米国ドナルド・フェイゲン公の通算4枚目の自ら記録音板(ソロ・アルバムCD)はおもに棒道(高速道路)で拝聴している拙者である。甲斐の晴信殿(武田信玄)のおかげでインフラも進み拙者も棒道を疾走する毎日でござる。電気弦楽師達人(天才ギタリスト)のラリー・カールトン殿下もこの作品に出陣されており拙者は妻のいない独りだけの鉄馬(ホンダオデッセイ)でながれゆく雲..空の色..山の色を眺めながら耳に入魂しているのでござる。良い音を聴き乍(ながら)鉄馬(車)で疾走(佐野~行田~新宿~伊勢崎を走りまわる)自分を『鉄馬疾走良音乍』とする...
...ハウステックの立川ショールームには中央道で向かっていたがよく考えたら大月の悲惨なトンネル事故の最中であったので...私は中央道下りを引き返した。そんなときに武田信玄のことやミスチル『常套句』のことをシンクロして考えていたら冒頭の文章が思いついた。
ミスチルの新譜は素晴らしい出来栄えであえて私がコメントしなくともよいのだが四万十を舞台にしたフジTVの人気ドラマの挿入歌の『常套句』が収録されているので私も購入させていただいた。写真のライブDVDはまだ観てはいないがCDにもPVのDVDがついていた。常套句?妻は「読み方がわからない!」とあせってスマホで読み方を調べた...【じょうとうく】と読むそうである....だから私もちょっと読めないタイトルで【てつばしっそうりょうおんながら】と『鉄馬疾走良音乍』を考えたのだが字がながすぎてしまらない....あしからず....
星野源の新作『知らない』のDVD付CDも購入した。みればみるほど次女の婿さんに似ている。星野源は飯能だそうで次女の婿さんは狭山のトトロの森の近くだ。かなり近い。どちらかというと朝鮮民族が昔から日本に土着した地域でもある。次女の婿さんは韓国代表のスターのアン・ジョンファンにもそっくりでたいへん二枚目である。星野源も馬鹿なことしなければけっこう二枚目である。星野源も次女婿さんも朝鮮民族顔だと思う。
妻と「ソウルに行きたいね」と話が盛り上がる。冬のソウルは何回か経験したが仙台と緯度が同じなので寒い。チャミスルを屋台で飲んでもすぐに酔いがさめる。アパレル部門が弊社にあったときに社員を連れて冬の韓国に仕入に行った。予算がないので地下鉄やバスばかりで移動したものだ...東大門市場駅で降り立ったら雪が降っていた。デュータの前ではブレイクする前の東方神起(大勢のメンバー時代)が雪が舞うミニステージで歌って踊っていた。二人の社員は鼻の頭を赤くして興奮気味に盛り上がっていた....ソウルは不夜城だ。イルミネーションは朝まで灯りを落とさない。ソウルには私が15回前後。妻も15回前後仕入にいった。私はソウルで知人も数人できて工場の場所も開拓できた。
私はイギリスでもアメリカでも韓国でもすぐに知人をつくれる。語学が堪能なのではない。自分を売るのに長けている才能をもって生まれたのだと思う。妻は韓国出張は「怖かった」といつも話す...長男が小学校6年のときに韓国仕入の妻への引き継ぎのお伴で便乗させたことがある。日本代表を排出したことがあるサッカークラブでキャプテンだった息子は紫外線に弱く...韓国出発の前の日に朝から晩まで試合をこなし瞼や唇まで火傷のように腫れ上がっていた...私は建築家になる夜明け前のときで...アパレルと建築でも生活はきつく....夜勤のアルバイトをしていた時期だった....
ソウルに着いた長男はサッカー選手の写真が町中に張られているので興奮していた。イテヲンというアメリカ軍の街があり、両替のブラックマーケットもある。ドーベルマンが睨んでいるやばそうな小屋の奥に闇の両替商がある。息子と妻はかなりビビッていたっけな....ソウルには闇の世界がまだまだたくさんあるらしい....空港なども闇の世界を使えばたくさん仕入れをしたものが重量追加料金も取られず飛行機に乗れる....これには最初は勇気がいるが私は平気だった。ソウルの人たちは正直で親切だ。さすが儒教の国。日本人のほうがよっぽどウソつきだ。(今、ちょうどスティーリー・ダンの『うそつきケイティ』を聴いていたが....)
さて...昨日の写真なのだが...鉄馬が強風にあおられもせず棒道(高速道路 太田~伊勢崎間)を疾走している車窓からの片手運転写真である。自分のあまりに嬉しい気持ちをカメラに収めておきたかった一枚だ.....
昨日は2棟同時着工が出来て私は建築家として本当に幸せだった。サラリーマン時代は何回も経験していたが今年の結婚記念日に自分の最後の会社としてつくった巴座映像建築会社がついに法人になる。名前は株式会社巴座商会となる予定だ。巴座映像建築会社時代は短かったが素晴らしいお客様ばかりに恵まれた。株式会社巴座商会は建築部門・学習塾部門(妻担当)・WEB広告部門・販売部門(建築系)・デザイン設計部門など多岐にわたり展開していくが私が代表取締役で妻は取締役で、妻と同じ会社でコンビを組むのは久しい。私の人生最後の仕事になるであろうこの会社は高崎駅から徒歩7分の立地で駐車場も社屋前にあるので弊社のお客様も便利になるはずだ。
今日も何社もショールームや取引先を廻ったが高崎問屋町と弊社は近いのでたいへん便利だと感じた。高速のインター、新幹線の駅も近く、成田空港に行く高速バス乗り場も109シネマも関東最大級のヤマダ電機も歩いていける。会社の環境はたいへん良い。これから社屋の建築に入る準備をする。函館の港街に大正時代から建っているイメージにしたい。妻には着物をたまに着ていてほしい。私も着物や大正時代から昭和30年代の洋風文化ファッションをたまにしたいと考えている。最後に江戸時代後期から明治時代の函館近郊の建物の写真をご覧あれ....巴座は大正4年函館に生まれた映画館だった....今はもうない....私の敬愛する亡き父(とうさんと呼んでいた)は大正14年生まれで私が19歳の冬に亡くなった....函館中央病院の個室から見えた空がとても青かった...。父に会いたい....父に会いたい....私はミスチルの『常套句』を聴いたときに心が震えた...今も『常套句』を聴き乍らこのブログを書いているが私の目には涙があふれて止まらない....今、私を支えてくれているたくさんのお客様たち....仕事のパートナーの皆様....家族.....思ったら涙が止まらい....父にはもう会えない。妻の勧めで函館にいる母に来週会いにいく。生きているうちにあと何度母に会えるのであろう。妻の両親は私と妻が結婚してからすぐに亡くなった...妻の両親には今でも会いたい。心から会いたい....今の私を妻の両親は褒めてくれるだろうか...妻の亡くなったお母さんはいつも私を褒めてくれた。褒められたことのない私は嬉しくて嬉しくて一生懸命働いた。妻もよく生徒さんたちをほめるのだという...妻の生徒たちは幸せだ。
妻も子供たちも婿さんたちもいない私ひとりの函館への旅なので母の前では息子になろうと思う.....今も桜井くんの『君に会いたい』というフレーズと正確で強いドラムとベース、控えめで美しいギターとエレピの音が私の涙を止めない.....澄んだ朝に散歩に出かけることにしよう....
私は妻と半日離れているだけで「ママに会いたい」と思う。私はなんて幸せなのだろう.....
『常套句』...音楽界にまた宝がふえました
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