何年振りだろう....『自転車泥棒』を観た。素晴らしい映画..としか言いようがない。
1948年公開のヴィオリット・デ・シーカ監督のネオレアリズム(写実主義)の名作でアカデミー外国語賞も受賞している。主演の親子はオーディションで選ばれた素人さんらしいが....胸がしめつけられそうになる演技だ。
私はこの映画を小学1年生の時にNHKの日曜日の午後のテレビ放送で観た記憶があるので約45年振りに観た。デ・シーカ監督の映画は最近『ひまわり』を妻と観た。1970年公開の名作中の名作だ。俳優でもあるデ・シーカ監督の演出は人間の心の奥まで写実する。そしてせつない。
美しいソフィア・ローレンの絶望の顔の表現は素晴らしい。美しい彼女の顔から険しさと切なさと深い悲しみが動画ではない写真からでも読み取れる。
『自転車泥棒』の息子ブルーノが父の手を握りしめる顔が切ない....痛ましい...大恐慌下、貧困であえぐイタリア人...でもどこかパワーも秘めていて人間臭い。みんな生きることに精いっぱいだ。写実的な映画といわれている『自転車泥棒』だが『ひまわり』と何がちがうのだろうか....生きていく不安と恋愛(情熱的に夫を愛する妻の執念)の不安はデ・シーカの手にかかるとマイナーコードの音符の旋律にかわる。
私はこの『自転車泥棒』を観て、ありし日の亡き父を思い出した。遠い記憶の話だが....父は不安な顔をして家を出た。今の函館の朝市の近くに父の勤める日露漁業の函館支社があった....私はこのブルーノ君くらいだった...父は乗る船を求めていたのだろう。母と口論している声は狭い家の中で筒抜けだった。我が家の経済はひっ迫していて父も母もギスギスしていた。その日の朝、白い開襟シャツの父の横顔が不安そうに見えたので、「父さん。僕も行っていい?」と言って甘えたふりをしてついていった....父が馬鹿なことをしでかすような気がして見張るつもりだった。
会社に着いた。「そこで待ってろ」「うん」 あまり待たないうちに父は絶望した顔をして日露漁業から出てきた。すごい早歩きで今の函館市役所方面へ歩き出した。子供の私にはついていくのがやっとだった....父の背中が絶望と切なさをしょっていた。
『自転車泥棒』の主人公アントニオは数回しか笑わない....私の父もそうだった。お金もないのに私と帰りに食堂に入ってくれた。アントニオとブルーノ親子もお金もないのに庶民に場違いのレストランでワインを飲む。父アントニオも「母さんには内緒だ」というが、私の父もそんな感じだった....その日の父は私と手をつながなかった。そしてそれから数日後、父は長年勤めた日露漁業を辞めた。あけぼの缶詰で有名な会社だ。私は街であけぼの印をみつけると嬉しくて買ってしまう...父も許してくれることだろう。父はその後小さい会社に移りオーストラリアの海で倒れるまで私たち家族のために洋上で働いてくれた....父とキャッチボールしたことは一度しかない。だからケビン・コスナー主演で有名な1989年公開の『フィールド・オブ・ドリームス』を観ると涙が止まらない....
父は本当に真面目な人だった....口が下手で母に罵倒されると、すぐに手をあげた。母はいつも口から血を出し...それをとめる姉たちにも手を出し....私が小学6年生のときに母に手をあげた父を羽交い絞めにしてとなりの仏間に投げたことがある。私は父より背も大きく力も強かったので父は哀れにも髪の毛を垂らしうつむいて動かなくなった....それ以来父は母に手を出さなくなったが急に老いていった....
「生きていればな。何とかなる。」と父アントニオは息子ブルーノに言うのだが....父は私にはそんなことは言わなかった。
「男はな。不言実行だ。」といつも言っていた。
私は有言実行をポリシーにしている。父は不言実行ではなく無口で話が出来ず...営業もできず..長年勤めた会社に陳情すら出来ず....夢を実行しないで死んでしまった。
父のことは尊敬している。でも私は父とは違う人生を歩む。妻と愛し合い。妻と語り合い。人の前では熱くこぶしを握り締め、熱く語り、一度しかない人生を華やかにそして後悔なく生き抜いていく。
息子や娘たちと握った手を死ぬまで離さない。妻とふたりで観た名作の金字塔『自転車泥棒』...イタリア人の生きる執念とともに亡き父の手のぬくもりを思い出した...
ブルーノを演じた少年の演技はすさまじく、デ・シーカ監督に賞賛を捧げる。現代技術でデジタル・リマスティングされた『自転車泥棒』....何度も涙がじわっとこみあげた...
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