陽だまりの場所、
第37話 冬麗act.3―another,side story「陽はまた昇る」
見あげる先で英二が困った顔で微笑んでいる。
いま周太が言った「ふとん干したから言うこと聴いて?」に困っている。
そんな英二を愉しげに眺める光一の、底抜けに明るい目が「言うねえ?」と周太に温かく笑んでくれた。
そんな光一の大らかな無償の愛が優しく心に痛む、けれどいま自分はワガママでも正直を通す。
3つの晩と3日の間を厳冬の北岳で2人は過ごした。
そんな余人が踏込めない場所で光一は英二を完全に独り占めしていた。
けれど光一は周太のことを求めてくれている、それなのに周太から英二を連れて行ってしまう。
それは英二自身も望んで選んだ最高峰への道だと解っている、だから尚更に羨ましい。
こんなふうに光一は、心から英二が望む夢の場所に連れて行ける、それが妬ましい。
光一のお蔭で英二の夢が叶えられることが嬉しい、けれど羨ましいのも本音。
だから、この家に帰ってきたときは英二を返してほしい。
すこしでも多く長く、安心して英二と一緒にいられる時間がほしい。
こんな本音が光一を傷つけると解っている、けれど偽ればもっと傷つけるだろう。英二を傷つけたように。
だから今も自分は正直に、一番大切にしたいことをワガママでも言いたい。
光一が今夜は一緒に泊まっていく。
それなのに英二に「一緒に寝てね?」と周太はおねだりをした。
こんなおねだりは真面目で優しい英二をきっと困らせる、それでも周太は正直に伝えたかった。
…こんなのワガママでしょ?でも、言うこと聴いて?愛しているぶんだけ一緒の時間がほしいな?
想い見つめながら言った言葉に、英二はすっかり困っている。
こんなに困っていても英二の笑顔はきれいで、こんな笑顔も周太は好きだった。
きれいな困っている笑顔に見惚れていると、困り顔のままで英二が階段の方へ踵を返した。
…あ、待って、
心につぶやいた時はもう、周太は英二の懐に抱きついていた。
しがみついた懐は、いつもの深い樹木の香と花束に抱えたオールドローズの香があまく温かい。
思いがけない行動に自分で恥ずかしい、けれど心に正直な行動がきちんと出来て嬉しい。
気恥ずかしさに頬までもう熱い、それでも周太は大好きな顔を見あげて微笑んだ。
「おかえりなさい、英二…今日は、ひとりにしないで?」
きれいな切長い目が大きくなって、きれいな首筋が赤くなり始めた。
端正な白皙の貌に大らかな、幸せな笑顔が華やいでいく。
言うこと聴いてくれる?想いと見あげる周太をやさしい腕が抱きしめてくれる。
やさしい眼差しが周太の顔を覗きこんで、きれいな低い声が微笑んだ。
「うん、ひとりにはしないよ、でもね、」
ひとりにはしない、は嬉しい。
でもね、は続く言葉が不安にさせられる。
なんて言うつもりなの?見上げた端正な顔の隣に、不意に雪白い顔が覗きこんだ。
英二の肩越から、底抜けに明るい目が周太に「内緒だよ?」と笑いかけてくれる。
光一は何をするつもり?そう目で問いかけた途端、長い腕が英二の肩をがっちり抱きこんだ。
「周太…っ、くにむら?」
底抜けに明るい目が悪戯っ子に笑っている。
笑った細い目が英二と周太を肩越しに見比べて、透明なテノールの声が愉しげに笑った。
「そうだよ、周太?君のこと、ひとりになんかしないよ。で、ちゃんと俺も混ぜてもらうからね?」
がっしり背中から英二を抑え込みながら「俺のこと忘れないで、一緒にいさせて?」と明るい目が笑ってくれる。
つきん、と心を明るい目の告げる願いが刺して痛い。この願いの底にある真実の願いを、自分は本当は知っているから。
それでも光一は愉快に笑って、今夜も愉しく一緒にいようと誘ってくれる。
いまなんて答えたらいい?微笑んで正直に周太は拗ねた口調で訴えた。
「…そんなのダメ、光一、俺のことあいしてるんでしょ?だったらいうこときいて?英二は俺のなの、放して、」
光一のこと自分も大好き。
けれど英二のことは誰にも譲りたくない、とくに今日はもう光一には譲らない。
だって3つの晩を誰にも邪魔されない場所で、英二を独り占めしたんでしょう?だから放してほしい。
そんな想いで見上げた先で、きれいな細い目は愉しげに笑って周太に宣戦布告した。
「嫌だね。俺もさ、君に負けない程、あまえんぼでワガママなんだよ。悪いけどね、宮田は俺のでもあるんだ、」
「それは、アンザイレンパートナーかもしれないけど…」
生涯のアンザイレンパートナーは人生の宝物、そう父も教えてくれた。
だから光一と英二が、どんなに尊く大切な存在同士なのか周太も解かっている。
しかもいま英二と並んでいる光一の笑顔は、やっぱり英二の笑顔と似合いに美しくて見惚れてしまう。
この並んだ美しい姿に一瞬だけ退きさがりそうになった、けれど周太は真直ぐ見返して口を開いた。
「でも、俺に全部くれるって、英二は言ったんだから。放してよ、」
英二から周太に言ってくれた。
俺の全ては周太のもの、自分はもう周太の恋の奴隷だから好きにして?
そんなふうに言ってくれたから、自分は退かない。みっともなくても放さない。
絶対に退かないんだから?そんな想いと見つめた光一の目が、愉しげに温かに笑んだ。
「ダメだね、周太。こいつはね、俺のアンザイレンパートナーだって警視庁も認めたんだ」
俺だって退かないよ?
愉しげに細い目が周太に笑いかけてくる。
愉快で仕方ない、そんな顔で英二の顔の隣からテノールの声が権利を主張した。
「それってね、一生ずっと俺のパートナーで、かつ俺のブレインになるってコトなんだよね。だから俺の好きにさせてもらうよ?」
確かに君のこと愛してるよ?でも俺はこいつも大好きだから放さない。
そんな正直な想いのまま光一は、がっしりと英二を背中から抱きしめて放さない。
この正直な光一の姿を見ていると、自分も正直にワガママ言っても良いんだと肯定できてしまう。
俺もワガママして正直やるよ?だから君も正直にワガママいっぱい言おうよ?
そんな「正直でいること」への全面的な肯定が、光一の態度から温かい。
…3人でいる時も、ワガママがんばって、正直でいよう
すとんと肚が決って、なんだか楽な気持ちに周太はなった。
こんなふうに光一も楽な気持ちでいるのかな?
そう見上げた先で英二が可笑しそうに笑った。
「ちょっと、国村?確かに言う通りだけどさ、好きにして良いってことは無いだろ?」
「そんな固いコト言うんじゃないよ。ね、み・や・た?可愛いパートナーの俺の言うこと聴いて?…お願い、独りにしないで?」
言いながら光一が英二の首筋に白い指でふれた。
その白い指でふれた白皙の肌に、周太の瞳が大きくなった。
…なんで赤くなってるの?
光一の指が示す肌には、きれいな赤い花の模様がうかんでいる。
この赤い花に周太は見覚えがある、この記憶の花と同じ意味の花なのだろうか。
赤い花の記憶に白皙の首筋を見つめていると、大好きな声が困ったトーンで周太に訴えかけた。
「周太、俺、国村の悪戯の罠に嵌められたんだ、」
英二は「国村の悪戯の罠」だと言った、その言葉が意味するものは?
光一は悪戯が大好き、その悪戯が首筋にうかぶ赤い花だとしたら何の意味?
この赤い花は英二と眠った翌朝に、自分の体で見つけるあの痕とそっくり。
ようするにそういうこと?
気づいた「悪戯の罠」に周太の声は一段トーンが低くなってしまった。
「…どんないたずら?そのきすまーくのこと?…たのしかったわけ?」
恋の奴隷のくせに、無断で他のキスマークつけてきたの?
困っているみたいだけど、本当は楽しんじゃったんじゃないの?
わがままに正直に見つめる先の英二の顔が、心から困窮して周太を見つめた。
「寝てる間に勝手につけられたんだ、だから楽しいとか無いよ、」
「ねてるあいだに?…そんなしきんきょりでねていたってわけ?よくいみがわからないんだけど?」
こんなふうに自分が英二を尋問するなんて?
しかも英二はこの自分の尋問に困り果てて、大きな体を小さくしている。
こんなに英二は綺麗で大きな体をしている、高峰を踏破できる才能も大人の男の魅力も備えている。
それなのに周太の子供っぽい尋問に「お手上げです」と赦してほしいと笑いかけてくれる。
ほんとうに困り果てた笑顔で周太に「お願いだから機嫌を直して?」と困ってくれる。
…そんなに困ってくれるほど、俺のこと、すき?
困った笑顔に示される想いが嬉しくて、素直に周太は英二に笑いかけた。
そんな周太に嬉しそうに笑いかけて、きれいな笑顔で英二が口を開きかけてくれる。
なんて英二は言ってくれる?嬉しく見上げた肩越しからテノールの声が笑った。
「ソンナ至近距離だよ、周太?あまえんぼの俺はね、シッカリくっついて寝ていたんだよ。
で、おしゃぶりが欲しい俺の口元にさ、そりゃあ美しい白皙のうなじがあったってワケ。だから遠慮なく吸わせてもらったけど?」
言われた途端に額まで熱が一気に昇った。
いま愉しげに笑っている光一の花紅の唇が、きれいな英二の白皙の肌に吸いついて?
この連想からうかんだ光景を、きれいだと心で見惚れて恥ずかしい。
…こんなそうぞうするなんて、じぶんはえっちだ
こんな自覚が余計に恥ずかしくて顔が熱くなってしまう。
けれど自分は正直に自分の権利を主張したい、真直ぐ光一を見て周太は抗議の声をあげた。
「…っ、光一のばか、そんなことかってにしないで?俺のなんだから…かえしてよ、」
「ふうん、返してほしいんだね、周太?」
ちゃんと正直に言い返せたね?
そんなふうに底抜けに明るい目が笑いかけてくれた。
光一らしい遣り方で、周太を正直にさせようと気遣ってくれている。
気遣いへの感謝に笑いかけた周太に、ふっと細い目がいつにない表情に微笑んだ。
「じゃあさ、キスで返してあげるよ。君のどこに返せばイイ?うなじ?それとも唇?」
なんていってるの?
空白の瞬間にひとつ瞬いて、周太はまた真赤になった。
言われた言葉に途惑って、それ以上に光一の表情に途惑ってしまう。
途惑いのまま周太は口を開いた。
「ちがうったら…もう、からかわないでよ?」
「遠慮は要らないよ、ほら、」
不意に廻り込んだ光一の腕が周太に伸ばされた。
掴もうと伸ばされる腕を身軽に避けると、周太は英二の背後に回り込んだ。
「やめて光一?そんなことするなら泊めてあげない…」
言いながら光一を見あげて周太は一瞬だけ息を呑んだ。
いつも底抜けに明るい目が、いつもと違う。
…どうして、そんな目で見つめるの?
途惑いが心にこぼれていく。
けれど周太は真直ぐ光一の目に笑いかけた。
「言うこと聴いて?」
周太の言葉に、細い目はまた愉しげに笑ってくれた。
そして愉しげに明るいテノールの声が、いつものように周太を転がし始めた。
「残念。今日は俺、おふくろさんのお客だからさ。周太にそんな権限ないよね?ま、どうしてもって言うなら、宮田も連れて帰るけど?」
言われる通り、自分にその権限はない。
いつもながら光一の怜悧な論理に反論が出来ない、それに「連れて帰る」が余計に悔しい。
そんなふうに「連れて帰る」って言えるのなら、この家に帰ってきた今は英二を独り占めさせて?
そう言いたいけれど時おり見せる光一の目に言えなくて、周太は短い質問だけをした。
「どうして英二も連れて帰るの?」
「だってさ、明日の朝もし雪だと電車NGになるだろ?それで宮田の出勤が出来ないと、そりゃ困るからねえ。ね、み・や・た?」
愉しそうに光一が英二の顔を覗きこんだ。
さっきから切長い目は困ったように周太と光一を眺めてくれている。
困った顔のままで英二は少しため息つくと、周太に微笑んでくれた。
「あのさ、俺、周太のコーヒー飲みたいな?オレンジのケーキも買ってきたんだけど、」
抱えていた白いきれいな箱を、英二は周太に手渡してくれる。
渡された大きな箱からは、ふわりオレンジと蜂蜜の甘い香がやさしい。
また英二は自分が好きなものを見つけてきてくれた、この気遣いが嬉しい。
それに「周太のコーヒー」と言ってくれた、これは生涯ずっと守る約束のひとつでいる。
英二がくれる気遣いと温かい約束の想いが幸せで、周太は素直に頷いた。
「ん、お茶にするね?コーヒー淹れるから…部屋、いつもみたいに自由に使ってね?ハンガーとか出してあるから」
温かい幸せと一緒にケーキの箱を抱えて、周太はダイニングへと踵を返した。
ぱたんとダイニングの扉を閉めて、ケーキの箱をサイドテーブルに置いたとき花の影が目にふれた。
ダイニングの窓からは、白梅の花枝が可憐な姿で覗きこんでいる。
やさしい花の姿に心ほどけて、ほっとため息が零れた。
「…なんだか、緊張してた、かな?」
英二の気遣いが嬉しくて「愛されている」自信と安心が幸せだった。
けれど光一の目の表情が気になった、どこか緊張してしまう。
そんな2つの対照的な想いがため息になってこぼれた。
…どこか光一は様子が違う?
哀しそう、だった?
嬉しそうだったろうか?
優しいようにも鋭いようにも見えていた?
その違いは目の表情だけで一瞬だった、だから見間違えかもしれない
なにか、よく解らない。それに英二は特に気がついてはいないようだった。
たんなる自分の思い違いだろうか?
「…ん、気の所為かな?」
つぶやいた向こう、窓のぞく白梅が可愛らしくて心がほぐれる。
寛いでくる心の余裕が、すこし自分に距離を置いて見つめさせてくれる。
きっと光一の想いを意識しすぎた自分の考えすぎかもしれない、すぐ考えこむ癖が自分はあるから。
きっといまは、考えてこんでいるより手を動かした方が良い。
「そう、今はね、コーヒー、」
大切な英二との約束に周太は幸せと微笑んだ。
台所の隅から踏台を持ってくると周太は戸棚からサイフォンとハンドミルを出した。
昔から家にあるけれど実家を出てからは忙しくて、なかなか使えないまま仕舞いこんである。
けれど今日は時間があるし、母の客として来た光一にお持成しもしたい。
たぶん光一と英二は2階で一息いれて、書斎の父に挨拶してから降りてくるだろう。
その間ゆっくりとコーヒーを淹れて、のんびりと落ち着いた時間を過ごしたい。
そう思って今日はコーヒー豆も買ってきた。
「…3人分だと、このくらいかな?」
ハンドミルに豆を入れると、丁寧に周太は挽きはじめた。
コーヒー豆の挽かれる音と香がゆっくり昇りだす。
かりり、がり…
のんびりとした豆の音が心地いい。
ふりそそぐ陽だまりに、窓からのぞく早春の花たちが心和ませる。
「白梅、水仙、雪割草に…桜草も、咲いてる?…蝋梅と、冬ばら…クリスマスローズ」
豆を挽く音を聴きながら、見える花の名前をひとつずつ周太はあげていく。
いま2月で真冬の寒さ、けれどこの庭には季節の花が咲いてくれる。
さっき南正面の庭に出た時は、もっと春らしい花が咲きだしていた。
ミモザの木には花芽がたくさんついていた、きっと今年も黄色の花が可愛いだろう。
「…あ、ミモザ、」
ふと思った花の名前に首筋が熱くなりだした。
この花の名前と同じ酒がもつ意味と、まつわる哀しみと幸せの記憶が熱になる。
この記憶の哀しみを早く拭ってしまいたい、それにはどうしたら良いだろう?
「…英二と一緒にね、飲んでもらう?でも…こんかいはむりだよね?」
さすがに光一も母もいる時では恥ずかしい。
また次回のときに英二に「おねだり」するしかないね?
そんなことを考えているうちに豆は、きれいな粉になっていた。
これを洗って準備しておいたサイフォンに水とセットしていく。
そしてアルコールランプに火を点けると、あとは待つだけになる。
ことん、ことと…
水がコーヒーへと充ちていく、やさしい音が温かい。
アルコールランプの火色がやわらかに揺れるごと、ゆるやかな芳ばしい香が昇りだす。
やさしい水音、温かいオレンジの火色、深い甘さの芳香。
そんな穏かな時間が陽だまりの台所に充たされる。
「…ん、いい香り、」
こうした昔ながらの淹れ方は手間が確かにかかる。
けれど、その手間が醸す穏やかな時間が周太は好きだった。
なにより、サイフォンで淹れると格段に香がいいし、まろやかな風味に美味しくなる。
明日の朝食でも淹れて母も喜ばせてあげたいな?そんなことを考えながら周太は食器棚の扉を開いた。
今日は光一が母の客として来てくれている。
だから今日は、もてなし用のコーヒーカップと皿のセットを出した。
きれいな青い模様の入った白い陶器は、ずっと大切に使われてきている。
この家を建てた曾祖父が揃えたものだと聴いている、けれど今も真白に綺麗だった。
この無垢で温かみある白に、家の皆が代々大切にしてきた想いがふれてくる。
こんなふうに家具や食器にふれるとき、亡き人たちが懐かしく慕わしい。
どのひとも周太は父以外には会ったことが無い。
アルバムすら無いから顔も解からない、過去帳にある名前しか知らない。
けれどこの古い家に遺されている「大切にしてきた想い」はよく知っている。
この繋がれてきた想いが愛しい、そして親族の顔すら知らない寂しさを慰めてくれる。
こんなふうに家を、家具や食器を大切にしてきた優しい人達が自分と繋がっていることが嬉しい。
「ん、…寂しいけれど、幸せだね?」
青い模様のセットを洗いあげながら、幸せに周太は微笑んだ。
サイフォンの水音が止んだ時、ダイニングの扉が開いた。
ふわりオールドローズの華やかな香と一緒に英二と光一が入ってくる。
きれいな切長い目が周太に笑いかけて、薄紅いろのブーケを示して訊いてくれた。
「ね、周太?今回の花束はどうかな、お母さん喜んでくれるかな?」
「ん、きっと喜ぶ。オールドローズは好きだから…でも、この季節によくあったね?」
ブーケを抱える英二の腕にそっとふれながら、周太は花の香に頬寄せた。
あまやかなオールドローズの香がやさしい。それ以上に、ふれた英二の腕の温もりが周太には優しかった。
やさしい笑顔が周太に笑いかけてくれながら、きれいな低い声が花のことを話しだした。
「うん、国村がね、ばら園に連れて行ってくれたんだ。そこで花束を作って貰ったんだよ」
「そうなんだ?…ばら園、すてきだね?」
答えながら周太は光一を見あげた。
見あげた先で底抜けに明るい目が嬉しそうに笑って、透明なテノールが微笑んだ。
「ばら園っていってもね、花卉農家の栽培用温室なんだ。ウチの親戚でさ、寄ると土産に花をくれるんだ」
「花の農家なの?…素敵だね、」
オールドローズが咲く温室はどんなだろう?
いま英二が抱える花々の蕾ほころんだ姿に、見たことの無い光景を見つめて周太は微笑んだ。
一緒に花をのぞきこんだ明るい細い目が周太に笑いかけると、愉しそうにテノールの声が提案してくれた。
「こんど連れて行ってあげる。だからさ、また俺とデートしてよね?」
デート、なんて言われると緊張してしまう。
すこし首筋が熱くなるのを感じながら英二を見あげると、大らかな優しい笑顔が周太に笑ってくれた。
「よかったね、周太。すごく佳い香だったから、連れて行ってもらうと良いよ?きっと、周太も好きだと思う」
「そう?…じゃあ、こんど連れて行って、」
英二の言葉に素直に頷いて、光一を周太は見た。
嬉しそうに頷いてくれる光一の胸元に、初めて周太は気がついて目が留められた。
「光一、その寄植、きれいだね?…奥多摩の花?」
きれいな水仙と野すみれ、雪割草。
ほかに何種類かの山野草を大きめの水盤に造った苔玉に寄せてある。
盆栽のように巧みに作られた寄植は見事で、玄人が作ったような雰囲気だった。
すごいなと見惚れていると、愉しそうにテノールの声が教えてくれた。
「そうだよ、俺んちの山から掘ってきたんだ。
宮田、いつも花束を持っていくって聴いてるからさ?俺は寄植にしたんだ。これなら車に置いといても平気だったしね」
「光一、自分でこれを作ったの?…すごいね、」
巧みな技に驚いて周太は素直に褒めた。
美しい鉢植から、やさしく清々しい水仙の香が瑞々しい。
きれいだなと微笑んだ周太に、底抜けに明るい目が珍しく照れたように笑いかけた。
「まあね。高校で、こういうのも教わったしね。それにさ、花束は宮田が似合いすぎだろ?
こいつの隣で花束を贈っても、見劣りしちゃうしさ。こういうほうが喜んで貰えるかな、ってね。これ、どこに置いていいかな?」
「素敵だよ?母も喜ぶと思う…置くの、リビングの暖炉の上とか、どうかな?」
あの場所だったら、廊下からリビングに入ってすぐ気がつくだろう。
そうしたら母もすぐに見て、きっと喜んでくれるだろうな?
こんなふうに考えながら周太は英二を見あげると、きれいな低い声が笑ってくれた。
「うん、良いと思うよ?周太、お茶のしたく手伝おうか?」
やさしい気遣いが嬉しくさせてくれる。
ほんとうは一緒に仕度をしたら嬉しいだろう、でも光一をひとり放っておくのは悪い。
ほんとうは光一だって忙しいだろうに寄植を母の為に作ってきてくれた、この優しい気遣いに自分も応えたい。
そのほうが英二もきっと喜んでくれるだろう、ちいさく頭を振って周太は微笑んだ。
「ありがとう、英二。でも、疲れてるでしょ?光一と、リビングで寛いでいて?…応接セットのほうに、お茶を出すね、」
周太の言葉に、やさしい綺麗な笑顔が咲いてくれる。
切長い目が見つめて、きれいな低い声が幸せそうに笑いかけてくれた。
「気遣わせちゃったね、周太?でも、ありがとう。甘えさせて貰うよ、」
うれしそうな笑顔が幸せで周太は微笑んだ。
ふたりがリビングへ入って行くのを見送って、周太はケーキの箱を開いた。
ふわりオレンジと蜂蜜のあまい香がやさしく頬撫でる、生のオレンジも使ってあるのが好みで嬉しい。
きっと、周太の好みに合うようなケーキを探してきてくれた。うれしくて周太は微笑んだ。
「…気遣ってくれたのはね、英二の方だよ、ね?」
こんなふうに気遣ってくれた英二の想いに、すこしでも応えたいな?
うれしくケーキを見ながら周太は、ケーキをカットし始めた。
用意しておいた藍模様の皿に取り分け終えたとき、ふっと馴染んだ気配に周太は振り向いた。
「周太、ケーキ運ぶよ?」
大好きな低い声がすぐ隣で笑ってくれる。
さっき遠慮したのに、頃合を見計らって英二は来てくれた。
ほら、やっぱり気遣ってくれるのは英二の方。
こんな優しさが嬉しくて周太は微笑んだ。
「ん、…ひとりにしないでくれて、ありがとう、」
ここならリビングから見えないはず?
うれしい気持ちに正直になって周太は長身の懐に抱きついた。
おだやかな樹木の深い香が、温かな鼓動と一緒にやさしく頬ふれる。
大好きな香と温もりに、3つの晩の寂しい想いがほどけて温められていく。
…逢いたかった、
心ことんと零れた想いに、ふっと瞳の奥へと熱が昇ってこぼれ落ちた。
涙に温めらる頬を長い指の掌がくるんで、やさしく上向けてくれる。
上向いた周太の瞳に、やさしい切長い目がきれいに微笑んだ。
「逢いたかった。愛してるよ、周太…」
きれいな唇が唇ふれてくれる。
やさしいキスの温もりに、寂しくて拗ねていた心が受けとめられていく。
台所ふる陽だまりと頼もしい腕が、おだやかに心ごと抱きとめて温めくれる。
3つの晩に積まれた嫉妬も羨望も、やさしい温もりにきれいに溶けさった。
…英二、ずっと想ってくれていた…
そっと静かに離れていく唇に、ゆっくり瞳を披いていく。
そして愛されている自信が微笑んで目を覚ます。
「ん、愛して?愛してるから…ね、幸せだよ?」
おだやかな安らぎに心から周太は微笑んだ。
(to be continued)
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第37話 冬麗act.3―another,side story「陽はまた昇る」
見あげる先で英二が困った顔で微笑んでいる。
いま周太が言った「ふとん干したから言うこと聴いて?」に困っている。
そんな英二を愉しげに眺める光一の、底抜けに明るい目が「言うねえ?」と周太に温かく笑んでくれた。
そんな光一の大らかな無償の愛が優しく心に痛む、けれどいま自分はワガママでも正直を通す。
3つの晩と3日の間を厳冬の北岳で2人は過ごした。
そんな余人が踏込めない場所で光一は英二を完全に独り占めしていた。
けれど光一は周太のことを求めてくれている、それなのに周太から英二を連れて行ってしまう。
それは英二自身も望んで選んだ最高峰への道だと解っている、だから尚更に羨ましい。
こんなふうに光一は、心から英二が望む夢の場所に連れて行ける、それが妬ましい。
光一のお蔭で英二の夢が叶えられることが嬉しい、けれど羨ましいのも本音。
だから、この家に帰ってきたときは英二を返してほしい。
すこしでも多く長く、安心して英二と一緒にいられる時間がほしい。
こんな本音が光一を傷つけると解っている、けれど偽ればもっと傷つけるだろう。英二を傷つけたように。
だから今も自分は正直に、一番大切にしたいことをワガママでも言いたい。
光一が今夜は一緒に泊まっていく。
それなのに英二に「一緒に寝てね?」と周太はおねだりをした。
こんなおねだりは真面目で優しい英二をきっと困らせる、それでも周太は正直に伝えたかった。
…こんなのワガママでしょ?でも、言うこと聴いて?愛しているぶんだけ一緒の時間がほしいな?
想い見つめながら言った言葉に、英二はすっかり困っている。
こんなに困っていても英二の笑顔はきれいで、こんな笑顔も周太は好きだった。
きれいな困っている笑顔に見惚れていると、困り顔のままで英二が階段の方へ踵を返した。
…あ、待って、
心につぶやいた時はもう、周太は英二の懐に抱きついていた。
しがみついた懐は、いつもの深い樹木の香と花束に抱えたオールドローズの香があまく温かい。
思いがけない行動に自分で恥ずかしい、けれど心に正直な行動がきちんと出来て嬉しい。
気恥ずかしさに頬までもう熱い、それでも周太は大好きな顔を見あげて微笑んだ。
「おかえりなさい、英二…今日は、ひとりにしないで?」
きれいな切長い目が大きくなって、きれいな首筋が赤くなり始めた。
端正な白皙の貌に大らかな、幸せな笑顔が華やいでいく。
言うこと聴いてくれる?想いと見あげる周太をやさしい腕が抱きしめてくれる。
やさしい眼差しが周太の顔を覗きこんで、きれいな低い声が微笑んだ。
「うん、ひとりにはしないよ、でもね、」
ひとりにはしない、は嬉しい。
でもね、は続く言葉が不安にさせられる。
なんて言うつもりなの?見上げた端正な顔の隣に、不意に雪白い顔が覗きこんだ。
英二の肩越から、底抜けに明るい目が周太に「内緒だよ?」と笑いかけてくれる。
光一は何をするつもり?そう目で問いかけた途端、長い腕が英二の肩をがっちり抱きこんだ。
「周太…っ、くにむら?」
底抜けに明るい目が悪戯っ子に笑っている。
笑った細い目が英二と周太を肩越しに見比べて、透明なテノールの声が愉しげに笑った。
「そうだよ、周太?君のこと、ひとりになんかしないよ。で、ちゃんと俺も混ぜてもらうからね?」
がっしり背中から英二を抑え込みながら「俺のこと忘れないで、一緒にいさせて?」と明るい目が笑ってくれる。
つきん、と心を明るい目の告げる願いが刺して痛い。この願いの底にある真実の願いを、自分は本当は知っているから。
それでも光一は愉快に笑って、今夜も愉しく一緒にいようと誘ってくれる。
いまなんて答えたらいい?微笑んで正直に周太は拗ねた口調で訴えた。
「…そんなのダメ、光一、俺のことあいしてるんでしょ?だったらいうこときいて?英二は俺のなの、放して、」
光一のこと自分も大好き。
けれど英二のことは誰にも譲りたくない、とくに今日はもう光一には譲らない。
だって3つの晩を誰にも邪魔されない場所で、英二を独り占めしたんでしょう?だから放してほしい。
そんな想いで見上げた先で、きれいな細い目は愉しげに笑って周太に宣戦布告した。
「嫌だね。俺もさ、君に負けない程、あまえんぼでワガママなんだよ。悪いけどね、宮田は俺のでもあるんだ、」
「それは、アンザイレンパートナーかもしれないけど…」
生涯のアンザイレンパートナーは人生の宝物、そう父も教えてくれた。
だから光一と英二が、どんなに尊く大切な存在同士なのか周太も解かっている。
しかもいま英二と並んでいる光一の笑顔は、やっぱり英二の笑顔と似合いに美しくて見惚れてしまう。
この並んだ美しい姿に一瞬だけ退きさがりそうになった、けれど周太は真直ぐ見返して口を開いた。
「でも、俺に全部くれるって、英二は言ったんだから。放してよ、」
英二から周太に言ってくれた。
俺の全ては周太のもの、自分はもう周太の恋の奴隷だから好きにして?
そんなふうに言ってくれたから、自分は退かない。みっともなくても放さない。
絶対に退かないんだから?そんな想いと見つめた光一の目が、愉しげに温かに笑んだ。
「ダメだね、周太。こいつはね、俺のアンザイレンパートナーだって警視庁も認めたんだ」
俺だって退かないよ?
愉しげに細い目が周太に笑いかけてくる。
愉快で仕方ない、そんな顔で英二の顔の隣からテノールの声が権利を主張した。
「それってね、一生ずっと俺のパートナーで、かつ俺のブレインになるってコトなんだよね。だから俺の好きにさせてもらうよ?」
確かに君のこと愛してるよ?でも俺はこいつも大好きだから放さない。
そんな正直な想いのまま光一は、がっしりと英二を背中から抱きしめて放さない。
この正直な光一の姿を見ていると、自分も正直にワガママ言っても良いんだと肯定できてしまう。
俺もワガママして正直やるよ?だから君も正直にワガママいっぱい言おうよ?
そんな「正直でいること」への全面的な肯定が、光一の態度から温かい。
…3人でいる時も、ワガママがんばって、正直でいよう
すとんと肚が決って、なんだか楽な気持ちに周太はなった。
こんなふうに光一も楽な気持ちでいるのかな?
そう見上げた先で英二が可笑しそうに笑った。
「ちょっと、国村?確かに言う通りだけどさ、好きにして良いってことは無いだろ?」
「そんな固いコト言うんじゃないよ。ね、み・や・た?可愛いパートナーの俺の言うこと聴いて?…お願い、独りにしないで?」
言いながら光一が英二の首筋に白い指でふれた。
その白い指でふれた白皙の肌に、周太の瞳が大きくなった。
…なんで赤くなってるの?
光一の指が示す肌には、きれいな赤い花の模様がうかんでいる。
この赤い花に周太は見覚えがある、この記憶の花と同じ意味の花なのだろうか。
赤い花の記憶に白皙の首筋を見つめていると、大好きな声が困ったトーンで周太に訴えかけた。
「周太、俺、国村の悪戯の罠に嵌められたんだ、」
英二は「国村の悪戯の罠」だと言った、その言葉が意味するものは?
光一は悪戯が大好き、その悪戯が首筋にうかぶ赤い花だとしたら何の意味?
この赤い花は英二と眠った翌朝に、自分の体で見つけるあの痕とそっくり。
ようするにそういうこと?
気づいた「悪戯の罠」に周太の声は一段トーンが低くなってしまった。
「…どんないたずら?そのきすまーくのこと?…たのしかったわけ?」
恋の奴隷のくせに、無断で他のキスマークつけてきたの?
困っているみたいだけど、本当は楽しんじゃったんじゃないの?
わがままに正直に見つめる先の英二の顔が、心から困窮して周太を見つめた。
「寝てる間に勝手につけられたんだ、だから楽しいとか無いよ、」
「ねてるあいだに?…そんなしきんきょりでねていたってわけ?よくいみがわからないんだけど?」
こんなふうに自分が英二を尋問するなんて?
しかも英二はこの自分の尋問に困り果てて、大きな体を小さくしている。
こんなに英二は綺麗で大きな体をしている、高峰を踏破できる才能も大人の男の魅力も備えている。
それなのに周太の子供っぽい尋問に「お手上げです」と赦してほしいと笑いかけてくれる。
ほんとうに困り果てた笑顔で周太に「お願いだから機嫌を直して?」と困ってくれる。
…そんなに困ってくれるほど、俺のこと、すき?
困った笑顔に示される想いが嬉しくて、素直に周太は英二に笑いかけた。
そんな周太に嬉しそうに笑いかけて、きれいな笑顔で英二が口を開きかけてくれる。
なんて英二は言ってくれる?嬉しく見上げた肩越しからテノールの声が笑った。
「ソンナ至近距離だよ、周太?あまえんぼの俺はね、シッカリくっついて寝ていたんだよ。
で、おしゃぶりが欲しい俺の口元にさ、そりゃあ美しい白皙のうなじがあったってワケ。だから遠慮なく吸わせてもらったけど?」
言われた途端に額まで熱が一気に昇った。
いま愉しげに笑っている光一の花紅の唇が、きれいな英二の白皙の肌に吸いついて?
この連想からうかんだ光景を、きれいだと心で見惚れて恥ずかしい。
…こんなそうぞうするなんて、じぶんはえっちだ
こんな自覚が余計に恥ずかしくて顔が熱くなってしまう。
けれど自分は正直に自分の権利を主張したい、真直ぐ光一を見て周太は抗議の声をあげた。
「…っ、光一のばか、そんなことかってにしないで?俺のなんだから…かえしてよ、」
「ふうん、返してほしいんだね、周太?」
ちゃんと正直に言い返せたね?
そんなふうに底抜けに明るい目が笑いかけてくれた。
光一らしい遣り方で、周太を正直にさせようと気遣ってくれている。
気遣いへの感謝に笑いかけた周太に、ふっと細い目がいつにない表情に微笑んだ。
「じゃあさ、キスで返してあげるよ。君のどこに返せばイイ?うなじ?それとも唇?」
なんていってるの?
空白の瞬間にひとつ瞬いて、周太はまた真赤になった。
言われた言葉に途惑って、それ以上に光一の表情に途惑ってしまう。
途惑いのまま周太は口を開いた。
「ちがうったら…もう、からかわないでよ?」
「遠慮は要らないよ、ほら、」
不意に廻り込んだ光一の腕が周太に伸ばされた。
掴もうと伸ばされる腕を身軽に避けると、周太は英二の背後に回り込んだ。
「やめて光一?そんなことするなら泊めてあげない…」
言いながら光一を見あげて周太は一瞬だけ息を呑んだ。
いつも底抜けに明るい目が、いつもと違う。
…どうして、そんな目で見つめるの?
途惑いが心にこぼれていく。
けれど周太は真直ぐ光一の目に笑いかけた。
「言うこと聴いて?」
周太の言葉に、細い目はまた愉しげに笑ってくれた。
そして愉しげに明るいテノールの声が、いつものように周太を転がし始めた。
「残念。今日は俺、おふくろさんのお客だからさ。周太にそんな権限ないよね?ま、どうしてもって言うなら、宮田も連れて帰るけど?」
言われる通り、自分にその権限はない。
いつもながら光一の怜悧な論理に反論が出来ない、それに「連れて帰る」が余計に悔しい。
そんなふうに「連れて帰る」って言えるのなら、この家に帰ってきた今は英二を独り占めさせて?
そう言いたいけれど時おり見せる光一の目に言えなくて、周太は短い質問だけをした。
「どうして英二も連れて帰るの?」
「だってさ、明日の朝もし雪だと電車NGになるだろ?それで宮田の出勤が出来ないと、そりゃ困るからねえ。ね、み・や・た?」
愉しそうに光一が英二の顔を覗きこんだ。
さっきから切長い目は困ったように周太と光一を眺めてくれている。
困った顔のままで英二は少しため息つくと、周太に微笑んでくれた。
「あのさ、俺、周太のコーヒー飲みたいな?オレンジのケーキも買ってきたんだけど、」
抱えていた白いきれいな箱を、英二は周太に手渡してくれる。
渡された大きな箱からは、ふわりオレンジと蜂蜜の甘い香がやさしい。
また英二は自分が好きなものを見つけてきてくれた、この気遣いが嬉しい。
それに「周太のコーヒー」と言ってくれた、これは生涯ずっと守る約束のひとつでいる。
英二がくれる気遣いと温かい約束の想いが幸せで、周太は素直に頷いた。
「ん、お茶にするね?コーヒー淹れるから…部屋、いつもみたいに自由に使ってね?ハンガーとか出してあるから」
温かい幸せと一緒にケーキの箱を抱えて、周太はダイニングへと踵を返した。
ぱたんとダイニングの扉を閉めて、ケーキの箱をサイドテーブルに置いたとき花の影が目にふれた。
ダイニングの窓からは、白梅の花枝が可憐な姿で覗きこんでいる。
やさしい花の姿に心ほどけて、ほっとため息が零れた。
「…なんだか、緊張してた、かな?」
英二の気遣いが嬉しくて「愛されている」自信と安心が幸せだった。
けれど光一の目の表情が気になった、どこか緊張してしまう。
そんな2つの対照的な想いがため息になってこぼれた。
…どこか光一は様子が違う?
哀しそう、だった?
嬉しそうだったろうか?
優しいようにも鋭いようにも見えていた?
その違いは目の表情だけで一瞬だった、だから見間違えかもしれない
なにか、よく解らない。それに英二は特に気がついてはいないようだった。
たんなる自分の思い違いだろうか?
「…ん、気の所為かな?」
つぶやいた向こう、窓のぞく白梅が可愛らしくて心がほぐれる。
寛いでくる心の余裕が、すこし自分に距離を置いて見つめさせてくれる。
きっと光一の想いを意識しすぎた自分の考えすぎかもしれない、すぐ考えこむ癖が自分はあるから。
きっといまは、考えてこんでいるより手を動かした方が良い。
「そう、今はね、コーヒー、」
大切な英二との約束に周太は幸せと微笑んだ。
台所の隅から踏台を持ってくると周太は戸棚からサイフォンとハンドミルを出した。
昔から家にあるけれど実家を出てからは忙しくて、なかなか使えないまま仕舞いこんである。
けれど今日は時間があるし、母の客として来た光一にお持成しもしたい。
たぶん光一と英二は2階で一息いれて、書斎の父に挨拶してから降りてくるだろう。
その間ゆっくりとコーヒーを淹れて、のんびりと落ち着いた時間を過ごしたい。
そう思って今日はコーヒー豆も買ってきた。
「…3人分だと、このくらいかな?」
ハンドミルに豆を入れると、丁寧に周太は挽きはじめた。
コーヒー豆の挽かれる音と香がゆっくり昇りだす。
かりり、がり…
のんびりとした豆の音が心地いい。
ふりそそぐ陽だまりに、窓からのぞく早春の花たちが心和ませる。
「白梅、水仙、雪割草に…桜草も、咲いてる?…蝋梅と、冬ばら…クリスマスローズ」
豆を挽く音を聴きながら、見える花の名前をひとつずつ周太はあげていく。
いま2月で真冬の寒さ、けれどこの庭には季節の花が咲いてくれる。
さっき南正面の庭に出た時は、もっと春らしい花が咲きだしていた。
ミモザの木には花芽がたくさんついていた、きっと今年も黄色の花が可愛いだろう。
「…あ、ミモザ、」
ふと思った花の名前に首筋が熱くなりだした。
この花の名前と同じ酒がもつ意味と、まつわる哀しみと幸せの記憶が熱になる。
この記憶の哀しみを早く拭ってしまいたい、それにはどうしたら良いだろう?
「…英二と一緒にね、飲んでもらう?でも…こんかいはむりだよね?」
さすがに光一も母もいる時では恥ずかしい。
また次回のときに英二に「おねだり」するしかないね?
そんなことを考えているうちに豆は、きれいな粉になっていた。
これを洗って準備しておいたサイフォンに水とセットしていく。
そしてアルコールランプに火を点けると、あとは待つだけになる。
ことん、ことと…
水がコーヒーへと充ちていく、やさしい音が温かい。
アルコールランプの火色がやわらかに揺れるごと、ゆるやかな芳ばしい香が昇りだす。
やさしい水音、温かいオレンジの火色、深い甘さの芳香。
そんな穏かな時間が陽だまりの台所に充たされる。
「…ん、いい香り、」
こうした昔ながらの淹れ方は手間が確かにかかる。
けれど、その手間が醸す穏やかな時間が周太は好きだった。
なにより、サイフォンで淹れると格段に香がいいし、まろやかな風味に美味しくなる。
明日の朝食でも淹れて母も喜ばせてあげたいな?そんなことを考えながら周太は食器棚の扉を開いた。
今日は光一が母の客として来てくれている。
だから今日は、もてなし用のコーヒーカップと皿のセットを出した。
きれいな青い模様の入った白い陶器は、ずっと大切に使われてきている。
この家を建てた曾祖父が揃えたものだと聴いている、けれど今も真白に綺麗だった。
この無垢で温かみある白に、家の皆が代々大切にしてきた想いがふれてくる。
こんなふうに家具や食器にふれるとき、亡き人たちが懐かしく慕わしい。
どのひとも周太は父以外には会ったことが無い。
アルバムすら無いから顔も解からない、過去帳にある名前しか知らない。
けれどこの古い家に遺されている「大切にしてきた想い」はよく知っている。
この繋がれてきた想いが愛しい、そして親族の顔すら知らない寂しさを慰めてくれる。
こんなふうに家を、家具や食器を大切にしてきた優しい人達が自分と繋がっていることが嬉しい。
「ん、…寂しいけれど、幸せだね?」
青い模様のセットを洗いあげながら、幸せに周太は微笑んだ。
サイフォンの水音が止んだ時、ダイニングの扉が開いた。
ふわりオールドローズの華やかな香と一緒に英二と光一が入ってくる。
きれいな切長い目が周太に笑いかけて、薄紅いろのブーケを示して訊いてくれた。
「ね、周太?今回の花束はどうかな、お母さん喜んでくれるかな?」
「ん、きっと喜ぶ。オールドローズは好きだから…でも、この季節によくあったね?」
ブーケを抱える英二の腕にそっとふれながら、周太は花の香に頬寄せた。
あまやかなオールドローズの香がやさしい。それ以上に、ふれた英二の腕の温もりが周太には優しかった。
やさしい笑顔が周太に笑いかけてくれながら、きれいな低い声が花のことを話しだした。
「うん、国村がね、ばら園に連れて行ってくれたんだ。そこで花束を作って貰ったんだよ」
「そうなんだ?…ばら園、すてきだね?」
答えながら周太は光一を見あげた。
見あげた先で底抜けに明るい目が嬉しそうに笑って、透明なテノールが微笑んだ。
「ばら園っていってもね、花卉農家の栽培用温室なんだ。ウチの親戚でさ、寄ると土産に花をくれるんだ」
「花の農家なの?…素敵だね、」
オールドローズが咲く温室はどんなだろう?
いま英二が抱える花々の蕾ほころんだ姿に、見たことの無い光景を見つめて周太は微笑んだ。
一緒に花をのぞきこんだ明るい細い目が周太に笑いかけると、愉しそうにテノールの声が提案してくれた。
「こんど連れて行ってあげる。だからさ、また俺とデートしてよね?」
デート、なんて言われると緊張してしまう。
すこし首筋が熱くなるのを感じながら英二を見あげると、大らかな優しい笑顔が周太に笑ってくれた。
「よかったね、周太。すごく佳い香だったから、連れて行ってもらうと良いよ?きっと、周太も好きだと思う」
「そう?…じゃあ、こんど連れて行って、」
英二の言葉に素直に頷いて、光一を周太は見た。
嬉しそうに頷いてくれる光一の胸元に、初めて周太は気がついて目が留められた。
「光一、その寄植、きれいだね?…奥多摩の花?」
きれいな水仙と野すみれ、雪割草。
ほかに何種類かの山野草を大きめの水盤に造った苔玉に寄せてある。
盆栽のように巧みに作られた寄植は見事で、玄人が作ったような雰囲気だった。
すごいなと見惚れていると、愉しそうにテノールの声が教えてくれた。
「そうだよ、俺んちの山から掘ってきたんだ。
宮田、いつも花束を持っていくって聴いてるからさ?俺は寄植にしたんだ。これなら車に置いといても平気だったしね」
「光一、自分でこれを作ったの?…すごいね、」
巧みな技に驚いて周太は素直に褒めた。
美しい鉢植から、やさしく清々しい水仙の香が瑞々しい。
きれいだなと微笑んだ周太に、底抜けに明るい目が珍しく照れたように笑いかけた。
「まあね。高校で、こういうのも教わったしね。それにさ、花束は宮田が似合いすぎだろ?
こいつの隣で花束を贈っても、見劣りしちゃうしさ。こういうほうが喜んで貰えるかな、ってね。これ、どこに置いていいかな?」
「素敵だよ?母も喜ぶと思う…置くの、リビングの暖炉の上とか、どうかな?」
あの場所だったら、廊下からリビングに入ってすぐ気がつくだろう。
そうしたら母もすぐに見て、きっと喜んでくれるだろうな?
こんなふうに考えながら周太は英二を見あげると、きれいな低い声が笑ってくれた。
「うん、良いと思うよ?周太、お茶のしたく手伝おうか?」
やさしい気遣いが嬉しくさせてくれる。
ほんとうは一緒に仕度をしたら嬉しいだろう、でも光一をひとり放っておくのは悪い。
ほんとうは光一だって忙しいだろうに寄植を母の為に作ってきてくれた、この優しい気遣いに自分も応えたい。
そのほうが英二もきっと喜んでくれるだろう、ちいさく頭を振って周太は微笑んだ。
「ありがとう、英二。でも、疲れてるでしょ?光一と、リビングで寛いでいて?…応接セットのほうに、お茶を出すね、」
周太の言葉に、やさしい綺麗な笑顔が咲いてくれる。
切長い目が見つめて、きれいな低い声が幸せそうに笑いかけてくれた。
「気遣わせちゃったね、周太?でも、ありがとう。甘えさせて貰うよ、」
うれしそうな笑顔が幸せで周太は微笑んだ。
ふたりがリビングへ入って行くのを見送って、周太はケーキの箱を開いた。
ふわりオレンジと蜂蜜のあまい香がやさしく頬撫でる、生のオレンジも使ってあるのが好みで嬉しい。
きっと、周太の好みに合うようなケーキを探してきてくれた。うれしくて周太は微笑んだ。
「…気遣ってくれたのはね、英二の方だよ、ね?」
こんなふうに気遣ってくれた英二の想いに、すこしでも応えたいな?
うれしくケーキを見ながら周太は、ケーキをカットし始めた。
用意しておいた藍模様の皿に取り分け終えたとき、ふっと馴染んだ気配に周太は振り向いた。
「周太、ケーキ運ぶよ?」
大好きな低い声がすぐ隣で笑ってくれる。
さっき遠慮したのに、頃合を見計らって英二は来てくれた。
ほら、やっぱり気遣ってくれるのは英二の方。
こんな優しさが嬉しくて周太は微笑んだ。
「ん、…ひとりにしないでくれて、ありがとう、」
ここならリビングから見えないはず?
うれしい気持ちに正直になって周太は長身の懐に抱きついた。
おだやかな樹木の深い香が、温かな鼓動と一緒にやさしく頬ふれる。
大好きな香と温もりに、3つの晩の寂しい想いがほどけて温められていく。
…逢いたかった、
心ことんと零れた想いに、ふっと瞳の奥へと熱が昇ってこぼれ落ちた。
涙に温めらる頬を長い指の掌がくるんで、やさしく上向けてくれる。
上向いた周太の瞳に、やさしい切長い目がきれいに微笑んだ。
「逢いたかった。愛してるよ、周太…」
きれいな唇が唇ふれてくれる。
やさしいキスの温もりに、寂しくて拗ねていた心が受けとめられていく。
台所ふる陽だまりと頼もしい腕が、おだやかに心ごと抱きとめて温めくれる。
3つの晩に積まれた嫉妬も羨望も、やさしい温もりにきれいに溶けさった。
…英二、ずっと想ってくれていた…
そっと静かに離れていく唇に、ゆっくり瞳を披いていく。
そして愛されている自信が微笑んで目を覚ます。
「ん、愛して?愛してるから…ね、幸せだよ?」
おだやかな安らぎに心から周太は微笑んだ。
(to be continued)
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