A 5 ou 6 heures du soir
第86話 建巳 act.8 another,side story「陽はまた昇る」
桜の窓かすかに甘い、ほろ苦い。
午後、陽だまり明るい僕の部屋。
「は…」
息ついて、肩の力そっと消える。
脱いだスーツかすかな風ゆらす、カーテン揺らせて春が匂う。
もう3月が終わる、そうして酣になる春の窓辺、周太は微笑んだ。
「春だね…」
カーテンゆらす窓、ガラスひらいて桜ほころぶ。
紅い葉やわらかな山桜、この桜を父は愛していた。
『紅い葉と白い花が清々しいだろ?山だともっときれいで…春の山はきれいなんだ、』
幼い日、口ずさむような幸せな声。
想うだけで幸せだと瞳は微笑んでいた、あの眼差しが愛した場所に自分も行く。
「山はひとりだと僕には難しいけど…ね、お父さん?」
山桜に微笑んで、窓かちり錠を閉じる。
戸締りは気をつけなくてはいけない、今日終わる3月その後も。
―退職しても終わるかなんて、わからないんだ…
観碕征治、元警察官僚だった男。
そして祖父の知人だった、でも「知人」だけじゃない。
そのために父は警察官にならされて、自分も今日まで同じ道、そして五十年を続いてしまった連鎖の行方は?
『 La chronique de la maison 』
フランス文学者だった祖父が、ただ一篇だけ遺した小説。
パリ郊外の閑静な邸宅に響いた2発の銃声、隠匿される罪と真相、生まれていく嘘と涙と束縛のリンク。
そんな小説のなか「亡霊」はたしかに現れて「幻覚」は起きる、その全てが現実の事実だとしたら?
「…探しものを、君に」
声こぼれて記憶なぞる、祖父が贈った言葉の記憶。
父と大叔母と、二人に贈った本それぞれに詞書は記されていた。
“Je te donne la recherche” 探し物を君に贈る
“Pour une infraction et punition, expiation” 罪と罰、贖罪の為に。
父に贈られた言葉ふたつ、棘のよう記憶に痛む。
それから大叔母に贈った言葉、ただ一言。
“Confession”告解
祖父は、妻の従妹に一言を贈った。
あの言葉が示すのは?
「…、」
ため息そっと窓を閉じて、部屋の扉を開く。
ぱたん、スリッパ鳴らす廊下なめらかにダークブラウン艶めく。
もう夕暮時、それでも春めいた陽に磨かれてきた木目の艶が深い。
―ここをお祖父さんも歩いていたんだ、ね…
ずっと幼い日から歩く廊下、見慣れた艶は懐かしい。
ここを祖父も祖母も歩いて、曾祖父も曾祖母も歩いていた。
同じ廊下たどる光、ステンドグラスやわらかな色彩に扉を開いた。
かたん、
重厚な香ほろ苦く甘い。
親しんだ書斎の空気おだやかに包んで、ふるい本たちの時間たたずんだ。
「…ただいま、お父さん?」
呼びかけて、書斎机の上で父が微笑む。
ちいさな写真立ての笑顔、それでも心くるまれて微笑んだ。
「お父さん、明日から大学に通うよ?お父さんたちの大学に…」
書斎机の上、おだやかな笑顔きれいに見つめてくれる。
この笑顔が輝いていた場所、そこへ自分も通う。
そこは自分にも楽園だろうか?
―お祖父さんの大学でもあるから…だから、あのひともいたんだ、ね?
観碕征治、あの男と祖父が出会った場所。
そんな過去の事実に、ことん、推測そっと零れた。
「読んだのかな…あのひとも、」
声こぼれて鼓動そっと軋む。
この痛みを、祖父の知人だった男も抱いているだろうか?
『 La chronique de la maison 』
祖父の還暦祝いに大学から記念出版された、あの一冊。
それを同窓生なら読んだかもしれない?
それなら、
―お祖父さんが贈ったとしたら…なんて書いたの?
父へ、大叔母へ、祖父が贈ったものには詞書がある。
祖父が愛用したブルーブラックの筆跡、小説の世界なぞるような言葉。
あの言葉たち何を示すのか、そして、彼には言葉どんなふうに贈るだろう?
「…知り合い、同級生…友だち?」
言葉ならべながら見あげる書棚、整然ならぶ背表紙が光る。
窓の陽やわらかに照らす書架、異国の文学書たち黙りこむ。
※加筆校正中
(to be continued)
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kenshi―周太24歳3月末
第86話 建巳 act.8 another,side story「陽はまた昇る」
桜の窓かすかに甘い、ほろ苦い。
午後、陽だまり明るい僕の部屋。
「は…」
息ついて、肩の力そっと消える。
脱いだスーツかすかな風ゆらす、カーテン揺らせて春が匂う。
もう3月が終わる、そうして酣になる春の窓辺、周太は微笑んだ。
「春だね…」
カーテンゆらす窓、ガラスひらいて桜ほころぶ。
紅い葉やわらかな山桜、この桜を父は愛していた。
『紅い葉と白い花が清々しいだろ?山だともっときれいで…春の山はきれいなんだ、』
幼い日、口ずさむような幸せな声。
想うだけで幸せだと瞳は微笑んでいた、あの眼差しが愛した場所に自分も行く。
「山はひとりだと僕には難しいけど…ね、お父さん?」
山桜に微笑んで、窓かちり錠を閉じる。
戸締りは気をつけなくてはいけない、今日終わる3月その後も。
―退職しても終わるかなんて、わからないんだ…
観碕征治、元警察官僚だった男。
そして祖父の知人だった、でも「知人」だけじゃない。
そのために父は警察官にならされて、自分も今日まで同じ道、そして五十年を続いてしまった連鎖の行方は?
『 La chronique de la maison 』
フランス文学者だった祖父が、ただ一篇だけ遺した小説。
パリ郊外の閑静な邸宅に響いた2発の銃声、隠匿される罪と真相、生まれていく嘘と涙と束縛のリンク。
そんな小説のなか「亡霊」はたしかに現れて「幻覚」は起きる、その全てが現実の事実だとしたら?
「…探しものを、君に」
声こぼれて記憶なぞる、祖父が贈った言葉の記憶。
父と大叔母と、二人に贈った本それぞれに詞書は記されていた。
“Je te donne la recherche” 探し物を君に贈る
“Pour une infraction et punition, expiation” 罪と罰、贖罪の為に。
父に贈られた言葉ふたつ、棘のよう記憶に痛む。
それから大叔母に贈った言葉、ただ一言。
“Confession”告解
祖父は、妻の従妹に一言を贈った。
あの言葉が示すのは?
「…、」
ため息そっと窓を閉じて、部屋の扉を開く。
ぱたん、スリッパ鳴らす廊下なめらかにダークブラウン艶めく。
もう夕暮時、それでも春めいた陽に磨かれてきた木目の艶が深い。
―ここをお祖父さんも歩いていたんだ、ね…
ずっと幼い日から歩く廊下、見慣れた艶は懐かしい。
ここを祖父も祖母も歩いて、曾祖父も曾祖母も歩いていた。
同じ廊下たどる光、ステンドグラスやわらかな色彩に扉を開いた。
かたん、
重厚な香ほろ苦く甘い。
親しんだ書斎の空気おだやかに包んで、ふるい本たちの時間たたずんだ。
「…ただいま、お父さん?」
呼びかけて、書斎机の上で父が微笑む。
ちいさな写真立ての笑顔、それでも心くるまれて微笑んだ。
「お父さん、明日から大学に通うよ?お父さんたちの大学に…」
書斎机の上、おだやかな笑顔きれいに見つめてくれる。
この笑顔が輝いていた場所、そこへ自分も通う。
そこは自分にも楽園だろうか?
―お祖父さんの大学でもあるから…だから、あのひともいたんだ、ね?
観碕征治、あの男と祖父が出会った場所。
そんな過去の事実に、ことん、推測そっと零れた。
「読んだのかな…あのひとも、」
声こぼれて鼓動そっと軋む。
この痛みを、祖父の知人だった男も抱いているだろうか?
『 La chronique de la maison 』
祖父の還暦祝いに大学から記念出版された、あの一冊。
それを同窓生なら読んだかもしれない?
それなら、
―お祖父さんが贈ったとしたら…なんて書いたの?
父へ、大叔母へ、祖父が贈ったものには詞書がある。
祖父が愛用したブルーブラックの筆跡、小説の世界なぞるような言葉。
あの言葉たち何を示すのか、そして、彼には言葉どんなふうに贈るだろう?
「…知り合い、同級生…友だち?」
言葉ならべながら見あげる書棚、整然ならぶ背表紙が光る。
窓の陽やわらかに照らす書架、異国の文学書たち黙りこむ。
※加筆校正中
(to be continued)
【引用詩文:Jean Cocteau「Cannes」】
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