きょうは、2回目の、国立新美術館「安藤忠雄展~挑戦」に行ってまいりました。お目当ては、午後からの安藤忠雄さんご本人によるトークショーです。どんなお話がきけるのか、ウキウキしながらいってまいりました!
こちらは、国立新美術館の威容です。これは黒川紀章さんの傑作ですが、すぐ近くに、安藤さんが手掛けられた、東京ミッドタウンがあります。
場内は大変なにぎわい。海外でも大活躍される安藤さんなので、外国人の方も多数お見受けしました。また15時からは学生さんも多数お見えになりました。
こちらは、代表作のひとつである「直島」のモニュメントと映像です。こちらの会場で、安藤さんのトークショーが行われました。終始大変アットホーム、ざっくばらんな雰囲気で安藤さんはご機嫌でお話されました。「きょうは紀伊國屋書店の社長さんと昼食をいただいておりました。そのときに話したのは、『スマホなどが普及して、活字文化が衰退するのはよくない』ということでした。そこで、大阪の中之島の真ん中に、子供の図書館をやりたい、という話をしました」と切り出す安藤さん。いつもその頭の中には、建築の可能性と社会との連関性を模索しているようでした。事実、国立国会図書館の子供図書館なども手掛けておられます。
安藤さんは続けます。大阪弁でまくし立てますが、なんだかそれもご愛敬です。「人生100年時代ということですが、それも問題をおこしていますね。60歳定年でありますが、女性は90歳、男性は82歳が平均寿命です。しかし国の経済はまずい、政治も考えていない、個人もその問題を考えないという構図があります。これからは大事なのは『自分の人生は自分で考える』ということ、自分の人生は自分で切り開く、ゲットする(ということばを安藤さんは多用されました)ことが大切なんですね」これには私も、いたく共鳴をうけました。
「ベネッセの社長さんとお話したときに、『離島に美術館をつくりたい』と言われたのです。つまり、親御さんからゆずられたこの離島に、世界中の人に来てほしいということでした。しかし、岡山の先のほうにあって、とても不便でいきにくい。2500人の人口しかない中でどうするか考えました。しかし、いまでは、年間60万人のかたがお見えになる美術館になりました。はじめのうちは島の住民のひともいやがるのです。しかし、10万人を突破した当たりで、『うちはコーヒーショップをやろうかと思う』『うちは民宿を』と言い出す。”希望”が生まれるわけです。」
「建物を見に来る時代は終わりましたね。環境を見に来る時代なのです。つまりこの美術館も、島全体を見に来る人が増えてきたわけですね。たとえば、(と近くの大仏の映像をさし)鎌倉の大仏をイメージしてつくりましたが、これだけでは足りない、とクライアントはいうのです。『大仏が尊敬されるようでなくてはならない』というわけですね。そこで、大仏の頭だけだすことにして、あとはラベンダーの花や、冬は雪で埋まるようにしてみたわけです。すると、一日に4台観光バスが来る場所になりました。」
「僕は『住居』が建築の原点だとおもっています。その点、東京駅の丸の内ビル群はあまり面白くないんですね。冷暖房がなかったとしても、シャツを一枚着る、また重ね着する、それでも寒かったら”あきらめる”くらいの住まいでいいだろうと思うわけです」
「若い人たちに言いたいのは、『アジアはひとつ』である、ということです。そして、『しんどいことは、やってみること』です。本を読みなさい、半年ぐらい(ひとつのことに)集中しなさい、といいたいです。発注先はいまは圧倒的に外国が多いですが、生きていること自体が面白い、と思うことが大切です」
ここで質疑応答になり、安藤さん独特の人生観、建築に対する思いが披歴されました。
Q:スタジオジブリとの違いをどうとらえていますか?ジブリは、宮崎駿さんというカリスマがいて、成り立っていました。安藤さんの事務所は安藤さんが亡くなったらどうなるのでしょうか?
A(安藤):ジブリとの違いは、彼らは絵をかくからいいけれども、僕らは工事が始まったら、終わらなければならないですね。僕が亡くなったあとのことも考えていますが、60歳で務めている人が4人ほどいます。彼らが75歳くらいまでのことをサポートできる体制であればいいのではないかとおもっています。若いひとたちは、感性が磨かれているから、どうとでもいきていけるでしょう(笑)
Q:仕事を選ぶポイントを教えてください。
A(安藤):ジョルジョ・アルマーニの本社を20年前に劇場と合わせてつくったとき(アルマーニ・テアトロ)、アルマーニの社長本人から電話がかかってきたときは「あ、その電話、切っとけ」だったんです(笑)でも、社長さんが幾度も電話をくれて、「日本人の感性でやりたい」という。インターナショナルな人たちというのは感性も一緒になってくるんですね。
また、東京ミッドタウンを作り、三宅一生さんと組んだ時も、一枚の布の感性を大事にしました。また竹中工務店という会社の技術力を生かしたいとおもったので、鉄板を使いました。
表参道ヒルズをつくったときは、ケヤキ並木を超えないようにしてつくりました。森ビルのオーナーさんに、「下へ行くほど高くなりますが(※地下をつくればつくるほど、工費が高くなるの意)いいですか」と言ったら「あなたはそんなことを考えてはいけない。自由におやりなさい」といってくださって、こういうクライアントばかりだとありがたい(笑)。
結局、仕事を決めるポイントは、電話と場所と人ですね。ベネトンの社長さんはベニスで学校をつくりたいと言ったのです。そこで僕は思った。ボローニャの大学のイメージでやりたい。世界最初の大学はボローニャにあるからです。そして、レオナルド・ダ・ヴィンチがつかった解剖室もある。今まで見た事の無いものが見たいのですね。
Q:独学で安藤さんはデザインを学ばれましたが、デザインなど一つのことをずっとやってこられる秘訣はなんでしょうか?
A(安藤):独学のハンディキャップはあるけれど、大学で勉強している連中より、うんと勉強することですね。一日5時間の睡眠時間で頑張った時期もありました。独学のメリットはとにかくやりがいがある。そして、いま問題になっている一連の企業のトップは実は東大卒が多かったりする。入社したときに60歳で定年を迎えるころには、何も起きないと思っていたのが、いまこうした問題になっているわけですね。中卒の人は、気合が入っていますよ。「安藤さんと仕事するために、朝早く起きて、1キロ走ります」と言っている。僕は中学2年のときに、一心不乱に働いている大工さんのすがたを見て、建築家を志したのです。つまり、『一心不乱に働いてほしい』のですね。若いひとたちには。いまの若い人たちは、そういう気概が乏しいところがあるが、『生きていくことは仕事である』という覚悟が大切ですね。
というわけで、大変面白いトークショーになりました!
明日も行われるそうですし、お話の内容も毎回変わるそうですので、ぜひ安藤さんの創作の原点に触れられてみてはいかがでしょうか!
そして、こちらは、国立新美術館の敷地内に等身大で作られた、安藤さんの代表作「光の教会」です。本当に斬新な構図、自然光の取り入れ方と、十字架への賛美の想いがこめられたすばらしい作品ですね!
こちらはサイン会で買った、安藤忠雄さんの本です。私がサインをいただく際、「海外の仕事でいかにして闘っておられますか?」とぶしつけにも伺ったら、「それは自分で考えろよ!」と一喝されてしまいました(苦笑)。でも、この本にしっかりとその回答が出ていて、壮絶な海外での仕事の大変さや醍醐味が記されています。ぜひ、トークショーでも、我こそは、という方は、安藤さんにきいてみてはいかがでしょうか。生きる勇気がムクムクわいてきます!
こちらがいただいたサインです。「RYO」と書いていただいて、大事にしたいと思います!
(にしても、パーヴォって・・・・神対応なのだな、と改めて感謝する次第です^^)