Nor all that is at enmity with joy, 怨みも喜びも
第75話 懐古act.4-another,side story「陽はまた昇る」
事情聴取なんて初めてされた。
警察学校の模擬ではされている、けれど現実に当事者となった。
その途惑いがスーツの肩から重たい、今この感覚どこか非現実に遠い。
今この座りこんだシートの車窓も遠くて通勤路だと見えないほどに遠ざかる。
それでも今日、あの場所であの瞬間に見つめた全てはただ現実だった。
-あのひとは拳銃で、
拳銃で彼自身を撃った、彼は。
銃声を自分は聞いた、そして白い制服姿は赤く斃れた。
それでも彼は生きている、その想い解らなくても生きていることがただ嬉しい。
あのまま死んだら何ひとつ救われない、けれど生きていたなら可能性がある、そんな願いに呼び掛けられた。
「湯原、降りるぞ、」
低く透る声に振り向いた隣、その向こう扉が開く。
薄暗い車内スーツの腕そっと掴まれてアスファルトへ降り、街燈に照らされる。
もう黒い空は夜、摩天楼の燈あざやかな時刻に急かされるよう周太は財布を出し尋ねた。
「あの、伊達さんタクシー代は」
「そんなことより食欲はあるか?」
遮って尋ねてくれる言葉に気遣いが温かい。
街燈に見つめてくれる眼差しも心配が篤くて周太は微笑んだ。
「あまり無いです、でも何かお腹に入れるようにします。お気遣いありがとうございます、あの、タクシー代を?」
たぶん今夜は食べられない、それでも喘息の薬を飲むために食事は要る。
そんな事情を隠しこんだまま今の料金を尋ねて、けれど鋭利な瞳は微笑んだ。
「タクシーは俺が楽をしたかっただけだ、街中を負ぶって歩くのカッコ悪いだろ?」
負ぶって、って誰を?
「あの…おぶってあるくって?」
誰が誰を負ぶって歩くと言うのだろう?
こんな台詞に途惑って見つめた真中で伊達は笑った。
「決ってるだろ?ほら、」
笑って伊達は鞄を押しつけてくる。
受けとれと言う意味だろう、そんな解釈に自分の鞄と二つ抱えるとスーツの背中に載せられた。
「え、」
声こぼれて視界ぐんと持上る。
ふわり、鞄2つごと背負われて精悍な瞳ふりむいた。
「今夜は付添う、湯原の部屋でいいか?」
「え…?」
提案に声呑みこんで止まってしまう。
いま何を言われたのだろう、いま自分は誰に背負われている?
そんな2つ途惑って鞄抱きしめたスーツの背に沈着な声が笑った。
「ちゃんと腕を前に回せ、ひっくり返るぞ?鞄は俺と湯原の間に挟め、」
「あ、」
言われたまま鞄2つ胸に抱えて腕を肩から前に組む。
その姿勢を確かめて伊達は歩きだし、そっと笑った。
「俺の弟も喘息を持ってるんだ、疲れが溜まると発作を起こす。そんな時は歩くだけでも負担らしい、」
弟も、
この「も」は誰と同じという意味か、そんなこと訊かなくても解かる。
あのとき伊達の前で自分は咳きこんだ、あの咳に晒してしまった秘密に問いかけた。
「伊達さん、あの…いつから気づいて?」
「さっきだ、」
街燈の光あわい道、前向いたまま答えられて少し安堵できる。
今までは隠し通せていた、それなら周囲にはばれていないだろう。
けれど今もう伊達には知られてしまった、この第一証人へと周太は微笑んだ。
「僕は…除隊ですか?」
この想定は医務室で目覚めた時から繰り返す。
だから少しだけ出来た覚悟に右手そっと腕時計ふれた。
―もう終わるかもしれない、そうしたら英二も止めてくれるかな…お父さんのこと、
いま英二は父の真相を追っている、それも自分より速く。
いま自分が掴んでいる以上に英二は知って、それは危険を冒している証しでもある。
だからもう止めてほしい、そんな願いには除隊も喜べるまま微笑んだ背中、沈着な声は言った。
「普通ならそうだ、でも解らん、」
普通なら、
そんな言葉に鼓動そっと絞められる。
こんな言葉を自分に言った、それは普通じゃないと思われている。
それなら伊達は何を知って何を考え、この2ヶ月近く自分と居るのだろう?
「伊達さん、それは、僕は普通じゃないってことですか?」
訊いてしまって迂闊だとすぐ気づく。
こんなストレートな訊き方は本音を言って貰えない、それなのに伊達は頷いた。
「俺はそう思う、」
正直に応えてくれる?
こんな質問に応えてくれた、その声は沈着なまま澄んでいる。
きっと偽りなどしない相手、そう想いたくなるまま問い重ねた。
「どうしてそう思うんですか?」
「適性だな、」
さらり即答された言葉に声から澱み無い。
もう確信している、そんなトーンは落着いて真直ぐで信じたい。
―あの人の関係者じゃないって思っていいのかな、だって…僕を本当に気遣ってくれてる、みたいで、
負ぶわれて歩く街燈の道、照らす灯りに伊達の髪が頬ふれる。
ふれる微かな匂いは深い、どこか森を想わすような渋味の香は遠く懐かしい。
この香より苦くて甘い気配を自分は知っている、その俤と今負われる背中の時間すこしだけ重なる。
初めて英二に背負われた、あの夏の記憶から今は遠くて、けれど忘れられないまま今に響く。
『必ず迎えに行くから、そこで待ってろ!』
あのとき言ってくれた言葉は今もあざやかに鼓動を響かす。
警察学校の山岳訓練で自分は滑落した、あの崖に遮られても英二は迎えに来てくれた。
それが英二の初めての登山で遭難救助だった、クライミング技術など皆無だった、それでも自分を救ってくれた。
『山の警察官っているのかな、』
そんな質問してくれた背中は温かくて父と似ていた、そしてあの背中は山の警察官になった。
卒業配置から青梅署山岳救助隊に配属されて人命救助に奥多摩を駈けた、そんな背中は逢うごと広やかに眩しかった。
そのまま警視庁山岳レスキューのエースとパートナー組んで幹部候補と認められている、その明るい大道だけを歩いてほしい。
だからお願い、自分と父のことに巻きこまれようとしないで?
―自由に山で笑っていてほしいんだ、英二、お父さんの復讐なんてしないで、もう止めて、
もう止めて?
そう言いたくて9月の終わりの再会にも願った。
けれど英二は約束に頷かず笑っていた、あの瞳は復讐を諦める心算など無い。
だから考え始めてしまった、英二はどちらを先に知り先に想って今を始めたのか知りたい。
自分との幸福な約束、父の死に対する復讐、英二はどちらを先に願ったのだろう?
―どちらが目的だとしても英二は止める気なんて無いんだ…止めてほしいのに、でも英二は、
止めても聴かない、そう解かってしまった。
だから毎日ずっと連絡しようと決めた、メールで電話で少しでも軛になれたらと願っている。
いつも連絡がくると知れば英二も少しは自重するはず、そんな期待に昨夜も聴いた予定を思い出す。
―今日は御岳に帰るって言ってたね、秀介と御岳の山に登って吉村先生の家に…あ、
無事を祈るまま今日の予定を辿って、ひとつ気が付かされる。
今夜は吉村医師の家に泊まると言っていた、それなら英二も知るのだろうか?
―英二も環くんと会うんだ、今日、
環のことを英二はどんなふうに見つめて何を想うだろう?
少年の真実を英二は告げられるだろうか、それとも表向きの事情だけ知るのだろうか?
その選択を吉村医師も雅人も今日ひとつ決めたろう、そこにある想いごと負ぶわれる背に呼ばれた。
「湯原、何階だ?」
「あ、」
訊かれて戻された意識にエレベーターが映りこむ。
いつのまにか単身寮のエントランスに居る、驚きながら言ってみた。
「あの、付添いなら大丈夫です、僕ひとりでも、」
「俺が気になる、何号室だ?」
即答と振り向いた瞳は澱みない。
もう決めている、そんな視線の強靭に周太は腕伸ばしエレベーターボタン押した。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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第75話 懐古act.4-another,side story「陽はまた昇る」
事情聴取なんて初めてされた。
警察学校の模擬ではされている、けれど現実に当事者となった。
その途惑いがスーツの肩から重たい、今この感覚どこか非現実に遠い。
今この座りこんだシートの車窓も遠くて通勤路だと見えないほどに遠ざかる。
それでも今日、あの場所であの瞬間に見つめた全てはただ現実だった。
-あのひとは拳銃で、
拳銃で彼自身を撃った、彼は。
銃声を自分は聞いた、そして白い制服姿は赤く斃れた。
それでも彼は生きている、その想い解らなくても生きていることがただ嬉しい。
あのまま死んだら何ひとつ救われない、けれど生きていたなら可能性がある、そんな願いに呼び掛けられた。
「湯原、降りるぞ、」
低く透る声に振り向いた隣、その向こう扉が開く。
薄暗い車内スーツの腕そっと掴まれてアスファルトへ降り、街燈に照らされる。
もう黒い空は夜、摩天楼の燈あざやかな時刻に急かされるよう周太は財布を出し尋ねた。
「あの、伊達さんタクシー代は」
「そんなことより食欲はあるか?」
遮って尋ねてくれる言葉に気遣いが温かい。
街燈に見つめてくれる眼差しも心配が篤くて周太は微笑んだ。
「あまり無いです、でも何かお腹に入れるようにします。お気遣いありがとうございます、あの、タクシー代を?」
たぶん今夜は食べられない、それでも喘息の薬を飲むために食事は要る。
そんな事情を隠しこんだまま今の料金を尋ねて、けれど鋭利な瞳は微笑んだ。
「タクシーは俺が楽をしたかっただけだ、街中を負ぶって歩くのカッコ悪いだろ?」
負ぶって、って誰を?
「あの…おぶってあるくって?」
誰が誰を負ぶって歩くと言うのだろう?
こんな台詞に途惑って見つめた真中で伊達は笑った。
「決ってるだろ?ほら、」
笑って伊達は鞄を押しつけてくる。
受けとれと言う意味だろう、そんな解釈に自分の鞄と二つ抱えるとスーツの背中に載せられた。
「え、」
声こぼれて視界ぐんと持上る。
ふわり、鞄2つごと背負われて精悍な瞳ふりむいた。
「今夜は付添う、湯原の部屋でいいか?」
「え…?」
提案に声呑みこんで止まってしまう。
いま何を言われたのだろう、いま自分は誰に背負われている?
そんな2つ途惑って鞄抱きしめたスーツの背に沈着な声が笑った。
「ちゃんと腕を前に回せ、ひっくり返るぞ?鞄は俺と湯原の間に挟め、」
「あ、」
言われたまま鞄2つ胸に抱えて腕を肩から前に組む。
その姿勢を確かめて伊達は歩きだし、そっと笑った。
「俺の弟も喘息を持ってるんだ、疲れが溜まると発作を起こす。そんな時は歩くだけでも負担らしい、」
弟も、
この「も」は誰と同じという意味か、そんなこと訊かなくても解かる。
あのとき伊達の前で自分は咳きこんだ、あの咳に晒してしまった秘密に問いかけた。
「伊達さん、あの…いつから気づいて?」
「さっきだ、」
街燈の光あわい道、前向いたまま答えられて少し安堵できる。
今までは隠し通せていた、それなら周囲にはばれていないだろう。
けれど今もう伊達には知られてしまった、この第一証人へと周太は微笑んだ。
「僕は…除隊ですか?」
この想定は医務室で目覚めた時から繰り返す。
だから少しだけ出来た覚悟に右手そっと腕時計ふれた。
―もう終わるかもしれない、そうしたら英二も止めてくれるかな…お父さんのこと、
いま英二は父の真相を追っている、それも自分より速く。
いま自分が掴んでいる以上に英二は知って、それは危険を冒している証しでもある。
だからもう止めてほしい、そんな願いには除隊も喜べるまま微笑んだ背中、沈着な声は言った。
「普通ならそうだ、でも解らん、」
普通なら、
そんな言葉に鼓動そっと絞められる。
こんな言葉を自分に言った、それは普通じゃないと思われている。
それなら伊達は何を知って何を考え、この2ヶ月近く自分と居るのだろう?
「伊達さん、それは、僕は普通じゃないってことですか?」
訊いてしまって迂闊だとすぐ気づく。
こんなストレートな訊き方は本音を言って貰えない、それなのに伊達は頷いた。
「俺はそう思う、」
正直に応えてくれる?
こんな質問に応えてくれた、その声は沈着なまま澄んでいる。
きっと偽りなどしない相手、そう想いたくなるまま問い重ねた。
「どうしてそう思うんですか?」
「適性だな、」
さらり即答された言葉に声から澱み無い。
もう確信している、そんなトーンは落着いて真直ぐで信じたい。
―あの人の関係者じゃないって思っていいのかな、だって…僕を本当に気遣ってくれてる、みたいで、
負ぶわれて歩く街燈の道、照らす灯りに伊達の髪が頬ふれる。
ふれる微かな匂いは深い、どこか森を想わすような渋味の香は遠く懐かしい。
この香より苦くて甘い気配を自分は知っている、その俤と今負われる背中の時間すこしだけ重なる。
初めて英二に背負われた、あの夏の記憶から今は遠くて、けれど忘れられないまま今に響く。
『必ず迎えに行くから、そこで待ってろ!』
あのとき言ってくれた言葉は今もあざやかに鼓動を響かす。
警察学校の山岳訓練で自分は滑落した、あの崖に遮られても英二は迎えに来てくれた。
それが英二の初めての登山で遭難救助だった、クライミング技術など皆無だった、それでも自分を救ってくれた。
『山の警察官っているのかな、』
そんな質問してくれた背中は温かくて父と似ていた、そしてあの背中は山の警察官になった。
卒業配置から青梅署山岳救助隊に配属されて人命救助に奥多摩を駈けた、そんな背中は逢うごと広やかに眩しかった。
そのまま警視庁山岳レスキューのエースとパートナー組んで幹部候補と認められている、その明るい大道だけを歩いてほしい。
だからお願い、自分と父のことに巻きこまれようとしないで?
―自由に山で笑っていてほしいんだ、英二、お父さんの復讐なんてしないで、もう止めて、
もう止めて?
そう言いたくて9月の終わりの再会にも願った。
けれど英二は約束に頷かず笑っていた、あの瞳は復讐を諦める心算など無い。
だから考え始めてしまった、英二はどちらを先に知り先に想って今を始めたのか知りたい。
自分との幸福な約束、父の死に対する復讐、英二はどちらを先に願ったのだろう?
―どちらが目的だとしても英二は止める気なんて無いんだ…止めてほしいのに、でも英二は、
止めても聴かない、そう解かってしまった。
だから毎日ずっと連絡しようと決めた、メールで電話で少しでも軛になれたらと願っている。
いつも連絡がくると知れば英二も少しは自重するはず、そんな期待に昨夜も聴いた予定を思い出す。
―今日は御岳に帰るって言ってたね、秀介と御岳の山に登って吉村先生の家に…あ、
無事を祈るまま今日の予定を辿って、ひとつ気が付かされる。
今夜は吉村医師の家に泊まると言っていた、それなら英二も知るのだろうか?
―英二も環くんと会うんだ、今日、
環のことを英二はどんなふうに見つめて何を想うだろう?
少年の真実を英二は告げられるだろうか、それとも表向きの事情だけ知るのだろうか?
その選択を吉村医師も雅人も今日ひとつ決めたろう、そこにある想いごと負ぶわれる背に呼ばれた。
「湯原、何階だ?」
「あ、」
訊かれて戻された意識にエレベーターが映りこむ。
いつのまにか単身寮のエントランスに居る、驚きながら言ってみた。
「あの、付添いなら大丈夫です、僕ひとりでも、」
「俺が気になる、何号室だ?」
即答と振り向いた瞳は澱みない。
もう決めている、そんな視線の強靭に周太は腕伸ばしエレベーターボタン押した。
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【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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