活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

嫌われ松子の一生

2006年05月28日 23時30分00秒 | か 行 (2006.2007)

Photo_24 <ナビオTOHOプレックス>

長い期間、同じ予告を何度も見せられた。撮影の進捗状況にあわせて、違った長めの予告も何度も見せられた。正確ではないが、50回は見せられた。こういうことをされると、期待は膨らむに決まっている。しかし、人間には期待度の限界というものがあり、ここまで引っ張ると、もうどうでもいいような気持ちになる。「下妻物語」の監督というのがコピー。ということは、必ず、ヒットする。映画館は、人でいっぱいだ。

あの深田恭子を女優にした監督だ。だが、深田恭子は「下妻物語」だけで、後の「天使」は見るに耐えない。台詞のない、ト書きから演ずるだけの役はとても難しく、彼女の抜擢の意味がわからなかった。つまり、深田恭子は「下妻物語」のみ、評価される対象である。テレビの「富豪刑事」は、素人以下だ。だから私は思った。監督が深田恭子を女優にさせたのだと。演出は、俳優を変える力も持っていなければならない。「下妻物語」は、深田恭子の代表作で、それ以前、それ以降は、役者の玉子にもなりきっていない。

東宝は「下妻物語」の大成功を喜び、大きな予算を組み、中島監督に次回作を撮らせたのだろう。中島監督は、もともとCMの人である。細かく映画の仕事にかかわっているが、監督作品(第一作)と呼べるものは「下妻物語」だろう。私の手帳には「下妻物語<80点>」となっている。さすがはCM出身だけあって、短いシーンの中に情報を詰め込み、カットにもこだわっていると感心した。ストーリーも楽しく、構成もわかりすく、役者を活かした。こういう作品を観ると、やはり次回作も期待する。期待しなければよかった。確かに前作の手法で撮られているが、これはなんぞや。本篇よりも予告篇の方が数段、面白い。ポスターの年表の方が何倍も楽しい。あれだけ幅広い分野で活躍する俳優たちを集めに集め、豪華に使っているのに、もったいない。ストーリーも流れもしっかりしいるのに、すかしっ屁をくらったシーンの嵐。激しい映画になるのかと思ったが、意外にスロー。「松子」の人生は、それほど際立ったものではないし、悲劇に和やかさを出そうとするMTVのようなカットもたいしたものでもない。『奇抜な発想』なのに、映画そのものは『どうでもいい』ものだった。奇抜な発想をどうでもよく見せるなんて・・・。次回作もあるだろうが「嫌われ松子の一生の監督が送る・・・」といコピーは使えないだろう。次回作も「下妻物語の監督、脚本!」で、ポスターを作れば、成功するだろう。今作も興行は成功するだろうが、それは、ポスター、予告篇、TBSの大宣伝の巧さにつられて観にきただけ。とても辛辣な書き方をしているが、褒めようがない。私は映画館に(予算をかけた豪華な)テレビドラマを観にきたわけではない。映画を観にきたのである。

と、ここまで書いて、みんなのブログを読むと、ほぼ大絶賛。私への批難、甘んじて受けます。覚悟してます(涙)。<35点>

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雪に願うこと

2006年05月27日 22時54分53秒 | や 行 (2006.2007)

Photo_23 <動物園前シネフェスタ>

根岸吉太郎の名を世に知らしめたのは薬師丸ひろ子主演の「探偵物語」だったように思う。松田優作と共演しているが、テレビの「探偵物語シリーズ」とはまったく関係はない。テレビシリーズが終わり、同じタイトルの映画だし、松田優作出演の映画が公開されたので、私は勘違いしたおぼえがある。

薬師丸ひろ子というだけで、大ヒットした時代があった。日活ロマンポルノ時代、根岸吉太郎監督は勢力的に撮った。その才を買われ、一般映画を撮らせてもらう機会を得た。当時、ベストセラーと言えば赤川次郎、赤川次郎と言えば長者番付一位で、さらに脚本が鎌田敏夫である。角川映画は、必ずヒットさせる自信を持ち、裏方に金をかけている。根岸吉太郎が「探偵物語」を撮りたかったかは別として、大きなチャンスをものにしたことは間違いない。だが、監督のその後は恵まれたものではなかったと私は思っている。本当に撮りたいものは何か。焦点が見えない監督だ。「課長島耕作」なんて、撮らされた感があった。いつも撮らされているように思う。撮りたいものは何だったのだろう。ポルノ映画で燃え尽きてしまったのだろうかと思う。根岸吉太郎のロマンポルノは秀作が多い。ここぞとばかり、日活でネタを出尽くしたような気がする。 撮りたかったのだろう「透光の樹」は、不運な目に遭った。折角、自分の作品を世に放ったのに。

ようやく根岸吉太郎監督が何の問題もなく(違うかもしれないが)、自分の撮りたい映画を撮ったという印象。この頃の日本映画にはない「じっくり腰の据わった」作品だ。70、80年代に活躍した映画人だけに、脇役だけではなく、ちょい役でも主演級の俳優を起用する。極寒の中での撮影は苦労しただろうが、出演者の馬の扱いにどれだけの時間と費用を要したろう。特に吹石一恵は大変な役柄だ。最後のレースは何カメで撮っているのか、激しいカット割りになる。その激しさは、わが身、時間を忘れる。私ならBキャメラに「吹石にもっと寄れ。眉から顎まででフォローし続けろ。」というに違いない。

静と動が見事で、それは佐藤浩市に託される。静と動は、観客に飴と鞭を与える。これはストーリーにメリハリをつけて、感情移入させる手法だ。昔、よくやった手だが、とても新鮮に感じた。 小泉今日子もいい。離婚してから映画に出てきたが、けっして稼ぐ為ではない。映画を選んでる。ただのアイドルだっのに、40にして輝きはじめた。「あんみつ姫」と同じ人とは思えない。 根岸吉太郎は50も半ばだろうし、大御所の仲間入りだが、これから、本当に自分の作りたい作品をみせてくれるだろう。

本作を観た後、別の映画を観ようと計画していたが、もう一本なんて、とてもそんな気にはなれず、そのまま家路についた。「じっくり腰の据わった映画」を久しぶりに味あわせてもらった。<85点>

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ANGEL-A アンジェラ

2006年05月26日 23時48分51秒 | あ 行 (2006)

Photo_22 <アポロシネマ8>

今から30年近く前「スターウォーズ」を撮り終えたジョージ・ルーカス監督は「私の監督作はこれで最後だ。」と言って、次の「スター・ウォーズ」2作を別の監督に任せ、自身はプロデューサーに退いた。「インディアナ・ジョーンズシリーズ」もジョージ・ルーカスの原案だったが、監督をスピルバーグに任せた。  宮崎駿監督は「千と千尋の神隠し」を制作した後「私の最後の監督作だ。」と言った。私はそういうことを真に受ける人間で、残念だなあとひとしきり溜息をついた覚えがある。  「レオン」で世界に名を知らしめたリュック・ベッソン監督は「ジャンヌ・ダルク」を撮り終え「これが私の最後の監督作だ。」と言った。それからはプロデューサー、脚本のみで、私は「本当にやめたのだ」と思っていた。  「スターウォーズエピソード1ファントムメナス」「ハウルの動く城」・・・そして「アンジェラ」。人の気は変わるし、平気で裏切る。ただしこれは嬉しい裏切りでもある。

なんと不思議で、心地よい映画だろう。脚本を書き終え、この作品を誰の手にも渡したくなかったのだろうと私は思った。正直「TAXI」「WASABI」は、面白いが、高く評価できる作品ではない。いつまでもいつまでも宣伝文句は「レオンの監督が贈る・・・」だった。いつまで「レオン」を引きずった宣伝をしているのか、あきれた。「レオン」は、観ずに死ぬなかれだが、ちょっとリュック・ベッソンがかかわっていたら「レオンの・・・」のコピーを見るのがイヤだった。そして本作。

モノクロ(厳密に言うとカラーで撮影しモノクロ転換したもの-モノクロで撮影したフィルムとは画質が異なる)が、映画全体にシャープさを与えている。そしてパリ市内の風景が美しく、二人を邪魔していいない。私たちは、じっと二人を見つめ続けなければならない。印象を風景画の中の二人として記憶させる。それが、流れをさらに際立たせ、ストーリーを明確にし、観客の感情までも動かす。モノクロで撮らなければならない映画もあるのだ。そう思わせた。ハリウッドに呼ばれて撮った「フィフス・エレメント」「ジャンヌ・ダルク」より、リュック・ベッソンは、こういう作品を本当は撮りたいのではないか。アクション満載より、こういう映画・・・年令もあるだろうが、本作の心地よさは他に類を見ない。しか、どこからこんな奇抜な発想が生まれ、構成を立て、台詞にし、カット割を考えるのか。どんな頭がそれをこなすのか。すべてが得意分野であるなら、リュック・ベッソンは、まだまだたくさんの名作を生んで欲しい。<85点>

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チェケラッチョ!

2006年05月26日 23時45分08秒 | た 行 (2006.2007)

Photo_21 <動物園前シネフェスタ>

青春、恋愛、ジレンマ物語。先も見えるし、構成も基本的だが、単純に楽しめた。なるようになる読める映画・・・こういう場合、良い作品と悪い作品の極端になる。私の中では、良作である。

ほとんどの出演者を知らないので、新鮮でもあった。取り巻きに確かな役者陣を据え、若い役者をさりげなくカバーする。頃ごろ、めきめき出てくる女性監督の作品は、丁寧に撮られているという共通点があるように思う。観終えた雰囲気は「リンダ!lリンダ!リンダ!」に似ていた。オヤジギャグの連打など、つっこみどころは多々あるが、最近、毒舌を吐くと、後でなんだか虚しくなる。気が弱っている。

本来、この映画はミニシアター系を予定していたはずだ。それがどういうわけか、東宝直営館で全国絨毯爆撃。こういう荒業をしないでほしい。荒業で儲けるのもいいが、人によって良し悪しが明確になる種類の作品だから、邦画をあまり観ない方は「やっぱり日本ものはつまんないな。」という感想が聞こえてきそうだ。ミニシアターが似合う秀作だった。<65点>

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家の鍵

2006年05月25日 23時41分18秒 | あ 行 (2006)

Photo_19 <OS名画座>

私ごとだが、高校生から大学生までの何年間か、障害児のボランティアをしていたことがある。対象は小学生から中学生。自閉症、盲目、脳障害と様々だった。遠足、運動会、クリスマス会、キャンプと、何でも参加した。どういうわけか私には金欲があまりなく、長期間の場合はアルバイトをやめてでも参加した。

三泊四日のキャンプは、障害児と健常児の半々で実施された。子供たちは親と離れ離れになるのが条件で、障害児をもつ親たちは心配顔で「一日も一人になったことがないんですよ。」と、振り向ききつつ帰っていった。一日目は健常児の中に障害児への偏見があったが、翌日からそれは見事に消えた。

私は「生まれながらに盲目の小学3年生の女の子」と「重い自閉症の小学4年生の男の子」を受けもった。男の子は自分で小便ができず、それを言葉にできず、私はおしっこをしたい様子を察してトイレに連れて行った。おちんちんをもって、手におしっこがべちゃべちゃと付いた。初日の夕方から、それも平気になった。

ほとんど笑ったことがないという盲目の女の子をキヤンプファイアーに連れて行き、歌ったり踊ったりした。ためらっていた女の子が、30分もした頃、目の見えない目を私の顔の方へ向け、笑顔を作った。私の顔のあるだろう位置へ見上げた。私の手を握って、満面の笑顔になった。女の子の頭の中に、どのようにこの光景が写っているのだろうか。私は笑顔を見ながら、ぼろぼろと涙を流した。

寝る間もない三泊四日だったが、男の子も女の子も私になついて、母親が連れにきても「帰りたくない。」と、私の腕を強く掴んだ。そして、私に頬を寄せて、瞑った瞳から涙を流した。私も涙があふれ、三人で肩を抱いて「さようなら」と泣いた。母親はそれを見て、私に「私はこの子の為に生き続けます。」と言った。あの男の子、女の子はいま、どうしているだろうか。本作を観ながら、そんなことを思い出していた。

シャーロット・ランブリングがふともらす「死んでれたら・・・と思うことがある」という台詞を私は実際に何人かの母親から聞いた。あの言葉は、障害児をもつ親ならば、誰もが一度は考えるはずだ。考えなくとも過ぎる。いつも母親が我が子の手をひく。父親は、我が子の為に、少しでも稼ぐことのできる仕事に就いていた。何のための人生か、誰のために生まれてきたのか。私はボランティアの中から「自分がこの世に生まれてきた意味」をよく考えた。偽善を捨てて言えば、人間がこの世に生まれてきた意味は、自分が何をしたいからは二の次で、他人に、人に何をしてあげられるか・・・そう思った。そして、今もそう思っている。言えば恥ずかしいし、心無い人たちから偽善者だと罵られるので、誰にも言わない。

本作に出てくるパオロは、私が見てきた障害者の中でも軽度と思われるが、心の根の根に、別の障害を抱いている。パオロは愛情を感じて生きてきたろうか。こういう障害をもつ人間にとって、肉親の愛情がもっとも大切だと考えると、それはまるでなかった。15才になって現れた父親。父親は父親と認め、そして拒否もしている。パオロの身勝手さ、暴言は聞きづらいが、それを父は責めない(自閉症の子供は、思った事をはっきりと言うので、こちらが傷つくこともある。)。しかし、度が過ぎると怒る。度が過ぎていくのはわかっているのに、そこまで黙っている。そして、怒る。この怒りは、パオロに向けられたものではない。己に対する怒りだ。15年前のあの時、子供だった父は、現実から逃避した。とても弱かった。新たな子を授かったことで、大人として、親として自覚し、そして自ら作った15年前の空白を責める。今も弱さを抱えているが、家庭があり、幼子がいる。しかし、親の気持ちにはなれている。これからパオロとどう生きていくのか・・・幕は閉じる。

評論にもコメントにもなっていないが、私は父親でもなく、大人にもなりきっていない。筆は拙いし、評論ではないとお叱りを受けそうだが、本作は、私の体験とダブらせることで、評論とさせていただきたい。<70点>

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ダンサーの純情

2006年05月23日 14時05分36秒 | た 行 (2006.2007)

Photo_20 <シネ・リーブル梅田>

 韓国映画制作の中で、ラブストーリーはどれくらいの割合を占めているのだろう。とにかく多い。韓国では、有名無名にかかわらず、俳優のギャラは年功序列だと聞いている。ということは、ギャラを抑えるためには若手を使えばよい。若い人ばかりが出る映画なら青春ものだ。学園もの、スポ根もの、ラブストーリー。これなら制作費を考えず、脚本を執筆できる。そういうこだろうか・・・どうかは推測の域を出ないが、本作も基本的にラブ・ストーリーである。主演の女の子、笑うと十代の頃の菊池桃子に似ている。口元が。

極めて単純明快な物語、構成、脚本だ。とりたてて複雑にせず、笑いも適度に入れてある基本中の基本のラブストーリーだった。だが、この基本中の基本というものに、日本人は弱い。私も日本人の一人だから、弱い。韓国の人も同じなのだろうか。ゆるやかな紆余曲折の果てに結ばれる映画が多いように思う。現在の映画世界は、起承転結なんて考えない。もちろん、考えなくてもいいし、そんなものがない映画は新しい世界をみせてくれる。本作は、ちゃんと起承転結がある。これが基本形だと言わんばかりの流れだ。蛍が出てきたとき「最後は、蛍が二人を取り巻いたりして・・・」と思っていると、その通りになってくれる。やっぱり・・・だが、そのやっぱりがいい。伏線が見えるのも観客にとっては楽しいものだ。いまさら、高い評価を望めないが、典型的ラブストーリーを観ると、長年、映画を観ている私などは、なぜかほっとさせられた。

そして・・・まだ人間は、愛に答えを見出してない。だから、形を変え、品を変え、ラブストーリーは作り続けられる。

5月もおわるが、数えてみたら、今年は本作で150作品を鑑賞。もはや「映画鑑賞依存症」としか言いようがない。おかしい。自分でもこわい。<55点>

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アローン・イン・ザ・ダーク

2006年05月20日 23時58分30秒 | あ 行 (2006)

Photo_18 <天六ユウラク座>

ゲームをヒントにし、ロックミュージックをバックに、ただただ、銃でぶっぱなし、敵をどんどん殺していく映像を撮りたい。しかしそれでは観客を呼ぶことができない。 さあ、そこで考える。ウソっぽいこじつけではなく、多くがなるほどと頷ける前後でなければならない。柱は「バタバタとぶっぱなして殺すシーン。これだけは変えられない。後は自由だ。」こういう構想は難しいだろうが、とても楽しいだろう。完全に妄想空想話で、どうでもいい内容だが、単に観ていられる。何も言う必要はない。クリスチャン・スレーター主演ではあるが、B級の王道をひた走る。  楽しくもないが、つまらないこともない。ドキドキするが、ハラハラはしない。計算された謎解きのようで、単純で尻切れだ。しかし、映画の雰囲気づくりには手を抜かない。これがB級だ。B級を馬鹿にする人も多いが、B級にはB級の楽しみ方がある。A級と思っていくと腹がたつかもしれない。 とりあえず、息抜きしたいときにはもってこいだ。娯楽そのもの。だが、そういう時に観る映画が存在することだけでもありがたい。<40点>

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風のファイター

2006年05月20日 23時56分14秒 | か 行 (2006.2007)

Photo_17 <ホクテンザ2>

 映画をA級、B級、アングラ、自主制作とわける。主にはAとBにわける。これはフランスを中心とした欧州、ハリウッドを中心としたカナダ、アメリカのわけ方である。実は、日本映画では歴然とわけてはいない。日本映画にA級もB級も無い。  外国映画であっても、基準は曖昧である。基準は「制作費が高い。原作が有名。監督が一流、有名。俳優が一流、有名。配給会社が一流、上映館数が多い・・・」といったもので決められる。どれかひとつでもOKである。しかし、二つあてはまってもB級とされる場合もある。アメリカから言わせれば、日本映画は基本的に、すべてB級なのだ。

同じように、日本では、映画館をA館、B館とわけている。もっと昔は、B館の下に無印もあった。これは、映画館の立地条件、設備の新旧などによってわけられる。映画会社、配給会社が決めたものだ。何が違うかというと、配給会社からのフィルムを借りる料金が違うのである。立地条件や設備が悪ければ、人入りも悪い。だから、同じ作品でも安く貸し出すのだ。

私の通う、天神橋筋六丁目の「シネ5ビル」は、B館。全国一斉封切作品であっても1,700円、1,600円という値段設定である。行かれた方ならわかるだろうが、肌でB館を感じられただろう。5館の映画館は11時、一斉に上映開始され、一年中、オールナイトだ。上野、浅草、新世界ならわかるが、ここは基本的に封切館だ。少なくなった映画館の形である。現在もデジタルドルビーを採用しない、この映画館に、長年、私は通っている。

東京からのお流れで封切ではないが、大阪では今日から本作が公開となった。韓国映画は、ラブストーリーか南北分断を訴えるものが殆どで、もうそろそろ飽きてしまったが、本作は、まったくそれとは異なる。日本で活躍した朝鮮人を描いた作品に「力道山」がある。これも同じように、日本で活躍した朝鮮人のドラマである。私は極真空手の中身を知らないが「大山倍達が世界に極真空手を知らしめた人物」だということくらいは知っている。晩年は、テレビ番組やCMにも出ていた。

本作には、東映、大映の日本映画のようなにおいを放つセットが次々に出てくる。大山倍達がなぜ日本にやってきたか、なぜ空手を極めるに至ったかは、どうか本作を観ていただきたい。壮大な人間ドラマだ。そして力作である。2時間10分の中に、入りきれないほどのエピソードが詰め込まれ、間を置かない。私としては「力道山」よりも楽しめた。そして20億もかかった「タイフーン」より、7億の本作の方が大作ではないか。その大部分はセットや移動にかかったものだろうが、どこで採算を取るのか・・・これからの船出だと思う。 構成は自然であり、流れに凝らず、撮り方も特別ではなく、脚本がしっかりしている為、観ていてはっきり理解できるし、その上、彼ら彼女らに感情移入もできた。昨今の韓国映画の中でも、上位をいく作品だと思う。韓国ブームはまだ終わらないとばかり、なんでもかんでも輸入せず、選択して輸入するべきだ。そしてこの作品は、迷わず選ぶべき映画だ。<80点>

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僕の大事なコレクション

2006年05月18日 21時03分21秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_16 <ホクテンザ2>

映画宣伝で「全国一斉ロードショー」という。「ロードショー」とは、ロードするから「ロードショー」なのであって、全国一斉に使うべき言葉ではない。つまり、そんな言葉は有り得ない。昔、映画が華やかだった頃、道路も整備されてなく、運送に時間がかかった頃、ロードショーは当然だった。まず、東京で封切られた。東京で上映を終えると、鉄道と同じで、すべて下りになった。北海道へ向けてと、九州へ向けて。東京で1月に公開し、2月に終わった映画は、半年~1年かけて釧路や枕崎へ運ばれた。ロードするからロードショーだ。

この「ロードショー」は、現在、単館作品でよみがえっている。大映が消え、松竹が日本映画を放棄して、邦画の一斉が少なくなったのも一因だろうか。日本映画の単館上映も数多い。単館はあちらこちらにできて、東京や大阪では、あまりにも多くなってしまった嫌いもある。「単館で上映する映画は何か私たちに残してくれる。秀作が多い。」と、みんなが思っていたはずだ。しかし、あちこちにできてしまうと、そんなに秀作ばかりかけられなくなる。現に「ミニシアター系」という言葉も消えつつある。東京で上映を終えた「僕の大事なコレクション」は、ロードされて大阪へやってきた。

原作はあるものの、見事な脚本だ。ひとつの首飾りと一枚の写真から、壮大で楽しく切なく哀しく美しく、そして過去の大きな問題を私たちに投げかける物語へと移っていく。監督が無名だからか、出演者が地味だからか、惜しくも単館ロードショーだ。

リングに導かれている主役を採用したのも面白いし・・・こういう映画こそ、全国一斉上映してもらいたい作品だ。映画ファンではなくとも、何かをのこしてくれるはずだ。そして、何十年も経て、ストーリーを忘れたとしても、ある時、チラシでもポスターでも見て「この映画、面白かったなあ。」と、そのときの感触がよみがえると思う。と、胸を張って言い切っているが、とは言い切れない部分もある。微妙に好みのわかれる映画とも言える。「わかる人にはわかる映画」は、私は愚作だと思っているが・・・個人的にはお勧めしたい。

ロードショーされるロードムービーは、私の胸を熱くさせた。この映画を観た後、違う映画鑑賞を予定していたが、入替制ではないので、もう一回、観た。二回続けて観ても、いい映画は、やっぱりよかった<85点>

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変態村

2006年05月17日 23時01分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_15 <京都みなみ会館>

タイトルひとつで、映画興業は左右される。大ヒットとコケルなんて、大きく左右される場合もある。「サスペリア2」は「サスペリア」と何の関係もないイタリアのスプラッター映画である。続編でもなく、何のつながりもない。ただ、スプラッター映画が流行っていた頃、ついでにもってきて、日本で勝手に「2」と題した。馬鹿当たりした。私は「サスペリア」より「サスペリア2」の方が好きだが「サスペリア2」を観るために「サスペリア」を観る必要はない。まったく関係ない映画同士だからだ。

逆の場合もあるだろう。「ターミネーター3」は「ターミネーター2」の続きだが、これを別のタイトルにした場合、どこまで稼ぐことはできるか。続編で、当たり前のタイトルだし、私は極端なことを書いているとわかってはいるが、要するに、タイトルというのは、映画を観る前の人にとっての第一印象であり、固定観念をもたせる最大の材料なのだから、とても大切だと言える。「変態村」と読み、観る前の印象はどうか。

映画を一年に何本かしか観ない人ならば、まず、B級の低俗な映画だと印象を受けるのではないか。そういう人が多いのではないかと思う。安く作ったB級ホラーか、ジャンル分けできない一貫性を欠いた映画・・・その通りであれば、私は喜んで「変態村」を観る。『さあ、今から馬鹿馬鹿しいB級ホラー・スプラッタを観るぞ!』と。しかし、この映画はそんなタイプの作品ではない。もっと言えば「変態村」というタイトルがもったいない。そんなぴったりくる作品がやってきたら付けたらいいのに、と思う。「変態村」というタイトルに惹かれてやってきた観客は落胆するかもしれぬ。ただ、映画ファンならば「単館作品だから、つまんなくはないだろう。何か隠し玉があるに違いない。」と思うだろう。「相応しいタイトル」とまでは言わないが、この映画には、あまりにも相応しくない。

見事な「サスペンス、サイコ、ホラー、そして哀しい映画」である。単純な構成でありながら、(よくある形だが)ストーリーがいい。また、スクリーンから醸し出される異様な空気がいい。とても静かでいて、謎を秘め、倒錯した世界は、最初から最後まで貫かれている。よくもまあ、あんなに癖のある顔の俳優を集めたものだ。そして、どんな奥地に行ってもガードレールとカーブミラーのある日本では描けない、広大な土地と村の画。どこだかわからない土地で、見知らぬ怪しげな男たちに囲まれて体験する恐怖の時間。生唾をのみながら観る上質の作品だった。

男たちばかりが現れる。幻想的に出る子供の群れ。グロリア、グロリアと女性の名前が頭に残るが、グロリアは出ない。いや、最後に出たのかもしれないが、あれは主人公の前の人物か。観終えた後、ポスターもいい写真を使っていると思った。あれが答え(らしきもの)になっている。タイトルは「変態村」ではいけない。付けるなら「グロリア」が適しているが、これはアメリカ映画で知られすぎている。さあ、どんなタイトルがいいのか。私はそればかり考えながら家路に着いた。それほど印象の濃い映画であったし、映画鑑賞人生の中でも不思議な2時間だった<85点>

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ナイロビの蜂

2006年05月14日 23時25分25秒 | な 行 (2006.2007)

Photo_14 <梅田ピカデリー>

日本人の感覚として、映画はまだ「特別な時間」である。多くの日本人は、1年に映画を10本も観ない。平均すると5~6本。つまり、2ヶ月に1本である。10年で50本。だから私は「ターミネーター」でも「スパイダーマン」でも「ミッションインポッシブル」でも「ハウルの動く城」でも・・・大作、話題作、人気作、全国一斉公開だけをご覧になっても結構だと思っている。いくら「仕立て屋の恋」「ニュー・シネマ・パラダイス」「ホテル・ルワンダ」が素晴らしい映画だと思ってはいても、それを観ろと押し付けるつもりはない。観たい映画を観ていただければよいと思っている。しかし、だが、そう居直っているばかりでもない。ジレンマがある。私の場合「観ないで死んだら後悔する」と言う。しかしこれも言い方としてはおかしい。映画好きが言う言葉だ。世俗のいやな思いをひとときでも忘れさせてくれるのに映画が一役買ってくれるのなら、一流のハチャメチャアクション映画だけを好んで観てもよいと思っている。だが、だが、もう一歩、奥に踏み込んでいただければ、広く映画を受けいれてくれれば、映画は人生をも変える力がある。誰でも大切な宝物の本が一冊あるように、誰でも大切な宝物の映画が一本、抱きしめられる。それはお金でははかれない。私は映画を勘定として評するのが嫌いな人間である。

現代の悩み、とても大きな世界を扱い、そして裏社会を教えてくれる映画は多く作られてきた。本作は構成が素晴らしい。とてもわかりやすく話を前後させてくれ、ひとつにつながる。やり方としては普通だが、こうもわかりやすくさせるには、かなりの悩みがあったことだろうと思う。「静かで凶暴で背筋の凍る作品」だ。私たちは、この映画に出てくるアフリカの現状に鈍感だが、じっくり見せてくれる。そして、その問題も、解決する方法も教えてくれる。さらに、それらを阻むものも。これが現実だとしたら、映画監督もスタッフもキャストも消されるだろう。だから、日本の「白い巨塔」的なフィクションとして扱われている。駆け引き、闇社会、仕掛け・・・じっくり息を殺して観る秀作だ。多くの人に勧めたい映画だが、1年に数本しか観ない人にはお勧めできない。この作品で、映画に目ざめることはないだろう。だが、いい映画だ。ビデオでは耐えられないだろうから、是非、映画館での鑑賞を。

このところ、あまりにも忙しくて映画館に着いた時にはくたくたになっている。くたくたではなく、気分のさわやかな時に観たらどう思うか・・・そう感じさせる映画でもあった。<80点>

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RENT レント

2006年05月14日 23時23分35秒 | ら 行 (2006.2007)

Photo_13 <梅田ブルグ7>

クリス・コロンバス監督が壊れた。私は以前より監督を「ロリコン」だと思い込んでいた。子供を扱わせたらとりあえず秀作に仕上がる。ハリー・ポッターの監督に決まったとき「良い映画ができるだろう」と私は一人で頷いた。あの原作を映像化するには、クリス・コロンバスをおいて他にはないように思う。子供を扱う監督というとスピルバーグも思い浮かぶが、クリス・コロンバスの前では、赤子の腕だ。

多くの評論家が絶賛し、多くの映画ファンが拍手を送っているが、私には最後までわからなかった。もっとも、私はミュージカル映画が好きではない。好きではないが「プロデューサーズ」、古くなるが「ウェスト・サイド物語」「オール・ザット・ジャズ」には震えた。しかし、本作は、そこらのミュージカルであり、会話を歌っているだけの事だ。なんのために、ミュージカルに?そもそもミュージカルにすると、内容を濃く、複雑にはできない。歌って踊る時間をとられるからだ。夜を活かし、色彩も鮮やかで、ときめく音楽である。撮り方も巨大クレーンやレールを多用していて、さらに、どれだけカメラがあるのかと頭の中で数えてしまう。A.B.Cキャメラでは撮れない。逆方向に向きなおし、更にA.B.Cキャメラで撮る。ちなみに、ほとんどのセット(町もセットなのだろう)には、天井が無い。そこにも何台かのカメラ。どうやって撮影したのか頭を傾げるカットも出てくる。私は、ミュージカル映画を観ているというより、どうやって撮影し、編集したのか・・・そればかり気になっていた。とはいえ、多くの映画通が絶賛するようなコメントは、私には書くことができない。そして、内容のわりに、上映時間が長過ぎる。<40点>

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the EYE 2

2006年05月13日 23時30分00秒 | さ 行 (2006.2007)

The_eye_2 <梅田ガーデンシネマ>

もう4年になるのか・・・偶然、何気なくパート1を観ていて、私はビデオ化されて借りても観た。「the EYE」は、私がこれまで観てきたホラー映画の中でも最高の作品だと思っている。ホラー映画は怖いもの見たさで好きだから、多くのファンがそう思うのではないだろうか。

「the EYE」の怖さは、アメリカ映画が好きな「ワッ!」と驚かすという、それではない。本物の幽霊のように何気なく出てくる幽霊の怖さにある。死人(しびと)は霊となり、それを見るものを驚かそうとはしない。出るのではなく、居るのである。ほとんどの幽霊は動かない。まるで、心霊写真を見せられているように動かない。動いても、主役に危害を加えるようなマネはせず、自分の好きなようにゆっくりと動く。こういう幽霊の出し方は、「the EYE」を観るまではなかったような気がする。本当に幽霊を見ている人が監督したのではないかという思いだった。

私は怖がりではないが、レイトショーで「the EYE」を観た夜は怖かった。女優は日本人好みの垢抜けていない美人で、これも怖さに拍車をかけた。私は、映画をビデオでは見ない。テレビ放映でも見ない。しかし、これは借りた記憶がある。あまりにもゾッとした映画だったからだ。現在、ネタのなくなったハリウッドでリメイク中である。

「the EYE 2」は、実際にはパート11だか12らしい。途中の2から10あたりはどこへ抜けたのか気になるし観てみたい。だが、タイトルは「the EYE 2」となっていたから、世界に向けた自信作なのだろう。

面白い。前作よりは劣るが面白い。幽霊も幽霊らしく出てくる。何の因果も無い幽霊が、夜も昼も関係なく出てくる。因果のある幽霊は「セピア」で昼のプラットホームに現れる。普通ならば「幽霊を見た」→「目をそらした」→「霊は消えている」となるが、本作は違う。というより「the EYE」シリーズは違う。「幽霊を見た」→「目をそらした」→「霊は消えている」→「ほっとして目をそらし、もう一度見る」→「幽霊がいる」という仕掛けだ。居るものは居るのだ。そして、なかなか消えてくれない。このなんともいえない幽霊の出し方、見せ方、リアル?な脚本、演出によって、怖さは何倍にもなる。

前作より劣ると書いたのは、ラスト30分がドラマくさくなるからだ。あれほど怖かった幽霊が、そのまま現れて、喋ったりしてはいけない。前半、中半の恐怖が消えかかる。それにこの作品のタイトルは「the EYE 2」でいいのか。前作とは何の関係もない。ちょっとこじつけの感もある。「ザ・ベビー」ではないかと思うが、それでは客が入らないか・・・。本作もハリウッドリメイクが決定している。<80点>

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陽気なギャングが地球を回す

2006年05月13日 22時55分00秒 | や 行 (2006.2007)

Photo_12 <動物園前シネフェスタ>

一言で言えば、CGを駆使したスピーディなハチャメチャコメディである。画面もスコープで広い。この映画の欠点は、はじめの30分が抜群に面白いのに、徐々に尻すぼみしていくところにある。オープニングクレジットも派手だし、タイトルも派手だし、はじめの強盗もどきどきするくらいに演出、カメラカット、CGとの合成がうまい。少し、バランス調整の悪いCGは気になるが、それはいいとして、笑顔になるくらいうまい。

ところが、頭に驚かせすぎた為、これ以上の出来事を起こせなかった嫌いがある。これ以上のことなのかもしれないが、あれだけはじめに面白いモノを観させてくれたのだから、以上以上の出来事がなければ・・・折角なのに・・・という気持ちにさせる。はじめは満点に近い作品だが、訓練に紛れた二度目の強盗はちょっとがっくりくる。構成的が悪いのだ。飛ばし過ぎたら、次は打ち上げだ。打ち上げていない。「陽気なギャング」だが、陽気なままのギャングは、最後の爆弾を不発に終わらせた。

なかなか癖をうまくつかまえている4人のキャラクターもいいが、それよりなにより、古田新太の影の存在が抜群のアクセントになっている。<65点>

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テニスの王子様

2006年05月13日 22時00分00秒 | た 行 (2006.2007)

Photo_11 <動物園前シネフェスタ>

何の知識もなく、予告や解説を読んだだけで「つまんないだろうな。面白くはないだろうな。」と思う映画がある。そんな映画は、普通の人は行かない。実際、その通り、つまんない事が多いはずである。しかし、私はどういうわけか行く。面白いという裏切りがあるからだ。この嬉しい裏切りはけっこう多い。つまんなそうな映画ほど、とても面白いということもある。しかし、そのとおり、面白くない映画もたくさんある。先日、観た「東京大学物語」「ケータイ刑事」は、あんまりだった。観ていられなかった。

二年前だったか、つまんないだろうとわかっていながら「渋谷怪談」を観た。思わず、翌週の「渋谷怪談2」も観させてもらった。映画にするほどでもないが、B級をうまく突いていて、楽しめた。こういう嬉しい出会いもある。この映画で、水川あさみ、堀北真希を初めて見た。芝居はともかく、輝きのある女優だと思った。後の活躍は目ざましいものである。

そこで「テニスの王子様」・・・その気持ちで向かった。コミックを映画化し、最近、またまた流行りのスポ根もの。これは、観る前から「東京大学物語」「ケータイ刑事」の気持ちになる。「ピンポン」や「シムソンズ」系であればいいと思いつつ、どういうわけか満員の劇場に一人で座った。やれやれ。つまんなかったら、110分も頑張らねばならぬのか。

正直、楽しい作品に出合えた。どう応援していいのかわからぬ、ちょっと外れたスポーツ根性の筋を通っている。そして、これでもかこれでもかというCGの嵐。どこからどこまでCGで、どこからどこまで実写かわからぬ多用。昼が夜になって昼になるなんて、コミックらしいが、忠実だろうか、楽しい。脈絡もなく天気雨も効果が出ている。これは脚本ではなく、カメラマンの工夫の勝ちである。脚本にどうト書きしてあったかはわからないが、試合のほとんどをステディカムで撮っている。ステディカムとは、胴体に巻いたベルトの腹の部分に一本の振り子状の鉄の棒をつけ、その上にカメラを乗せながら撮る方法である。ハンディ(肩に乗せる、手先だけで撮るなど)は、カメラ揺れするが、ステディカムは、振り子の上にカメラ本体があるので、カメラマンが走ってても、ゆらゆらと滑らかに揺れてくれる。これをほとんどに採用している。ステディカムにすると重く、カメラによっては50kg以上にもなることがある。だからだろう、被写体に追いつけず(フォローできず)、誰もいないテニスコートだけになるところもある。しかし、そこはご愛嬌。次にくる、とんでもないCGがカバーしてくれる。

「ピンポン」のCGは、ピンポン玉そのものが本物のように再現されていたが、本作は「どうだ!CGだ~!」と言わんばかりである。また、特撮という古い言い方もできそうなカットもあり、楽しい気持ちになる。結果はわかっていても、パート2を作るのだろうとわかる終わり方でも、全体に力が漲っていて、良作になっている。コートの全体を広く見せるために、スコープにしているが、これも広くて気持ちいい素材のひとつとなっていた。<70点>

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