ある『物語』の断片

『物語たち』は語り始める。

幼虫

2007-11-20 00:20:02 | ある『物語』の断片
毛布にくるまって
微熱に浮かされながら
少年は窓の向こうの景色を
夢見ていた

曇り空の向こう
大気の中
輝く羽根

透き通るような羽根は
飛立つには
まだ少し

殻を
破って
すっかり入れ替わった
自分の姿を見せる日まで

その痛みに
己が耐えられる日まで

少年は
この現状を
受け入れることにした

そして
諦めなかった

あの場所から
飛び立つことは
結局叶わなかったけど

少年は
今でも飛行している

あの大気の中を
陽射しを受けながら

透き通るような
羽根のままで

深海

2007-11-19 13:07:12 | ある『物語』の断片
暗闇に
支配されてしまった

不安の中で
助けを呼び求める一方で
むしろその不安定さに
酩酊して
脱出することを
自ら拒む

落下する時の、
心地好さに似たような

それでも、
あの言葉だけが
あの声だけが
繋ぎ止めている

少しだけ
痛む

だから
まだ
消え去ることができずに

暗闇の中を
泳ぎ続けている

曇り空のように
映る水面
その先へ

ほんのわずかの
光を求めて

八回目

2007-11-11 07:26:59 | ある『物語』の断片
これで何回目なのだろうか
わからない

でもそんなことは
どうでもいい

あの光は
あと少しで届きそう
今やるべきことも分かっている

楽しかった頃の記憶が
何度でも自分を蘇らせる

「あの先を知りたい」

ぼろぼろになった体を起こして
再び立ち上がった

新しい名前

2007-11-09 09:53:15 | ある『物語』の断片
鼓動を始めたもの

呼吸を始めたもの

二つの光が
交差して
融け合って
生まれ落ちたもの

誰も
予想しなかったもの

過去も現在も未来も
全て包み込んでくれるもの

きっと
今だったら
世界の全てが
君の存在を祝福してくれる

まだ羽根の生えていない
その背中を擦りながら

そっと
初めてその名を口にした

物語が始まる

夜行バス

2007-11-08 13:13:53 | ある『物語』の断片
いつもの目的地に
向かうはずのバスは
いつしかルートを外れて
人知れない夜道を走っていた

でも、誰も何も言わなかった
その行き先を知っているから

灯りも無く
会話も無く
呼吸するのも
重苦しい

ふと、中年の男性が
呟く声が聞こえる

「『救い』ってさ」
「あるのかな」

誰もそれには答えない

生きることの意味を
見失った者たち

ただ、一つの目的で
連帯する者たち

速度の変わらないバス

寡黙な運転手は
どこまで続くか分からない
暗闇の中を
いつまでも走らせ続けていた

忘れていたもの

2007-11-06 16:04:37 | ある『物語』の断片
「いつからか
やさしさを
失ってしまったんだ」
と彼は話していた

「協力も庇護も
合理的な名の下に
全て還元される

それは
仕方の無いことだけど」

「やさしさを、
その感情を
忘れ去ってしまう前に

ささやかな抵抗を
試みることにしたんだ」

そうして
一枚の絵が
完成する直前に

男は動かなくなってしまった

「でも、構わない」
「もう絵は出来上がっているから」

「あとは、君が仕上げてくれないか」

そう言い残して
彼は

やさしさを
思い出せる世界に
還っていった

2007-11-05 08:24:51 | ある『物語』の断片
雨の音
降り注ぐ音
洗濯機のモーターの回る音
人の動き出す音
アクセルを踏み鳴らす音
隣で寝息を立てる音

始まりの音。

林檎の皮を剥く音
お茶を煎れる音
食器を鳴らす音
未来について語る音
透き通るように、
笑う音

楽しい音。

車のキーを入れる音
高速道路の音
浜辺の音
花火の音

囁く音。

拒絶する音
倒れる音
グラスの割れる音
すすり泣く音
ドアの、閉まる音

何かが、
壊れる音

二度と
共鳴しない音。