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Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

Aswad 「African Children」

2005-09-01 | ラテンな America レゲエな Jamaica
Mikey Dread こと Michael Campbell のことをブログに書きましたが、彼がプロデュースに関わっていた Aswad というブリティッシュ・レゲエのグループのシンボルマークがライオンでした。アルバムのジャケットにも、ほら、この通り↓ライオンが使われています。





このライオン、どれも頭に王冠を戴き、十字架(最初のは何故かアンクですが...)を抱えています。十字架を持つライオンは王の中の王と呼ばれた「ユダのライオン」で、キリスト教徒(昔はコプト教だったみたい)であるエチオピア皇帝の象徴です。帝国時代の国旗は、緑・黄・赤の三色旗で、中央にこの「ユダのライオン」が描かれていました。ハイレ・セラシエ1世の王宮には、ユダのライオンの像が置かれ、本物のライオンを放し飼いにしていたといいます。Aswad とは、アラビア語で黒のことで、ライオンが黒いのはこのためです。黒は緑・黄・赤に続く四番目のラスタカラーで、黒人の肌の色でもあるのです。

アスワドは70年代半ばに結成され、ボブ・マーリーのいたアイランド・レーベルよりデビューを果たしています。ブリティッシュ・レゲエのグループとしてメジャー・レーベルよりデビューした最初の例ではないかと思います。スティール・パルスやマトゥンビなんかも少し遅れて登場して、レゲエ・シーンが賑やかになります。デビュー当時の彼らの演奏や歌はお世辞にも上手いとはいえず、どうしてもジャマイカのレゲエの亜流のように聞こえます。アスワドのアルバムを通して聞いていると「New Chapter」あたりから聞くに値するものになったように思えます。お薦めは「New Chapter」の一曲目の「African Children」。ライブ盤「Live And Direct」の方にも収められている名曲です。ライブでは、ポップになる前のハードで畳掛けるような、勢いのあるアスワドの音楽を聞くことができます。

Many African children,
Living in a concrete situation
African children
Living in a concrete situation
African children
I wonder do they know where you're coming from
African children
Down there yes in a concrete situation
African children
I wonder do they know where you're coming from
The whole of the nation
Living in these tenements,
Crying and applying to their council
For assistance every day
Now that their tribulation so sad
Now that their environment so bad
High rise concrete
No back yard for their children to play
African children
I wonder do they know where you're coming from,
African children
In a concrete situation
African children
Wonder do they know where you're coming from
All of the nation are living in these tenements
Precast stonewall concrete cubicals
Their rent increases each and every other day
Structural repairs are assessed yet not done
Lift out of action on the twenty-seventh floor
And when they work they smell
African children
Living in a concrete situation
African children
I wonder do they know where you're coming from
African children
Living in a concrete situation
African children
I wonder do they know where you're coming from
African children
Down there down there in a concrete situation
African children
Wonder do they know where you're coming from
Where you're coming from
African children
REPEAT

Sometimes wanting to party late into the night
And when they're out of sight
The neighbours' complaining again
And its a place where
You don't even know your neighbour's name
It's a ghetto in the sky

アスワドはこの後、ライオンが象徴するようなラスタファリズムからはどんどん遠ざかり、ポップ路線を突き進んでいきます。恐らくはこの路線に進んだことが成功要因で、幅広いファンを得て、30年を超える長いキャリアを築けたのではないかと思います。甘甘のメロディーが嫌いな人も多いかとは思いますが。



最近作でお薦めなのは「Cool Summer Reggae」。題名もジャケットの絵も軽薄ですが、アスワドのヒット曲の新録の他、カバー曲が沢山入っていて楽しめます。

前にブログにも書いた Gregory Isaacs「Night Nurse」、日本ではスネークマン・ショーのアルバムにも収められていた Sugar Minott の名曲「Good Thing Going」(ジャマイカ盤のジャケットには前歯の欠けたシュガー・マイノットの写真が使われていましたが、日本でリリースされたものでは、熱帯風イラストに取り替えられていました。よくある話)、一発屋? Dawn Penn「(You Don't Love Me) No No No」、日本でも流行った Diana King の「Shy Guy」等々が収められています。



8月は、エチオピアとジャマイカについて、7月から続くマイケル・ラインと、色の話なんかも交えて書いていたら、かなり長くなってしまいました。9月はなるべくニューヨークの日記を前に進めたいと思っています。

Yellowman 「King Yellowman」

2005-08-25 | ラテンな America レゲエな Jamaica
ジャマイカには、マイケル・ジャクソンのように、別に白人になりたくて白くなったわけではなく、生まれつき白かった、つまりチロシナーゼなる酵素の働きが不完全なため皮膚や髪のメラニン色素が無い(か殆ど無い)アルビノの、黒人レゲエDJがいます。(黒人でいいのかどうか?)

その名も イエローマン。



ジャマイカでは、アルビノに対する差別が激しくて、そのせいで捨て子となり孤児院で育てられたというハードな境遇に生きた人ですが、その外見を逆手にとって Yellowman と名乗り、派手なジャージ姿と、コミカルで自虐的でもある、独特の Toasting で一躍人気者になりました。デビュー直後、人気が凄かったときには、やはりアルビノの(あまり似てないと思いますが)そっくりさんが Yellowman を名乗って現れたりするほどだったといいます。この方は後に Purpleman の名でデビューしています。そういえば、日本にも、本物になりすまして「亜麻色の髪の少女」歌ってたおじさんがいましたよねぇ(笑)

Tomotubby としては、やたらに長い題名の「Zungguzungguguzungguzeng!」や、当時投獄された Gregory Isaacs の無罪を歌う「Gregory Free」が入ったライブ音源(P-vine AC-8017/8 V.A. 「DJ RANKIN' CLASH」)なんかもお薦めですが、ここでは無難にメジャーデビュー盤「King Yellowman」(試聴可)を上げておきます。ジャケがウォーホルみたい。

このアルバムで楽しいのは、わざと調子はずれのように Toasting する合間に、鼻唄のような感じで歌が入るところです。歌は、Bob Marley「Keep on Moving」、John Denver「Take Me Home Country Roads」、Cliff Richard 「Summer Holiday」、Frankie Ford「Sea Cruise」等々、この抜け具合が何とも言えなくていいんです。ご年配の方にもお薦めかも。元曲はいずれも Amazon.com で試聴できるので聴き比べてみるのもまた愉し。

Mikey Dread 「In Memory (Jacob,Marcus,Marley)」

2005-08-19 | ラテンな America レゲエな Jamaica


マーカス・ガーヴェイを題材・題名としたレゲエ・ミュージックは沢山あります。紹介するならば、バーニング・スピアの名作「マーカス・ガーヴェイ」というのがお決まりでしょうが、ここではイギリスのDJ、マイキー・ドレッドのアルバム「S.W.A.L.K.」から、「In Memory (Jacob, Marcus, Marley)」を。このアルバムは、Tomotubby が初めてロンドンに行ったとき探して買ってきたもので(今は日本でもCDが容易に手に入ります)、個人的に思い出の品なのです。曲は、Jacob Miller と Marcus Garvey と Bob Marley に捧げられたもので、ラジオでDJを行っていたマイキー・ドレッドの唯一無二のダミ声で三人の名前が繰り返され、脳天気な中にもノスタルジックなところがあってお気に入りです。

それから、マイキー・ドレッドは、別名マイケル・キャンベルで、クラッシュやアスワドなどにも加わっています。先日、ブラック・ウフルーのマイケル・ローズをこのブログに取り上げたので、マイケル繋がりということで載せてみました。7月に続けていたマイケル・ライン特集を未だに執念深く続けているのでもありました。

エチオピア皇帝が何故ジャマイカの「現人神」となったのか?

2005-08-18 | ラテンな America レゲエな Jamaica
カリブ海から遥か離れた東アフリカの地で君臨したハイレ・セラシエ1世が、何故ジャマイカ人の「現人神」となったのでしょうか?

それには、マーカス・モザイア・ガーヴェイというブラック・ナショナリズム、ブラック・シオニズムのリーダーが関与していました。

マーカス・ガーヴェイは、117年前の今日、1888年8月17日に、ジャマイカのセント・アン教区で11人兄弟の末っ子として生を受けました。

Happy Birthday! Marcus! もう死んでるけど

セント・アンは、ボブ・マーリーの出身地としても有名です。14歳のマーカスはこの地で祖父のもと印刷工の見習いになります。父親が書斎を持つほどの読書家で、その影響下で、当時の彼も読書に耽っていたようです。1906年にはキングストンに移りますが、1908年、ジャマイカ初の印刷工のストライキに参加、ストは失敗してマーカスは職を失ってしまいます。しかし、幸運なことにも政府の印刷所に雇われています。

1910年頃、マーカス・ガーヴェイはコスタリカに移り、バナナ農園の管理を行っていますが、パナマ、エクアドル、ニカラグア、ホンジュラス、コロンビア、ベネズエラなど周辺諸国を旅して、農園で働く黒人や先住民族の悲惨な労働環境、人種差別・偏見を目の当たりにします。彼らの労働条件の改善を政府に求めますが聞き入れてもらえず、マーカスはジャマイカに戻り、自分の意見を訴えるためにジャーナリストに転じます。1916年には、アメリカを講演して廻り大衆動員を果たしています。

翌1917年、マーカスは、黒人の権利拡大、生活の改善、そして「アフリカ回帰・黒人国家建国」を目的として、the Universal Negro Improvement and Conservation Association and African Communities League (UNIA)を設立し、ニューヨークのハーレムに活動拠点を移しています。そういえば、ハーレムには、今もマーカス・ガーヴェイの名を冠した公園もあります。1919年にはニューヨークで UNIA 世界大会を開催、1920年に UNIA は40ヶ国に支部を置く組織に発展しています。



彼の活動は多彩で、Black Star Line Steamship 社という蒸気船の会社を設立しています。持ち船は中古船一艘でしたが、黒人大衆にその船に乗ってアフリカへ帰ろうと呼びかけ、株主を増やしたといいます。結果的には実現しませんでしたが、エチオピアと並び列強のアフリカ侵略から生き残ったリベリアに米大陸の黒人を受け入れる居留地を作るよう呼びかけたりもしていました。

ガーヴェイと UNIA は、こうしてアメリカ黒人の絶大なる支持を得ますが、このムーブメントを危険視した米国政府は、詐欺罪で彼を投獄し、1927年には国外追放となります。ジャマイカが彼を受け入れますが、既に以前のカリスマ性はなく、失意のまま、英国へ移り、1940年にロンドンで亡くなっています。

マーカス・ガーヴェイは、アメリカを離れる前に行った演説の中で、「黒人がアフリカで王の座に就くとき、その者こそが黒人たちの救世主となるだろう」という予言を残しています。そして彼の言葉が記憶に新しい1930年、アフリカでの独立を保つ国、エチオピアでハイレ・セラシエ1世が即位したことで、この予言は実現したと信じられるのです。ここにマーカス・ガーヴェイの呼びかけた「アフリカ回帰」ヲ目指す「ブラック・ナショナリズム」のムーブメントは、黒人の「現人神」を戴くことにより「ラスタファリズム」として宗教的な色合いを帯びていくのでした。

Black Uhuru 「I Love King Selassie」

2005-08-15 | ラテンな America レゲエな Jamaica
最後のエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世は、1966年にジャマイカを訪れています。この御方、日本に二回訪れているほか、世界中の国々を訪問しているようです。イタリア・ファシスト政権によって国土を侵略された過去を持ち、外交政策を重んじていた故なのかどうなのかは知りませんが、旅行ブロガーとしてなんとなく、彼が単に「旅好き」の王様だったのではないか。と思っています。

ジャマイカ・キングストンに皇帝を迎えたラスタファリアンの熱狂は凄いものだったらしく、初めて来た訪問先で「現人神」扱いされた訳ですから、さしもの King of King も大いに戸惑ったといいます。この「現人神」の来訪を契機に、ラスタファリアンの存在はジャマイカ国内で認知され、以降、他国の元首を奉じた、この奇妙なムーブメントは広まっていったといいます。

かつてラスタ・ムーブメントについて詳しく知らないまま、Tomotubby は、Black Uhuru の歌う「I Love King Selassie」(試聴可)を聞いたりしてました。この歌は直接的というか、ラスタファリアンなら誰でも知っている、お気に入りの歌です。

歌っている Black Uhuru は、Bob Marley の亡き後、Island レーベルが大プッシュして、かつてないクールなレゲエで一時代を築いたグループです。当時、巷を賑わしたラヴァーズ・ロックは「Sponji Reggae」(試聴可)とバッサリ切り捨て、孤高の道を突き進み、グラミー賞まで取ってしまいました。グループの長い歴史においてメンバーは猫の目のように変わりますが、1980年代前半の黄金期のメンバーは、下の「RED」のアルバム・ジャケットに出ている三人。左から...



Michael Rose (main vo)
Sandra "Puma" Jones (vo)
Derrick "Duckie" Simpson (vo)

です。このジャケ写真、チープさの中に危険なくらいのインパクトがあります。

声量のある Michael Rose の厳しく黒い呪文のような歌声に オリジナル・メンバー Duckie Simpson と、紅一点の米国人で学士卒、儚くも夭逝した Puma Jones の妖しいバック・コーラスが蛇のように絡みつくと、絶妙な、かつてどこにもなかった、聞けばすぐ Black Uhuru と判り、聞きすぎると麻薬のような作用までをもたらす独自の世界が展開されるのです。

小柄な体でステージ狭しと飛び跳ね、ドレッド・ヘアーを振り回して歌う「動」の Michael に、バックの定位置で踊りながら淡々と歌い続ける「静」の Duckie & Jones。そしてこの時期のバックのリズム隊は、ミリタント・ビートで名を馳せた TAXI の Sly (ds) and Robbie (b)という豪華さ。このメンバーで来日して、読売ランド・イーストで炎天下に行ったライブ・ステージは今や伝説です。
このライブ音源を用いたCDかDVDの発売を切に希望します。

Gregory Isaacs 「Cool Ruler」 (Compilation)

2005-08-11 | ラテンな America レゲエな Jamaica
毎晩暑い熱帯夜には、涼しげな歌声がお薦め。
「Cool Ruler」こと Gregory Isaacs の二枚組コンピCD。タイトルも「Cool Ruler」
Disc#2 の方が気に入っています。歌の上手い Gregory の力の抜き具合がもう絶妙、世間を賑わせる暑苦しい歌声にはうんざりの暑い夜に、もってこいです。

Gregory のソロ・コンサートが見てみたい。それも夏の夜間に野外で聞けたら最高だと思います。長身に白いスーツと帽子の Gregory が舞台をゆる~くゆる~く歩きつつ、歌う姿をこの目で見てみたいものです。



Disc#2 の9曲目の「Night Nurse」(Album version と Dub version は試聴可)が特に大好きです。この曲、Island から10インチシングルが出ていてよく聞きました。嬉しいことにコンピ収録曲には10インチヴァージョンが選ばれています。歌からダブに変わる瞬間がぞくぞくします。


Tell her try your best jest to make it quick
Whom attend to the sick
'Cause there must be something she can do
This heart is broken in two
Tell her it's a case of emergency
There's a patient by the name of Gregory

Night nurse
Only you alone can quench this Jah thirst
My night nurse, oh gosh
Oh the pain it's getting worse

I don't wanna see no doc
I need attendence from my nurse around the clock
'Cause there's no prescription for me
She's the one, the only remedy

Night nurse
Only you alone can quench this Jah thirst
My night nurse
Oh the pain it's getting worse
I hurt my love

I don't wanna see no doc
I need attendence from my nurse around the clock
'Cause there's no prescription for me
She's the one, the only remedy

Night nurse
Only you alone can quench this Jah thirst
My night nurse
Oh the pain it's getting worse
I hurt my love

And I'm sure
No doctor can cure
Night nurse
Night nurse