Hence in a season of calm weather 風の告白
第74話 芒硝act.8―another,side story「陽はまた昇る」
環は雅樹の息子だよ、戸籍では父の養子で弟になってるがな。雅樹が死んだ後に生まれた試験管児だから、
ざあっ、
梢の鳴って木の葉ゆるやかに舞い落ちる。
見あげる森は光きらめく天蓋に枝を交わして空を透かす。
あの彼方には逝ってしまった人たちが住む、そんな伝説を遠い声に見つめて吐息こぼれた。
「…どうして、」
どうして、雅樹は消えてしまったのだろう?
どうして彼が逝かなくてはいけなかった、なぜ生きてくれなかったのだろう。
どうして遺すもの多すぎる命が消えたのか、消えてしまわなくてはいけなかったのか?
今も彼が生きていたのなら泣かずに済んだ涙が多すぎる、それを今日、偶然から知ってしまった。
『それなら湯原くん、罪滅ぼしに秘密ひとつ預ってくれるかい?』
そんな言葉に微笑まれて自分は頷いた、そして告げられた声また深く響く。
『環は雅樹の息子だよ、戸籍では父の養子で弟になってるがな。雅樹が死んだ後に生まれた試験管児だから、』
告げられた真実は未知の世界で、けれど全てが現実だった。
知らされた現実は秘密として預って、それが重たくて、重たさの分だけ生命の温もりが愛おしい。
ただ愛しくて愛しい分だけ哀しくて、だから理不尽に想えて傷んで苦しくて、遺された心たちに周太は泣いた。
「…っ、」
嗚咽そっと呑みこんで視界ゆるく滲みだす。
あふれて伝わす温もりに頬は濡れてゆく、そして雫一滴ふっと山路へ砕けた。
「ぅ、っ…」
一滴、また雫は落ちて登山靴に砕けて消える。
俯いてしまう視界もう滲んで解らない、いま零れる涙どうして止まるか解らない。
こんなふう泣いてしまう事は恥ずかしくて、それでも温もり伝ってゆく頬ぬぐって周太は森を仰いだ。
『罪滅ぼしに秘密ひとつ預ってくれるかい?雅樹の伝言を頼みたいんだ、いつか光ちゃんと環に話してくれ。もし俺も父も話せなかった時は頼むよ?』
そんな言葉に笑って雅人は秘密を告げて「いつか」を自分に託してくれた。
それは雅樹が遺した想い護るためでいる、けれど雅人が自分を巻きこんだ理由は解らない。
どうして部外者の自分に雅人は、秘密を話したのだろう?
その答えを訊くことも出来なかった。
訊いてはいけない、そう雅人の眼差しに想えて訊けないまま吉村医院を出た。
雅人が自分に話した真意など解らない、それでも雅樹に廻る命の物語は意志をくれた。
―本当の理由なんて解らないけど、でも、死んだら駄目だって教えてくれたかったのも本当なんだ、
ある一人が死ぬ、それが幾つの運命を変えてしまうのか?
消えたのは一人だけ、ただ一個の死、けれど変わる運命は一個で済まされない。
逝ってしまった本人が知らなくても、望まなくても、あるべき幸福も哀痛も生きる場所すら変ってしまう。
そんな現実を雅樹の死と生から教えてくれようとする、そのために秘密を与えてくれた、そこにある願いに涙ごと空を仰ぎ立止った。
「どうした周太?あ、…」
呼んでくれる声が戻ってきて立ち止まる。
空仰いだ視界の端でチタンフレームの眼鏡きらめく、その眼差しに周太は微笑んだ。
「ん…ごめんね賢弥、ちょっと考えごとしてた、」
「うん…そっか、」
頷いて眼鏡の瞳が見つめてくれる。
そのまま並んで歩きだして闊達な声そっと笑ってくれた。
「周太、木曽の森も一緒に歩こうな?俺の故郷もいっぱい自慢したいとこあるよ、」
ふるさとの森を一緒に歩こう、自慢したい。
こんな誘いは友達なら普通だろう、だけど賢弥の記憶を自分は知っている。
この夏に話してくれた過去も恋愛も木曽の森が抱く、そこに見つめる約束に周太は微笑んだ。
「ん、いっぱい自慢を聴かせて?」
「おう、腹いっぱい聴かせるからな、」
笑って頷いてくれる眼鏡の瞳は闊達なまま温かい。
けれど眼差し深く涙は溜まっているだろう、そんなふう見つめて夏の声が泣く。
『ずっと木曽の山も川も全部が単純に好きだった、その全てに弥生との想い出が笑ってくれるんだよ…でも遺伝学で言ったら危険すぎて結婚出来ない、』
弥生、たった数日違いで学年が分かれた賢弥の従姉。
春三月生まれと四月生まれ、その近しい誕生に寄添い二人は生きていた。
そしてお互い恋して、結ばれて、けれど知らされた血縁の濃さに未来の子供を案じてふたり別離を選んだ。
『もしも子供が出来ないんなら一緒にいる選択もあるよ?でも弥生は跡取り娘なんだ、子供は欲しいんだよ…だから別れた、』
祖父母が従兄妹、その娘たちが二人それぞれの母だった。
その濃すぎる血縁に別れてしまった二人でいる、けれどもし「子供」に別の可能性があるならば?
『環は雅樹の息子だよ…雅樹が死んだ後に生まれた試験管児だからな。雅樹は精子ドナーに一度だけなっていたんだ、条件付きでな、』
試験管児、いわゆる体外受精で生まれた子供。
ドナー提供された精子と母体の卵子から生まれて、だから子供と母体の夫には血縁関係が無い。
それでも育てる時間の交わす記憶と感情に父親となり家族を築くこともある、けれど環の現実は違ってしまった。
遺伝学的父親と戸籍上の父親、そこにある隠された現実に生きる少年を知ってしまったからこそ今、周太は問いかけた。
「賢弥、試験管児って知ってる?」
言葉にして見つめた隣、銀縁眼鏡ゆっくり振向かす。
その明朗な瞳ひとつ瞬いて尋ねてくれた。
「不妊治療に遣う方法だろ?医学部のヤツに聴いたことあるけど、」
「ん、それだけど…」
相槌に頷きながらも躊躇い呑みこんでしまう。
もう口にしてしまった質問、けれど踏込んで良いのか解らなくなった途惑いに闊達なトーン笑ってくれた。
「もしかして周太、弥生のことでソレ言ってくれてる?」
ほら、やっぱり賢弥は気づいてしまう。
だからこそ解かってしまう友達の想いに唇噛んで、それでも頷いた。
「うん、試験管児はお父さんとの血縁関係は無いから夏に話してくれたことも大丈夫って…賢弥も考えたこと、あるの?」
「あるよ、」
さらり答えて闊達な瞳が笑ってくれる。
その眼差し穏やかなまま口を開いた。
「跡取りは弥生だ、だから弥生の遺伝子を継いでるなら良い、俺の遺伝子が無い子供でも良いんだ。だから試験管児も有りだって俺も考えたよ、でも、」
でも、
そう言葉を止めて日焼けあわい貌が前を見る。
視線の先、青木と美代が楽しげに木洩陽ふる道を行く。
今こちらは気にしていない、そんな後姿に微笑んで賢弥は教えてくれた。
「でも、知らないヤツの子供を妊娠するってコトだろ?きっと辛い想いさせる、俺じゃないヤツと恋愛して子供授かる方が弥生も子供も幸せだよ、」
辛い想いさせるから選ばない、そして幸せでいて?
そんな選択に微笑んだ瞳は穏やかに明るくて、祈り見つめる深まりの温かい。
こんなふう明るく笑っている分だけ逢えない想いの輝き愛しくて、まばゆくて、きっと枯れない花に咲いている。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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第74話 芒硝act.8―another,side story「陽はまた昇る」
環は雅樹の息子だよ、戸籍では父の養子で弟になってるがな。雅樹が死んだ後に生まれた試験管児だから、
ざあっ、
梢の鳴って木の葉ゆるやかに舞い落ちる。
見あげる森は光きらめく天蓋に枝を交わして空を透かす。
あの彼方には逝ってしまった人たちが住む、そんな伝説を遠い声に見つめて吐息こぼれた。
「…どうして、」
どうして、雅樹は消えてしまったのだろう?
どうして彼が逝かなくてはいけなかった、なぜ生きてくれなかったのだろう。
どうして遺すもの多すぎる命が消えたのか、消えてしまわなくてはいけなかったのか?
今も彼が生きていたのなら泣かずに済んだ涙が多すぎる、それを今日、偶然から知ってしまった。
『それなら湯原くん、罪滅ぼしに秘密ひとつ預ってくれるかい?』
そんな言葉に微笑まれて自分は頷いた、そして告げられた声また深く響く。
『環は雅樹の息子だよ、戸籍では父の養子で弟になってるがな。雅樹が死んだ後に生まれた試験管児だから、』
告げられた真実は未知の世界で、けれど全てが現実だった。
知らされた現実は秘密として預って、それが重たくて、重たさの分だけ生命の温もりが愛おしい。
ただ愛しくて愛しい分だけ哀しくて、だから理不尽に想えて傷んで苦しくて、遺された心たちに周太は泣いた。
「…っ、」
嗚咽そっと呑みこんで視界ゆるく滲みだす。
あふれて伝わす温もりに頬は濡れてゆく、そして雫一滴ふっと山路へ砕けた。
「ぅ、っ…」
一滴、また雫は落ちて登山靴に砕けて消える。
俯いてしまう視界もう滲んで解らない、いま零れる涙どうして止まるか解らない。
こんなふう泣いてしまう事は恥ずかしくて、それでも温もり伝ってゆく頬ぬぐって周太は森を仰いだ。
『罪滅ぼしに秘密ひとつ預ってくれるかい?雅樹の伝言を頼みたいんだ、いつか光ちゃんと環に話してくれ。もし俺も父も話せなかった時は頼むよ?』
そんな言葉に笑って雅人は秘密を告げて「いつか」を自分に託してくれた。
それは雅樹が遺した想い護るためでいる、けれど雅人が自分を巻きこんだ理由は解らない。
どうして部外者の自分に雅人は、秘密を話したのだろう?
その答えを訊くことも出来なかった。
訊いてはいけない、そう雅人の眼差しに想えて訊けないまま吉村医院を出た。
雅人が自分に話した真意など解らない、それでも雅樹に廻る命の物語は意志をくれた。
―本当の理由なんて解らないけど、でも、死んだら駄目だって教えてくれたかったのも本当なんだ、
ある一人が死ぬ、それが幾つの運命を変えてしまうのか?
消えたのは一人だけ、ただ一個の死、けれど変わる運命は一個で済まされない。
逝ってしまった本人が知らなくても、望まなくても、あるべき幸福も哀痛も生きる場所すら変ってしまう。
そんな現実を雅樹の死と生から教えてくれようとする、そのために秘密を与えてくれた、そこにある願いに涙ごと空を仰ぎ立止った。
「どうした周太?あ、…」
呼んでくれる声が戻ってきて立ち止まる。
空仰いだ視界の端でチタンフレームの眼鏡きらめく、その眼差しに周太は微笑んだ。
「ん…ごめんね賢弥、ちょっと考えごとしてた、」
「うん…そっか、」
頷いて眼鏡の瞳が見つめてくれる。
そのまま並んで歩きだして闊達な声そっと笑ってくれた。
「周太、木曽の森も一緒に歩こうな?俺の故郷もいっぱい自慢したいとこあるよ、」
ふるさとの森を一緒に歩こう、自慢したい。
こんな誘いは友達なら普通だろう、だけど賢弥の記憶を自分は知っている。
この夏に話してくれた過去も恋愛も木曽の森が抱く、そこに見つめる約束に周太は微笑んだ。
「ん、いっぱい自慢を聴かせて?」
「おう、腹いっぱい聴かせるからな、」
笑って頷いてくれる眼鏡の瞳は闊達なまま温かい。
けれど眼差し深く涙は溜まっているだろう、そんなふう見つめて夏の声が泣く。
『ずっと木曽の山も川も全部が単純に好きだった、その全てに弥生との想い出が笑ってくれるんだよ…でも遺伝学で言ったら危険すぎて結婚出来ない、』
弥生、たった数日違いで学年が分かれた賢弥の従姉。
春三月生まれと四月生まれ、その近しい誕生に寄添い二人は生きていた。
そしてお互い恋して、結ばれて、けれど知らされた血縁の濃さに未来の子供を案じてふたり別離を選んだ。
『もしも子供が出来ないんなら一緒にいる選択もあるよ?でも弥生は跡取り娘なんだ、子供は欲しいんだよ…だから別れた、』
祖父母が従兄妹、その娘たちが二人それぞれの母だった。
その濃すぎる血縁に別れてしまった二人でいる、けれどもし「子供」に別の可能性があるならば?
『環は雅樹の息子だよ…雅樹が死んだ後に生まれた試験管児だからな。雅樹は精子ドナーに一度だけなっていたんだ、条件付きでな、』
試験管児、いわゆる体外受精で生まれた子供。
ドナー提供された精子と母体の卵子から生まれて、だから子供と母体の夫には血縁関係が無い。
それでも育てる時間の交わす記憶と感情に父親となり家族を築くこともある、けれど環の現実は違ってしまった。
遺伝学的父親と戸籍上の父親、そこにある隠された現実に生きる少年を知ってしまったからこそ今、周太は問いかけた。
「賢弥、試験管児って知ってる?」
言葉にして見つめた隣、銀縁眼鏡ゆっくり振向かす。
その明朗な瞳ひとつ瞬いて尋ねてくれた。
「不妊治療に遣う方法だろ?医学部のヤツに聴いたことあるけど、」
「ん、それだけど…」
相槌に頷きながらも躊躇い呑みこんでしまう。
もう口にしてしまった質問、けれど踏込んで良いのか解らなくなった途惑いに闊達なトーン笑ってくれた。
「もしかして周太、弥生のことでソレ言ってくれてる?」
ほら、やっぱり賢弥は気づいてしまう。
だからこそ解かってしまう友達の想いに唇噛んで、それでも頷いた。
「うん、試験管児はお父さんとの血縁関係は無いから夏に話してくれたことも大丈夫って…賢弥も考えたこと、あるの?」
「あるよ、」
さらり答えて闊達な瞳が笑ってくれる。
その眼差し穏やかなまま口を開いた。
「跡取りは弥生だ、だから弥生の遺伝子を継いでるなら良い、俺の遺伝子が無い子供でも良いんだ。だから試験管児も有りだって俺も考えたよ、でも、」
でも、
そう言葉を止めて日焼けあわい貌が前を見る。
視線の先、青木と美代が楽しげに木洩陽ふる道を行く。
今こちらは気にしていない、そんな後姿に微笑んで賢弥は教えてくれた。
「でも、知らないヤツの子供を妊娠するってコトだろ?きっと辛い想いさせる、俺じゃないヤツと恋愛して子供授かる方が弥生も子供も幸せだよ、」
辛い想いさせるから選ばない、そして幸せでいて?
そんな選択に微笑んだ瞳は穏やかに明るくて、祈り見つめる深まりの温かい。
こんなふう明るく笑っている分だけ逢えない想いの輝き愛しくて、まばゆくて、きっと枯れない花に咲いている。
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【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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