本の賞の名前をつけたらいい。せめて、「ブルーリボン」「キネマ旬報」くらいは放映する局があってもいいのではないか。

 前作は総なめにしたけれど、映画ファンがこぞって大絶賛する中、私は隠れながら、そんなに高く評価はしなかった。つまらないわけではないけれど、賞を獲るほどの映画ではなかろう。感情移入はできず、涙は出なかった。私は偏屈な野郎だとは思うけれど・・・。そんな思いで、満員の劇場に入ったのだが、らしくないはじまり方で、おっと驚く。映像と音響が凄まじく耳をつんざく。それがひと段落すると、タイトルを挟んで、ゆったりとした長回しがはじまる。この落差は楽しい。うまいなあと思う。いつまで続くか長回し。ズームバック、クレーンアップ、その中でタイトル、ダウンで、家の中までカメラは入っていく。役者やエキストラのタイミングが難しいけれど、カメラは自由自在に動き回るので、退屈な長回しではない。長回しによって、その時代ののんびりした人たちの心を表現しているのだろう。最初のワンカットで、もうすでに、昭和30年代に入ってしまう。入らされてしまう。この居心地の良さ。カメラとタイミングによって、観客をつかむのだ。私は、これを観ただけで、秀作に違いないと踏んだ。

 私個人としては、前作を上回る出来栄えの続編だと思う。今はもう無くなった観のある「続」がいい。やっぱり、東宝スコープならば、続だろう。次は「続・続・三丁目の夕日」となるか、その次は「続・新・三丁目の夕日」となるかと勝手に想像して楽しむが、この本作で、物語をすべて、完結させているような気が私にはした。もちろん、前作で完結としてもいいのだろうが、本作では、前作の寂しい涙を、嬉しい涙へと転換させてしまっているのだ。これは、原作の通りなのかもしれないが、構成からなる脚本の出来にもあるだろう。脚本は極めて水準が高い。終わりは、エンドロールでなくて、「完」でもいい。

 物語の進行に無理なく、不思議なチョイ役たちが、それらを手助けして、マイナスからプラスへと転換してくれる。このチョイ役のちょいとした行動が嬉しい。私は人と接するのが苦手だけれども、人間ていいなと思わせてくれる。殺人事件の珍しかった、この時代の人間がいいのかもしれない。「昭和ってええなぁ。」と、平成生まれらしいカップルが、エレベーターの中、笑顔でひそひそ話しをしている。昭和という時代がよかったかどうかはわからない。けれども、この映画の中の昭和は、確かによかった。特急こだまの車内、吉岡秀隆の迫るような叫び・・・私は、泣くまいと我慢すればするほど、涙でスクリーンがぼやけた。照れくさいけれど、指で鼻をつまんだ。

 やや長いと思われた上映時間も、観始めてからは、気にならなかった。すべての出演者に寂しさがあり、喜びがあり、関係があり、秘密があり、それをいちいちうまく丁寧に描いている。クレーンダウンを執拗に使うけれど、それは、昭和の風景の広がりから、ある人物に焦点をあてるからだ。そういうところ、サービス精神も満開だ。前作を観ていなければ、本作はわからない。これは、単純にパート2ではなく、続編であるからだ。前作を反転させてしまう迫力のある物語、映画を、私たちは嬉しいことに、いま、観ることができる。  <85点>

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EX MACHINA エクスマキナ

2007年10月31日 23時30分00秒 | あ 行 (2007)

Ex_machina  <なんばパークスシネマ>

 長い長いと思いながら、その思いも書きながら、支離滅裂な長い文章を書いてしまっている。「ヘアスプレー」の時ような、あんなに長い文章は、なかなか読んでいただけないことは、自分でもわかる。読んでいただいている方も少なくないようだけれど、中身が薄っぺらなのに、だらだらと長いのはいけない。だらだら書くのは私の癖のようなものだけれど、だらだら短い方がいいんじゃないかしらん?と、あらためて思った。反省。というわけで、今日からやっぱり、だらだらと端的に(どんな言い回し・・・)書くことにしよう。

 アニメ、CGアニメをこよなく愛する人が多いけれど、私は基本的に「映画」として観ていて、区別も差別もしていないつもりである。実写では不可能である、アニメだからこそ楽しいという分け方をしているけれど、それは観終えた後のことで、映画として楽しませてくれれば、それでいいのだ。

 私は「アップルシード」を大絶賛した。ありがちな、近未来を舞台にした戦闘ものだけれど、静と動の使い分けがとてもうまかった。それは静の中の動で、ここはどういう世界なのか、仕組みはどうなっているかを対話形式で進める場面は、長いけれども居心地のよいものだった。近未来を舞台にしていながら、CGアニメでありながら、戦いというそこにある危機があるのだが、画像の美しさにみとれ、物語に浸った。はじめて観る、これまでにないCGとアニメの合成ということもあったのだろう。

 本作は、動のシーンがほとんどを占めている。大絶賛したから観にきたけれど、先日観た「ベクシル」と同じような印象しかもたなかった。私が好きだと思った静の場面・・・恋も、恋をしている仕草も、やきもちも、大袈裟な動きと台詞で、ゲンナリする。実権を握る女性の立つ姿、振り向く姿、そして動作と同時に発する台詞も大袈裟で、むかしむかしの対戦モノを思い出した。チラシの裏も読まず、何の知識もなく、絶対に面白いと鑑賞に挑んだからか、どれもこれも、私には物足りなかった。スクリーンの中では、派手なアクションを繰り広げ、大爆発を繰り返すけれど、私の心の中は不発弾がそのまま残された。あの大絶賛した気持は難だったのだろう。今日は体調が悪いのか、私の頭が完全にイカレタか・・・それほど、何も伝わってこないCGアニメだった。DVDで「アップルシード」を今更ながら見直してみようか・・・。

 今日は、これで帰るかとエレベーター前に立ったが、踵をかえして、チケット売り場へ行った。観たばかりなのに、まだ映画を観ていない気がする不思議な気持が襲ってきたからだ。映画を観た後は、少しであっても、その作品を頭に浮かべながら帰りたい。  <40点>

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インベージョン

2007年10月09日 23時30分00秒 | あ 行 (2007)

Photo  <試写>

  私の父は郷土作家で、毎晩、新聞連載やタウン誌や書き下ろしの原稿の執筆に追われている。その上、パーティや会議や打ち合わせが毎日何度もあり、家から出たり入ったりで、平均睡眠時間が3時間らしく、少々、疲れている。のんびりできる休日なんてない。新しい原稿依頼が多いが、最近はあまり無理せずに、書きたい気持ちを抑えて、断っているらしい。私の母も個人的に仕事を持っていて、朝から晩まであちこちから電話がかかり、家事もしっかりやっているので、バタバタと忙しい。時間がなくなって、レイトショーに間に合わないと嘆いている私などは、まだまだである。「仕事は楽しく、遊びは一生懸命に」と、母は言った。

 そんな両親の住む実家。二泊三日で下関に帰省した。大阪のマンションを引き払うのも残り3ヶ月を切って、故郷での暮らしをどうするかで帰ったつもりだが、お墓参りと一人暮らしの部屋を見るだけで、あとは別の所用に時間を使った。今年は3度も帰省している。3年も4年も帰らないこともあったけれど、何かの運命の糸が引っ張っているのかもしれない。故郷へ帰る前準備として、今回、帰省した意味はあるのかどうかわからないが、両親の顔を見ただけでも、よかったと思っている。二人とも、一日が24時間が短いとばかりに動くが、その合間をみつけて私の相手をしてくれる。

 私は、27年間も大阪にいるので、実家に帰っても、実は、どうもおちつかない。行きの新幹線では21 揚々としているが、帰りの新幹線ではほっして寝てしまう。二泊三日の帰省が疲れているのだ。小旅行の気分になっている。なにを緊張しているのかと思う。高校を卒業し、約10年間は故郷に帰るとほっとしたが、30代になってからは、故郷から大阪に戻る11 とほっとするような逆転をした。私は何年かに一回くらいの割合で帰るので、私の空間を必要としないため、実家には基本的に居場所がない。帰ると、それを感じる。どこに立ち、どこに座っても、お宅にお邪魔している心持ちになっている。おかしな具合になった。2008年には下関にいる身だが、どういう風になるのか、気になる。ブログは自宅で書くようにしているが、今、狭いマンションで一人で書いているのが気楽でいい。普通の人間のような顔をして、実はそうではなくなったようだ。帰り際、翌日の朝ごはんとして、母は、お弁当を私の鞄にいれてくれた。子供は中年になったが、永遠に父と母の子供である。

 夜中の0時過ぎに大阪の自宅に着く。疲れて、風呂も入らず、ぐったり寝た。朝、母の手作りのお弁当を食べてでかける。母の手作り弁当は十年以上、食べていないのではないかと思った。高校3年間は、毎日、お昼は母の作ったお弁当だったなと思う。高校を卒業して27年も経ったのか・・・人生を駆け足で急いでいる気がする。

 「ボディスナッチャー」のリメイクだという。これまで、オリジナルを含めて3本作られてきたので、3回目のリメイクということになる。3回目と書いたが、「ボディスナッチャーズ」は入るのだろうか。うーん、入るのだろう・・・か。あまりにも日常とかけ離れた荒唐無稽とも言えるSFだが、宇宙人や宇宙船などという大掛かりなものは出ない。有名俳優は出ているけれど、観たかぎりでは、すべてB級と言える。私は70年代にリメイクされた2本目が大好きで、あの異様な犬や得体の知れない創造物が鮮明に頭に残っている。中学生の頃だから、びっくり仰天だったのだろう。何年か前に観なおしたが、CGもない時代、クロマキー処理と合成で、よくあそこまで気持の悪い得体の知れない創造物を映像化したものだと今でも思う。CGではないから手作りの不自然な動きだが、そこがまた気持の悪さ、こわさを倍増させた。

 このB級素材をCGたっぷりで蘇えらせた。それもA級映画として。監督はハリウッドデビューとなるけれど、主役がニコール・キッドマンならば、すでにB級ではない。この辺り、分けにくいけれど、お金もたっぷりかけてあるから、一流映画なのだ。わざわざA級、B級と分けて観る必要なんかないじゃないかという声も聞こえてきそうだけれど、「B級の愛らしさ」を知ってしまうと、分けたくなる。有名な製作会社でもなく、お金もなく、有名な監督も俳優でもなく、娯楽性をまず一番に考えた作品たち。でありながら、面白いからと一流の配給会社が世界へ流す。サム・ライミの監督デビュー作「死霊のはらわた」は、自費で、わずか1億円で制作したが、ン百億円も稼ぎ出したという。今や、「スパイダーマン」を撮る監督になった。

 あのストーリーをそのままに、独自の解釈とオリジナルを満載して、迫力あるドキドキ興奮できる大きな映画にしてくれた。70年代の作品もお気に入りだけど、これはこれでとってもいい。あの荒唐無稽だと思っていたストーリーに真実味が生まれているのも驚かせてくれる。ちょっと笑みを浮かべながらは観ることはできず、手に汗握って私をスクリーンに喰らいつかせた。いつもの人が、いつもと違う・・・その辺りは同じ演出でも、同じ仲間にしようとする力が違う。とても強い。その意識が、まるでゾンビのように車にまとわりつくカーアクションで教えてくれるが、あのカーアクション、スタントマン、死んじゃったのではないかとゾッとする演出だ。

 我が子を助けたいという母親の執念が大きなテーマになっているけれど、それはストーリー展開から起きた必然ではないだろうか。そういう設定をつくることによって、エンディングまで一直線に進んでいき、複雑さを取り除いて、観ている側もはっきりする。テーマがどうのこうのなんてのは、作り終えて考えることもあるのが映画、ドラマで、制作者よりも評論家が勝手にみつけて、雑誌などに書いてしまうこともある。監督は一言もテーマを語っていないのに、いたるところにテーマが掲げられてしまう。私はディレクターの端くれだが、「○○がテーマなんですね。」と、考えもつかなかった言葉を聞くこともある。ぎょっとするが、「それもありますかね。」と、そうかなと心の中で首を傾げる。面白いものだ。

 リメイク2回目、もしくは3回目。これまでの作品を観てきたけれど、まったく違った新しい映画が誕生した。カメラも丁寧で丹念に狙っていて、しかしそれを意識させない。映画を観ると、裏側が気になる私だけれど、気にならない。上手いなと思う。映像革命を取り込んだ、21世紀の「ボディスナッチャー」だ。リメイクだけれど、いままでの作品を観て行く必要はない。本作を観た後、70年代のリメイク版をDVDかなにかで見てくれたら嬉しい。映像の進化を知ることができる。特撮の手作りの映画の良さも、映画の大好きな方には、わかってくれるかもしれない。  <80点>

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ウィッカーマン

2007年09月30日 23時30分00秒 | あ 行 (2007)

Photo  <天六ユウラク座>

Photo_3  

 インランド・バンパイアを観たいと思っていたが、上映3時間の上、仕事の隙間を狙って来ているので、予定がたてにくい。あきらめて、本作となった。今日は9月30日。月末、この映画館は人が多くなる。毎月末までの招待券をやたら、ばらまいているからだ。なんでもいいいから、もったいないからと、観にやってくるのだろうか。私Photo_6も本日までの招待券(5館全館使用できる)を3枚もっている。

 この作品は、70年代に制作されたリメイクだが、ニコラス・ケイジ主演でB級扱いとするのはどういうわけかしらん?と、ちょっとその気はあった。オリジナルのベースの作品を観ていないが、本作、先へ先へと興味は次々とあぶくの様に湧いて弾けて、とても面白い。狭く孤立した島、その中だけで生活し、一生を過ごすPhoto_2人々。異様な雰囲気の中、信じられる者は昔別れた彼女のみ。その彼女も曖昧な行動をとる。後で思うと、出られないのに、この地に簡単に入ることができたことから疑問を抱くべきなのだが、私の頭では完全に物語に騙された。

 ニコラス・ケイジ主演ものとしては、お金のかかっていない映画だろうけれど、とてもみごたえのある極上のサイコサスペンスとなっている。なにも考えず、ワクワク、ドキドキできる。全国一斉封切できなかった理由は何なのだろう。ニコラス・ケイジは好かれないからか?宣伝しにくいからか?ラストがあまりにもB級的だからか?このラストの方法は何十回も観てきたが、わかっているけれど、悪くはない。娯楽映画として、疲れた体には心地いい。観るか観まいか迷ったけれども、時間の都合と招待券だけでめぐりあった。こういう拾い物があるから、こだわりなく、何でも観ておきたい。  <85点>

追記:天六ユウラク座、ホクテンザは、行きたい方が多いようで、でも、ちょっと雰囲気こわそうって敬遠しているみなさん。私と一緒に行きませんか?ご案内します。お気軽にメール下さいね。

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アドレナリン

2007年08月22日 23時00分00秒 | あ 行 (2007)

Photo_305  <ホクテンザ1>

  月曜日から水曜日、徹夜で仕事をして、そのまま映画に行く・・・この間、炎天下の中、ロケがあった。顔と腕は日焼けで真っ赤になって、肌がPhoto_306 ひりひりする。ディレクターという仕事は、デスクワークのように思われるだろうが、体力が勝負で、体力のあるものが生き残るようだ。よくここまでやってきた。二十代の頃は、こんなことがあっても、ちょっときついなという程度だったが、今の私は体に鞭を打つような行動である。だれてしまう。二晩寝ていないので、少しだけ早めに仕事を切り上げ、地下鉄に乗り、ふらふらで、天神橋筋六丁目へ。シネ五ビルを目指す。茫漠の頭で、日のあたらない裏道を歩く。何が哀しくてこんなことをしているのかと思うが、観たい一心なのだろう。

 裏道を歩くと、次回予告の看板がかかっていて、これはすべて未見である。番館おちの1_21 体であったが、ようやく、シネ五ビルが蘇えったのかと思う。「ビックシューPhoto_307ター」のみが番館おちで、後は、大阪ではこの映画館だけの封切だ。ちょっと嬉しい。そして、この看板、昭和の色が濃く、どこか懐かしくある。昔はポスター ではなく、手書き看板だったのではないかしらん?と思う。ポスターを貼ったトタン板もいい。つい10年前は、どこもこういう映画館だった。入れかえでもなく、指定席でもなく、気軽にふらっと入ることができた。途中から入るのは好きではないが、途中から観て、観たところの途中で座席を立って帰る人もたくさんいた。どんどん、シネコンに押しつぶされ、昔ながらの映画館が少なくなってきた。大げさではなく、大衆娯楽とは言えなくなった。なんとなく入る・・・駅前娯楽のパチンコに似ている気もするが、昔は、映画というのは、そういうものだった。芸術としても低くみられていて、私よりちょっと年令が上の世代は、映画好きというと、不良扱いされたらしい。

 本作の監督は「憧れきたノンストップ娯楽アクションを撮りたかった」という。だが、私の鑑賞の印象は最悪である。B級はB級で、好きなジャンルだが、どこがノンストップアクションになっているのか、かなり無理矢理な手段でスピード感をつけている。映像そのものにはノンストップアクションとは言いがたく、スピード感もない。ここへ、ハードロックミュージックをこれでもかと、流す。よくある手だが、画がしょぼいので、ハードロックがうるさくかかるのが気になる。同じ主役で「トランスポーター」と比較すると、天地の差がある。ストーリーも単純でわかりやすすぎるが、ただただ、アクションに憧れをもった監督が作った、という印象のみ。単純なストーリーなのに、観終えた後、すぐに忘れてしまっている。これは、私の弱った体力のせいではない。映画がはじまって、私は目がギラギラしていたからだ。

 つまんないよと思いつつ観ていて、1時間経ったあたりから面白くなってくるが、また、つまんなくなる。眠たくはならなかったが、私は何度も腕時計を見た。監督が自信を持つアクションも大したことはない。A級作品では、何気なく通り過ぎるシーンを大げさにみせる。それも、ハードロックにあわせながら・・・特別、あわせて編集しているわけでもない。つながった画に、ハードロックを挿入しただけのようだった。とても興味わく邦題にもかかわらず、内容はお粗末で、久しぶりにつまらない作品を鑑賞した。

 もう一本くらい観る体力も頭もあるが、今日は帰って寝る。明日から編集がはじまる。仕事の追い込み中である。今年中に、仕事の8割を済ませておきたい。  <35点>

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オーシャンズ13

2007年08月16日 23時00分00秒 | あ 行 (2007)

13  <TOHOシネマズなんば>

 映画のことだと思って読まれる方には申し訳ないが、今日も本作品とは関係のない文章からはじまる。映画の感想は、ブルーの色としているので、よければ、そこから読んでほしい。前文は、本作品、映画とは、まったく関係がない。

 終戦記念日の翌日、今日から、遅いのかもしれないが、もう一度、人生をやり直したいと思っている。変わらなければ、私はただ、多くの人に嫌悪を抱かせ、迷惑をかけに生まれてきただけである。自分が最悪な人間だと思ったのも、許されるなら、自分自身がある程度、わかったということで、ひとつの成長として、前向きに考えたい。ブログをはじめるのではなかったという気持もあるが、反対に、やっておいてよかったという気持もある。ブログによって、たぶん会わなかった人にも会い、ある時は精神的に助けていただいた。ただし、書かなくてよいことを多く書き過ぎてきた。それは頂点に達し、先日、あってはならないことを書いてしまった。たくさんの人を傷つけた。道で偶然に顔をあわせることもできなくなった人を作った。大げさではなく、これは一生、抱えていく。今日はスタートの日で、ちょっと道はそれるが、やはり、関係ない自分のことを書く。

 今日から仕事で、私は、来週に撮影が決まっているシナリオの改訂を行う。第三稿であった。原稿を書き終えたあたりから、私に久しぶりの大きな発作が襲ってきた。私は10年もパニック障害という神経精神を患っている。まだ、日本に、パニック障害という言葉がなかった頃に、何の前触れもなく、いきなり発作に襲われ、私は救急車で病院へ運ばれた。全身を徹底的に調べたが、異常はなく、神経精神科へ行くことになった。はじめての診断で、私は「不安神経症」という名をつけられた。後に、パニック障害という名前が入って、私は病名を変えられた。普段の生活には何の異常もないが、突然、呼吸が困難(過呼吸)になり、頭全体が痺れ、目眩がし、心臓はバクバクし、冷や汗が出てくる。10秒くらいで止まることもあるが、1時間以上続くこともある。どのような常態か、たとえるならば・・・「道を飛び出した途端、猛スピードでトラックが走ってきて、身動きできなくなった自分の目の前で急ブレーキをかけて、止まる」・・・これによく似ていると思う。それが、波となって、何度も私の体を襲う。たとえが浮かぶのに、症状から7年もかかったが、私は、パニック障害のことを聞かれると、それを話す。

 自分の好きな「旅をしていること」「映画を観ていること」という行動には出なかったが、はじまってから3年くらい経ったある日、スクリーンを観ながら、出た。スクリーンを観ている場合ではなく、私はロビーにへたり込んだ。それ以来、ところ構わず、発作が出た。毎日のように発作は続いていたが、この何年かは、一ヶ月に1回か2回で落ち着いている。自業自得だが、私の行動、言葉が要因で、今日、仕事上がりに出たのである。助けを求められる身分ではないが、まだ、誰かに助けを求めているのだろうか。今日は、人生のやり直しの日だと思っていたのに、久しぶりの大きな発作である。いつも右ポケットに安定剤の頓服を入れているので、私は唾をためて、それを飲んだ。

 座っていても、寝転んでいても、立っていても、症状は変わらない。だが、どういうわけか、歩き回ると少しは楽になる。歩き回っても、空中を歩いている感じだが、それでも、立っているよりは楽な気がする。電車に乗ったが、乗っていられなく、今にも倒れそうな痺れが全身を覆い、帰りの日本橋駅で途中下車し、なんばの街をひたひた歩く。どれくらいの気温なのか、恐ろしいほどの暑さだが、発作の方が勝っている。汗だくで歩くうち、高島屋の前に着いた。商店街をぐるぐる回る。意味のない行動だが、こうするうちに、症状は軽くなってくる。これは、ン百回も経験した。1時間ほど経ち、徐々に平常心を取り戻した。暑いと思えたからである。人によっては我慢できることでも、私の弱い精神力では我慢できず、じっとしていると、発作が起こる。

 なんばで発作が起きて、ぐるぐる回るのは、一度や二度ではない。何十と同じ行動を繰り返してきた。そのうち、発作時の行動には、パターンが生まれた。道頓堀から千日前へ抜けて高島屋前に至り、戎橋通りを抜けて、また道頓堀に戻ってくる。このぐるぐる回りのパターンを続けているうち、はたと私は思いあたった。映画館の前を通っているのである。偶然かもしれないが、ほぼ、なんばにある映画館の前を通っている。それに気づいたのは、歩き回るという行為の中に、ちょっと楽になりかけたら、映画館の前に立ち止まることが何度も何度もあったからだった。映画館に何を頼っているのかわからないが、発作が鎮まりかけると、映画館の前で、ポスターや看板を見て、コピーを読んでいたりする。そんなことは忘れていたが、今日も、発作の鎮まりかけたとき、私はTOHOシネマズなんばの時間表液晶の一階に居た。今の映画は・・・オーシャンズ13だ。発作が一段落したので、時間を見る余裕がある。ここのところ、自分が自分でわからなくなっていたところ、具体的に仕事をしたので、ふっと気持が和らぎ、発作が出たのだろう。このパニック障害の発作は、緊張しているとき、仕事をしているとき、忙しく走り回っているとき、問題が起こっているときには、なぜか一度も出たことがない。それらの後、一呼吸おいて、表れる。オーシャンズ13がはじまろうとしている。症状がぶり返すのをちょっと恐れながら、8階へ上がり、テケツに一ヶ月フリーパスを出した。

 今日はまだ休日の会社が多いのか、歩いている街の様子も平日より人で賑わっていたが、映画館も人が多いようだ。普通の木曜日の夜ではない。ここまで、関係ないことを書いた。ここから、感想に入る。

 やってくる作品、どれも話題作で、大ヒットをしているし、数々の賞も獲得しているが、私はスティーブン・ソダーバーグ監督の映画をそんなに好きではなかった。観る時の気分、精神状態もあるだろうが、満足した作品は、一本しかない。満足したのは、監督をはじめて知った「セックスと嘘とビデオテープ」である。公開から20年になると思うが、この超低予算のインディーズ映画を、私はビデオで何度も観た。覚えやすい独特の名前だし、その後も監督名に注目して観たが、大作になるにつれて、面白さは薄れていった。賞を総なめにした「エリン・ブロコビッチ」も「トラフイック」も、私としては楽しめなかった。それ以前に、難しいなあと思った。構成も、物語も、台詞も、私には難しく、まったく違った世界であるにもかかわらず、興味を抱かなかった。頭の悪いことだが、それに加えて、撮り方も好きではなかった。「オーシャンズ11」「オーシャンズ12」も、私の好きな映画ではない。好きな映画だったら覚えているが、物語もどこかへ飛んでいる。「セックスと嘘とビデオテープ」をはっきり覚えているのは、観たときが若かったからだろうか。いやしかし、その時でも、忘れてしまった作品は山ほどある。

 本作は、20年ぶりに「構成も物語も撮り方も面白いなあ。」と思わせるものだった。スティーブン・ソダーバーグの映画は、明るい素材であっても、どこか陰りがあると私は感じていた。ところが、それをまったく感じさせず、とんとん拍子に物語は進んでいく。じっと構えて撮っていると思っていたのに、ある瞬間からクレーンで動き出すのが、ぎょっとして楽しい。マルチ画面も凝っていて、どこを見ていいかわからないが、これまでの作品など寄せ付けぬほど、緊迫感を出す。あの画面は、シネマスコープなので、ハイビジョンでも迫力をもつて再現できない。映画館ならではの効果である。そして、いつも難しいなあと思っていたのに、難しさはなかった。出演者は多いが、わかりやすく配している。

 歳を重ねるごとに味の出るアル・パチーノがまたいい。裏切りによる報復だが、貫禄を出したり、粋がったり、怯んだりと、演技力は自由自在である。期待や絶望の顔も、アメリカの俳優としては珍しく、大芝居ではない。私などが理屈で口をはさめないほど、いい俳優だ。これほどの主役級の俳優を多く配し、ギャラだけで目を張るような金額だと思われる第三作を撮ったが、次回作を期待させるようなエンディングである。つまんないと思っていたスティーブン・ソダーバーグ監督に期待する。私はとても単純で、この監督を好きになった。私の理解力が足りなかったのか、こんなに面白いならば、第一作、第二作も、もう一度、観てみたくなった。

 14日からこの3日間、私は誰とも話しをしていない。また、水分は摂っているが、まったく食事もしていない。3日間も何も食べないと、普通はおかしくなるが、私は長い不規則な食生活で、そうでもない。ただ、ちょっと疲れがある。起きても、すぐに眠たくなる。今夜はまともに食事をしよう。人生をやり直す日だ。昨日までの私ではいけない。少しずつ、まともな人間になろう。  <80点>

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いつかの君へ

2007年08月08日 23時30分00秒 | あ 行 (2007)

Photo_289  <シネ・ヌーヴォX>

 半年振りに地下鉄、九条の駅をおりる。九条シネ・ヌーヴォ、シネ・ヌーヴォXとは疎遠になっていた。私の会員証は3月で期限が切れ、スケジュール表も届かない。3月から4ヶ月以上も経っている会員証を見せ、更新はできないかと聞くと、大丈夫だと返事がきた。3,000円の更新料を支払い、新しい会員証をもらう。たまっていたポイントは消えて、新たに2ポイント追加されるだけで、新規会員となってもいいのだが、なぜか大事に、使えない古い会員証を財布に入れていた。何でも捨て癖のある私だが、映画のモノに関しては、どういうわけか、大事にしまっていたりする。

 20時。いつかの君へとタイトルを告げ、整理番号15の札をもらう。私は、この15に驚いた。上映開始は20時40分で、まだ40分も前なのに、15番目なのか?この劇場の客席は、わずか30である。本作はレイトショーの一回のみの上映だが、こんなに早い時間にやってきて、シネ・ヌーヴォXの15の整理券をもらったのははじめてであった。私は、ガラガラのシネ・ヌーヴォXしか知らない。入り口ではじまるのを待っていると、若い女性がぞろぞろとやってくる。男はいない。女性ばかりが、数人できゃあきゃあエネルギーを発散しながら、テケツに集まる。ミーハー映画を観にきた錯覚に襲われる。水曜日のレディーディとはいえ、いつものシネ・ヌーヴォXとは明らかに雰囲気が違った。

 狭いロビーは、女性の熱気でムンムンしていて、中年のオッサン一人、場違いである。整理番号順に呼ばれ、劇場内に入る。30席だから、とても狭い。狭いが、いつもは人が少なく、快適なのだが、今日は違う。はじまる前に数えてみると、私を含めて23人だった。そして、私以外の22人は、すべて二十代の女性のようだった。後ろの端っこに、恐縮するように私は座った。映画を観るというより、映画に出演している男優を観たいのだろうが、シネ・ヌーヴォXに、これだけの観客が集まってくれるのは、嬉しい。だが、今の私はちょっと窮屈である。入場に時間がかかった為か、3分遅れて、はじまった。

 とても、ドラマの勉強における制作手法に忠実である。カットカットの前に、よーいスタート!よーいはいっ!という監督の声が聞こえてきそうなシーン割りである。特に、大学の仲間が集まって噂話を繰り広げるシーンがいくつか出てくるが、すべて、よーいスタート!で、はじめました的だ。スナックのシーンも同様である。こういうシーンの切りかえは、学生映画によくみられる。もう少し編集で詰めてみたらすっきりするだろうにと、ちょっと惜しい。わずか0.1秒のつなぎでも、見る者は敏感である。

 だが、エンディングに近づくに従って、主人公が心を開いていくあたりから物語はスピード感を増し、展開もぐるぐるまわるので、そんなことは見えなくなる。とは言うものの、映画的ではない。東京、名古屋、大阪だけの一週間のレイトショーのみで、ミニシアターだが、それでも贅沢な環境をいただいている。本作を観終えた後、これは深夜ドラマの域だなと思った。  <40点>

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アコークロー

2007年06月25日 23時00分00秒 | あ 行 (2007)

Photo_275  <なんばパークスシネマ>

 芝居が下手であっても、味がある、芝居を上回る存在感がある・・・という俳優は多い。しかし、本作に出てくるほとんどの俳優が、下手で、タイミングも悪く、どうでもいい内容をたらたらと観るのはつらい。沖縄を舞台にした異色のホラーだというので観にきたが、これは、三本立ての添え物映画、またはビデオシネマの域を出ていない。ビデオシネマとして制作された作品でも、映画館で観ると楽しめたりするのだが、楽しみははじめの5分で、あとはどうでもいい物語が、それらしく続くのみ。流れも台詞もありきたりで発見がない。ホラーだというのに、こわさはない。

 あの場面で、どうして警察に連絡しないのだ、救急車を呼ばないのだと・・・ここから、観る側の気持ちが萎えてくる。後にその理由を叫ぶが、薄っぺらである。正当防衛で殺してしまった女を、湖に隠して、幽霊が現れる恐怖に怯えるなんて・・・湖に沈める意味が薄弱だから、彼ら、彼女らは何をドタバタやっているのかと、観客をなめているのかとさえ感じた。というわけで、その程度の映画であった。全国、どいういう範囲で上映されているのかはわからないが、シネコンでかけるシロモノではない。クソミソに書いているが、その通りである。

 プロのスタッフが集まって、素人の俳優が、工夫もなく演出された芝居を演じている。映画同好会の大学生の脚本、監督に、プロ集団が集まってきた感じをもった。だから、映画監督は誰でもできる・・・そういう見本のような作品。私は粗を探すしかなかった。カメラの切り返しで顔の向きが微妙にずれていたり、湖に沈める死体の位置関係がカメラ位置によって極端に変わったり。こういう映画があっても一向に構わないが、大劇場に人を呼び込むならば、脚本、演出、カットバックに力を入れてほしい。頑張りと惰性が入り乱れているような、妙な後味を受けた。  <35点>

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