goo blog サービス終了のお知らせ 

活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

ブラザーサンタ

2007年12月09日 23時00分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_2  <なんばパークスシネマ>

 この時期になると、毎年のようにクリスマス、サンタクロースにまつわる映画が公開される。総じて、駄作はないように思う。それは、監督たちの子供の頃のクリスマスの思い出、青春の中での思い出を画にできるという気持ち、心が作る者にあるからだろう。だから、そんなにうまいとはいえないであろう脚本でも、映像で大きな羽をばたつかせる。

 映画を通し、監督の童心のような心、青春の心、親になった心をうかがい知ることができる。私は勝手にそう思っている。アメリカ人にとって、365日の中で一番の日だからこそなのだろうか。私は、こういう映画を観るたびに、監督の心そのままだと思いながら観る。本当に楽しい日もあったろうし、一人ぼっちの寂しい日もあったろうし、運命を変える日もあったろう。それを実体験の中からこぼれないように、フィルムに焼き付ける。そんな気がする。

 本作は、子供の為の御伽噺のようで、大人だけの御伽噺のような内容だった。つまり、とても中途半端なコメディ映画だ。それでも私は、監督の無邪気さを楽しんだ。実写とCGの合成も素晴らしく、私は猛スピードで北極へ連れて行かれた。とてもあり得ないことだけれど、とてもあり得ると信じられる作風で、というのも、サンタクロースは実在していて、世界中の子供たちにプレゼントを配っているのだと、ふっと錯覚してしまったからだ。私は自分で完全なる馬鹿だとは思っていないけれど・・・錯覚させてしまうほどの映像の力がある。しかしそれは、子供の頃から、私の頭は止まっていて、結婚もせず、子供もいなく、一人暮らしを四半世紀以上も続けてきたからとも言える。私に常識は通じない。また、私は非常識の塊でもある。

 本作をサンタクロースを信じている子供たちにみせてあげたい。サンタクロースは、父でも母でもなく、北極に住んでいて、年中、子供たちのために、プレゼントを作っているのだと信じてくれるだろう。一言もいないという台詞はなく、親が持ってくるというシーンもない。間違いなくサンタクロースがくれるのである。ところが本作は、日本語吹替え版がありそうで、ない。ファンタジックな映像に対して、物語がやや複雑で、大人の為の御伽噺の色が濃いからだろう。言っていることと別でもいいから、吹替え版を作って、マジにサンタクロースは存在するこの世界を子供たちの純粋な目でみてほしいと思う。

 コカコーラの看板のサンタクロースの衣裳から、現在のサンタクロースの形は定着した。これは事実である。それまでは、無形のものだったのだろう。商標登録はしなかったのだろうか。どこでもあの衣裳なので、みんな勝手に使っている。今のサンタクロースの原点となったコカコーラの看板に大きく、赤い服を着た白ひげのサンタクロースが描かれ、それをトナカイに乗ったサンタクロースが突き破るカットがある。あの看板こそが、サンタクロースを絵にした第一号である。それより遙か以前に、サンタクロースはあの衣裳で存在していたとばかり、突き破るカットは、知る人はクスッとなる。

 それにしても豪華なキャスト!内容はどうあれ、私は数多くのスターを観ていられただけで、何本分かの得をしたと思った。とても誉めてはいるけれど、素通りしても悔いはない作品である。       <55点>

★ランキング★  参加してまぁす


ベオウルフ 呪われし勇者

2007年12月02日 23時00分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_2 2_2  <TOHOシネマズなんば>

 実写のところだけ、CGのところだけ、実写とCGの融合とばかり思っていたら、フルCGだという。遠巻きの群集はおもちゃにみえて、CGが進化の途中にあるからいいけれど、有名俳優は、そのままそっくりにCGで、このまま実写とまったく変わらぬようになってしまったら、もう、カメラも俳優もいらなくなっちゃうんじゃないかという気がする。もっと、開発のテンポを遅らせてもらわなければ、フルCGで実写と変わらぬ時代を知る前にこの世を去らねば、私の映画鑑賞人生が台無しになりそうだ。声優だけで良い時代になるか・・・声もそっくりに再現されるモノが開発されてしまったら、俳優はいらず、スタッフという職人もいらず、CGクリエイターが映画を引っ張っていくことになる。ヤダヤダ。

 ロバート・ゼメキス監督は、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を作っていたあたりが最高だったと思う。後に「フォレストガンプ」でアカデミーを総なめにするけれど、その途中、その後が、私の中ではぱっとしない。今回は、『英雄のベオウルフ』を映像化したらしい。私は古典のそれを知らないけれど、大作らしいし、どんな大きな世界で大冒険をみせてくれるのだろうかと楽しみにしていた。だが、小さな世界で、小さな冒険をちょろちょろ小出しにする。それに、私の頭が悪いのか、アンジェリーナ・ジョリーは、いったい何者でどこにいるのか、なぜ子供をほしがるのかがよくわからない。なぜ、襲うのよ。アンジェリーナ・ジョリーと交えたとして、「呪われし」となってしまうのも、呪われしなの?と、漠然と観てしまう。台詞の中でいろいろと説明しているようだったが、ここまでフルCGにこだわったのなら、台詞に頼らず、映像世界ですべてを表現してほしかった。さらに、普通にカメラで撮ることのできるフルCGに魅力はない。切りかえしAカメラ、Bカメラというアングルに効果はない。とてもカメラワークだけではできない動きがあって、CGは活きる。これまでにはなかった動きは随所に出てきて、観る者の目をパチクリさせるけれど、CGですよーっていう感じで、意外なカメラワークも、次第に普通に思えてきた。

 この物語、面白いのか面白くないのか、うとうとしはじめたのでよくわからないけれど、ラストの30分は、これでもかこれでもかとばかり、大迫力のCGと大音響で観客をつかむ。最初の1時間半が随分と中途半端な迫力なので、尚更、際立つ。アニメではとても出せない迫力だろう。実写に限りなく近いCG映像だからこそだ。ここが、CGの最も活躍するところ。音響も半端ではなく、揺れる。私は壁際にいて、壁に頭をつけていたので、振動が響いた。常に震度1くらいの振動があるので、そのうち、劇場の壁が崩れるのではと思う。

 とはいえ・・・「300(スリーハンドレッド)」と「ロード・オブ・ザ・リング」を合体したみたいな宣伝は、言いすぎだ。どちらも良い作品だと思うけれど、そんな感じがするだけで、別物だ。合体する前の2つの作品は大ヒットしたし、作品も素晴らしいから、格好の宣伝文句にはなるだろうけれど・・・。多くの方は、CGの素晴らしさを誉めていらっしゃるけれど、映画としては誉めてないようだ。でももう、CGはこの辺で。本作を完全実写版にしたら、どんな作品になるだろうか。できないか・・・。できないなら、できないところだけ、合成CGを使えば・・・。CG、CGばかりではなく、手作りの、そんな映画を私は観たい。  <40点>

★ランキング★  参加してまぁす


バタフライ・エフェクト2

2007年11月28日 23時30分00秒 | は 行 (2006.2007)

2  <ホクテンザ1>

2_2  私は映画館の手下でもまわしものではないけれど、やはり映画は映画館で観てほしいと思っている。思い続けている。この頃は、YouTubeなどで無料配信しているし、そういう専門のブログもあるので、映画館でもDVDでもなく、これに頼る人が多いようだ。画質も悪く、音も悪い。監督をはじめ、映画を制作している人達は、まさかこのような媒体で自分の作品が披露されているとは微塵も思わなかったろう。

 私は励みになるという理由でランキングに参加していて、毎週、金曜日か土曜日にランキングを確認するのを楽しみにしているけれども、ここ何ヶ月、どうも無料動画やYouTubeがランキングの上位を占めているようだ。私は30位から40位あたりの常連で、これも過分な評価で、ありがたいことだとは思っているけれど、以前とちょっと違う。タダなのはどうとも言わないが、半年前までは思ってもみなかったことで、常連だった5位以内、10位以内の方たちがランクダウンされていて、見るのがつらい。

 無料動画などは、映画レビューに徹している人とのランキングの数が違う。桁が違う。無料動画もいいけれど、YouTubeもいいけれど、別に枠を設けて、映画レビューだけのランキングがほしいと思う。それとこれとは違う。観られれば、なんでもいいわけではない。管理人のコメントが書かれているのもあるけれど、完全な別ものだ。別もののブログが、一緒のランキングになって、溶け込んでいる。以前のように、レビューだけのランキングを私は見たいし、それを読みたい。こんなことを書くと嫌われるだろうが、嫌われてもいいので、以前のように、純粋に、レビューだけが集まったランキングを知りたい。桁が違うほどの上位が王様になっているけれど、種類がまったく違う。このまま半年もすれば、10位以内すべて、無料動画、YouTubeものになりそうだ。それも桁違いのIN、OUTになるだろう。それはあんまりのような気がする。ランキングをクリックして、レビューを読みづらくもなる。

Photo  さて、12月まであと2日。11月30日かぎりの天神橋筋六丁目のシネ5ビルの招待券を2枚持っている。最終日は、この招待券を持った人たちでいっぱいになるので、今日、仕事が終わった後、行くことにした。水曜日で、他のシネコンは、いっぱいだろう。18時40分からの本作を観て、10分休憩で別の作品へとハシゴする。うまい具合に、どちらの映画も、同じ時間にはじまり、同じ時間に終わり、休憩は10分であった。まず、洋画を観て、邦画にする。その方が楽である。邦画はホラーもので、さらに精神的にも肉体的にも楽だ。

 前作の「バタフライ・エフェクト」は、絶対にあり得ない滑稽な手段で運命を様々に変えるという物語りであながら、あるべくしてあるというリアリティの追求で見事な作品に仕上がっていた。構成、物語、脚本のうまさもあるけれど、スクリーンに映る映像も手法を駆使していて、映画に没頭することができた。いくつかの運命が待ち構えている中で、俳優はいくつもの役を要求され、これはとても大変なことだったろう。精神的にも肉体的にも難しい撮影の日々だったと思われた。男優よりも、私が印象的だったのは、女優のエイミー・スマートで、晴れやかな笑顔が可愛い女子大生、貧相な苦い顔をしたウェイトレス、どんな目に遭ってきたのか荒んだストリッパー、ニューヨークを白いスーツに身を包んで颯爽と歩くOL・・・女優というものは化けるなと感心した。一本に何役もあるということは、映像には出てこないけれど、それぞれの物語を作っているということで、何倍もの資料を渡されたはずである。それを見事に演じていた。私は前作に90点をつけた。印象深い作品になった。その後、そんなにエイミー・スマートは、羽ばたかないけれど。

 あれから何年か、4~5年経ったろうけれど、B級扱いで、人知れず上映するというスタイルで本作がやってきた。有名人がこぞって出ているわけではなく、別の物語なので、違う形の運命を変える作品なのだろうと思う。つまんないのかも?と、壊れそうな椅子に腰掛ける。だが、同じ設定でありながら、ちょっと手法を変えていて、新しい映像世界が広がる。前作は日記で過去にもどったけれど、本作は映像で過去に戻る。デジカメ、携帯電話というものが普及して、これに頼ったのだろうが、面白い。前作と同様、俳優はたくさんの人物に化けなければならない。エイミー・スマートほど忙しくないけれど、みんな、大変な早業をやってくれる。ちょい役であっても、髪型も違うし、姿勢も違う。こういうこだわりの連続は観ていてうれしい。あれよあれよという間にエンディングまで突っ走る。前作のエンディングを覚えているからか・・・本作のエンディングはあまりにも寂しい。もう少し、どうにかしてあげたい。

 「Mr.ディスティニー」というコメディの、本作と設定が似たような秀作があるけれど、あのハッピーエンドは大好きだ。本作のエンディングは、ちょっとつらい。なにやら、袖を引っ張られたままのような気分で、映画館を出た。とは言うものの、とても私は楽しめた。これはシリーズにできそうな構成だ。B級でいいので、パート3も作ってほしいなと思う。  <80点>

★ランキング★  参加してまぁす


ボーン・アルティメイタム

2007年11月11日 23時30分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo  <TOHOシネマズ梅田>

 「ボーン・アイデンティティ」「ボーン・スプレマシー」ときて、監督は変わったけれど、続編も楽しめた。アクション映画の極みと言えるほどの映像をみせてくれるし、仕掛けがいちいち面白く、意外性もあり、観終えた時の興奮は覚えている。だから、完結篇となる「ボーン・アルティメイタム」は、前々作、前作以上を望む。望んでいた。劇場も選び、大阪でもっとも大きなスクリーンで観ようと、梅田まで足をのばした。プレミアシートとまではいかないけれど、2日前にインターネットで席を確保したので、プレミアシートのひとつ後ろの席である。椅子の幅は、プレミアより狭いけれど、私はこの劇場は、プレミアシートよりもその後ろの席の方が観やすいと思っている。

 この三部作の完結篇、みなさんはどう感じただろうか。前の2作品に絶賛とも言える評を書いた覚えがあるけれど、ポンポンッと踏み台を軽快に上がっていき、本作で小さな段をおりて立ち止まったように感じた。待ちに待った、首を長くして待ったというのもあるけれど、ボーンは、正体わからず、逃げて殺して走りまくっていた頃が好きだ。そんなものあるのかと思うハイテクで、ボーンの居場所を突き止める方法も面白い。息つく間も与えない1作目、2作目だったが、ラストは、それらをまとめあげて完結させねばならないからか、映像を楽しませるよりも説明的だと思った。もちろん、本作もそれらは十分にあるのだが、ラストに急ごうとしている。いったい何者か、何があってそうなったか・・・観客も知りたいけれど、ゾクゾクさせる割には大した結果ではなかった。期待感100%で出かけたので、ちょっとがっかりした。

 前作2作は、多くの方が誉めていらっしゃるので、がっかりなんて書くと、批難を浴びそうだけれど、正直、尻すぼみだと思う。広がりのある構成なのに、尻すぼみなのはなぜだろう。私にはわからない。前2作は、自分のいる場所、時間すら忘れさせてくれたが、本作にそれはなかった。何台カメラがあるのかと思うほどの空港でのやりとり。カーチェイスは健在だが、やはり重点は、ボーンとは何者かに向かっていて、それが観ていてわかる。きれいにつながらない。CIAが飛び出して、その隙間にCIA本部に入るなんて、指揮者を馬鹿にしたようなにやっとさせる場面もあり、自然につなげたようだけれど、あきらかに二部構成のような作り方だ。エンディングさせなくてもいいんじゃない?原作なんて無視しても。なぜ、追いかけてくるんだ!なぜ俺はこんなに強いんだ!なぜ人を殺しても心が痛まないんだ!その頃のボーンが私は好きだった。第3作目までの時間がそれほどなかったことに問題があるのだろうか。・・・いや、大絶賛する方も多いと思うので、これ以上、辛辣なことは書くまい。

 「SAW4」が待ち遠しくて、少しだけ専門家の評論を読んだ。「3」で終わってもいいんじゃないの?なんてコメントもあり、多くの方の点は高くない。あっ、読んでしまった。きっと、無理矢理に作ったつまんない映画だろうとの思いで観に行こう。だったら、少しは楽しめるのではないだろうか。期待感の上下で、映画の感想は左右する。なにもかもひっくるめて、一概に感想は書けない。        <70点>

★ランキング★  参加してまぁす


バイオハザードⅢ

2007年11月10日 23時00分00秒 | は 行 (2006.2007)

Iii Iii2  <TOHOシネマズなんば>

 「ブレイブワン」を書いた後、彼女の選択、行動は許されるかどうかを論じている批評をいくつか読ませてもらったが、宣伝文句におどろされて、どうでもいいことをひねくりまわしているなと思った。私もどうでもいいことをひねくりまわすこともあるけれど、現実の世界と映画の世界の違いくらいはわかっているつもりだ。現実とまったく同一の次元でそれを観ると、ジョディ・フォスターの行動は、もちろん許されるものではない。現実の世界では、ラストでは、刑事は間違いなく逮捕する。あんなラストはない。目があった瞬間、主人公は撃たれる。

 寂しい現実、殺伐とした現実、法で裁けない悪の存在。これらを忸怩たる思いで見ている私たちに、現実では許せないことを映画ではやってくれるのだ。恋人を殺され、自分の命を絶とうとしたけれども、悪に向かっていく姿に、私たちはもっとやれと思うし、ラストでジョディ・フォスターを助ける刑事に私たちはほっとする。心の中にある正義が、現実となる映画の世界。だから、私たちは現実に生き、映画を観続けるのだろう。これを同じ次元にしてしまうならば、映画なんて必要ないし、「必殺」シリーズなんてのは、悪と悪の戦いになり、面白みも何もなくなる。ジョディ・フォスターの行動は現実では許されないが、映画ではヒーローなのだ。映画では何でもアリ。現実には悪になりかねない者も、映画の中では英雄となる。英雄にさせる。

 許せない!なんてことを思うからか、どんどんR指定が増えてきた。許せるか許せないか以前に、そんなことを思って映画を観て、楽しいのだろうか。娯楽の部分まで考え込んで観てしまっては、口をあんぐりとあけて、私などは黙り込むしかない。うつむいてしまう。映画は映画で、現実とは違うなんて・・・教えなくてもわかるものを子供に説いてやらなければならない日本になってしまったのか。子供だけではなく、大人までわからなくなっているらしい。リアリティを追求しているけれど、あり得ない。あの映画を観て、スカッとせずに、彼女の選択は正しいのかなどと論じているのを読み、私はどんよりとした、生温かいため息をついた。それならば、多くの映画に対し、R指定を賛同しているのも頷ける。

 「バイオハザードⅢ」・・・このシリーズならば、現代でもなく、有り得ない世界、有り得ない人たちの集まりなので、真面目に眉をしかめて論ずる人はいないだろう。まったく有り得ない。けれども、これも残酷性があるからか、PG指定を受けている。残酷な描写をみせつけると、それに慣れてしまい、現実にも残酷なことをやっちまうのか・・・。映画は、現実とは違う。現実は小説より奇なり。現実は映画より奇なり。頭の中で、はっきりわけられない人と、私はまだ会ったことはないけれど、読んだり聞いたりすることはある。肩をつかんで、揺すりながら、現実とは違うんだよ!と、教えてあげたい人も世の中にはいるようだ。もう、やだ。

 ヒッチコックの「鳥」をCGにしてみました。とんでもない映像が出来あがりました・・・。それどころではない、本当にびっくりたまげる映像と音響の嵐。ストーリーは単純だから、はぐれて迷子になることもないし、ただただ、楽しませてくれる一本だ。パート3だけれど、1も2も知らなくてもいい。この場面はなぜ?という部分があり、ちょっとした伏線が張られているので、観ていた方がもっと楽しめるけれど。でもでも、これだけでも十分、楽しめる。だって、ゾンビ映画だもの。ウィルスに感染した人間だけじゃなく、犬も血みどろで飛びかかり、カラスも目をむき出しにして食らいつく。なぜ、カラスばかり?なんて理屈はナシナシ。他にもたくさんの生き物がゾンビ化して襲いかかってきそうだけど、あんまりやっちゃうと散漫な映像になるから、それもナシナシ。感染した人間が更に凶暴化して、知能をつけたり、博士が化け物になって、ハラハラドキドキさせてくれる。実に楽しいB級映画・・・あっ、これってA級だった!この手の作品はB級に多いけれど、たくさんお金をかけて、トップスターを起用するとA級に化ける。映画そのものもゾンビだ。

 ミラ・ジョヴォヴィッチは、こんなことばかりやる女優というイメージが私にはついた。衣裳やメイクで化けるけれど、顔つき、目つきはどれも同じ。「フィフス・エレメント」「ジャンヌ・ダルク」のままのように、私のフシアナの目には見える。「ウルトラヴァイオレット」は、変装していたけれど、同じ映画をみせられた気がした。あの恰好が頭に残っているだけで、何の印象もない。無表情さが、この女優の魅力なのかもしれないが、この先、他の役をやるのが大変そうだと思う。似たような戦闘的映画に出すぎていて、もう、ミラ・ジョヴォヴィッチと聞いただけで、鋭い目で追いかける姿が浮かぶ。モデルだし、デザイナーだし、エンターテイメントの人だから、映画もそれらの中のひとつなのかもしれない。とは言うものの、悪口ではない。

 そういうわけで、有り得ない世界を堪能した。それでも、リアリティが散りばめられているからこそ楽しめるわけで、まるで漫画ならば、観ていられないだろう。このリアリティが映画だけではおさまらず、現実と目線をあわせてみると・・・これは残酷性に麻痺するとか、観た者が真似をしてしまうなんて考える方がおられたならば・・・いや、もう、それはそれでいい。  <75点>

★ランキング★  参加してまぁす


ブレイブ ワン

2007年11月01日 23時30分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo  <なんばパークスシネマ>

 2007年11月。今年も残すところ2ヶ月。年末ギリギリに引越しするのは人に迷惑がかかるので・・・私の大阪での生活も2ヶ月を切っている。18歳から44歳まで、長かったけれど、ケツが見えてくると短かった気がしている。死の宣告を受けたわけではなく、両親と話し合い、自分が決めたこととはいえ、あとちょっとの大阪での生活に、私はなにやら焦っている。あれもやりたい、ここにも行きたいと頭にはあったけれど、いつもできる、いつでも行けると思っているものだから、いつまでもしない、行かなかった。ふと、やりたかったこと、行きたかったところを並べていくと、半年やそこらでは間に合わない。すでに時間がなくなっている。ここにきて悔いても仕方ないのだが、のんびりし過ぎた自分に腹立たしい。

 もう、動かないことにした。焦って走って行ったりやったりしたところで、それらはすべて中途半端になり、後ろ髪をひかれるばかりだろう。引越しや各種の変更手続きをしながら、いつものように仕事をして、帰りに映画を観ることができれば観る。休日は遠出せず、映画のハシゴをしよう。大阪を起点として旅もしたいが、それらはすべて潰すことにした。平凡は普通であり、普通であることはありがたい。土曜も日曜も仕事をして、徹夜もしているので、今日は無理矢理に休日を取り、映画のハシゴをすることにした。木曜日は人も少ないし、11月1日は1,000円である。

 本作を観ながら、映画ファンは、ほぼ100%、マイケル・ウィナー監督、チャールズ・ブロンソン主演の「狼よさらば」「ロサンゼルス」を思い出したろうと思う。方法は違っても、動機もその後の行動も同じである。コピーだと言ってもいいくらいだ。私は、時代を現代に置き、主人公を女性にしたリメイク作品だなと思った。「狼よさらば」の場合、犯人のわからぬまま危険地帯に意思をもって入り、行動を起こすけれど、本作は、動機の後、偶然に二度も危険が迫る。一ヶ月か二ヶ月の間に人生で三度の危険が迫るなんて・・・出来過ぎじゃないかと憤慨してしまったけれど、ここから、「狼よさらば」と同じく、自分の意思で飛び込んでいく様が描かれ、真実味を帯びてくる。1時間経ったあたりから、「狼よさらば」を観た者にとっても、抜群に面白くなってくる。ふたつの事件が絡んで、物語に厚みをもたせ、立体感を出す。刑事との緊密な関係もピリピリ感とほっと感が同居して、観客の脈拍を激しく緩やかにと変化させた。

 単純な物語だが、こういうわかりやすい展開というのは、わかりやすいだけに難しく、かなり、ひっちゃかめっちゃか練っているなあと感心する。ラジオで事件を匂わせてそれに刑事がひっかかる、携帯電話からエレベータの音が聞こえてそれにひっかかる。とても単純でわかりやすい。しかし、接点と接点を糸でつなぐ作業をここまで単純化すると、とても物語にスピード感が増し、スリリングになる。わかっちゃいるけど、たまんない。「狼よさらば」を土台にしてはいるけれど、それに様々な素材の生地を重ねた作品になっていた。

 多くのカットをステディカムで撮っている。それも重心を左右にふらつかせる大胆な斜めカットの歩きと走りだ。彼女の心境をそのまま汲んで、カメラワークとしているのだ。ステディカムは、中盤まで多く使われるけれど、後半になるに従って、フィックスになり、ついには俯瞰。彼女の心は、広角で一人をみつめられるほど変化したことを、カメラワーク、カメラ位置が教えてくれる。その計算も、見事だと思う。「狼よさらば」と同じであれば、ラストは想像がつくけれど、刑事との関係が、意外なエンディングを楽しませてくれた。

 切迫した心理描写の顔だけをひとつの画面におさめたとき、ジョディ・フォスターという女優の顔は、表情だけで凄まじい迫力をみせる。その表情は大袈裟でもない。「パニックルーム」「フライトプラン」の彼女の断末魔のような心の叫びが、何倍にもなってもどってきた。平静を装っているときであっても、気の狂うような心を表現できる数少ない女優だろうと私は思っている。  <85点>

★ランキング★  参加してまぁす


パンズ・ラビリンス

2007年10月31日 23時00分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo  <なんばパークスシネマ>

 とても話題になっている作品である。ポスターからは想像しがたい、PG-12の年齢制限がある。梅田のミニシアターのみだと思っていたけれど、シネコンでも上映している。先週は1回のみだったのに、今週に入って2回の上映に変わった。チケット売り場の掲示板を見上げると、混雑していますの△が点灯している。レイトショーで、23時前に終映となる時間なのに、人が入っている。この時間で△が点灯する映画は珍しい。水曜日のレディースデイだが、それは関係ないだろう。

 この映画をどう語るか・・・私は2日、仕事の合間につらつらと考えたけれど、言葉が出てこなかった。戦時下の残酷な舞台と少女の魂の広がりが同居し、時に合体する。ファンタジー残酷物語・・・生きる為に、この先、幸せだと思える日がくることを信じて、少女は試練に立ち向かう。その試練は、戦争の真っ只中のそれと交差していて、同じと言いきってもいいかもしれない。大人の現実と子供の空想。大人が子供は別と考えているけれど、実は直面に立たされている。実の母、義理の父との距離。絶対に踏み入れてはならない距離。少女は、一人で生きていくしかないのか。

 この少女の原風景が、この森の中にあり、だからこそ、空想は、とても狭い空間で展開される。しかし、そこに現れる意思をもった生き物は、感受性の強い少女のゼロから生まれている。彼女の話す相手は大人ではない。大人はわかってくれない。わかってくれないから登場した妖精たちなのに、少女はそれでも独りだった。まわりのすべてが酷で、温かい手は差しのべられない。・・・いろいろ思いつきで書いているけれど、はっきりと整理して書くことができない、人に喋ってあげられない物語だ。現実は厳しく、幻想も厳しく、空想も自分に迫る。それをファンタジーの要素を取りいれて作り上げた戦争の悲劇というべきか。そのものズバリをみせるより、少女の感受性を映像化することによって、人間、大人の愚かさを教えてくれているのか・・・人入りはいいけれど、本作も、凡百の中にどっぷり浸かった私には魅力あるもののようには思えなかった。

 ジクジクした気持で劇場を後にする。今日まで、よく身体がもった。明日は休む。早く帰って寝るべきなのだろうが、映画をハシゴする方を選んでしまった。映画を観る前は、身体が沈むようにつらかったけれど、観ている最中はそれを忘れていた。23時を過ぎ、地下鉄に乗った瞬間から、どっと眠気が襲ってきた。今夜は、寝たいだけ寝よう。  <60点>

★ランキング★  参加してまぁす


パーフェクト・ストレンジャー

2007年10月14日 23時00分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_2  <TOHOシネマズなんば>

 ラストの何分かという宣伝文句だった。そんなことを言われると、意識してしまうではないか。観ながら、誰がどうしてどうなって、つまりはこうなる・・・そんなことばかり考えて観ている自分に気づいた。確かに、ラストの何分かはよくできている。その処理にカット割りも抜群の力でつないでいる。だが・・・ラストの何分か以外のすべてが、私にはつまらなかった。ラストの何分かを観るために、2時間近くも観るという映画である。本作を考案するにあたって、ラストを最初に思いつき、それに軸を挿し、枝葉をつけていった観がある。それでもいいけれど、その軸も枝葉も何のスリリングも感じない。同一色で目をみはるところが少ない。このラストにもっていく為の魅力がほとんどないのだ。極端に書くけれど、ブルース・ウィルスなんて、出る必要があるのだろうか。彼に近づく意味もあまりないように思うし、近づいた割には、主役は大胆なポカをやる。散漫な軽いドラマを観ているようだった。

 そう思うと、松本清張の好きな私は、東京駅で端のホームから向かいの端のホームが見えたということだけでヒントを得て書かれた「点と線」、島根県の一部の地方でズーズー弁を話すというヒントを得て書かれた「砂の器」は、図太い骨と鮮やかな枝葉をつけている。映画と小説の違いはあるけれど・・・。

 大きな問題を後回しにして、最後にドンデンだとばかりに驚かせるより、途中で教えてくれて、そこに至るまでの経路をみせてくれても十分楽しめるはずだ。ラストで、ええっ!と、驚かせる作品も多いけれど、これほど、そこに至るまでの流れに魅力がない物語は少ないのではないか。とにかく、2時間弱をぼーっと観て、ラストでスクリーンをみつめさせた。とは言うけれど、あの宣伝文句を何度も何度も聞かせられれば、意地悪に意識する。途中、この人の過去は?などと思ってしまうと、とりたててびっくりするものではなかった。

 洋画を続けて2本観た。次も洋画だ。20分おいて、3本目。いやいや観ているわけではないけれど、少々、疲れた。3本ハシゴするならば、ラストは邦画にしておきたい。21時前。ちょっと目がショボショボしている。  <40点>

★ランキング★  参加してまぁす


HERO

2007年10月13日 23時30分00秒 | は 行 (2006.2007)

Hero1   <TOHOシネマズなんば>

Hero2_2   この頃、毎日のように、最終電車に乗り、帰ったらお風呂にも入らず、そのままぐたっと寝てしまっている。食事もしないこともある。朝起きて、お風呂に入り、仕事にいく。その繰り返しだ。頭がパニックになりそうな仕事の山が目の前に積み上げられている。今日はなんとか21時までに無理矢理、オフライン2を仕上げ、レイトショーの21時30分の本作に間に合った。23時50分に終わる。帰る頃には次の日だ。どれを観たいからとかではなく、21時30分という時間から上映している作品は、これしかなかったのだった。テレビを映画化したものだし、そういう類の作品だから人入りはいいと聞いていたし、シネコンの中では、500人以上の最も大きな劇場で上映しているので、レイトショーでも少なくないだろうと入ってみると、30人ばかりの観客に向けて、予告を上映している。朝から何も食べていないので、ホットドックとポテトを買い込んで、指定された最も後ろの隅の座席に腰掛けた。

 自分の離婚裁判を自分が担当するわけにはいかないだろう・・・はじめから、とても軽くはじまってくれる。予告を観て、複雑で奇想天外だと想像していたストーリーはいたって単純だったが、その単純さがあって、2時間10分がするすると流れに任せ、映画に身をゆだねることができた。重みも軽さもほどよく、豪華なキャストに「東宝は毎回、勝負をかけるなあ。」と思う。それが、宣伝の力によって、ほとんど成功しているから驚く。松竹、東映もマネをすればいいのにと思う。東宝の直営館は、邦画の方があたっているのではないか・・・。この頃は、テレビ局がプロデュースの役割を担っている映画が多く、監督もテレビ界から映画界へ転進していく。昔は、映画界からテレビ界だった。逆転だ。テレビの力はすごい。はじめの頃は、テレビ局の税金逃れかと思っていたが、儲かっている。ますます、テレビが映画に流れていく気がする。なだれ込んでくるかもしれない。

 舞台の主となる狭いセットは、シネマスコープによって、広く撮られている。狭いけれど、カメラは自由自在に切り替わる。その辺りがテレビ演出だが、それでも四方がきちっと装飾されているので、空間のとり方が大変だったろう。クレーンアップダウン、ドリー、レールショットも多いけれど、フィックスの中で動きを求める演出が多い。決められたカットの中で、俳優の動きを頼りに、まるでカメラが動いているようにみせるのが、シネマスコープでは俳優は大胆な動きをしなければならず、かといって、大きく動きすぎると不自然になる。映画のカットを考える時、最も頭を悩ます演出で、俳優の技量も必要だ。しかし、これを多用することで、軽さ重さ以上に、画に厚みを増すことができる。3次元に思えて、スクリーンは2次元だ。その2次元を3次元にする力をもたせることができるのである。2次元を3次元みせる錯覚で、私は好きだ。そこにこだわったのは、思ったより弁護士の崩壊が早いという結末が待っているからだろうと思う。木村拓哉と松たか子の二人物語を割いた分、裁判シーンに魅力がない。封切日が決まっている映画は、その辺りがつらい。現場で脚本を変えようとしたら、中断せねばならないだろう。

 傍聴席の仕出しが、とても気になった。傍聴しにやってきたというより、連れてこられたみたいなきょとんとした顔をしている。こういう日本のエキストラを見ていると、ハリウッドが羨ましい。アメリカ映画は、バックに写っているエキストラも、しっかり芝居をしていて、そこにいるべくしている。衣裳に着替えましたという感じもない。「それでもボクはやってない」の傍聴席のエキストラはとても自然で、私は流れるストーリーに吸い込まれたが、同じ東宝映画の裁判シーンでも、こんなに違うのかと思った。ただただその場にいるエキストラならば、いない方がいい。私のように、斜めから観ているような野郎は、エキストラの視線なども気になって、それなりにそこにいろよ!と、怒りたくなる。

 23時55分に終わり、地下鉄のホームに立ったのが0時。帰って、お風呂に入って、ブログを書いて、寝る頃は、いつものように朝の4時か5時になるだろう。さて、明日は休みである。疲れてはいるけれど、久しぶりに3本のハシゴをしようと思っている。すべて全国封切モノだ。大阪でしか観られないような、ミニシアター系に行きたいけれど、それらは、もう少し、もうちょっとだけ、仕事が一段落したら、駆け足でまわろう。今の私は、観たい観たいと思っていたミニシアター系の映画が、どんどん終わっていくのを指をくわえて見ている。  <70点>

 

★ランキング★  参加してまぁす


ファンタスティック・フォー 銀河の危機(字幕版)

2007年10月02日 23時30分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_7  <なんばパークスシネマ>

 どうしても「包帯クラブ」を観たいと思っていて、まだまだ上映は続くと思っていて、タイムスケジュールを見てみて、9月5日で終わる!みたいな・・・。評判は聞かないけれど、良かろうが悪かろうが、観たい。早々に仕事を切り上げて、なんばパークスシネマにやってきた。早々に切り上げすぎて、2時間以上前に着く。「包帯クラブ」はすでにはじまっているから、食事でもしようと場内をうろつく。2時間以上の待ちなので、しばらくぼーっと、時間の表示された電光掲示板を見ていたら、ファンタスティック・フォーの続編の時間にちょうどいい。前作も観ている。これを観た後、包帯クラブの隙間が20分ある。2作品ハシゴの計画ではなかったが、つづく2作品のチケットを買い求めた。

 さすがアメリカのコミック、話も無茶苦茶で、どーでもいい世界で、無理からのヒーローが集まって、あまりにもあんまりな銀河の危機が起ころうとしている。すでに起こっているのかしら?実写に溶け込んでしまったCGは驚かないけれども、ラストに近づくにつれ、これまでになかったようなアングルで空中の戦いを楽しませる。早くから眠たい夜だったが、半分あたりから映像と音響で目が冴えてきた。こんな画コンテを描くスタッフもスタッフだが、それを現実の実写にしてしまうCGスタッフの力は凄い。この先、CGの映画はどうなっていくのだろうか。このあたりで、止めてもらった方が・・・そんなことを書くと、怒られてしまいそうだけど・・・。

 それにしても、この映画、壮大なように思わせておいて、小さな空間でチマチマしている。顔をあわせるみんなも同じで、いつも一緒だし、事態からして、軍隊は相当な規模で展開しているはずだが、とてもこじんまりと構えてみえる。4人もヒーローがいるから、普通の人間の出る幕は少ないのだろうけれど、こいつらが活躍している間、世の中、世界の人たちはどうしているのかが気になるほど、狭いところで大きな仕掛けをやっていた。てなことを気になりながら観ているのだから、素直には楽しめていないのだろう。ロールスーパーが上がるのを観ながら、ハシゴの「包帯クラブ」に気持はいっていた。とても気になっている。こんなに気になって、期待して、駄作だったらどうしようなんて考える。本作は、疲れた眠気をふっとばしてくれたことに感謝したい。  <70点>

 人生の転機で、ブログ名を「活動写真評論家人生」から「活動写真放浪家人生」として、相互リンクさせていただいている方々にメールを送った。『放浪家』などという日本語はないはずだが、この名前は意外と好評で、面白いタイトルだと次々と返信がきた。自分でも気に入っていて、この放浪家人生、これからどうなるやら、どうあがいても自分が主役になってしまうけれども、プライベートと映画レビューを交えて、書き綴っていこうと思う。さて、観たいと思い続けていた映画「包帯クラブ」がはじまる。

★ランキング★  参加してまぁす


ブラッド

2007年09月30日 23時00分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_4  <ホクテンザ1>

 十分、満足したので、帰って仕事にもどりたいが、 今日までの招待券が2枚、まだ残っている。毎日、オールナイトをしている映画館だが、9月30日までの招待券は、夜中の0時を過ぎたら、どうなっちゃうのだろうか・・・。入れかPhoto_5え制でもないし、指定席でもないし、9月30日の午後11時59分まで使えるのかと思う。本作を観ても、招待券は1枚あまるので、チケットを買おうとしている人にあげようと思うが、21時を過ぎると、誰も入ってこない。夫婦らしき二人がやってきて、券売機の前に立ったので、チケットをだそうとしたが、手にはしっかり、今日までの招待券が握られてある。

 スクリーン前のカーテンが開き、場内が暗くなり、上映がはじまって1分あたり経ったところで、いきなり、映写が止まって、シーンとなった。映写機の音がカラカラ鳴っている。最近のシネコンならば、映写技師がすぐに気づくだろうが、ここではなかなか気づいてくれない。時間をセットすれば、カーテンが開くのも、場内が暗くなるのも、映写機が動き出すのも、すべて自動である。スクリーンはモニターで監視しているが、ほとんど見ていない。途中でブツッと切れるのは、何度もこの映画館で体験している。シーンとしたまま、誰も文句も言わず、約5分ばかり経った。モギリのおばちゃんが音が聞こえないのに気づいたのか、ドアをあけて入ってきた。「あー、写ってないね。」と独り言を呟いて、モギリにもどり、映写室に電話をかけているようだ。そのような音、声が聞こえる。場内は真っ暗のままだ。それからまた5分して、カーテンは開いたまま明るくなった。上映時刻より10分経っている。私は、仕事にもどらねばならず、このままだと最終電車に乗り遅れるのではないかとちょっと焦ってきた。それから3分後、場内が明るくなったまま、いきなり本篇が頭からはじまった。明るいままで、30秒後、暗くなった。とんでもないけれど、私はこういうのんびりしたトラブルが好きだ。昔の映画館は、こんなことはあたり前で、フレームがずれたり、フィルムが焼けて映写機が止まったりした。だから、上映時間表は、夕方ごろから崩れだし、休憩なく次の作品がはじまったりすることもあった。普通のことだから、誰も文句も言わなかった。今のシネコンで起きたならば、みんなカリカリとうるさいだろうと思う。

 前置きが長くなったので、感想は簡単にすませるけれど、ルーシー・リュー主演だというところから既にB級で、物語を読むと、吸血鬼になってしまった自分の恨みを晴らすために、次々と敵をやっつけるなんて書いてある。もう、B級べったりぐっちょりで、観る前からウキウキする。スプラッター・ホラーであることは間違いないけれど、徹底的ではないところがB級で、とても楽しい。私はB級の賛美ばかりしているけれど、最近、アメリカやイタリアのB級作品があまり輸入されなくなったので、それに少々、飢えているのかもしれない。

 これぞまさしく、大劇場で全国一斉公開のレベルではない。1本で上映しているのもどうも気に入らない。2本立の添え物映画の雰囲気を漂わせている。レベルではなく、気に入らないのは上映のやり方だけで、映画としては十分に馬鹿馬鹿しく楽しめる。恨みを晴らすアクションは、晴らす方が勝つと思っているから、そのやり方に、懸命に工夫をしている。カーアクションは一流だ。父と娘の確執なんていう問題も、娘が吸血鬼となって本音を吐くなんていう進行も楽しめる。ラストカットがまたベタで、そうなるだろうな・・・と、思っていた通りになってくれた。大事件は解決したかのようにみえて、実はまだまだこれから・・・これぞB級映画の終わり方だ。血みどろ映画は大嫌いな人も多いけれど、ここまで娯楽に徹して作られると、ぎゅっと抱きしめてあげたくなるような気持ちになる。       <70点>

追記:天六ユウラク座、ホクテンザは、行きたい方が多いようで、でも、ちょっと雰囲気こわそうって敬遠しているみなさん。私と一緒に行きませんか?ご案内します。お気軽にメール下さいね。

★ランキング★  参加してまぁす


ベクシル 2077日本鎖国

2007年09月01日 23時30分00秒 | は 行 (2006.2007)

2077  <なんばパークスシネマ>

 8月31日で仕事が一段落したが、9月から3本同時に制作にとりかかる。気合をいれないといけない。悩む間も与えないほどに多忙な日々が続いてほしい。引越しや変更の準備もあるが、仕事と仕事の合間を埋めるのは、もちろん映画である。

 毎年、いろいろ悩み苦しむことはあるけれど、今年もいろいろあった。特別、生まれてはじめて、まわりの人たちや私の親まで巻き込んだ。そして、私は結婚などに向かないタイプの男だとはっきりわかった。今年のそれらはすべて終わったが、今でも心の波が上下する。夢にまで出る。その度にパニック障害の発作が襲う。

 夏もそろそろ終わった気配をみせ、今日から9月だが、早く来年にならないかなと思う。お正月を迎えると、今年こそはと、毎年、思う。生まれ変われるような気がして、もう一度やり直せるような気がして、元日は好きである。生活は大学時代と変わりなく、一人暮らしだ。もう数年、大阪にいるという腹づもりだったが、2008年の元日は、故郷にいる。8月16日からふりだしにもどったが、第二の人生の本当の幕開けになるように、祈りたい。

 日本の3Dライブアニメというと、私は「APPLESEED(アップルシード)」を思い出す。全国公開だったが、地味にはじまり、地味に終わったイメージがある。今はなくなった動物園前シネフェスタで観た。あれからもう3年にもなるのか。フルCGではない、アニメとCGの合体は新鮮で、近未来を舞台にした映像の美しさも印象的だったが、ストーリーや台詞や間のとり方もうまかった。これまで、ちょろちょろと観させてもらって、近未来を舞台にしたアニメはあまり好きではなかった。ただ、この「APPLESEED(アップルシード)」だけは、私は人に勧めた記憶がある。とても魅力的な日本の3Dライブアニメ。これからは、アニメの世界も、こういう形になっていくのだなと思っていたが、なかなかやってこない。その後、何が公開されたかわからない。久しぶりに3Dライブアニメという文字がポスターに躍っていた。3Dライブアニメの文字だけにじっと目を凝らした。

 監督は、アメリカでCGの修行をして帰ってきた「ピンポン」の曽利文彦監督作品である。「ピンポン」のメイキングを観たとき、私はこの映画の作り方に驚いた。本編を鑑賞していた時は、展開の面白さが上回ってしまって、『どうやって撮影しているのだろう』としか思わなかったが、考えてみると、俳優があれほどのピンポンの技術、曲芸のような打ち方ができるはずもない。練習時、試合のシーンのピンポン球が、メイキングでCGだと知った時には、本当に驚いた。エキストラの都合まで考え、さりげなく、観客までCGで合成している。お金があるのかないのかわからない作品だが、エキストラよりもCGを監督は選んでいる。学んだことを自分の映画でやってみたかったのだろう。

 その曽利文彦監督の3Dライブアニメ。これを実写とした場合、ハリウッドの作るSFそのものであると私は思った。これはアメリカ映画で、日本語吹替版ではないか。そんな居心地である。3Dライブアニメは精巧に描かれているし、迫力満点だが、物語は単純で、飛びぬけた発想でもない。曽利文彦という人は、監督であって、脚本家ではないな。そんなことを考えながら観る余裕もある。そして、3Dライブアニメでなければならない理由はみあたらない。スクリーンに流れる映像、スピーカーから出る音は大迫力だが、やはり、アニメなのである。アニメだからこそ表現できるカメラアングルの工夫も感じられなかった。これならば、実写とCGの合成で表現できる。できたとしても、A級とは言い難い。レベルとしては「トランスフォーマー」程度だ。面白くないわけではないが、平坦な道を突き進むSFアクションであり、物足りなさを感じた。日本のCG技術は世界一だと私は思っている。それは放映されるCMで実証されている。短いものならばアメリカを寄せ付けぬほどの技術をみせる。だが、映画となると、つらいことに、予算がない。予算がないなら、内容で勝負すべきで、折角、3Dライブアニメという分野を選択したのだから、どんな頭が創造したのかと驚くほどのストーリーであってほしかった。私の大好きな「APPLESEED(アップルシード)」を、せめて抜いてほしかった。

 観終えたのが18時35分。外はもう薄暗い。日が短くなってきた。Tシャツ一枚では、場内のクーラーは寒かった。大阪の最後の秋である。秋の秀作をたくさん観て、故郷に帰りたい。           <50点>

★ランキング★  参加しています


腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

2007年08月14日 23時30分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_294  <シネ・リーブル梅田>

 2日前は朝に整理券をもらったので、番号は「1」だったが、今日は25分前で「25」である。20時55分の一回のレイトショーでも、よく入っているなと思う。チケットを受け取ってから、住所変更届を出す。ついでに、一階、上にあがって、梅田ガーデンシネマにも寄り、住所変更届を出す。私は近いうちに引っ越すことになった。故郷へ帰るのである。18才まで故郷で暮らし、それから27年間、大阪で生きた。長いようで、とても短い27年間だったと思う。あまり大阪ではいいことがなかった。とはいえ、故郷でもいいことはなかった。つまりは、人生、そういいことはなかったのか・・・いや、これからいいことがいっぱいあるような気がする。今日は朝から、なぜかそういう意気込みだ。年令相応の考えや行動をとりたいなんて思う。

 大阪にいるかぎりは、大都市でなければ観ることができない映画をたくさん観ておきたい。そんなわけで、今日の4本のハシゴは、すべて地方都市ではスクリーンで観られない作品を選んだ。私の再スタートの日は、16日で、まだ2日早いが、精力的に前向きにプラス思考で動く。

 オリジナル舞台が、小説になり、それを脚本化して、CMディレクターが、初の映画のメガホンを撮ったという。いろんな形で本作を観ることができるのだろうが、私は映画だけを観る。本作を観たいと思ったのは、予告篇の出来であったからだ。CMのディレクターというと、予告篇の作りが上手く、ごまかされて、本篇はガタガタ?となる恐れがあるが、よくできた作品だった。ピーカンの鮮やかな緑と青の世界に、腑抜けどもの生活が描かれる。この腑抜けは、出ている者ではなく、すべての人間に対する挑戦的タイトルだ。

 大都会では珍しくない自己意識の強い女を佐藤江梨子が見事に演じる。笑顔の可愛いただのグラビアアイドルだったが、どんどん風格が出てくる。観ていて、身勝手で、とても憎たらしい。兄の妻を演じる永作博美が抜群にいい。不気味な人形を作って楽しがる他は、どんな扱いでも、不幸でも笑顔に変えようとする。コインロッカー生まれの彼女は、愛する人を真剣に求めている。それでも、受けてくれないのは、自分のせいだとしつつ、前を向く。とてもいじらしい存在だ。これら、いるべきところにいるキャスティングはうまいなと思う。初メガホンとは思えぬ監督ぶりだ。カット割りがとても丁寧で、ひとつの画面に多くの情報を入れているのは、やはり、CMで鍛えたのだと思わせた。

 この映画、ラストがいい。あのスパッとした切り方・・・昔の作品には多く、そしてこの頃、また増えてきたが、とても好きな終わり方である。東京へ旅立ち、それからあの姉妹はどうなつていくのか、想像は観客に任せる。一人取り残された永作博美は、これからどうしていくのか、扇風機があるだけで、彼女は消えている。はぁ、終わったというより、さぁ、どうなる?が、監督の狙いだろう。とても映画的だ。面白い作品を観た。

 この頃、日本映画を観る機会が多い。日本映画がたくさん作られているからだが、まだまだ、ミニシアターで公開される日本映画の方が、内容で勝っている。ミニシアターを全国に作ってほしい・・・採算を考えると、都会でも四苦八苦なのだけれども。            <80点>

★ランキング★  参加しています


プロヴァンスの贈りもの

2007年08月12日 23時00分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_292  <梅田ガーデンシネマ>

 「エイリアン」「ブレードランナー」「グラディエーター」「ハンニバル」、先日、極限状態の精神の中で観た「それでも生きる子供たちへ」・・・リドリー・スコット監督と見ただけで、私は、観ずに死ねるかなどと意気込んで入場を待つ。朝に買ったチケットなので、私の整理券番号は「1」である。客は、「天然コケッコー」にかたよっていると思っていたが、それでも50人ばかり待っている。この甘ったるいタイトルに惹かれてやってきたのか、監督名できたのか、ラッセル・クロウできたのか・・・意味のない想像をめぐらせて、待つ。原題は、「A GOOD YEAR」で、良いタイトルだと思うが、宣伝部が女性客をターゲットに絞ると、こんなことになる。日本語の原作のタイトルも同じなのだろうか。だったら、出版社である。

 「では、開場いたします。1番の方からどうぞ。」・・・オッサンが、入場する。後ろで「次に2番の方。」という声が聞こえる。若い女性が入ってきた。私は例によって、最前列の端に座る。シネマスコープだろうが、スクリーンが小さいので、最も前が一番観やすい。20世紀フォックスのトレードマークもこじんまりしている。

 リドリー・スコット監督作品。安心して観ていられる。「ロンドンの金融界で、非情なやり手として活躍する主人公が、おじさんの死によって遺産を受け継ぐ。フランスの広大なワイン用のブドウ畑と城。これを売り払うつもりだが、訪れて、幼少の頃の自分とおじさんの思い出を頭に浮かべるうち、お金よりも大切なものがあるのではないかと思えてくる。そこへ、心をゆるす美しい女性が現れる・・・」ありがちな、単純なストーリーで、展開がはじまっても、その先が読める。1時間を過ぎたあたりから、結末までも見えてくる。でも、それでいいのだ。映画に身を委ねていればいい。この作品は、スクリーンに身を委ねて、にこっと笑いながら気分良く観るタイプだ。

 撮り方も妙に凝っていない。カメラワークや照明など、私のようなやっかい者が観ていても、文句はない。あるべきところにカメラはあり、無理なく丁寧に編集しているので、流れに集中できた。安心して、ミーハー映画ファンも楽しめるのに、地味にミニシアターで公開している。リドリー・スコットもラッセル・クロウもグラディエーターも、もう宣伝にならないのだろうか。あくせく、忙しく働く日本人・・・今日はそんなことを忘れ、ゆったりと、ワインのブドウ畑に囲まれて、映画を楽しんでもらいたい。

 この後、私は同じビルのシネ・リーブル梅田で、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を観る予定であった。観たい観たいと、何ヶ月も前から思っていた。20時55分の1回のみのレイトショーで、今週で終わる。朝、テケツでチケットを買い求め、整理番号「1」をもらった。待ち時間の1時間半の間で、彼女から、気のないような心のないような「明日、大阪に日帰りで行くね」という短いメールが届いた。またか・・・何を言いたいのか察しはつく。別れたい・・・3度目の心変わりだろう。以前は慌てたが、私はどういうわけか、平然としていた。

 さあ、レイトショーを観て帰るかと、シネ・リーブルでトイレを済ませ、場内へ入ろうとして、私の足は立ち止まった。私の以前の彼女がそこにいる。映画の楽しさを教えたのは私だが、別れて映画は観なくなったと思っていた。誰でもびっくりするほどの虚言癖をもった人で、毎日、自分の自慢ばかりしていた。それをはっきりと思い出した。私は、一度、別れた女性とは二度と会わないとしているので、ロビーに入ることはできない。相手が私に気づいていないのが幸いだ。踵をかえして、新梅田シティを後にする。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は、観たい観たいと思っているのに、縁がないのだろうか。私は、お馴染みのトンネル通路を通らず、遠回りの踏み切り側を歩いた。

 今の彼女が、さて、どういう言い方で別れを告げてくるのか・・・いろいろ想像しながら、大阪駅まで歩く。彼女を馬鹿にしていて、とても残酷な想像だが、一度別れて、つい先日の6月29日に私は自殺しようとしたのだから、これくらい言ってもいいだろう。ダメだろうか。  <80点>

★ランキング★  参加しています


ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(字幕版)

2007年08月07日 23時00分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_288  <TOHOシネマズなんば>

 本作には熱烈なファンが多く、みんな詳細なストーリーと評論を書いておられるので、それらは一切書かないことにします。

 一ヶ月フリーパスをいただいたからには、たくさんの映画を観ておきたい。貧乏根性だなと思うが、引っ張られるように足はTOHOシネマズに向く。たくさん映画を観る人は、1本あたりどれくらいの鑑賞料金を支払っているのだろうか。男性、女性、シニアによって違うだろうが、レンタルビデオで借りるならば、映画館で観た方が絶対にお得な設定だ。どんどん映画料金は安くなる。

 封切からしばらく経っているし、今日は平日の火曜日なので、そんなに人は混んでいないだろうと、本作を選んだ。19時ちょうどの回である。後ろの通路側に座って、予告を観ながら、頭を数えてみると、270の座席に対して、わずか20名だった。座席数の割りに広い劇場なので、見た目は、がらんとしている。いくら平日とはいえ、大ヒットシリーズで、場所が大阪一の繁華街、なんばという立地条件である。昼間はどのくらい入っているのだろうか。地方都市の映画館の入りはどうなのだろうか。スクリーンの数は増えるが、映画を観にくる人は少なくなっている。鑑賞料金も安くして、採算はとれるのだろうか。そのあたりのカラクリが私にはわからない。

 ベストセラーなので、読んで行かれる方も多いだろう。私は読んでいないので、まったくわからず、映画を楽しむだけだ。本作のシリーズにおいて、実写とCGと特撮の融合には、もはや驚かなくなってしまったが、それよりなにより、台詞がいい。これは、シリーズを観てきて、思わなかったことだった。大人が子供たちに発する言葉だが、44才の私にも通じる教訓を随所に配している。そうなんだよな、そういう心意気で生きていきたいよな・・・原作に書かれているのだろうが、何気ない会話だが、そのあたりにしびれた。

 2時間以上の作品に飽きることがなかったのは、ストーリーの単純さとCGを駆使した映像の為だろう。クリス・コロンバスの1と2は印象深く記憶にのこっているが、それ以降は、観終えてもあまり覚えていない。次も観るだろうが、流れだから、惰性で観てしまうきがする。熱狂的ファンが多いので、申し訳ないが、本作も観たいようなどうでもいいような気分で劇場に入った。  <60点>

★ランキング★  参加しています