日本の至宝。小津安二郎監督と伝説の女優原節子の最高傑作の誉高い『東京物語』。日本より海外の評価が高いといわれるこの作品は素晴らしい。私はこの作品を5回連続で観たことがある。もう中毒のように何回も観たものだ。原節子の声は私の脳を刺激する東京弁だ。妻と初めて会話をしたときも女性らしい綺麗な言葉にゾクゾクしたものだ。原節子の声は妻よりさらに丁寧で綺麗な言葉の連続攻撃で聞いていて気持ちがいい。
さて...私は数年前に花嫁の父になり他人様の息子ができた。いつおじいちゃんになるのかと心待ちしていた時期もあったが、なかなか娘が懐妊せず、いつの日か祖父になる気持ちを忘れてしまっていた....山田洋次監督が「『東京物語』は世界一の映画ですね」と話しているのをテレビ放送で見ていた妻が興味を示したのではじめて二人で『東京物語』を観た。とても穏やかなやさしい気持ちになる時間だった。私たち夫婦はおじいちゃんとおばあちゃんになるのである。長女が結婚して4年になるが、長女がやっと懐妊した次の日に観た『東京物語』は格別だった....
小津映画には花嫁の父や大きくなってしまった子供たちと親の関係がテーマになることが多い。小津安二郎監督は独身だったから孫や子供がいなかった。『東京物語』の数えきれない名場面のひとつに『孫より子供のほうが可愛いな...』という笠智衆のセリフがある。私の母は『孫より子供が可愛い』という態度をはっきり出す。母は外食で自分が満腹になると必ず私に「あんた食べなさい」という。目の前に育ちざかりの孫がいても言う。おそらく他人の嫁や婿よりも腹を痛めた自分の子供が可愛いのだろう....『東京物語』は皮肉にも実の子供よりも他人である嫁さんが老夫婦に親切に接する...しかも嫁は戦争未亡人になってから8年にもなるのにだ。実の息子は医学博士で北千住近くで町医者をしているが生活に余裕がない。娘も美容室を営んでいるが自分の生活でいっぱいいっぱいだ。小津監督はいつもながら人間社会の現実を普通に描く。『東京物語』が小津安二郎の最高傑作と呼ばれているのは誰かがつけたキャッチコピーの連鎖である。私は全ての作品を観ていないので語る権利はないが...原節子(死んだ次男の嫁)と東山千栄子(姑)の会話に涙があふれる人たちからの声(私も何回も泣いた)が大きいいのではないだろうかと思っている。笠智衆が東山千栄子に先立たれてからのラストの名ゼリフ『ひとりになると日が長くて....』は好きなセリフだが私は泣けない。
さて..私の廻りの予想では私に孫が出来たらメロメロになり【孫の面倒をしっかりみる最強のおじいちゃんになる】と予想されている。他人様が言うならわかるが妻までもが言うのである。妻の最新ブログを見た方から『おめでとうございますもうすぐおじいちゃんメロメロでしょうね』なんてメールが届いたので妻のブログをのぞいたら...なんと長女が産婦人科で撮ってきた【小さな命】の写真までアップして『妖怪先生、妖怪おばばになる予定の巻』というタイトルで喜びの声を載せているではないか....
前は「今度私に車買ってくれるんだったらポロかゴルフでいいよ」とフォルクスワーゲンファンだったくせに「新型ポルテのメロン色を私専用車にするから」と池袋のアムラックスで見たときから「ベビーカーとかいろんなもの入るね」とまるで自分がママになった気分になっている。息子が大学に行ったら二人きりになるのに...私もワンボックスミニバンばかりに目が行くし....結局、私も妻も子供を載せるイメージで考えているのだ...
話を『東京物語』にうつすが、笠智衆は明治生まれの男は泣かないといって小津安二郎監督にでも「私はできません」と言って泣くシーンをうなだれるシーンにかえたそうだが『東京物語』のラストで笠智衆が涙であのセリフを言ったら泣く観客は増えたであろう....だが妻の危篤でも、死を宣告されても、妻が亡くなってもこの明治生まれのさして威厳もない風情の父は涙を流さない。美しい朝日を見つめ...遠くを見つめ...肩を落としては人生をゆっくりかみしめそしてかえりみながら人生の落日を迎えようとしている様がきれいだ。小津安二郎にしか撮れない世界。少し違和感のある世界。カメラが移動しない世界。『東京物語』は数を重ねて観るたびに最高傑作と呼ばれている世界に引き込まれていってしまう魅力がある...
『華氏451』の頃のフランソワ・トリュフォー監督が「小津安二郎の作品は...私にはどこがいいのかわからない。いつもテーブルを囲んで無気力な人間たちがすわりこんでいるのを、これも無気力なカメラが、無気力にとらえている。映画的な生命の躍動感が全く感じられない」と語っていたがそののちに『東京物語』『秋日和』『お茶漬けの味』をパリの映画館で連続して観てからは虜になってしまったそうだ。トリュフォー監督は役者としてスピルバーグ監督の『未知との遭遇』に出演している。高校生だった私は「おお!」と巴座のシートでトリュフォー監督の顔を見て驚いたものだ....ちなみに『未知との遭遇』は函館巴座公開時に二回続けて観たが当時は同時上映があったので三回観るのはきつかったので二回観て、好きな映画は日を変えて観に行った。
小津安二郎監督は1963年12月12日60歳でその生涯を終えた。私が3歳のときだ。函館松竹で当時公開されていたはずの『東京物語』を映画館で観たことがない。小津安二郎監督を敬愛する山田洋次監督の映画を函館松竹の座席で何度も観た。笑って...泣いて...山田洋次監督が現在撮っている『東京家族』はフルスクリーンで観にいこう...原節子の紀子役を誰が演じるのかは不明だが紀子を石巻の出身の設定にしているらしい今から本当に楽しみだ。
小津安二郎は北鎌倉のお墓に眠っている。墓標には『無』と記してあるそうだ。美しい原節子は小津安二郎監督の通夜の日からいっさい公の場には出ないで引退したそうだ。現在92歳になっているはずで鎌倉に住んでいるらしいが小津安二郎のことを好きだったのかな....だとしたらとても素敵な話で泣ける....『晩春』『麦秋』は北鎌倉が舞台で原節子の役名はやはり紀子(のりこ)だ。『東京物語』も入れて紀子三部作といわれているらしい。この写真の浴衣(寝間着)の紀子と東山千栄子は本当に私を何回も泣かせてくれた....
北鎌倉の小津安二郎監督のお墓を妻と尋ねみよう。原節子さんに逢えたら「紀子さん ごきげんよろしゅう」と言おう....私と妻はおじいちゃんとおばあちゃんになる。『東京物語』の笠智衆は孫をしからない。私は「こら~!」と愛情をかたむけてしかれる自信がある。当然、妻に先立たれたら涙の日々が待っている.....