Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

エチオピア皇帝が何故ジャマイカの「現人神」となったのか?

2005-08-18 | ラテンな America レゲエな Jamaica
カリブ海から遥か離れた東アフリカの地で君臨したハイレ・セラシエ1世が、何故ジャマイカ人の「現人神」となったのでしょうか?

それには、マーカス・モザイア・ガーヴェイというブラック・ナショナリズム、ブラック・シオニズムのリーダーが関与していました。

マーカス・ガーヴェイは、117年前の今日、1888年8月17日に、ジャマイカのセント・アン教区で11人兄弟の末っ子として生を受けました。

Happy Birthday! Marcus! もう死んでるけど

セント・アンは、ボブ・マーリーの出身地としても有名です。14歳のマーカスはこの地で祖父のもと印刷工の見習いになります。父親が書斎を持つほどの読書家で、その影響下で、当時の彼も読書に耽っていたようです。1906年にはキングストンに移りますが、1908年、ジャマイカ初の印刷工のストライキに参加、ストは失敗してマーカスは職を失ってしまいます。しかし、幸運なことにも政府の印刷所に雇われています。

1910年頃、マーカス・ガーヴェイはコスタリカに移り、バナナ農園の管理を行っていますが、パナマ、エクアドル、ニカラグア、ホンジュラス、コロンビア、ベネズエラなど周辺諸国を旅して、農園で働く黒人や先住民族の悲惨な労働環境、人種差別・偏見を目の当たりにします。彼らの労働条件の改善を政府に求めますが聞き入れてもらえず、マーカスはジャマイカに戻り、自分の意見を訴えるためにジャーナリストに転じます。1916年には、アメリカを講演して廻り大衆動員を果たしています。

翌1917年、マーカスは、黒人の権利拡大、生活の改善、そして「アフリカ回帰・黒人国家建国」を目的として、the Universal Negro Improvement and Conservation Association and African Communities League (UNIA)を設立し、ニューヨークのハーレムに活動拠点を移しています。そういえば、ハーレムには、今もマーカス・ガーヴェイの名を冠した公園もあります。1919年にはニューヨークで UNIA 世界大会を開催、1920年に UNIA は40ヶ国に支部を置く組織に発展しています。



彼の活動は多彩で、Black Star Line Steamship 社という蒸気船の会社を設立しています。持ち船は中古船一艘でしたが、黒人大衆にその船に乗ってアフリカへ帰ろうと呼びかけ、株主を増やしたといいます。結果的には実現しませんでしたが、エチオピアと並び列強のアフリカ侵略から生き残ったリベリアに米大陸の黒人を受け入れる居留地を作るよう呼びかけたりもしていました。

ガーヴェイと UNIA は、こうしてアメリカ黒人の絶大なる支持を得ますが、このムーブメントを危険視した米国政府は、詐欺罪で彼を投獄し、1927年には国外追放となります。ジャマイカが彼を受け入れますが、既に以前のカリスマ性はなく、失意のまま、英国へ移り、1940年にロンドンで亡くなっています。

マーカス・ガーヴェイは、アメリカを離れる前に行った演説の中で、「黒人がアフリカで王の座に就くとき、その者こそが黒人たちの救世主となるだろう」という予言を残しています。そして彼の言葉が記憶に新しい1930年、アフリカでの独立を保つ国、エチオピアでハイレ・セラシエ1世が即位したことで、この予言は実現したと信じられるのです。ここにマーカス・ガーヴェイの呼びかけた「アフリカ回帰」ヲ目指す「ブラック・ナショナリズム」のムーブメントは、黒人の「現人神」を戴くことにより「ラスタファリズム」として宗教的な色合いを帯びていくのでした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿