拓庵思考~妻との日々・映画と音楽の毎日

巴座ホーム社長の私的なつづれ織り【妻にだけ弾くギタリスト 猫6人の父になる】

老いたエリック・クラプトンのミスピックとポケモンセンター

2019-06-06 18:01:19 | 日記・エッセイ・コラム

私の英雄のエリック・クラプトンはすっかり歳をとった….私もしかりである….

今年の4月11日に新宿山野楽器ロックインでフェンダー社のストラトキャスターの黒を買った。YAMAHAの最新ミニアンプも買い、ユーチューブのクラプトンやクリームのLIVE映像に合わせて弾きまくっている。

私と妻の帰宅は遅いので夜中の23時や24時に我が家のホテルのようなリビング兼寝室のソファで弾いている。もちろん妻も聴いている。実はフェンダー社のギターを買うのは初めてである。高校時代に冬の年賀状配りのアルバイトで買ったフェルナンデス社のストラトキャスター依頼のエレクトリック・ギター購入であった….いままでも銀座や吉祥寺のロックイン、黒沢楽器、島村楽器、イシバシ楽器でじっと見つめているだけで 「パパ 買えば?」と妻が何度も言うたびに 「忙しいから弾けないや….」と避けてきた。

そんな折、デレク・トラックスのギターの音が私を目覚めさせてくれた。それはゴールドジムの行き帰りに聴いたクラプトンの2007年のサン・ディエゴのLIVE音源だった。

私がギターに狂った時代のクラプトンやデレク&ザ・ドミノスのギターサウンドがそこにあった….それからデレク・トラックスのコンサートのチケットを予約して完全に高校卒業依頼封印していたブルース・ギタリストの自分を取り戻している。テデスキ・トラックス・バンドもLIVEは6月15日で、ともえ座のいえのオープンハウスの日でもある。優秀な『ともえ座のいえ』のスタッフたちがいるので、私はデレクのデの字も知らない妻を伴い心おきなく東京ドームシティホールでデレク・トラックスの弾き方を学びに行こう….

私が自分の作品発表の日に半日とはいえ空けるというのは建築家の卵の日比野や村山佳衣が優秀だからというより、私ばかり目立つ時代はもういいかなと思うからである。クラプトンもデレク・トラックスにLIVEで共演するときは思いっきり弾かせているではないか….最近、広報や『ともえ座のいえ』の各シリーズなどの冊子や資料や、カルフォルニア家具や面白い棚や机や空間造りも社員たちにリード・ギターのソロを譲っている。それはそれで面白い流れになっている。

6月2日にはギブソン社のSGも買った。ギブソン社のギターも初購入である。新宿のイシバシ楽器の2018年SGモデルが安くなっていたので迷わず買った。デレク・トラックスのようなスライド奏法を弾きまくりたいからだ。クラプトンの伝記映画も購入した。実はスター・チャンネルで半分観たのだがサイケデリックなペイントのギブソンSGが映ったときに心がキュンとしていた….

なんだかんだ言って私はクラプトンが好きなのだ。が、しかし…クラプトンの4月17日の武道館コンサートで寝落ちした。エリック・クラプトンは私の小学校時代からのヒーローだった。クラプトンは今年73歳だろうか….なぜなら私も59歳になった。クラプトンの前回の武道館ではエド・シーランが飛び入りしたが ほぼ、じいさんとおじさんのクラプトンファンはエド・シーランが出てきてもざわつきもしなかった….

今年はベースがネイザン・イーストだったのでベースラインは全く音をはずさない。だからクラプトンのミスピック(8回もした)とクリス・スティートンのキーボードの音はずしも際立って目立った。クラプトンは1曲目にすでに3回音をはずした。歳なんだろうか…聴覚障害を自白していたが、たしかに前回よりPAの音のギター音が大きい。だから耳の良い私はだんだんシラケテきた….65点~80点の演奏だった….それでも私の神が私の傍でストラトキャスターを弾いている中でのうたた寝は気持ちよかった….

フェンダー・ストラトキャスター、ギブソン・SG 毎晩部屋で妻や孫が私のむせび泣くギターを聴いてくれる。SGを買ったのでサンタナも弾いている。「次は何を買うの?」と妻が言う。

「もう買わないよ」といいい「あ、でもテレキャスターは買うかな…」と答える。心の中ではギブソンES335が浮かんでいるのにまだ自分にウソをついている。

好きなギターが買えるようになった….これは稼ぎの問題ではない。ギターを弾きたい気持ちが40年の時を経て甦ったのだ….何故なのかは自分でもわからない。

図面もギターサウンドを流すとさくさく書けるようになった….高校の時代、毎回レコード店で買うか買わぬか迷ってついに買わなかったデレク&ザ・ドミノス(エリック・クラプトンの『いとしのレイラ』を発表した時代のバンド名)の『イン・コンサート』の紙ジャケCDと『2007サンディエゴLIVE』のブルーレイをアマゾンで注文した。『イン・コンサート』の紙ジャケ復刻CDは3800円が新品未開封で19800円だったがどうしても中古CDがいやで購入した。このCDを聴いて書く私の最新作は傑作になるだろう。

 

 

 

 

ところでおじいちゃんとしての私の仕事もこなしている。ポケモンセンターに行ったり、水族館に行ったり、先日は妻と幼稚園児の三人の孫を連れ一泊旅行も行き、宇都宮動物園や3D恐竜迷路などにも行ってしまった….

 

ポケモンセンターはエキサイトしていて楽しい。海外の方も大勢来ている。日本橋高島屋、池袋サンシャイン、御殿場プレミアムアウトレット、東京スカイツリーのポケモンセンターは一度 妻と下見してから連れて行くので大体の売り場を頭に入れていくので孫たちの好みを分析して適材適所の提案をする。

最近では大きいミューツーのお人形を妻と二人で御殿場ポケモンセンターで見つけたときは、孫娘の喜ぶ顔を想像して少し興奮してしまった….孫娘の誕生日プレゼントとしてミューツーの大きいお人形を渡すと普段ツンデレな孫娘は嬉しくて跳ねていた….今も私の部屋に彼女はミューツーを抱いてギターを聴きにくる。

以前にこのブログで紹介したピグノーズ・ミニ・ギターを貸してあげると適当にフルボリュームでかき鳴らすとPANKサウンドな感じで二人でセッションできる。子供たちにはギターも少林寺拳法も伝授しなかった。全て私の極めたものである。孫たちには教えてもよいかな…とも思っている….きっと私は歳をとったのだろう….

私の英雄のエリック・クラプトンはすっかり歳をとった….私もしかりである….

 

 


アメリカ三番勝負~Las Vegas編

2019-05-17 17:58:50 | 日記・エッセイ・コラム

サンフランシスコ国際空港からラスベガスに入るのはやめたほうがいい。

税関が私史上最悪なのだ….

最悪だと思っていたLAXロサンゼルス空港よりも仕事しないのでANAの快適な空の旅から一遍にして我慢大会にかわった。

手荷物受取りに行くまで2時間45分はかかっていたと思う….

ニューヨーク、LAと旅したので次はサンフランシスコやシアトル、シカゴも候補にあがったがラスベガスに決めたとたん妻とワクワクしていた….税関の長い列の中、2時間45分トイレを我慢しつつ….ヴェラッジオの噴水を頭に浮かべイライラしないようにした….

サンフランシスコはシーフードが有名だがクラムチャウダーとKOBEバーガーを頼んでみた。KOBEとは神戸牛を指す。日本のお肉の名声はたいしたものである。ポテトフライがサンフランシスコやラスベガスはガーリックの香りがしてパクパクいける。私は来年の5月で還暦なのでポテトやハンバーガーはすっかり食べなくなっていたのだが、これはうまいではないか…..

 おいしいバーガーやクラムチャウダーのおかげで税関2時間45分の忍耐は忘れた….そしてこれまた全員アメリカらしい日本人には働いていない感じに見えるCAが乗務するユナイテッド航空でラスベガスに向かった。サンフランシスコからは地理的に南東に下るので眼下にグランドキャニオンの地層がばっちり見えるので少し興奮した。

マッカラン空港に着陸するやMGMリゾートの経営する客室2000以上のホテル群がすぐそこに見える。自由の女神、ピラミッド、スフウィンクス、エッッフェル塔…..ここは天国だと直感した。

    

映画『オーシャンズ11』の舞台ヴェラッジオにつながっているカジノが無い豪華なホテル・ヴィダーラは快適そのもので部屋から光輝くエッフェル塔も見える。食事は全てヴェッラジオでするか、他のホテルやいきあたりばったりのカフェやブルース演奏するレストランなどで楽しんだ。

今回はシルク・ド・ソレイユの『KA』、マイケル・ジャクソンの『ONE』共にかなり良い席を予約できたので多いに楽しんだ。『O』は観ていないのだが、おそらくすごいだろう….残念だったのはドナルド・フェイゲンのLIVEをスケジュール的に観れなかったことかな….  

 

古き良き時代の賭博合法の街ラスベガス。

ラスベガスのダウンタウンの昔ながらのホテルや看板がみな素晴らしい。夜のきらめくダウンタウンではなく昼間のひっそりとしているダウンタウンがすごく良かった….1950年代のかおりがする…..写真や動画もたくさん撮って帰国後のスタッフの会議で公開するや次女(村山佳衣)やユウスイ(日比野雄一)から感嘆の声が何回もあがった….一部だがお見せしよう。

     

今回はデュースという二階建バスとSDX(ストリップ~ダウンタウン~エキスプレス)の3DAYチケットを1人20ドルで購入したのでタクシーは全くつかわなかった。息子に最新のNIKE エアジョーダンを購入したがまだ渡していない。

ラスベガスでは日本食は食べなかった。プロテインもどこでもジュースのように売っていたし、パンケーキやコーヒーも口にあう。

ヴェラッジオのレストランはお値段は高いけれど最高に美味しかったし、マンダリンベイのライブハウスのジャンバラヤや南部のトウモロコシも日本人の味覚にばっちりあうのだ….

結局一度もカジノはしなかったけど、カジノは綺麗なトイレがあるのでずいぶんとお借りしました。

一日平均28000歩は歩いたラスベガス。木材の使い方がアメリカは上手く。これはヨーロッパよりセンスが良かった。日本の杉を使っている店舗もたくさんあり大変勉強になった旅でした。

MGMリゾートがラスベガスのストリップ地区のほとんどの大型ホテルを経営しているのでWi-Hiがどこのホテルに行ってもつながっていて、現在進行中の現場の報告やグループLINEのたくさん送られてくる現場の写真をリアルタイムで見ることができたのもよかった。

妻はラスベガスでもオシャレな女性で、ふだん自慢の大きな桃尻があまりに大きなアメリカ女性のお尻と並ぶと小さなサクランボにみえたのもラスベガスならではでした。

ラスベガスは天国のようなROCKな街です。最高です。

 

 

 

 


맛있어요(マシッソヨ)

2019-01-25 17:56:38 | 日記・エッセイ・コラム

『ここが私のアナザースカイ』…..と、考えたら韓国ソウルである。

本当は『イギリス コッツウォルズ地方のキャッスル・クーム』と、言いたいのだが、どう考えても私たち夫婦は韓国ソウル東大門市場であろう….【ともえ座のいえ】の前身の会社は二つあった。

住宅会社を個人で立ち上げ、最初はなかなかうまくいかないのは当然で、元々の商売がアパレルだったのでアパレル販売と建築・デザインの二本立てで生計をたてていた時期が少しあった。韓国ソウル市内の東大門はプロの仕入屋さんが通う市場である….最初はカルチャー・ショックを受けたが私はここからが面白い。

初ソウル上陸の翌日、奇跡にも明洞の街中で美しい女優のようなバイヤーと出会ったのである….まるで映画のような話しである。私の『鬼気迫る』服の選び方の目つきと態度を観察していたブティックの雇われ店長をしていた絶世の美女から声をかけられたのだ….「あなた日本人の服飾関係者ですね?あなたのためにはこの店で買ってはいけません」と流ちょうな日本語で話しかけられたのだ…..

「店を出ましょう」彼女を信じてついていくと卵焼きがおいしいお昼時期のごったがえす食堂だった。「人間の活力は食べることです。日本人はマクドナルドをお昼ごはんにしていますが、あれはダメです。あれはおやつです」と熱く語る美しい女性はエイキョウという名前だった……留学生として大阪芸大に通っていた過去がある才女だった。「私 憂鬱と漢字で書けます」と自慢するので「そういう女性は、可愛げがないですよ」と指摘すると….沈黙のあと「杉本さんは真面目な方ですね。奥さんはいますか」と聞かれ「はい。すばらしい女性で私は妻の大ファンなのです」と話すとエイキョウの顔の筋肉が緩んだ…..

私の素性と仕事のことを語るとエイキョウは真剣に耳を傾けた。場所をかえ明洞に当時でき始めたアメリカ シアトル系のコーヒー店の二階から明洞の街を眺めながらエイキョウは「私は杉本さんにジーンズの工場や仕入場所を教えます。杉本さんは私にメンズのデニムやシブカジ・ファッションのことと美術建築や自宅ショップの造りかたを教えてください」と、まっすぐな瞳で語っていた….彼女は元気にしているのだろうか….iモード時代に二回ほどメールを全てカタカナでもらった….『ニンゲントハ ムズカシイ イキモノデスヨネ』と哲学的な文章だった。私はその後アパレルを完全に辞め建築デザインという荒野を目指した…..途中、住宅営業マンというサラリーマンも1年半ほど経験した。おそらくふつうのサラリーマンの10倍は働いて、5倍は稼いだ。

エイキョウのおかげで二度目のソウル訪問時に東大門市場のはずれのサムホ・ホテルを予約してもらった。そのサムホ・ホテルを定宿にして私と妻で交代で仕入をしに来た。仕入れの仕事だけでお互い16回以上はソウルに来ている。今回の訪問でサムホ・ホテルは経営者が変わって別の名前になっていた….私たちはここ5年で3回ほどソウルにきているがロッテ・ホテルに宿泊している。ロッテ・ホテルは高級なサービスと空間と部屋を提供しているのだが、サムホ・ホテルの電気毛布と電気敷布が懐かしい…..「スギモトサン!エルメス コピー カワ(皮)カイマセンカ!」「スギモトサン イクラ オカネ モラッテルデスカ? オカネモチ デショ?」….フロントの金さんは商売根性たくましい人だったな….

サムホ・ホテルの同じ通りにあるこの店は東大門市場の奥まったところにある私たち御用達の店でコーラやお菓子の賞味期限が切れているものが普通に売っていて店番のおじさんはいつも寝ている。東大門市場は24時間眠らない街で活気にあふれている。妻は夜中に必ずここでコーラとポテトチップスを買ったそうだ….今回もあまりの懐かしさに店の前を通ると、やはりおじさんは居眠りの最中であった…..

 

ロッテホテルのある明洞地区から東大門市場に歩く途中、仁寺洞(インサドン)近くのおかゆ専門店で朝ごはんで食べたアワビ粥が絶品でカニ肉4倍粥は負けていた….

     

仁寺洞(インサドン)では韓国建築が堪能できる。民家を改造したショップや飲食店もすごく素敵である。

韓国料理は本当においしい。

おそらく日本人の味覚にあうのだろう….イタリアもおいしいので日本食を食べたい気がなくなる。美食のパリでさえラーメンを食べてしまったが韓国は朝から夜まで胃袋がたくさんあったら10回くらいご飯を食べたい….

広蔵市場(カンジャン・シジャン)は食の屋台大集合天国だ。仁寺洞から東大門市場の間に位置している。明洞地区からゆっくり歩いていくのは楽しい。気温はマイナス2度だが夜にはマイス8度くらいになる。冬のニューヨークにくらべたら暖かく感じる。【ともえ座のいえ】はマイナス20度以上になる草津温泉のある草津でも暖かく暮らすことができる。断熱材や窓・サッシ性能を上げると寒い冬は快適だ….

あまりに寒いので自前のおしゃれなコートでは寒くなり、かなり暖かいグース・ダウン(水鳥の羽毛)の超ロングコートを145000ウォン(約14000円)で購入した。この値段が韓国!さすが!という感じでカナディアン・グースのコピーのような商品だが馬鹿みたいに暖かい…..極寒地に行くときは重宝しそうだがスーツケース半分がパンパンになるほど分厚い。NORTH FACE(ノース・フェイス)の9万円越えのダウンジャケットと暖かさは遜色なかった….

 

広蔵市場の屋台の椅子は電気式カーペットのようなものが敷いてありお尻が暖かい。小豆粥の店は相変わらず行列を作っている(甘くないお粥)….私たちはキンパ(韓国のりまき)とホットサンドを食しにこの市場まで歩いてきた。キンパとトッポギ(韓国の辛いおもち)、チャプチェ(韓国春雨いため)は最高に美味で、マッコリがどんぶりで二杯来た。私は一口呑んであとは妻が『うまッ!!』とゴクゴクおいしそうに呑んだ。二人でお会計は17000ウォン(この日は1650円)!….安い….そして美味しい…..韓国万歳!!

私の一番好きな韓国の味はホットサンドというトーストをバターで焼いて、卵焼きを挟みシナモン・シュガーをかけるジャンクな一品で、昨年放送された『アナザー・スカイ』のIKKOさんも大好きだと話していたそうな….IKKOさんにも大変な時期があったのだという….人間みななにかしらの山谷はあるものだ….

私たち夫婦も大変な時期を経て今がある。今は、【ともえ座のいえ】を建てたいお客様がたくさんいてくださり 巴座ホームアンドピクチャー社は過去最高の決算を迎えることができるようになった….来期もすでに受注が相当数入っていて今期を越えると予想される。真面目に仕事に取り組んできて良かったと心から思うのだが、真面目に仕事の取り組んでいる会社はごまんといる。努力だけではうまくいかないことも私は知っている。

妻や娘たちまた多くのお客様たち、職人の皆様、関連会社様たちが【ともえ座のいえ】をささえてくれている….

私の妻はいつも笑っている。

そして妻はとても明るい性格である。

だから家が暗くならない。「パパすごいね~」と、いつも私を褒めてくれる(おだてているにせよ気持ちが良いものだ)

そんな私たちが飲食店に入ると大騒ぎである「うんまッ!!」「やばッ!うまッ!」と大喜びするのでお店の人はたいてい喜ぶ。そして食堂のオモニ(お母さん)に言葉を教えてもらった…..

맛있어요(マシッソヨ)  【おいしいです】の意味である。

  

맛있어요(マシッソヨ)

맛있어요(マシッソヨ)

 

 


『LIEBE HAUS~愛のある家』 契約から着工までのおはなし

2018-12-11 17:47:41 | 日記・エッセイ・コラム

『ドイツのようにしてほしいんです』..カウンター越しに私に語りかけているのは芯の強そうな女性社長である

私の頭の中はドイツの地図がぼんやり浮かんで形にならない前に消えた…

数日後、私は夏休暇で訪問予定だったマサチューセッツ工科大学、ハーバード大学訪問やアメリカ東海岸の美術館巡りの旅をキャンセルした。

そして2017年の8月ベルリンから南下するミュンヘンまでの旅をしていた。

 『進撃の巨人』の作者である諌山創は何故にドイツをイメージしてあの独創的な世界を考えたのだろうか….特にアニメ版制作会社のWIT STUDIO(ウィット・スタジオ)の描く背景がしっかりドイツや中欧を連想させる。日本にはあまりない6寸以上の勾配の瓦の切り妻の屋根の集合集落が暖色だけでなく、くすんだパステルカラーの壁で構成されている。

2017年の春の日の午後『ドイツのようにしてほしいんです』と言われた日から1年以上過ぎた頃に『LIEBE  HAUS』建築地が決まった。高崎市上佐野町という地名で、ともえ座のいえのモデルハウス・ショールームと同じ町内である。巴座本社からも歩いて10分ちょっとの距離である。

偶然にも妻の叔父の会社三光精機の跡地で、妻の祖母も住んでいたことがあり私も何度も足を運んだことがある場所で運命を感じる….その三光精機の跡地を紹介してくれたのは岩崎君。私はツトムちゃんと呼んでいる元サッカー選手で、私のかつて手掛けていたアパレルをたくさん買ってくれていた下仁田出身の親孝行息子であったのも強い縁であろう….彼はこの土地の売買を担当後不動産の仕事を辞めた….私に『LIEBE HAUS』の土地を紹介するために神様が使わせてくれたのか….

『LIEBE  HAUS~愛のある家』とは重度障がい者サービス付き住宅である。

木造ツーバイフォー構造で建てる二階建ての『LIEBE  HAUS』は120坪強の延床面積なのだが当初デザインしていた切り妻の瓦屋根はトラス構造で建築する計画だったが紆余曲折あり….太陽光発電を考慮した結果、南面の屋根が前のマンションの陰になり発電効率が悪くなると考え片流れ屋根に変更する。日陰をつくるマンションは黄色でそこは利用させていただく。ドイツのコンセプトなので近隣の建物に色があるのはうれしい。

私に『LIEBE  HAUS』を託してくれる女性社長はオレンジ色が好きなので彼女の好みを採用したいところだがデンケルスビュールやローデンブルクの街並みにあるブラウンを混ぜたオレンジ色の壁に濃い緑色の玄関を配して、外壁の窓枠でドイツらしさを演出したいところだ….補助金を受けない案件なので予算が無い。はなから予算があるなら大会社に依頼できる。予算が無いなりにいいものがほしいから巴座に頼んでくるのだと意気に感じて手掛けよう。

  

そして2018年12月12日 巴座ホームアンドピクチャー株式会社と株式会社ファミリーハンズは『LIEBE  HAUS~愛のある家』の工事請負契約を迎える。

2017年8月 私は妻と6泊8日のドイツの旅をした。太陽光パネルはロマンチック街道も席巻していた。ドイツ人は環境に敏感でエコロジーである。田舎の家も全て樹脂サッシになっていた。

私もかくありたいとドイツの地で誓った。

そして2019年 いよいよ2年越しのプロジェクトが着工になる。少しうれしい….いや…すごくうれしい….

 

 


現場インサイド

2018-11-22 17:42:47 | 日記・エッセイ・コラム

現在進行中の現場は近所の方やギャラリーが驚くことが多いようで興味深い。

 

これは渋川市の『白のリゾート』で延床面積は55坪あるほかに巨大な下野や車庫が併設されているので大迫力である。この日は外壁塗装の1回目の日でその後4回塗って真っ白にする。お施主様夫妻を進行中の現場にご案内したのだが「すごい!」しか言葉が出ないようだ…「やばい」「すごい」をこの日は50回は聞かせてもらった。近所からの注目もすごいそうで….人に見られ驚かれるのは私は慣れているのだが、家を建てるお客様はとても嬉しいそうだ。

藤岡市で進行中のこの現場はちょうど瑕疵保険の配筋検査日であった。基礎屋さんのおかげでいつも検査員さんから褒めていただいている。本当に嬉しいかぎりだ。この現場は54坪の二階建ての切り妻屋根になる。地中海系の白に近い瓦で載せた美しい建物になる。完成したら目立つ通りから見えるので今から私も楽しみである。

  この大迫力の鉄骨工事は購入5年目の建売りを住宅ローン見直し借り換えで、東和銀行からろうきんに変えて家具購入からオール電化工事までたくさんのリフォーム工事の内容の1ページである。東和銀行からろうきんに帰るメリットは効果絶大でお客様ご夫妻は、とにかく喜んでいる。この鉄骨の要塞は下が車庫で上が多目的遊び場である。

『空に浮くお庭』が私のコンセプトで平坦な鉄の架台や床はこの後、人口芝でお化粧する。安全の柵もつけて、あとから可愛くまたはかっこよく塗装して建売り感をゼロにする。この『空に浮く庭』の上で夏はプール遊び、また全季節でバーベキューを楽しめる。まだ完成していないのに何回もご夫妻に「ありがとうございます」と言葉のプレゼントをいただいている…..私もすごく嬉しい。

 

 この写真はボウリング調査の模様である。普段のスウェーデン・サウンディング調査と違いすごい迫力の地盤調査だ。この日と翌日で地下26メートルまでの調査で液状化が確認された。これは鉄骨一階と木造二階の混工法の三階建ての建築の構造計算の前の事前調査なのだが、高崎市といえども駅に近い地域は土地がないので狭小地での苦肉の策なのだが、構造計算と地盤改良工事に多額の費用がかかってしまう….安全の法律をクリアするための保証に払う費用はまことに恨めしい….

建築は予算ありきであるので、建物以外の法外な費用は困ってしまう….私は住宅営業マン時代も困難な案件が多かった….現在もたくさんいただいている案件の8割がたいへん困難な案件である….過去もそれらを全て解決してきた。

私は孤独ではない。たくさんの仲間がいる。

しかも皆さん有能である….そんな私はとてもラッキーである…

 


ニューヨーク街歩き~極寒編

2018-11-22 17:37:18 | 日記・エッセイ・コラム

極寒のニューヨークに到着したのは年の瀬だった。JFK空港から夕方の渋滞でタクシーの運転手が「トラフィック….」と言い訳を何回も私に振り向いて深刻な顔で話す。対照的に隣の妻はニューヨークに着いた喜びでニコニコしている。

  

海外での道路標識を見るのが好きな私はタクシーがマンハッタンのダウンタウンに向かっているのは理解している。タクシーは無事にミッドタウン・ヒルトンに着いた。私はチップの計算が苦手で到着すると予想できるので着く間際にスマホの電卓機能でチップの計算を開始する。大体は多めに払うので降りるときはいきなり喜ばれる。ニューヨークは多人種なのでインド人、在米韓国人、在米中国人など色々な人種のタクシーに乗った。

 

          チェルシー・マーケットはインダストリアルでまさに水産加工工場の跡地っぽい。面白いのはイギリス建築の世界感故にパステルやビビッドな色目がちょこちょこ残っていることだ…『日本人は煉瓦と黒のアイアンしか抽出できない感性しかないのか?』と皮肉でも言いたくなる。

    ニューヨーク大学の近くでお茶を呑みソーホー地区を歩いた。ソーホー地区は私と妻の大好物地区である。なんといっても感性がとんがっている。

   ブルックリン大橋を歩いて渡る元気がなかった….ニューヨークの寒さを完全になめていた….朝ホテルを出てブロード・ウェイに『シカゴ』のチケットを買いにいったが凍結しそうになった….函館の冬より三倍寒い….群馬県高崎の冬だと20倍寒い感じだ….タイムズ・スクエアでナイロンのオーバー・コートと帽子とネック・ウォーマーを購入してからのブルックリン地区散策になった….

 

マンハッタンの対岸のブルックリン地区はまさにイギリス建築の香りでいっぱいだ….なのでパステルな建物も多々ある….ブリック煉瓦やブリックタイルもいい味だ….

     

ブルックリンでの遅い昼ごはんはうまかった。もちろんアメリカの味で、イタリアやフランスのような美食ではないのだが、店の装飾や空間や飾り付けがとてもよいので美味しく思えた….

 

  私の隣にはジューク・ボックスがあり….店員さんと半分しか理解できない冗談を言い合いなんとなく笑った….そして体は冷え切っているのだが建築の探訪を続ける…..

    

工場や倉庫の跡地がすごく多い….

    

ブルックリンが夜へと向かっていく黄昏の時がきた….

  

ブルックリンのタクシーは黄緑色でマンハッタン地区の黄色とすみわけされている。私たち夫婦の足が棒のようになったころ夜が近くなり、帰りの黄緑色のタクシーから見るブルックリンはとても美しく….これは写真ではなく実際に観るほうがよいと思った….妻は疲れてタクシーで寝入っていた….

 

次のニューヨークは暖かい季節にしたい….帰りのJFK空港で飛行機が凍結してフライトが1時間遅れたが無事に大晦日の夕方には家に着いた。

生きているうちに何回も訪れたい街ニューヨーク….

 

 


海峡を越えて~『peeps hakodate』 と『ピグノーズ・ギター』と号泣の『ボヘミアン・ラプソディ』

2018-11-22 17:34:28 | 日記・エッセイ・コラム

青函連絡船で別れの紙テープが舞う時代に私はひっそりと新天地 川越に旅立ったのは1979年の春の日だった。

明日、飛行機で海峡を越え函館の地を訪れる。4人の孫がいるが4歳以上の3人と娘ふたりと妻と合わせると7人での里帰りである。普段はあまり函館のことを思わないようにしている。何故ならそこにはもう生涯住まないと決めたからだ….函館は私が世界で5番目に好きな街である。ちなみに1番はパリ。2番はベネチア。3番がニューヨーク。4番がロンドンである。

孫が4人もいる58歳になったがギター大好きなロック人間であることは今も変わらない。先月、吉祥寺のマルイの新星堂でアンプ内蔵ギターを衝動買いしてしまったのだ…これがどうして最高の音が出るおもちゃなのである。みようによってはブライアン・メイのギターに似ているように思った。

スライドバーも買い、ピックも数枚買い、初めて使う電子チューニングも買い40年ぶりに真剣に弾いてみた。

フィードバック奏法やボリューム奏法がいとも簡単に可能なこのギターはリフもかっこよく弾ける…もううれしくなってしまい自宅の私と妻専用リビングの60インチのテレビでユーチューブでライブ映像を流してアドリブでのセッションを楽しんでいる。

元々『孫たちの前で弾いてみたら?』と妻に勧められたのが購入のきっかけだったのだが、すっかり自分が燃えてしまった。購入数日後に孫4人を連れて伊豆高原の防音がばっちりのホテルに宿泊した。朝から黒いケースを車に積むときに娘たちはそれがギターだとは思わなかったらしい….

伊豆高原のホテルは3LDKでリビングは海が見渡せて広大で孫たちは運動会のように走りまわっている。その中でピグノーズ・ギターをケースから出し爆音でスライドを鳴らすと…孫たちが目を輝かせ集まってきた。孫たちにピックを渡し私がフレットを押さえ弾かせてみると、以外やけっこうおもしろい音が出る。しばらくギターをならして遊んだのだが…私は夜そのリビングの大きなソファーで寝落ちするまでギター少年に帰っていた….

高校の時に同級生で函館市内からバスで1時間半以上離れた尾札部町(おさつべ)から下宿していた佐藤茂樹くんと夜通しギターを弾いた…私も茂樹君の尾札部の実家によく泊まりに行ったものだ…お父さんは宮内庁御用達の尾札部昆布の漁業組合のお偉いさんで紳士で善い人だった。お母さんもとても良い人だったな….お元気かな….茂樹君はフェンダーのテレキャスターもギブソンのES-335もヤマハの最新型のコイルギターも持っていた….私は高1の時に当時の函館の郵便局本局の冬休みのアルバイトとお年玉でフェルナンデスのストラトキャスターのハーフトーンスイッチのオールドモデルを68000円で買った。

父に買ってくれと頼んだが『それは勉強のものなのか?』と相手にされなかったので自力で買ったのだ…その反対していた父が高校の文化祭の私と茂樹君のピップ・エレキ・バンドのコンサートに来た。1曲目はのちにイーグルスに加入するソロ時代のジョー・ウォルシュの『ウォーク・アウェイ』だった。これはツインギターのかっこいいリフの曲だ。ステージの上から口をぽかんとあけている父の顔を見たのだが今となっては、特別な思い出だ…

あとはドゥービー・ブラザース・バンドの『ロング・トレイン・ランニング』、チャーの『スモーキー』などを演奏したのだが佐藤茂樹くんは高校生にして神だった….ギターはジェフ・ベックまで完璧に弾ける….われわれサポートメンバーが彼のレベルについていけなくて出来る範疇の曲のみ演奏していたが茂樹くんはボーカルも凄くて、イーグルスのドン・ヘンリー、ドゥービーのトム・ジョンソン、そして難度が高い野口五郎まで完全に歌えるのであった….

私はそんなギターと歌の神様とセッションする果報者であった….彼は今、函館で福祉関係の職にあるという….時間があれば再会して彼のギター演奏をもう一度聴いてみたい…というかまた一緒にセッションしたいな….

 

昨年お世話になったpeeps hakodateの編集長の吉田さんと閉館した巴座経営者の娘さんの千原さんといつかお会いする約束をしているが今回の帰省も時間がなくかなわないのだろう….

Peeps hakodateの吉田さんが私に取材をしてくれたきっかけの昨年の拓庵思考の『57歳』というタイトルだったか…巴座でウディ・アレンの『アーニー・ホール』を観た話しや、私が中学から高校時代の函館の映画館の巴座、映劇、スカラ座で購入した映画のポスターを全て父にやぶられてしまった話しを書いたのが吉田さんの目に止まり、『たいせつなもの 残したいもの』の回で『北関東に残るもうひとつの巴座』として見開きで掲載していただいた….それをご覧になった今は亡き函館巴座の経営者の娘さんの千原さんからお電話をいただき「お会いしましょう」と誘っていただき….嬉しくて吉田さんに連絡をすると『その時は私も同席させてください』との返答で….感謝、感謝、感謝….です。

弊社 巴座ホームアンドピクチャー株式会社のホーム・ページの担当会社が8月から変わった際にうまく前社との移設が進まず2016年9月から2018年7月までの『拓庵思考~妻との日々・映画と音楽の毎日』と『ママブログ』が消滅してしまいました。消えたブログに関しては本当に残念なのですがこれからも年に数回ですが書いていきますのでよろしくお願いいたします。

『拓庵思考』とは【巴座ホームアンドピクチャー株式会社】の公式ブログなのですが私の私的なことが中心なので、あらたに『コラム』という【ともえ座のいえ】の住宅建築関連のコラムと【会社概要】内に『巴座社長の世界街歩き』を新設したしだいです。

 

さて…映画は年間相当観ていますが….『ボヘミアン・ラプソディ』は映画の三分の一は私は泣いていた….あまりに涙があふれてあふれて翌日も目がはれてしまった….自分の青春のギターの想いでや色々な思いが交錯して泣けて泣けて….サウンドトラック盤は映画公開前にも聴いていが、あれから毎日聴いていて…..ついでにクイーンのウェンブリー・スタジアムのライブも購入したが….これがまたいいのである….私は中学・高校とKISSとクイーンとビートルズとローリング・ストーンズは好きではなかった。ただしブライアン・メイは好きだった….真似して1円玉で弾いたりもしたが上手く弾くことはできなかった。

エスカレートしてジェフ・ベック、ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリンなどのライブ音源も購入しまくり図面制作時、現場管理時に爆音で聴いてる毎日で….特にゴールド・ジムのトレーニングの往復は超爆音で聴いている毎日なのである。

 

2018年最高映画は『ボヘミアン・ラプソディ』に決定します。…..ああ…ブライアン・メイモデルのギターがほしい……昔はふつうに売ってたっけなぁ…


うれしくて..うれしくて..

2018-10-01 17:31:57 | 日記・エッセイ・コラム

台風24号が接近している報道をにらみながらも建て方は進行しておきたい。

この真ん中の写真の美しい女性は現在建築中の【白のリゾート】の城主様の若き奥方様である。新潟の小千谷から群馬に専門学校で来て、ご結婚して渋川市で【ともえ座のいえ】の2020年モデルの高スペック仕様に住むのであるが….あまりに美しいので建て方の長岡君やレッカーの野口君もちょっと照れているように見える。

この日の若奥様のお顔は笑顔をかくせなかった….なぜなら…うれしいのである。

もう..うれしくて…うれしくて…午前10時の太陽の下、その美しい顔から笑顔が燦々と溢れる様が私も見ていてまばゆく思えた。

昨年6月にAmerican Wood Baseの奥様からご紹介いただき、農地転用など面倒なことをクリアしてやっと着工できるようになったので1年も待ったので、そのうれしさは計り知れないのだ…

ガレージ付き55坪の二階建てで太陽光はCS320プレミアムブルーを74枚23.68Kw載せるリゾート住宅である。この日は二階の床まで仕上げた。次の日は朝から台風養生をして二日間現場を空け、また本日から再開した。

 

 

台風や雨や強風からは逃げることはできない。職人のみなさんの高い意識のもと現場は粛々と遂行される。まったくもって感謝しかない。

台風が去り、私もうれしくて..うれしくて..久しぶりにコラムの筆をとったしだいである。

うれしくて…うれしくて…

 

よかった…よかった….


パリの青を撮る旅~2018年5月

2018-08-07 17:07:07 | 日記・エッセイ・コラム

『Blue and Life』というタイトルの家を高崎市の井野町に建設中で、競技自転車を愛する旦那様の自転車部屋もある。
タイトルの【Blue】はまさに青の事で、御主人のAさんは青色をこよなく愛している。

奥様はバックパッカー系の海外冒険旅を何カ国もこなしている冒険女子で、打ち合わせの時にいつも脱線して旅の話しになり…結果、通常より打ち合わせ回数が多くなりいつも盛り上がって「また次回に続きをましょう!」となり…また、それを私もAさんご夫婦も楽しんでいる。

1番最初の図面とパースに『Blue and Life』と記してみた…はたしてAさんは多いに喜んでくれた。でだ…まだその時点で決まっていなかったGW休暇にパリに行くことにあいなった。シアトル、シチリア、ロンドン、マイアミ、ラスベガスが候補だったが、2015年以来のパリに決定した。JALの会員サイトは事前に座席を選べる。パリ便は大型座席のエコノミークラスがある。通路側を選べば長いフライトも苦ではない。普段出来ない映画三昧の空の旅は至福の時でもある…

オペラ座やルーブル美術館へ歩いて10分のホテル・マルトはとても良い建物で色彩も抜群でパリにいる事を強く意識出来る。ホテルスタッフも英語は通じる。妻がフランス語通訳アプリを使っていたが、これが便利で凄い世の中になったものだ…と、実感する。

Aさんご夫婦は新婚旅行でパリに行っている。理由は、シャンゼリゼ通りの凱旋門がTour de France そうツールドフランスのゴールだからだ。

Aさんの奥様は、前橋グリーンドームで開催した【ぐんまリビングフェア2017】に広告新聞を見て来てくださり、立ち話しだけして『主人は人見知りなんで…様子見に来ました』という言葉を残し【ともえ座ノート~20代で建てられる家づくりガイド】を持ち帰り少しして『ショールームにお伺いしてお話しを聞きたいのですが』とメールをくださった。

Aさんは、たしかに口数は少ない紳士だった…が、私が『好きな事は無いのですか?普通の家なら誰でも作れますよ。Aさんの趣味を反映した家を提案します』そこで…『自転車を数台実家に置いています…社宅には置けなくて…』と、元気の無く語ったので『自転車をライフワークにする家をつくりましょう!』とご提案させて頂いた。そしてテーマ【Blue and life】が決まり私はAさんに『パリに青の写真を撮りに行きますよ』と告げ、奥の細道の同行者の曽良の役の妻を連れて青い建物、青い看板、青い机、青い椅子、青い窓飾り…とにかくフレンチブルーを撮りまくった。


フランスの青は美しい…忙しく最近は映像化をあまり出来なくなっているが、Aさんにはパリの青のムービーを創り観て頂きたいと考えている。カトリーヌ・ドヌーブの人気ミュージカル映画【シェルヴールの雨傘】を小学生の時に観て青の色の美しさに衝撃を受けた…私は子供の頃から何も変わっていない…私の家にして【ともえ座のいえ】の体感モデル・ハウスの【シャルロット・ローゼ】もフレンチ・ブルーの空間である。色彩感性レベルの高い方が見ると、ほくそ笑むに違いない…


圧巻!シン・ゴジラ

2016-08-02 21:00:09 | 日記・エッセイ・コラム

拍手!拍手!興奮!興奮!

『シン・ゴジラ』を観終わったのは夜の10時前だった。豊洲ららぽーとで2D版を妻と観終わったのが4日前の事なのにまだ興奮している。

エンドロールが全て終わったとき思わず拍手をした。妻も拍手をしたら、ほかの席からも拍手がおこった.....この興奮はしばらくなかった.....まずは絶賛したいのが庵野秀明総監督の秀逸な脚本だ.....よくぞここまで面白いシナリオを書いたものだ.....カメラワークやワンカットワンカットのアングルもにやけてしまうくらい良い。私的にあれだけ楽しみにして観た『フォースの覚醒』よりも何倍も心の血がたぎった......いやぁ.....まいった.....もう一度劇場に足を運び、チケットを買うことで『シン・ゴジラ』の製作者のみなさんの労をねぎらいたいと思う.....どうせ製作費は少なかったろうに......素晴らしい作品と出会うとしばらく興奮する。この衝撃はブルース・リーの『燃えよドラゴン』とスピルバーグの『未知との遭遇』『ジュラシックパーク』以来かな.....

『シン・ゴジラ』の二日前にONE PICE FILM『GOLD』も妻と観た。まあ良かったのだが...『シン・ゴジラ』を観てしまったのでいっきに忘れてしまった.....

さて私のワーク・アウト生活はたいへん充実している。ここ最近はBCAAとグルタミンも投入している。以前にくらべ疲労しなくなりダンベルやベンチプレスの回数や重さが増えた。体脂肪も地道に減っている。イタリアに行くまでは糖質は取らない肉体実験をしている。前回のブログを書いている日から2キロしか体重は落ちていないし、体脂肪も1.5しか減っていないが随分服のサイズが変わってきた。妻いわく「パパ。おなかの肉が5分の1くらい減ったみたいよ」と......イタリア旅行のために購入したパンツ類がかなりゆるくなってきた....うれしいが困ったな.....

さてイタリアへのフライトが近づいてきた....今年は妻の学研教室の授業の関係で16日から23日までの夏休みになる。写真のベネチアのゴンドラも乗る。ミラノ、フィレンツエ、ベネチア、ローマ、バチカンをまわる旅だが絵画鑑賞や建物見学、路地裏探検....そして本場のイタリアの食事が楽しみである.....ローマのホテルは24時間のジムがあるようなのでダンベルやベンチプレスをやりたいのだが....おそらく妻と歩きつかれて部屋ではダウンするのがおちかな......ローマの自由時間ではあえて『天空の城ラピュタ』の舞台になった地に行ってみたいと思っている....けっこうな田舎らしいが......

イタリア旅行から帰ると巴座の二世帯モデルハウスの本格的な工事が開始になる。現実的な生活と趣味的なバランスで作り上げるおもしろい家でもある。敷地も広いのでイベントもたびたびやる計画でいる。巴座のモデルハウスは今後の巴座の標準仕様になるトリプルガラスや吹付断熱や注文家具を満載する。アイアンアート、モルタルアートの他に主婦の憧れのサンルームもつく。公開は11月過ぎを予定している。皆さまこうご期待.....

 


バッグの中にはプロテイン

2016-06-28 19:55:07 | 日記・エッセイ・コラム

長いことサボってしまった代償は大きく筋肉は相当に衰えていた。当然、脂肪もたっぷり蓄えたデブ体型になった。

私は昨年の初夏からゴールド・ジムのメンバーなのだが昨年の長女の離婚騒動を理由に相当な期間さぼっていた....5月中盤からキャンプインして一か月躰を少し絞っていき、やっと今週からフリー・ウェイト(ダンベルトレーニングやベンチプレス)での追い込むトレーニングに入った。昨年買ったゴールドジムのトレーニング用ベルトが腹が出すぎて巻けないという悲惨なことになり....ようやく穴2個目でベルトを巻けるようになった.....

朝おきるとまずはプロテインを30グラム飲む。5時間ごとに飲み、就寝前も飲む。トレーニングのあとは60グラムから80グラム飲む。私は見逃してしまったのだがテレビ朝日の『アメトーク』の『ゴールドジム芸人』は娘たちが観ていたようで面白かったと話していた。

私は小学校高学年あたりから強い男になりたいという願望があり、当時 函館の深堀町のラッキー書店でカッパノベルズの『大山倍達』という極真空手の創始者の本を買い独学で空手のみよう見まねをした。小学校6年から中学に進む春に渋谷東急で『燃えよドラゴン』を観てからはブルース・リー病にかかった.....この時代は私のような病の男子は多かったはずだ。

大学で少林寺拳法に出会い4年間は肉体も心も時間も少林寺拳法の修行に明け暮れた.....結婚して高崎にきてすぐに太ってしまい『高崎ボディビルセンター』の門を叩いた.....今でもやっているようだが20代だった私はベンチプレスと初めて出会い夢中になった。当時体重は90キロ以上あったが二か月で72キロまでしぼりこめた。若さもあり頑張れた....雨ガッパを着て1時間ジョギングをしてからベンチプレスや肩・背中・腕・脚などを鍛えるのだが....当時、高崎ボディービルセンターで販売していたプロテインは、おそろしくまずく....だまになり....今のさっと溶けて美味しいプロテインは夢のような味だ。

私は20代から56歳の今までに大きな肉体改造は二度行った。二度目はジムに行かないで独自の理論で有酸素運動とコロコロ(アブローラー)と腕立て伏せだけでやはり体重を88キロから72キロまで絞った。ただ二回の肉体改造はどれも、タンパク質をあまりとらないで行ったので筋肉が肥大したことはなかった。

56歳になり色々なサプリメントを購入しては毎日真面目に飲んでいるが、ご飯の食べ過ぎで相当に脂肪を蓄えてしまった.....私のベスト体重は鍛えているときは74キロから78キロくらいで、有酸素運動中心のときは68キロから70キロで、私の身長は168センチなので日本人の健康体重は62キロになる。大学時代に62キロに一度なったが、あばら骨が見えて痩せこけていていやだった....

妻は腹だけ出ていなければ「パパ がっつり鍛えてムキムキになれば?」と真面目な顔をして云う.....私も実はムキムキにはならなくてもいいが腕は今の倍2.5の太さにしたい。肩も今の3倍ほど肥大させたいと思っている。着るものには困らないと思うし、スーツやシャツはオーダーできるから生活には支障がないと思う。

私がゴールドジムに行く日は週に4日だ。最初は有酸素運動ばかりしていたが、筋肉を大きくしたいので脈拍をあげるための10分のバイク漕ぎだけにすることにした。食事は肉や豆腐を中心にした高タンパクな食事になった。仕事帰りに妻と爆弾ハンバーグ、ステーキのどん、びっくりドンキーなどに行き 私は赤身のステーキやアボガドサラダをがっつり食べる。不思議なのだが赤身のステーキを深夜に食べると次の日かなり体重が減っている....さすがに深夜の炭水化物はご法度なのだが、ラーメンとチャーハンはしばらく食べていない....

計算するとプロテインだけで1200~1500㎉とっているのでカロリーは充分にとっていてサラダでおなかいっぱいにしてるので空腹感はない....ゴールドジムでのトレーニングを再開して一か月半ほど経過したが8キロほど脂肪を落とした。実は、あまり体重は気にしていない。健康で筋肉量の多い肉体になればいいと思っている。私はもともと短足でスタイルは悪く、人生の半分は太っている。イケメンでは売ってないのでこれも問題ない。

ただできることならスーパーマンの衣装が似合う躰になってみたいとは.....思っているが....夢のまた夢かな.....いや....がんばってみよう....太い腕....盛り上がった肩....せっせとプロテインを飲むことにしよう....プロテインのシェイカーを二つバッグにいれているが先日、お気に入りの日本限定15個のエメラルドグリーン色のオロビアンコのバッグの中にプロテインの粉をばらまいてしまった.....さらに先日はシェイカーのふたを閉めるのが甘く 牛乳入りのプロテイン300ccを部屋中に飛ばしてしまった.....これって プロテインあるあるなのか....

あと2時間でプロテインを飲む時間なのだが....こころなしか待ち遠しい自分がいる.....たんぱく質とオジサンの出逢いに乾杯!!

 

 

 

 


函館はミント色

2016-05-24 17:30:05 | 日記・エッセイ・コラム

週末を利用して母に顔を見せるために函館に帰ってきた。母はドライブが好きで夕日が見たいのだという.....夕暮れ前の弁天町の奥の昔泳いだ懐かしい浜や、幼い頃に住んでいた商店街跡地や小学校区の隅々まで廻るドライブだった。

旧箱館奉行所である函館公会堂は現在は水色のペンキで塗られているが私の記憶では薄いパステルピンクだった。パステルなピンク色、水色そしてミントグリーン色が函館三大原色であると断定する。函館の街の中にはミントグリーンに塗られた建物がたくさんある。

実は....私は二世帯住宅を建てることにした。夫婦ですごく話しあい、考えて答えを出した。離婚した長女と孫たちの生活ぶりを垣間見ていて、親としていたたまれないことが多くあり....今回の二世帯住宅建築計画になった。当然はじめは銀行に相談した。弊社のメインバンクも心よく理解を示してくれたので計画はトントンと進んでいった。

56歳になってからの新築なのでそんなに長くは住宅ローンを組みたくないのでシンプルな家になるが、かといっても巴座の社長である私の家でもあるので色は当然に白や黒ということはない。薄いパステル・サックス(水色)や薄いミントグリーンも候補にある。当然、家の中も函館三大原色や美しい色の世界で構成する.....年内には完成させたいのだが、肝心の土地の契約がまだ難航している。農地転用や開発がらみで境界確定が少し遅れているのが原因なのだが、こればかりは国の指示なのでいたしかたない...と、いったところである。

 

結婚記念で旅した台湾でもときたま古い集落の間にミントグリーンや水色で塗られたドアや窓があり興味深く感じた....ゴールデンウィークの前半戦なので日本人の観光客が多くいた。故宮博物院は中国本土の人間の無礼ややりたい放題を眺めているのが面白かった....写真は台北(タイペイ)から1時間のドライブで到着する九份(きゅうふん)の街だ....JTBのガイドさんが「千と千尋の神隠しの湯婆ばの家のモデルになりました!」と声高らかに説明していたがスタジオ・ジブリはこの件に関しては否定しているところが面白い.....でも実際はそっくりであったが.....

台湾の旅の往復は中華航空(チャイナエアライン)だったが....キャビン・アテンダントの教育がなっていないのか....まことに質の悪いサービスであった.....昨日、全日空で帰ってきたが新人のキャビン・アテンダントでも立ち姿・姿勢などすべてがよかった.....中華航空は機内食も最悪だった.....ホテルはリージェントだったのでまあ及第点ではあったが....ただ救いが往路の映画が良かったことだ。

『レヴェナント 蘇りし者』よかったな.....

『007 スペクター』これまた面白いのなんのって....大英帝国万歳!!って感じで、この二作を空の上でたっぷりと楽しませてもらった。この二作はまだ劇場公開している。早くブルーレイ版で我が家の大きい4Kで堪能したい。『フォースの覚醒』もブルーレイを4Kで観て...さらに感激した....やはり劇場は画像が悪い。迫力はあるのだが色がだめだ....映画ファンは4Kとブルーレイで楽しむべきだ。画像と色も圧倒的に素晴らしいのだ....

『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』は新宿テアトルで観たがやはり光やブルーレイで4K画面で見直したい。

この話題の三作品はどれも見応えがある。『レヴェナント』は撮影監督のエマニュエル・ルベッキがまたまたやらかしてくれている....とにかく映像が凄い。この映画は監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウ、レオナルド・ディカプリオと撮影監督ルベッキがアカデミー賞を取ったが心から祝福したい。個人的には悪役のトム・ハーディーに拍手を送りたい。クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト・ライジング』のベイン役も圧巻であったが・・・凄い役者である......

007に関してはダニエル・クレイグの衣装が素晴らしい。トム・フォードのスーツが恐ろしくかっこいい。気になり二作前の『慰めの報酬』を観なおしたが絶対に今回の『スペクター』のトム・フォードのスーツがいい。『スカイ・フォール』のトム・フォードの衣装もよいのだがダニエル・クレイグの体型をシャープに見せている今回のスーツがかっこいい.....40万円ほどで購入可能だそうな....高いからトム・フォードのサングラスだけでも買おうかな.....そういえば007のMI6長官の新しいM役のレイフ・ファンズはハリーポッターのヴォルデモート卿でもある....実に面白い

さて酷評?されているワーナー・ブラザース映画が気合で制作した渾身の娯楽映画『バットマンVSスーパーマン』だが....「暗い」など酷評されている。クリストファー・ノーラン監督が制作に関与している段階で明るくなるわけないのだから監督のザック・スナイダーは良くがんばっていると褒めてあげたいかな.....もともと『ダークナイト』の評価が異常に高すぎた?のではとも考えるべきなのではないだろうか....バットマン映画を明るくするほうが危険だと思うし、ワーナー・ブラザースが収益をあげていきたいが為にDCコミックのヒーロー映画を増産したいのはショービジネスにおいては当たり前のことだと思う。日本では知名度が少ないDCコミックのヒーローたちの出演映画が今後楽しみだ.....DCコミックの二大看板のバットマンとスーパーマンがスクリーンで喧嘩をしていることにワクワクしない輩は最初から観るべきではない。 集英社で言ったら『ルフィーVS悟空』なのだから.....  

さておきワンダー・ウーマンのガル・ガドットがイスラエル美女で100点である。彼女の美しさを観るだけでも『バットマンVSスーパーマン』は価値がある。アベンジャーズもスカーレット・ヨハンソンのプリプリの、でか尻を観るのも楽しみにしている私のような でか尻(でかじり)ファンはいるはずだ....彼女のGUCCIの香水のポスターも「さすがっすね!」と云いたくなる美しさだ.....だがガル・ガドットは小尻(こじり)なので私はスカーレット・ヨハンソンの方がタイプである。毎回書くのだが我が妻は巨大な桃尻(ももじり)でたいへん素晴らしい....

 最後になるが配信専門の楽曲のMS.OOJAの『花』を紹介したい。MS.OOJAはFNS歌謡祭のバックボーカルで見かけていたが今年の初頭に彼女の曲を数曲ダウンロードした。この方は幸(さち)が少ない顔立ちが郷愁を呼ぶ.....具体的に書くと男運がない顔である(実は幸せだったらごめんなさい)そして器用貧乏な顔でもある....なにか...いつも男に騙されたり....捨てられたり.....といった泣きはらして化粧がドロドロに落ちた顔も似合う.....そんな先入観と偏見をもって聴く彼女の歌は素晴らしい.....近くこの『花』をBGMにした映像を制作したいと考えている....

さて私は母と大沼公園にも行ってみた.....母がどうしても私に見せたい場所があるのだというのだ・・・・なつかしい子供の頃の思い出がつまった湖畔でもある。湖畔に二隻の手漕ぎボートのミントグリーンのペンキの色は目に入った......母に「今度の家はきみどりかな・・・・」と話すと「いいべさ...」と笑っていた。きみどりとはミントグリーンの函館語である....函館ドックのシンボルでもあった赤と白の巨大なクレーンは無くなったがミントグリーンに塗られた大型クレーンは今でも健在で弁天台場のドックの浜に浮かんでいる。

函館はミント色である......グレイではない......


ライブで見る広島焼きとライブで観る我が息子

2016-04-26 18:10:13 | 日記・エッセイ・コラム

東京に行く回数が増えている。神田神保町花月と渋谷∞ホールに息子のライブを観にいくためだ。

ライブ帰りには銀座、有楽町、日本橋界隈に寄ることが多い。最近二回続けて銀座1丁目の広島アンテナショップTAUの2階の広島焼きの『三匠』に行った。一回目はブラブラしながらなんとなく入店した。目の前で焼いているのを見ながら食べるカウンター席と普通の座席があるが私と妻はカウンター席に案内された。

あざやかな手つきで焼いていくさま、ひっくり返すさまは見ていてあきない.....が、暑い....もうスポーツだと思って二回目を1週間ぶりに行った。前回の焼き手のお兄さんが「ああ!」と私たちを見て覚えていてくれて「カウンターの席 片付けますんで!どうぞ!!」と招き入れてくれた。私はシーフードに焼きそばを入れてたもの、妻はスペシャルという豚肉やお餅が入った焼きそば入りを前回も今回も迷わず注文した。

隣の人が注文したホタテ入りのガーリックライスが妙に気になり私たちも注文したら...これがまた最高に美味であった.....もっとも前回も今回も私たち夫婦は息子の芸人姿に少し感激していて気分も高揚していた。息子の芸人初舞台の神保町花月での5日間公演の『サクラクラシック』におおいに感動して...何回も涙を流した....満席の観客も皆、相当に満足したと思われる拍手を送っていた。吉本のお笑いの深さに触れた日でもあった。笑いもあるが感動があるのである.....息子はクビになったホストクラブの店員の役で本当にチャラい衣装とメイクをされていた....私の真後ろの観客の女の子が「きもっ....」と隣の子につぶやいていたのが聴こえた.....がしかし、舞台が終わると「いあや~っ....やばいハマった....感動した....」と感想を述べていた....

そしてついに若手芸人の修行の場でもある渋谷∞(無限大)ホールでのライブを観ることができた。24組の芸人を円形劇場の観客が点数をつけて1位になった芸人がまた上のランクの入れ替え戦に参加できるというガチンコの戦いのライブでもある。この日の息子たちコンビ 衝撃デリバリーは見事に1位になった.....サッカーで活躍したあとの帰宅する車の中のような会話で「よかった よかった..」と夫婦で喜び....「広島焼き食べよう!」と二回目の三匠行きになったというわけである......

吉本∞ホールは4つのランクになっていて新人の息子たちは一番下の階級に位置する。今話題のおかずクラブや横澤夏子は、一番上のランクにいるらしい。息子たちの下剋上がはじまったということだ。やはり色メガネでみても先輩芸人のレベルはあきらかに上だ.....渋谷や神田神保町、幕張、新宿ルミネなど吉本の劇場はたくさんある。

ちなみにエリック・クラプトンの武道館初日はほぼ満席だった。私のチケット代はS席の2階席でも13500円だった。会場には白髪とハゲのメンズが目立った.....マーチン・ギターの音色も良く相変わらず武道館なので音は悪かったが大変満足の1時間29分であった.....アンコールも一度で....クラプトンはリラックスしてボトムはジャージのような素材のラインのはいったパンツだった.....

はやく息子たちのライブに大金を払ってみたいものだ.....

 


喝采

2016-04-05 18:40:13 | 日記・エッセイ・コラム

夜の9時をまわっても神田神保町は暖かく....行き交う車のヘッドライトの数も少ない...私と妻の頭の中は感激や嬉しさであふれていた.....

その日は芸人の卵としての息子の最後のライブの夜だった....昼と夜の二公演を観終わり劇場で息子を待つことしばし....いよいよ最後の卒業公演のチケットを渡された。吉本興業は厳しい縦社会なので先輩たちの目を気にしながら神保花月の近くの路地で息子と数十秒会った。

会っていると確かに息子である.....しかし舞台の上にたちライトを浴び拍手喝采をもらっている息子は明らかに芸人である。息子の代のNSC21期生はキャラがたっている芸人がたくさんいる。すごく楽しみである。息子の相方もすごくいいキャラである。私も何回となく劇場に通っているうちに好きな芸人たちが何人か出来た。

ライブの後は妻と感激で満たされている....だからこの夜もそうであったのだ.....私たち夫婦は息子の吉本入りに大賛成した。そして今では、すっかり彼らを応援したりライブを観ることが人生の大切な事柄になっている。妻はひまさえあればNSCのサイトを開き「あっ!今日も写真でてるよ!」と楽しそうに見せてくれる。サイトの中の息子はいつも仲間の中心で笑っている。息子は妻に似て人から好かれ、人気があった.....私のようなクセものではない。

NSC東京の恒例の大ライブで決勝まで残った息子の応援の友人たちはものすごい数だった。残念ながら主席にはなれなかったが会場にいた皆が喝采を送っていた....私も力を込めて拍手喝采をし続けた....親としては言葉にできない感激だった....妻がよく話している『観に来てくださっているお友達やファンのひとりひとりにお礼を申し上げたい』という言葉を私は遅ればせながらかみしめている....本当にそのとうりである.....

そして4月3日卒業公演を迎えた.....そこには自信にあふれた若き芸人たちの思いが形となって観るものたちを感動でつつんでいった....満席の劇場で感激して会場をあとにしたのは私たち夫婦だけではあるまい....感動の喝采が鳴り響く中...すぐ横にいて歌っている息子の姿を直視できず私はずっと舞台を見ていた.....人間とは感動する機能がついた生き物だと思う....本当にこの一年は妻と何回も感激を共有できた....

そして息子はプロの芸人になった。

4月12日~16日 サクラクラシックという舞台に息子たちのコンビ【衝撃デリバリー】が出演する。4月13日はエリック・クラプトンの武道館コンサートの初日である。席はS席を確保できている。だが本年を言えば息子のライブのほうが観たい.....でもクラプトンも70歳を過ぎたのでこれを見納めに行くことにする。スティーブ・ガッドは来るのだろうか....ガッドのドラムはクラプトンのギターより楽しみでもある.....奇しくも武道館と神保町花月は歩いていける距離である....

エリック・クラプトンは私のギター・ヒーローだった....スティーブ・ガッドはドラマーで一番好きな人である....彼らの音楽に魅了されて青春を人生を過ごしてきた。彼らの人生の幕はもうじき下りることになる.....彼らへの鳴り止まぬ喝采とともに.....そして私の中にこんな年齢からときめかせてくれるヒーローが誕生しそうである.....

そう....息子はプロの芸人になった.....

私たちはプロの芸人の親になった......

 

 


笑顔は世界共通

2016-02-15 16:24:44 | 日記・エッセイ・コラム

台湾へ行くことにした。故宮博物院が観たいからだ。時期は結婚記念日の4月29日で二泊の予定だ。

台湾は中華民国ともいいチャイニーズタイペイとも呼ばれる。ちなみに我が日本は中華民国(台湾)を国家として容認していない。台湾のなりたちはとても数奇である。おもしろいので国家と容認している国を調べたらバチカン市国があった。ヨーロッパで唯一である。私たち夫婦はそんな台湾を『ワクワクする国』と認定して旅することにした....

なので縁あってバチカン市国へも行くことにした。8月の中旬からアリタリア便でミラノからイタリア入りして、ベネチア、フィレンツエそしてローマに入る8日間の旅になる。ローマには二泊するのでバチカン市国では、ばっちりと美術や建築鑑賞にひたりたい....私は土地勘がいい。

ロンドンもパリもロスもソウルも地図をつかわないで歩ける。イギリスは車の移動でも全く問題ない。東京都内もナビ無しでどこにでも行ける。京都もかなり詳しい。ただそれなりに学習もする。30代の頃の初渡英時にはバージンの機内でずっと英国地図を見ていた。最初から人を頼らず車で廻る覚悟をしていったので必死に学んだ.....ロンドンから湖水地方まで行きコッツウオルズのキャッスルクームという小さな山間の町で車が故障するまで一度も迷わず目的地に着いた。その時の英文の英国地図は今でも大切にとってある。

30代の頃にアメリカのシアトルでタクシーに乗ったら見当違いの方向に車が進みだしたことがある。私は土地勘がいいのですぐに運転手がミスしているのではないかという疑念がよぎった。黒人の運転手だったが『お前この道 違うぞ!!』と語気を強めて話すと黒人の運転手が急に車を停めて「ソーリー ソーリー」というので『この馬鹿野郎!!ぶっ飛ばすぞ!』と今度は日本語で怒鳴ったら その運転手はそれまでの運賃をくれといった素振りをしたので「払うか!この馬鹿!」とにらみつけて車から降りると手を合わせて頭を下げて去っていった。

字が読めない運転手や計算の出来ない店員はアメリカにはたくさんいる。なにせビバリーヒルズの路面店のCOACHの店員でさえ平気でおつりを間違える...イタリアもタクシーの運転手のモラルは低いと聞く....パリ市内は噂ほど悪くはなかった。評判の良いロンドンタクシーもモラルが悪い運転手は時たまいる。もちろんチップは払わない。

結局は世界どこにいっても同じで善い人はたくさんいるし、親切じゃない人もいるのである.....台湾は親日家の人が多いと聞く....

私と妻は世界のどこに行っても笑っている。必然的に相手も笑ってくれる.....

笑顔は世界共通である。