
私が那須へ山荘を建てたのが1990年。その後で、周囲にたくさんの新築別荘が建ちました。
継続的に来荘しているのはこのうち半分以下でしょうか。もっぱら貸し別荘化した物件もあります。
10年近くなるでしょうか、ちょっと離れたところに建築事務所を兼ねたかなり大型の建物ができました。Webでも盛んに事務所のPRをしていたと記憶しています。
しかし今は空き家。
一時、別荘管理の仕事を兼ねて近隣に移住したようですが、今は北海道に移り住むことになったようです。
なんとも悲しい経緯を観るようですが、経済の面から想像すると割と単純な構図です。
建築事務所が軌道に乗らなかった。事務所建設費用の借金が生活を圧迫した。
いろいろ地元でやってみたが、一定の収入に達することなく生活破綻。
こういったところでしょうか。
やはり無謀な移住だったのではないでしょうか。生活基盤を含めすべてを那須移住に賭けた、ということでしょう。
後戻りできない計画で、典型的な失敗例と言わざるを得ません。
もっと田舎を知って、安定収入の目処を得てから移住をすべきだったのでは、と考えてしまいます。もっとも那須のような地域では都会にいたような感覚での安定収入は難しく、兼業農家など少なくとも複数の収入の確保が必要だったのではないでしょうか。
厳しい現実といわなければなりません。
継続的に来荘しているのはこのうち半分以下でしょうか。もっぱら貸し別荘化した物件もあります。
10年近くなるでしょうか、ちょっと離れたところに建築事務所を兼ねたかなり大型の建物ができました。Webでも盛んに事務所のPRをしていたと記憶しています。
しかし今は空き家。
一時、別荘管理の仕事を兼ねて近隣に移住したようですが、今は北海道に移り住むことになったようです。
なんとも悲しい経緯を観るようですが、経済の面から想像すると割と単純な構図です。
建築事務所が軌道に乗らなかった。事務所建設費用の借金が生活を圧迫した。
いろいろ地元でやってみたが、一定の収入に達することなく生活破綻。
こういったところでしょうか。
やはり無謀な移住だったのではないでしょうか。生活基盤を含めすべてを那須移住に賭けた、ということでしょう。
後戻りできない計画で、典型的な失敗例と言わざるを得ません。
もっと田舎を知って、安定収入の目処を得てから移住をすべきだったのでは、と考えてしまいます。もっとも那須のような地域では都会にいたような感覚での安定収入は難しく、兼業農家など少なくとも複数の収入の確保が必要だったのではないでしょうか。
厳しい現実といわなければなりません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます