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Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

【タワレコで発見】 ホアネス?

2006-04-01 | ラテンな America レゲエな Jamaica
先月ブログで採り上げたフアネスが、2006年6月7日、日本デビューすることが決定しました。デビューアルバムは「MI SANGRE」(邦題「愛と情熱の絆~ミ・サングレ」)ですが、ジャケ違いの日本オリジナル・トラック構成のデラックス・エディション。内容的にはDVD付きの「Mi Sangre Tour Edition」のCDの方に近いようです。

で、先日、タワーレコード吉祥寺店で見かけた輸入盤CDの紹介↓


ホアネス?

そういえば、ミュンヘンのコンサート会場まで取材しに行き、フアネスにチューされて悦ぶスイカップ。アホネス

Juanes 「La Camisa Negra」

2006-03-04 | ラテンな America レゲエな Jamaica
やっと探し当てました。

旅行先で何度か耳にした音楽が、帰国後気になってもう一度聞きたくなることがよくありますが、今回は昨年メキシコを旅行した際に、レストランやショッピング・モールでガンガンかかっていたポップな曲。ロックギターに乗った男性ヴォーカルなんですが、息継ぎするとき、どこか女性的な繊細な部分があり、その危うげなところが何とも胸を打つ忘れられない声でした。しかし、彼についても、曲についても何の情報もなし。おまけにスペイン語じぇんじぇんわかりましぇん。

で、きのう、HMV の試聴コーナーでとっかえひっかえ新譜を聞いていたら、偶然あの曲を見つけました。どラッキー。彼の名は、Juanesといい、例の曲はアルバム「Mi Sangre」の4曲目「La Camisa Negra」で、シングルカットされたCDまで置いてありました。しかし、これって新譜? 2004年にリリースされているじゃないですか。

もう少し彼のことを知りたくなり、ラテン・ポップのコーナーへ走った処、コレクターナンバー入りの限定盤「Mi Sangre Tour Edition」なるDVDビデオ付きのCDを発見。昨年ライブ・ツアーがあったようです。嬉しいことに「La Camisa Negra」は 他に2ヴァージョンが入っている上、DVDで生 Juanes (声のわりにマッチョ)まで見れます。

ということで即買いして、電車の中で開けてみたら、2005年2月9日マドリードで始まり12月18日キュラソー島(オランダ領アンティル)まで1年に及ぶツアーのスケジュールが載せられていました。スペイン、チリ、ペルー、アメリカ、プエルトリコ、アメリカ、メキシコ、アメリカ、ベネズエラ、ドイツ、コロンビア、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラ、エクアドル、アルゼンチン、ウルグアイ、アルバ、キュラソーと回ったこのツアー、2006年もイギリスを皮切りにラテンアメリカとヨーロッパにおいて継続中でした。これを見ていると、Tomotubby がメキシコを旅行する直前にツアーはメキシコを回っていたことがわかりました。メキシコでの、あのヘビーローテーションぶりが、なんともうなづけます。

ネットで調べていると、Juanes は「フアネス」と読み、2005年の第6回ラテングラミー賞で「Mi Sangre」は最優秀ロック・アルバム、4曲目の「Nada Valgo Sin Tu Amor」(この曲も聞き覚えがあります)が最優秀ロック・ソング、11曲目の「Volverte A Ver」が最優秀ミュージック・ビデオと、3賞受賞のスーパースター、知らぬはわが身だけ。失礼ば致しました。ワールド・ツアーはラテン・アメリカとヨーロッパだけといわず、極東日本にも足を伸ばして欲しいです。

久々の大プッシュです。

メキシコではへんな名前

2006-01-25 | ラテンな America レゲエな Jamaica
昨秋、Wilma にヒットされたメキシコ・カンクンのリゾートホテル・エリアも、年末から通常営業を始めたということで何よりです。

Tomotubby はカンクンに滞在したとき、ホテルでガイドブックを調べて、インテルマルという現地では最大手の旅行会社のチェチェンイッツア・ツアーに参加しました。チェチェンというと紛争地帯のように聞こえますが、チェチェンイッツアとはカンクンの西方にある有名なマヤ文明の遺跡の名前です。宿泊した小さなリゾートホテルのスタッフはあまり頼りにならないのが判ったので、インテルマル・カンクンの日本人ガイドさんのケータイに電話をかけて直接予約しました。で、料金の方は意外に安くて驚き。彼女によると、このツアーの参加者はホテル付きのパッケージツアー客が多くて、出発前にオプショナルツアーとして申し込んでいる人たちが殆どらしく、くれぐれもツアー途上で料金を話題にしないよう釘を刺されました。つまり日本の旅行主催会社が上前を掠め取っているわけですね。ガイドさんからは、カンクンの南に位置するマヤ遺跡、トゥルムにバスで行く方法も教えて貰い、大感謝でした。

このガイドさん、Tomotubby と共通点がありよく覚えているのですが、大阪出身のカメヤトモコさんというお名前でした。彼女はメキシコの同僚に「カメ」または「トモ」と呼ばれている(呼ばせている)そうですが、「トモコ」という本名は名乗らないそうです。名乗ると「ト・モコ、ト・モコ...信じられない」と何度も繰り返され笑われるのだそうです。

それもそのはず、スペイン語で「モコ」は「鼻くそ」を意味して、「ト」というのは「あなた」の意味らしく「あなた、鼻くそ。信じられない」ぷぷぷ。ということなのです。

なので、スペイン語圏を旅する「トモコさん」「モモコさん」は、自己紹介をするとき、気をつけましょう。「速水もこみち」という名前も失笑ものかもしれませんね。この方、自分の Website に「MOCOSTYLE」という名前までつけています。「鼻くそ スタイル」だもんね。それから、ハワイ名物「ロコモコ丼」のメニューは、メキシコでは誰も食べないに違いない。日産 MocoMoCoメール は、改名した方がいいでしょう(もうしてるかな)。


メキシコ・ユカタン半島の地図

Sinead O'Connor 「Throw Down Your Arms」

2005-11-20 | ラテンな America レゲエな Jamaica
天使のような少女(本人の幼少期の写真らしい)の写真を用いたジャケットがクリスマス仕様に見えたのですが.....

数年前に引退を表明していたシニード・オコナー(最近はシネイド・オコナーと読むらしい)がレゲエ・アルバムを発表していました。それもラヴァーズ・ロックなどではなく、全篇ラスタファリズム(正式にはラスタファリアリズム)色の濃い、渋いルーツ・レゲエ・アルバムです。1曲目と2曲目は、マーカス・ガーヴェイに関わる歌だし、それらの曲を含めて Winston Rodney、つまりは Burning Spear の曲が5曲も入っていることから、半端な気持ちで作ったアルバムではないことがわかります。キングストンでスライ&ロビーをバックに起用していて、発音もどこかジャマイカン。

シニードといえば、殿下作曲の「Nothing Compare 2 U」を神々しいほどに歌っていて、個人的に大好きな一曲でした。今回アルバムを聴くまでは、頭の中でシニードとルーツ・レゲエとはどうしても結びつかなかったのですが、聴いてみると、彼女の伸びやか、かつ禁欲的なケルト歌唱は、なかなかどころか、とってもラスタ・ミュージックと相性がよいのでした。

前にもブログに書いたことがありますが、ジャマイカは元々マヤ人たちの土地で、スペインが植民地支配したときに彼らを酷使して絶滅させたため、後に支配者がイギリスに移ったとき、労働力不足対策として、アイルランドから白人奴隷を入植させています。今もジャマイカには少数ながらアイリッシュの末裔が住んでいるそうで(フレディ・マクレガーの姓なんてアイリッシュ系ですよね)、アイリッシュのシニード・オコナーにとって、ジャマイカは意外と親しみやすい土地なのかもしれません。イギリスの白人社会におけるアイリッシュの立場は、程度の差こそあれ、ジャマイカ系イギリス人と共通な面もあるし、敬虔なカトリックとしてシニードはラスタ・ムーブメントに共感を覚えているのかもしれません。

音楽メジャーからは当面無視されそうに思いますが、引退などを考えないで、この路線で頑張って欲しいです。

Wilma 恐るべし

2005-10-23 | ラテンな America レゲエな Jamaica

ユカタン半島沖に居座る Wilma。大きな目です。糸を通したくなります。

カリブ海で発達した史上最大規模のハリケーン Wilma がユカタン半島に接近、ダイビング名所のコスメル島を直撃。そのままユカタン半島沖に居座って、Tomotubby が春に旅行したカンクン周辺も、観光客が避難するなど、ひどいことになっています。

このハリケーンの名前の付け方については前から疑問に思っていたので、調べてみました。ハリケーンが(熱帯性低気圧として)発生した順に、頭文字がアルファベット順の名前がつけられることはよく知られていますが、この名前は実は前もって決められています。2005年の場合は、次のとおりになっていました。

Arlene
Bret
Cindy
Dennis
Emily
Franklin
Gert
Harvey
Irene
Jose
Katrina
Lee
Maria
Nate
Ophelia
Philippe
Rita
Stan
Tammy
Vince
Wilma
Q、U、X、Y、Z で始まる名前は少ないため、用意されたのは、それ以外の総数21。既に最後の名前 Wilma まで使い果たされており、カリブ海で新しく発生した熱帯性低気圧は、Alpha と呼ばれています。名前が足りなくなると、Alpha、Beta、Gamma... とギリシア語のアルファベットが使われるようです。

既に2006年のハリケーンの名前も決められており、2005年に使われた名前と同じものは使われていません。ただ名前は限られているので、何年かすると同じ名前が使われることになります。それから、今年の Katrina のような、大きな被害をもたらしたハリケーンの名前については「永久欠名」になり、今後は使われなくなるそうです。Wilma はどうなるでしょうか?

PUMA Jamaica

2005-10-02 | ラテンな America レゲエな Jamaica
ワールドカップ・サッカーのジャマイカ・チームのスポンサーである PUMA が発表した Jamaica シリーズ。お盆に大阪駅 GARE のお店で見つけて以来、トラックジャケット(いわゆるジャージです)が気になっていたんですが、同じもの(写真中央)を新宿でも見つけました。ベージュとチャコールグレーの二色展開ですが、襟と袖と裾のリブ編みのところが派手なラスタカラー。それから目立たないんですが、胸と背中には、ハイレ・セラシエ皇帝シンボルのユダのライオンが、同じ生地でパッチにしてあり、さらに赤糸でステッチされています。こういうのって、ふつうダサダサになるんですが、バランスがいいですね。従来の PUMA とは一味違っています。サイズは SS、S、M、L、LL。いちおう男性仕様で少し大きめなんですが、SS なら普通の女性でも OK です。写真転載しましたが、実物はもっといいです。欲しくなります。


どうもジャマイカンはみんなラスタファリアンと誤解されているみたいです

ワカモーレを作ってみた♪

2005-09-11 | ラテンな America レゲエな Jamaica
Tomotubby も FONDA DE LA MADRUGADA のレシピを参考にアポカドでワカモーレを作ってみました。

唐辛子がなかったので、ガラムマサラを入れてみましたが、まずまずのお味。ガラムマサラって、唐辛子とコリアンダーが入ってますから。ドリトスのチップとサルサソースとチェリートマトと一緒に、イタリア・アマルフィで買ったお気に入りのお皿に盛り付けました。


「FONDA DE LA MADRUGADA」の「ワカモーレ」

2005-09-10 | ラテンな America レゲエな Jamaica
前回ブログでご紹介しました「FONDA DE LA MADRUGADA」の人たちとレシピが、「本場メキシコの美肌 アボカドレシピ“ワカモーレ”」と題して、あの「はなまるマーケット」で取材されていました。

まず「まかない飯」で毎日アボカドを食べているというお店の女性店員に、アボカドを食べると美肌になるのか聞いてみたところ、「乾燥しない」「調子いい」「肌がなめらかになる」など、まんざらではなさそう。

そして、先日、歌を聞かせてくれたマリアッチのおねえさんが登場。同じことを聞いてみると


とのことです。さすがに「森のバター」アボカド。あのこってりした実の中に保湿成分があるのでしょうか。

さっそく「まかない飯」をチェックすると、それはアボカドのディップ「ワカモーレ」なのでした。食事中にテーブルに回ってこられてお会いしたんですが、シェフのガブリエル・サントスさんがおっしゃるには、


とのことです。

いつも「アボカドごはん」を食べている Tomotubby も挑戦してみようと思います。以下、番組紹介のレシピを勝手に引用:-


ワカモーレ
<材料>(4人分)
アボカド・・・・・2 個
玉葱・・・・・・・1/4個
レモン・・・・・・1/6個
塩・・・・・・・・小さじ1
青唐辛子・・・・2 個
香草・・・・・・・2 束

青唐辛子の代わりに赤唐辛子でもOK
辛いのが苦手ならパプリカで代用してもOK

<作り方> 
1)アボカドを切り種(種は体に毒らしい)を取り実をスプーンでくりぬいてボウルに入れます。
2)みじん切りにした玉葱もボウルに入れます。


↑マリアッチの人たちのアドバイス

3)青唐辛子をみじん切りにして、ボウルに入れます。
4)最後に塩・レモンで味を整え、泡だて器で混ぜれば美味しいディップの完成。



5) パン、クラッカーに塗っても、肉料理にも添えてもいいです。


Tomotubbyのおすすめレシピ
アボカドごはん
<作り方>
アボカドを半分に切り、種を取り、実をスプーンでくりぬいて、ごはんにのせます。その上から



↑をかけて出来上がり。
(これがレシピかよ?)

(承前) ラスタファリズムとキリスト教

2005-09-02 | ラテンな America レゲエな Jamaica
本来住むべきところにはおらず、呼ばれるべき名前を失い、話すべき言葉まで忘れてしまった黒人奴隷たち。彼らは、そんな悲惨な境遇を、教会の神父から聞いた聖書の世界に重ね合わせ、現世バビロンから聖地ザイオンへの脱出行、エクソダスを敢行することを夢想したのだろう。マーカス・ガーヴェイが現れてアフリカ回帰を叫んだときも、彼の予言どおりにハイレ・セラシエが即位したときも、後年ボブ・マーリーがラスタファリズムに関わるメッセージを歌ったときも、黒人奴隷の子孫は隔世遺伝的に反応したに違いない。本来いるべき場所にいない人たちは、いるべき場所を夢想したのだろう。

何の因果か、先祖が奴隷船で連れてこられた場所であるがゆえジャマイカに棲み、その地で先祖が洗礼を受けたことで生まれ乍らにしてキリスト教徒である者が、アフリカにおいて奇跡的にキリスト教の伝統を守ったエチオピアに一方的に恋い焦がれている。この盲目的な片思いの構造が、ラスタファリズムという奇妙な思想の本質である。異端ではあるがキリスト教的世界観が色濃く反映しており、聖書の世界からは大きく逸脱していない。キリスト教の枠組みの中にあること自体、この思想がアフリカ民族にとって普遍的なものになりえない所以ではないか。なにより皮肉なことに、黒人奴隷交易の引き金を引いたのが、ほかならぬキリスト教の拡大志向であったのだから。

アフリカ回帰のメッセージに呼応して、ジャマイカからエチオピアに移住したラスタファリアンがいることについては紹介したが、アメリカというバビロンに住む多くの黒人たちにとって、彼の地は果たしてザイオンたり得るのだろうか? レゲエのメロディーの中でノスタルジーを醸し出すその地は、されど飢餓の襲う世界最貧国のひとつでもあり、コンクリート・ジャングルとはまた別の厳しい現実が待っていることは誰にでも判る。アメリカに住み続け、ラスタファリズムの歌詞に心動かされることは自己欺瞞ではなかろうか? ラスタファリズムにおいて、ややもすれば服装や音楽などの、下卑た言葉で言うと、風俗的な部分ばかりが強調されてしまう現実が、この思想の限界のように思えてならない。

ラスタファリズムとキリスト教

2005-09-01 | ラテンな America レゲエな Jamaica
王の象徴であるユダのライオンが十字架を掲げ、ハイレ・セラシエの名が三位一体を意味することから容易に判るように、エチオピア王家はキリスト教徒であった。以前エジプト・カイロを旅したとき、街の東南の外れ、死者の街に接してあるコプト教教会を訪れたことがある。コプト教はキリスト教から派生した古代宗教で、そこには原始のキリスト教の姿が残されている。この教えがナイル川を遡り青ナイルの源流のあるエチオピアに達して、そこで広まったのではなかろうか。イスラム圏といってよい地域に存在するキリスト教国は殆ど奇跡である。

一方、アフリカから平底船に乗せられてジャマイカに売られてきた黒人奴隷たちの信仰生活はどうだったのだろう。ジャマイカは現在もキリスト教教区が行政区画となっているキリスト教国である。奴隷たちは望むと望まざるにかかわらず、自分を支配する農園のある教区の、信仰システムに組み込まれたに違いない。

そもそもジャマイカはマヤの人たちの棲む土地であったが、キリスト教宣教を大義名分としたスペインに征服されてしまう。原住の人々は憐れにもスペイン人に酷使され、欧州から持ち込まれた疫病の流行もあり絶滅してしまったのである。やがて植民地ジャマイカはスペインからイギリスの手に渡り大英帝国に組み入れられる。勤勉なマヤ人たちがいなくなった島は慢性的な労働力不足に陥っていて、イギリスは窮余の策として、まずアイルランド人を入植させている。彼らの扱いは白人奴隷に近いものだったという。続いてアフリカからの奴隷の大量移送が行なわれる。現在のジャマイカ国民の殆どがその子孫である事実からも、移送の規模は窺い知れる。

こうしてみると、アフリカ民族の悲劇を引き起こしたのは、大義とはいえ、ほかならぬキリスト教の拡大主義ではなかったのか?

続く