活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

トイレット

2010年08月31日 23時00分00秒 | た 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_7  <シネプレックス小倉>

 独自の世界を持っていて、興味はあるけれど、狙いすぎているんじゃない?と、ポスターを見ていて思う。小津の世界とか、成瀬の世界とか、吉村の世界とか・・・わかりやすくて、それらの監督の空気は嫌いではない。ただ、量産していたあの頃ならなればというものがあって、シリーズものではないし、同じような空気を持つ監督作品を心待ちにできない時代になり、私もそうなっている。早くも、食傷気味になっているかもしれない。

 「蛇イチゴ」「ゆれる」「ディア・ドクター」は、自分の色をはっきりと持っているが、まるで違う世界、常識をフィルムに焼き付けていて、一本ごとに新しさを感ずる。西川美和の天才ぶりには圧倒される。だが、荻上直子は・・・同じようにみえる。「バーバー吉野」「恋は五・七・五」とはまったく変わって発表した「かもめ食堂」は、観終えた後、心が震えた。どんなにどでかいハイビジョンで見たとしても、これは映画館でなければ味わえない代物。映画というもの、映画を観る人の心を知っているなと感心しきりだった。あの時、まさに映画を観た。日本映画ごときに、映画を見た。次回作の「めがね」も、同じタイプでありながら、前回の作品の後味に触れたく、思い出したく、心地よさに触れたく、それに応えてくれたと思う。流れている空気や匂いは同じである。同じであってもよかった。同じだからこそよかったのかもしれない。ただし、もうこれでよろしい。次は「かもめ食堂」から化けたように、荻上直子監督のまったく別の世界をみせてほしいと願っていた。

 場所は変われど、スクリーンから漂うものは、同じであろう。これが、この監督のすべてなのかもしれない。撮りたいものを撮れと言われたら、本作のような漂いを撮るのだろう。『同じキャスト、スタッフの新作・・・』と、映画館に新作のポスターが貼られていて、しばらくながめていたが、観ないことにした。あらすじ、解説も読んでみた。監督が違えど、同じものを観てしまうような気がしたからだ。荻上直子監督作品では、「かもめ食堂」と「めがね」だけで、いまのところよろしい。今後、剥けたら別だが・・・。

 それを撮りたいのか、狙っているのかは知らない。ただ、もたいまさこをじっと見ていると、しっとりして落ち着いて、いい場面でしょ?と問われているような気がする。荻上監督作品を観ていない人にとっては、この映画はショックかもしれないが、今の私としては、わかっております・・・のような気分でしかなかった。上手いとは思うが、狙っているのではないかな?狙われて、ヤラレター!というほどのモノではない。騙されたことが嬉しいというほどのモノでもない。小津は「早春」まで・・・荻上は「めがね」までだろうか。剥けて剥けて、明らかに自作を抜く映画を作ってほしい。熱烈なファンは厳しい。  <75点>


借りぐらしのアリエッティ

2010年08月30日 23時00分00秒 | か 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_6  <シネプレックス小倉>

 ジブリの神様がいなくなってしまったら、ジブリそのものも消えるのではないか・・・以前から言われていて、私もそう確信していた。その前に映画そのものも消えて、別の形の文化になってしまうかもしれないけれど・・・。だが、私としては、このような新作を鑑賞させてもらうかぎり、悪いことにはなりそうにない気がする。ジブリの高い水準は、ある程度、引き継がれていくのではないだろうか。酷評と言わないまでも、ガッカリしたなんて評が目立って、鑑賞前から期待もなにもなかったが、私は時を忘れて観た。童心にかえったわけではない。オッサンの頭のままの私をウキウキさせてくれる。いい映画だと思う。

 ジブリはこの先、オールCGなんてアニメを作るのだろうか。どこからわいてくるかビックリするような発想、物語はしっかりしているし、迫力あるシーンはCGを凌ぐ。アメリカがパクってCGにしちゃうけど、オリジナルのセル画を抜くことはできていない。CGこってりが、セル画を抜けない。やはり、ジブリは凄い。

 アニメを目指す若者がジブリに入りたがるのは当然であろう。そこからでてくる人はわずかだけど、観客を楽しませるツボを知っていて、独自の世界を持っていて、とてもワガママな天才を・・・早く。手塚、赤塚・・・版権だけで食ってしまうプロダクションだらけになってしまった。ジブリもそれが大半らしいが、まだまだ期待できる。高い評価が得られる新作を期待できる人物。本作レベルの新作であれば、大いに結構である。

 子供のためのアニメ映画はどんどんやってくるけれど、それは子供に連れられていくだけ。テレビが劇場になったアニメは、大人もそれなりに楽しめるように工夫されていて、毛嫌いしていた割りには楽しいなと思うが、では一人で?となると、観るどころかポスターも目に入らない。

 ・・・子供どころではない。実は、親が観たいから子供を誘って観に行くというジブリ。日本映画で、他にはないだろう。息子に作らせたどーでもいいアニメもあったけど、本作のような優れたアニメを挟むから、ジブリと聞くと必ず観に行くし、制作段階から気になってしょうがない。量産せず、質で続けてほしい。  <75点>


NECK ネック

2010年08月24日 23時00分00秒 | な 行 (2008.2009.2010.2011)

Neck  <シネプレックス小倉>

 後の「恋するナポリタン」もそうだが、脇やチョイは別として、相武紗季は作品に恵まれてない。可愛いだけで、芝居も下手くそだけれど、下手くそは下手くそなりに使い方がある。深田恭子の「下妻物語」は、下手を逆手にとって、立派な主演に仕上げた。エロティック全開になってしまわないかと心配したが、中途半端さで、ドロンジョも適役である。相武紗季は、脚本、監督に恵まれず、とんでもない駄作に主演を続けている。所詮はアイドル、モデルなのだろうか。いや、使い方によると思うが。

 昔からアイドル映画は存在している。今更でもないけれど、3本立ての1本ではない時代、本作のような中身スッカラカンの芝居下手くそのベタ編集の・・・を2時間も鑑賞させられては、とても耐えられない。途中で何度も出ようと思ったが、腹も減らぬし、スクリーンの存在だけで我慢した。「キャー!相武紗季きゃわいい!」「溝旗淳平カッコイイー!」だけで満足してしまうドミーハーファンは別として、映画として観ている人には、これはたまらない。駄作も駄作、テレビでオンエアしても間の抜けた記憶に残らぬ一本だろう。ひとつくらい良いところをと探してみたが、居心地の良い時はまったくなかった。撮りだけは丁寧のように見える。

 若い主演たちがダメなら、脇をかためたいところだが・・・誰もいない。棒読みの坂東英二なんぞは、目線がカメラ横で、喋り相手を見ていず、あきらかにカンペを読んでいる有様。たった今、連れてこられて、すぐに本番みたいな・・・これでは、観客が映画の中に入れるわけがない。1本立、指定席時代、こういう映画も作ってしまうのだなと・・・情けなかった。量産していた50年代、60年代にも、ここまで程度の低い作品はなかったのではないか?日活の和製ウェスタン、松田聖子主演のいくつかのアイドル映画・・・観終えた後の気分は、それと同じだった。

 舞台作品が映画になった。舞台の仕込みも大変だろうが、映画の仕込みとはまったく違う。台詞はもちろん、芝居も変えねばならない。板の上を歩いている芝居を映画でさせてはならない。ハイテンションなのはいいけれど、隅から隅までのお客様に目いっぱいの気持ちはいらない。そんなことしなくても見えている。小さな吐息だって大きく響く。これをスタッフはわかっていないのではないだろうか・・・わかっているとしたら、彼らにはまったく才能がない。  <20点>


特攻野郎Aチーム THE MOVIE

2010年08月23日 23時00分00秒 | た 行 (2008.2009.2010.2011)

A_the_movie  <シネプレックス小倉>

 スカッとする、痛快な気分にさせてくれる映画が少なくなった。「インディ・ジョーンズ」なんてそのタイプだけど、新作はCGが邪魔で、妙にきれいで泥臭さが消えていた。「ダイ・ハード」も大好きだったが、新作は汗臭さが消えていた。CGを使うのは結構だけど、CGとは、人間の生身のにおいを画面から消してしまうのではないかと思う。スッキリさせてしまって、画面の魅力を削減させる。海に落ちる夕陽をCGで作って、本当に美しいなあとどこまで人を感激させることができるだろうか?少々、アイリスが絞りすぎでも、本物を撮った画面の方が上なのではないか・・・と、時代遅れかもしれないが、そう思っている。

 本作もCGのおかけで、曲芸のようなアクションをこれでもかとみせてくれる。シリーズ化が決まったとか、決めている最中だとか・・・もともとシリーズだったのだから、これが映画となりシリーズになることも不思議ではない。単純な物語だし、案はいくらでもあるだろう。物語が単純なのだから、オリジナルを無視して、7人くらい集めても混乱しなさそう。多いほうが面白い。昔からある形。繰り返し繰り返し撮られてきたアクションは、結局、何度観ても面白いのだ。同じ映画を繰り返し観てもいいけれど、飽きるから、また新しい映画を撮る。

 CGのおかげのアクションだが、カットの短さ、アクションの中のめまぐるしい展開がシーンを盛り上げる。人間の汗、泥臭さなんかは感じられないし、とてもスマートだけど、手に汗握らないアクション映画ばかり観ている中ではよくできていた。絶体絶命のピンチの中に、更に絶体絶命のピンチをプラスするスピードアクション。速い速い。スピードアクションのギリギリ限界のところ。これ以上スピードを上げると頭が混乱するだろう。・・・一昔、二昔前のCGナシアクションだったらどうしてたろう。できない?いや、きっとできてたろう。稚拙な映像になるだろうが、その方が館内ににおいを漂わせると思う。フィルムからにおいを感じる・・・なくなった、そういう映画が。昔の映画を観ると、古いくせに、まだにおいが残っている。古いから腐ってしまったのか?あの時のままだと思うが・・・最近の映画はどーも冷凍もので、そんなのは感じられないようだ。

 予告、ちょっと見せすぎ。本篇を観ながら、先の台詞や行動がわかってしまう。アメリカ映画は予告が上手いなと思ったが、本作はただ単純につなげただけで、上手いわけではなかった。まったく関係ない画と画をつなぎあわせて、それを複雑にからみ合わせて、ひとつの別の物語を作ってしまい、かつ面白そうと思わせるハリウッドの予告の上手さというのがあるんだけど・・・。  <75点>


ベスト・キッド

2010年08月21日 23時00分00秒 | は 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_5  <ワーナー・マイカル・シネマズ戸畑>

 ワーナー・マイカル・シネマズ戸畑は、連日、午後6時からすべての映画が1,000円になる。小倉に3つのシネコンがあるけれど、近くもないし、競争相手なんていないと思うが、サービスデー、サービスタイムと、1,000円を乱発している。ここでショッピングを!車で小倉まで行かないで!ということかもしれない。映画を鑑賞したら駐車4時間無料、千円以上のショッピングでプラス2時間、6時間駐車できる。ほとんどの客は車でやってくるけれど、駅の目の前だ。駅から徒歩30秒、雨の日も濡れずに入れる。車は便利だけど、近い人は、できれば公共交通機関で・・・車で映画館なんて、ゴージャスな。

 ワーナー・マイカルは、ヴィスタサイズに限り、ハコの大きさに比べて、スクリーンがやたら大きい。200席ほどのハコでも、バカでかい。私は嬉しいけれど、人によっては、真ん中あたりのいい席を取ったと座っても、近すぎると感じるだろう。映画のスクリーンはでかいほうがいい。

 あの「ベスト・キッド」のリメイクらしいが、取り込んだのは大筋だけであった。原題は「The Karate Kid」と昔のタイトルそのままだけど、オリジナルのカラテとは違う。これはカンフーではないのか?原題を変えられなかったのだろうか。ジャキー・チェンはメイクのおかけもあり、歳食った、得体の知れない、うだつの上がらない男に見える。ジャキー・チェンがこんな役をやるなんて・・・万年青年だと思ってた。・・・この男が凄い師匠になるのだというのは、筋をまったく知らない観客でもわかる。そこも納得ずくの楽しみ。子供が鍛えられて技を習得する結果も納得ずくの楽しみ。最後にいじめっこ、悪役を負かせてしまうのも納得ずくの楽しみ。本作は、もう先が読めることを楽しむ映画である。そう聞くと面白くないようだが、わかることを楽しむ映画もある。

 昔の映画は、コレが楽しかったのよ!と思うシチュエーションがある。悪役がはっきりしていることだ。この悪役、にくたらしい。先生もいじめっこも。顔も悪役に徹して通している。にくたらしい悪役をコテンパンにしたい。その観客の願いを本作は応えてくれる。この頃、善と悪がはっきりして、悪が散るというタイプの映画が少なくなってきた。物語はどんどん単純になっていくのに・・・。あのいじめっこを演じた子役、上手いなあ。この子、一人だけ特別に上手い。にくたらしいけど、エンドロールでホッとさせる。これは映画なのだ。

 とは言うものの、とりたててみんなに、観た?観た?というほどのものでもない。楽しい娯楽映画を目指しているのに、カット割りか、演出か、全体のリズムが悪い。キレが悪い。スピード感を意識してくれれば、観客の興奮度は上がるだろうに。昔の「ベスト・キッド」は懐かしいけれど、本作を観ている間は、これがリメイクであることをまったく忘れていた。リメイクとは名ばかり、別ものである。

  <70点>


ちょんまげぷりん

2010年08月20日 23時00分00秒 | た 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_4  <シネプレックス小倉>

 新作なんかいらない!と言っておきながら、舌の根も乾かぬうちに、新作を観に行く。あらためてではなく、ハシゴである。小倉昭和館からシネプレックス小倉は、とろとろ歩いても20分くらいの位置にある。巨大シネコンに映画館は敵わないハズだ。シネプレックスは大駐車場を備えたショッピングセンターの中にある。どんどん車が入ってくる。映画に人は集まらないけれど。

 中村義洋は、好きな監督である。間をあけずに撮らせてもらえるのは、作品に安定感があるからだろう。安定感があるというのは、可もなく不可もないという意味を含む。名作、秀作とは言い難いが、これまで観てきた映画はほとんど楽しませてもらい、記憶にも残っている。私は、映画のタイトルを観ても、数年前だと観たことも忘れてしまうバカだから、監督名も覚えていて、映画のタイトルを見て内容も覚えているだけで、面白かったということになるのだ。バカな上に、単純なのである。

 このポスターは、博多にプチ映画旅をした時に、シネ・リーブル博多で見た。シネ・リーブルなんていう単館に貼られているのだから、縁はないだろうと思っていた。ジェネラルルージュ、ゴールデンスランバーは全国系なのに、次は単館かよ・・・それが、東京の恵比寿ガーテンシネマ、大阪の梅田ガーデンシネマで上映されると聞いて、はっ!となった。ガーデンシネマは、角川の単館系である。シネプレックスは、角川のシネコンである。ということは、ここでも?シネコンは嫌うが、親がかけたら、子もかけねばならない。短い期間ながら、小倉までやってきた。主演の人気も手伝っているだろうし、ガーデンシネマで「アヒルと鴨のコインロッカー」を抜いて大好評という理由もあろう。

 正直、私がこれまで観てきた中村監督の映画としては最低である。なにを思って、こんな小さい、それも安っぽい内容の映画を撮ったのか。脚本も深くないし、演出でそれを補ってもいない。これが、ぴあ満足度ナンバー1とは・・・トホホ。楽には観られるが、わざわざ映画館でというほどのものではなかった。テレビドラマでちょうどいい。タイムスリップしてきてた侍が、意外とすんなり現代社会に溶け込むのがどーもいけない。私がそうなったら?とちょっと想像しても、もう生きるか死ぬかの大問題になりそうだ。キョロキョロして、眺めているだけでも数日は過ごしてしまいそうなのに・・・ともさかりえは、不審がっていながら、あっさりと家の中に入れてしまう。物語の先を急ぎたいのはわかるが、楽しめるところは頭でっかちの方がいい。消えていくラストも、なぜ今?それをなぜ知っている?と腑に落ちない。私としては腑に落ちたい。映画館を出る頃は、単純な物語のハズが、忘れかけていた。

 落語じゃないし、映画にオチなんてなくていいし、そんなもの期待してないから、私は「オチは・・・」という書き方をしないが、本作には、オチみたいなものがある。ジャンジャン~♪のようなオチ。これも、大したことない。平坦に歩んできたのだから、最後くらいはギョッとさせてほしかった。店の全景が写ったところで、どうなるかが想像できた。想像とあってしまっては、ただガックリしてしまうだけ・・・寅さんが案の定、振られるという観客の想像を裏切らない楽しさではないから・・・。出てる子役も下手くそだし・・・どこをどう観ろと・・・全国系より単館系の方が、スポンサーの邪魔も少なく、儲け主義ではなく、自由に撮らせてもらえて、自分の演出力が発揮できると思う。最近は違ってきているのだろうか。原作ものではなく、完全オリジナルを撮らせてみたらどうだろう?なにか秘めている監督だと思う。  <40点>


吉永さゆり&栗原小巻特集

2010年08月19日 23時00分00秒 | 映画に関する話

Photo  <小倉昭和館>

 第一週・・・「あゝひめゆりの塔(1963)」/「わが青春のとき(1975)」  第二週・・・「愛と死をみつめて(1964)」/「忍ぶ川(1972)」  第三週・・・「キューポラのある街(1962)」/「サンダカン八番娼館~望郷(1974)」

 三週連続で、吉永さゆりと栗原小巻を二本立てでかけた。こういう特集をやってくれると、どうでもよい新作が、更にどーでもよくなる。もう一度観ることになろうとも、私としてはシネコンの新作よりも心惹かれる。というわけで、三週続けて観ることとする。若くはないし、この機会を観逃してしまうと、一生、劇場鑑賞はできないかもしれない映画が並ぶ。どんな大きな画面でも、DVDではイヤなのだ。

 デビューしたばっかりの吉永さゆりの映画が3本あって、これはすべて観ていない。どれも、日本映画史を読むと出てくるタイトルである。私の生まれる前の日活・・・嬉しい。はちきれんばかりのプクプクした体型と、とびっきりの笑顔。デビューしたばっかりでも、オーラを放っている。立ち位置を考慮しない群集カットに紛れても、そこにいるとわかる。映画を量産していたこの頃の吉永さゆりは好きだ。年代的にサユリストではないけれど、熱狂的なファンがいたことも納得である。そんじょそこらの美人とはケタが違う。芝居はけっして上手いとは言いがたく、ハツラツと頑張っているだけのように思える。それがまたいい。この若さで、妙に芝居が上手い映画女優というのも気持ち悪い。その下手さを脚本や監督は知っていて、大人たちが上手に使うのだった。

 サユリストに対して・・・ちょい時代が新しくなるけれど、栗原小巻のファンをコマキストと言った。比べようがない二人だが、今回の特集では『あなたはサユリスト?コマキスト?』とタイトルをつけている。こそばい名の特集だ。どちらでもないが、映画女優と舞台女優の映画を二本立てでかけると、どうしても吉永さゆりに軍配が上がる。栗原小巻は、とてもとても映画向きではない。私が小学生から高校生のころ、栗原小巻はよく映画に主演で出た。映画会社と俳優座が提携して映画を作っていたのだ。主演クラスは栗原小巻しかいない。相手は加藤剛。お決まりのパターンだったろうか。

 舞台女優としては素晴らしいのかもしれないが、吉永さゆりとは格が違いすぎる。舞台で育った芝居をそのまま映画にもってこられては困るのである。特に、私としては、無声音のないはっきりした喋りが高校生のころから気になって気になって仕方なかった。口元を見ていればよくわかる。いちいち、あんなにハッキリした言葉で話しをしようなんて人はいない。立ち振る舞いも大げさに思え、舞台を観ているようだなと感じた。最近はそんなに映画に登場しなくなったが、今回、あらためてそれを思った。舞台と映画の芝居は変えなければならない。栗原小巻は、変えられないのだろう。

 「わが青春のとき」はどーだろう?と思うが、他の二本は素晴らしい。「忍ぶ川」「サンダカン 八番娼館」熊井啓監督。70年代に秀作を多く残している名監督である。2時間で、これだけ広く深くみせることができたのだと思う。短いと感じるが、5時間くらいの内容ではないか?しかし、急ぎすぎてもない。つまんだのだろうが、どこを切ったのか想像もつかない。今の映画は2時間にすることばかり考えている。内容がなかったら、1時間半でもいいのに・・・。

 「キューポラのある街」は99分だ。とても短く感じつつ、何時間もスクリーンを見つめていた気がする。今では後半部分がネックで、オンエアできる内容ではないけれど、脚本力、演出力、編集力、役者の幅広さを知る上でも、一度は観ておいた方がいい。こういう映画も作ることができたんだよ、日本は・・・と。監督は、浦山桐郎。驚いたことに、本作がデビューである。デビューで、これほど質の高い映画を撮ったことに驚く。次々に撮らせてもらえるハズが、いちいち作品にケチがついて、生涯、恵まれなかった。自由にさせてくれたら、もっと秀作を遺したろう。

 懐かしんで観にくる方も多いだろうが、私は懐かしんで観に行っているのではない。儲け以前に「午前10時の~」を上映したい目的は何か?「午前10時の~」の作品群を見て、ミーハー好きの女子高生までも興味をそそられているではないか・・・今の映画に期待できるか?ここ10年内に封切られた中に、ン十年後、誰もが知る、語り継ぐ「名作」と呼ぶにふさわしい映画がいくつありますか?名作に埋もれたサユリスト、コマキスト映画を観て、いいなぁと言ってるくらいだもの、もう新作なんかいらないのではないか。現在の映画たちが、ン十年後、「午前10時の~」に数本でも入ることができるか・・・ただただ願いだけで、私は観ているような気がする。

 ホラーやスプラッターなどが封切られると喜んで観に行くのは、徹底した娯楽として観客を楽しませようとするスタッフやキャストの意気が見えるからである。それが、今の秀作と呼ばれる映画にすら、ないと私は思うのだが。

 「あゝひめゆりの塔(1963)」<75点> 「わが青春のとき(1975)」<65点> 「愛と死をみつめて(1964)」<80点> 「忍ぶ川(1972)」<85点> 「キューポラのある街(1962)」<85点> 「サンダカン八番娼館~望郷(1974)」<85点>


トイ・ストーリー3 (日本語吹替版・3D)

2010年08月12日 23時00分00秒 | た 行 (2008.2009.2010.2011)

3  <小倉コロナシネマワールド>

 いつごろから玩具にそれほど興味がなくなったのだろう。小さいころは玩具が好きだった。動く玩具はとびきり嬉しく、動かない玩具は自分の手で動かした。ブリキの金魚は空をも飛べた。そのかわり水には弱いことを知った。玩具にゲーム性も求めた。獲ったり獲られたり、そのうち一人の世界でゲームだけを楽しむようになった。高校を卒業したころ、ファミコンが発売された。今はもう、玩具にもゲームにもそれほど興味はなくなったけれど、ただ他に興味を心奪われただけで、成長したわけではない。持続できなかったのだろう。今でも玩具屋をウロウロするのは楽しい。遊園地なんぞは、そこに居るだけで嬉しい。

 大人になっても玩具を集めて、部屋に並べたりしている人がいるけれど、気持ちはわからんでもない。ちょっと高級だが、鉄道のジオラマなんぞは贅沢な趣味だ。神田に鉄道博物館のあったころ、ジオラマを長く眺めていたことがある。たまたま日曜日で、大人は我が子を連れてきているのだけれど、目がマジで、身を乗り出して見ているのは大人たちであった。子供たちは大人の足の間から見ていた。巨大なジオラマで、遠くに走っていく新幹線は端までいくと見えないほどだった。山のトンネルから貨物列車が首を出した。夜の演出では、夜行寝台が登場し、駅でゆっくり停車して時間調整している・・・いつまでも飽きなかった。ン億円しそうで、とてもよくできたジオラマだから、大人も楽しいし、とても見ごたえがあるのだが、結局は玩具の延長。大人になっても、いくつになっても玩具は好きなのだろう。

 大人は玩具を忘れはしない。子供の頃を覚えている大人は、しっかりとこの世界に飛び込み、泳ぐことができるだろう。パート3だというのに、レベルの高さに驚かされた。3Dだから無理やりに作った・・と、思い込んで観に行ったのに、前2作品と並ぶ、いや本作が最高の出来ではないだろうか。本来なら、続篇の方が上をいかねばならないハズであるから、これはいい。尻すぼみの他のシリーズでは微塵も思わないが、これは3部作一気に観てみたい。3Dなんてどーでもよく、夢中になって邪魔なメガネをはずしたくて仕方なかった。・・・そういえば・・・3Dって、海賊版対策のひとつでもあるらしいが・・・ほとんどの作品は、同じシネコンで2Dもやっているのに・・・ね。

 日本のアニメは世界一らしいが、10年20年30年と時が経っても存分に楽しめる、観られるアニメを作るという意味では、アメリカに負けていると思う。第二次世界大戦中にも懸命にアニメを作ってたような国にはまだまだ敵わない。このレベルで日本アニメも作れるハズだけど、制作費を見て、やっぱりムリかなとため息ついた。本作のようなビジュアルを作り上げるのは、優れた脚本、優れたコンテだけじゃムリだ。お金のある国が、知恵で勝負する日本アニメをマネてる(違うアニメ作品)のだから、ちょっとムッとするトコロもあるけれど、映画を含めた芸術や娯楽なんてものは、マネからはじまるのだから。マネに独自の工夫をこらして、わからなくすれば大したものだけど。

 大人の観るアニメという単純な言い方もしたくなる。いくつになっても、人は人形と遊んでいたい。人形は生きているんだもの。だって、子供の頃、人形とたくさんお話したでしょう。あのころ遊んだ人形は、いまどこで寝息をたてているのかしら。・・・子供の頃に遊んだ人形たちを、乱雑でもダンボールにしまうシーンなんかは、私は目頭が熱くなった。  <85点>


インセプション

2010年08月11日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_3  <小倉コロナシネマワールド>

 頭の悪い私には、どーもわからない。こんなにつまんない映画が、とても評判がよろしい。どこか誉めようかと考えていたら、一時間経って、なにも浮かばない。しいて言えば、CGを含めた映像がきれいでした。渡辺謙を一人前に扱ってくれて嬉しい。発想が面白い・・・くらいか?

 私は寝る度に夢を見る。見ない夜がない。記憶している夢は朝かもしれないが、夜中に起きてもすでに夢を見ている。寝なおすと、すんなり続きを見ることもある。その夢は支離滅裂、精神分裂症ではないかと思うほどの景色、台詞、展開で、これごときの夢の世界を目の当たりにしても、ぴくっとも感じない。自宅が屋久島で、しかし陸の孤島で、古い洋館で、川で釣りをしているとゆで卵が釣れて、割ると赤ちゃんが生まれて、一緒に遊園地に行って、珍しいからとトナカイ料理を注文して、出てきたザルソバを食っている・・・。無茶苦茶な世界を平然と生きている夢である。この猫、かわいい犬でしょう?と手乗り象を見せられて、これは蛸ではないかと反論したこともある。夢の中ではそれはすべて自然なこと。映画が好きだから、映画館の夢も多く見るが、ほとんどは野外劇場で、明治時代。動くチンチン電車に乗りながら、外のスクリーンを見づらいなと頑張って見ていたこともある。平然としている。夢から覚めると、なにがなんだか・・・。

 そんなありもしない夢の世界がスクリーンに展開して、現実では絶対にありえない出来事が起きまくるのでは?と期待していた。街が折れ曲がるくらいではピクリともしない。CGの技術に驚くだけ。そこらの通行人だって、夢だけで生かされているのだから、普通では面白くない。出たり消えたり、子供なのに振り向いたら老婆、でもそれが普通・・・くらいのことは・・・そんなことしたら、物語が進まないか。でも、そこまでいかずとも、夢の中の時間は軸を無視して進みたいものだ。それでこそ夢。観客に、夢と現実の境目がはっきりしすぎるから困るだろうが、夢の見せ方は安易だと思う。夢とわかって勝手な行動しようとしても、どういうわけか、勝手にはさせてくれないものだし・・・。

 議論しすぎた真面目すぎる夢物語であって、それほど飛びつく映画でもない。しかし、ほとんどのブロガーが手ばなしで褒め称えているから・・・私は自信がなくなってきている。何層も夢の奥に入っていったら、もう黄泉の国に近くなりそうだ。理屈の多い、映画内で解説の多い映画は基本的に好きではないってのもあるけど・・・。理屈いっぱい映画は、批評家好みなので、アメリカの通の間では大絶賛らしい。ただ、予告は良かった。あの延長で楽しみたかった。観終えた後、面倒な映画だとため息ついただけ。長いし、その長さに我慢したし。なに?オバカには、この良さはわかるめい?そーかもしんない。・・・夢を発想にいろいろできそうだ。いつか完全痛快娯楽映画ができますよーに。  <40点>