Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

「首長族の病気」

2006-01-10 | Asia 「圓」な旅
ムルシ族が出演したお正月特番「紳助の世界オドロキ人間GP2006」には、タイ・ミャンマー国境に住む「首長族」の映像も流れていました。「首長族」とは、首に真鍮の輪を嵌めて、これを増やしていくことで首を少しずつ長くする「身体変工」の風習を行う山岳部族の俗称です。この風習を守っている「カレン族」「パダウン族」「ガイヤン族」などの総称として「首長族」或いは「giraffewomen」などと呼ばれています。首を長くしているのは女性だけで、長い首が美人の基準となっています。南アフリカ・ジンバブエ国境に住み、愛知県のリトルワールドにも移築されているカラフルな外壁の装飾の家で有名な「ンデベレ族」も同様の風習を持っていますが、彼らもまた首への変工を行うのは女性のみで、長い首は美人の象徴とされています。「首長族」女性の長い首の位置づけは、前回・前々回にブログに載せたアフリカのムルシ族サラ族の大きな唇と同様なのです。



Tomotubby は「首長族」と聞くと、吉岡実の詩集「紡錘形」所載の「首長族の病気」という詩を思い出します。
首長族の病気

或る新聞記事で首長族のことを改めて知った いまでも
ビルマのカレンニ地方に二千人も住んでいるとのこと
写真も載っているのでつくづく見た すべての女が首輪
をはめ いたいけな幼女も立っている ここでは罪人で
なく美人の矜持を重い枷として ぼくは思い出した少年
の頃 外国の地理風俗事典で見たことを 彼女たちは体
の成長と同じに真鍮の輪をつぎつぎとふやし あごをつ
きあげるまで重ねる でも人間の首にも制限があるから
 それらの形態をふみ外さない枠で止める それ以上長
くしたら危険だ 鹿・狐と同じ動物に変化する 或は死
ぬだろう ぼくは想像力がとぼしいから 彼女たちの交
合の夜の闇までみとおせない 真鍮の輪と輪のかちかち
という軋み その無機質の冷たいささやきがたえず 首
長族の男の肉性を刺戟し その満月の狩を唾や汚物でま
つる 火のなかに彼女たちは沈む日 ともあれぼくには
別のことが気がかりだ たまたま彼女たちが病気になっ
た場合だ 三つのに一人の首輪の技師がいるらしい
 首長族の女は庭の大きな樹にしばられて泪をうかべる
 一番上の輪から外していく それを木の枝にかける
最後の大きな輪をかけたときさしもの太い生木も裂けた
 技師はそのときはじめて 日に当ったこともなく湿り
 白く長い軟体物が 自分の丈より高くぬうっと突き出
た実感に思わず吐瀉し 手当料をとらず森へかけこんだ
思わず吐瀉してしまいそうになるくらいに柔らかく病的な、首輪の下の青白い肌の描写が忘れられません。首長族の女は、首輪を外すと、自分で首を支えることができず死んでしまう。また不貞を働いた女は強制的に首輪を外されるため、以降寝たきりの生活を送らなければならない。という噂話も、さにありなん。と思われます。いずれも今回のTV放映では否定されていましたが。

なお、吉岡実がこの詩に出てくる新聞記事の切り抜きを保存していたそうで、小林一郎氏が紹介されています。



記憶が定かではないのですが、どこかで首長族の女性がギターを弾いている写真をカバーにしたレコードが売られていました。どんな音楽だったのか、買っておけばよかったと少し後悔しています。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
吉岡実の詩の世界 (べるびる)
2006-03-09 15:55:54
小林一郎さんの《吉岡実の詩の世界》編集後記に、ここのことが出てました。



http://members-abs.home.ne.jp/ikoba/YMkoki.html#anchor20060228



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光栄です (Tomotubby)
2006-03-10 13:14:04
教えてくださって有難うございます。吉岡実氏の詩は大好きなので光栄です。
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切り抜きの出典判明 (小林一郎)
2012-03-31 14:05:09
小林一郎です。
吉岡実が切り抜いた新聞の出典が判明しました。
「〈首長族の病気〉のスルス」(リンクは同じ)に
〔2012年3月31日追記〕を書きました。
お読みいただければ、ありがたいです。
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ありがとうございます (tomotubby)
2012-04-01 10:45:18
ご連絡ありがとうございます。「首長族の病気」は「或る種の材料をもとに一篇の詩を書いたことは、ぼくの詩生涯において初めて」とのことで、やはり当時の吉見実の詩の中でも特別だったことがよくわかりました。詩人にとって「真鍮の輪と輪のかちかちという軋み」はもとより、「日に当ったこともなく湿り白く長い軟体物」というイメージがやはり強烈なものだったのではないかと想像します。

先日「ポロック展」を観てきました。東野芳明「現代美術」に載せられていた「青い柱」はあいにく来ていませんでしたが、ポロックの作品や彼の心理治療に用いられたドローイングを見ていると、例の詩の「黄いろの矢印」の方もポロックに由来していたのではないかと思えました。

ポロックのセラピー担当医だったジョセフ・L・ヘンダーソンの「ジャクソン・ポロック-心理学的注釈」という論文を見つけました。
http://www.docin.com/p-97696895.html
ポロックもヘンダーソンもネイティブ・アメリカンに関わっていて、「柱」についても言及されていて興味深いです。
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