ある『物語』の断片

『物語たち』は語り始める。

【第三回ヤマケン例会作品】『砂遊び』

2008-05-31 22:06:24 | ヤマケン
~Prologue

『5月26日 晴れ 気温27℃』

「今日は夢を見ました。公園で砂遊びをしている夢です。
一人で遊んでいると、男の子が砂場にやってきて、一緒に砂遊びを始めます。でも、顔はぼんやりしていて、彼が誰なのかは分かりません。「君は誰?」と聞きだそうとすると、急に頭が痛くなって目が覚めてしまいます。思い出さなきゃいけないはずだけど、思い出したくないようにも思います。
この夢は時々、思い出したように見ます。昔は、見るたびになんとなく泣きたくなりました。最近は慣れてきたのか、あまり悲しくはなりません。ただ、何も感じなくなっていくことそれ自体が、とても悲しいことのようにも思えます。
これって何だろう?」



~chapter 1
気が付くと僕は公園にいた。家から徒歩3分くらいにある「みどり公園」だ。
木々には色があるのか無いのかはっきりせず、公園特有の草木のにおいも全く感じられなかった。滑り台は誰も使用せず、ブランコも静止したままだ。
あぁ、またこの夢か、と僕は少し諦め気味に周りを見渡していた。思いっきり空気を吸い込んでも、全てが無味乾燥だ。この数年ほど見ていなかったのに、最近思い出したように見てしまう夢。夢の中では、一番見たくないものの一つだ。

この世界ではルールがある。夢から覚めるには、一定の儀式を行なわなければならない。「冒険もの」だったらラスボスを倒すか逆にやられなければならないし、「生活もの」だったら日常の役割を果たさないといけない。どうも、僕の夢の中はそのように設定されているらしい。
後者に属する今回の夢では、「砂遊び」をしなければならない。砂遊びをしているうちに子供がやってきて、一緒に砂遊びをし始める。僕はスコップを持ちながら、「ところで君は誰?」と尋ねる。それで何の問題無く夢から覚め、起きたら午前7時40分、ということなのだ。

・・・この夢には何となく抵抗感があった。
僕が夢に見るのは、ほとんどが何か不安に思っていることの再確認のような夢だ。だから、何となく現在見ている夢を「見ないといけない理由」というものが、夢が再生されている時にもおぼろげながら分かるのだ。
だが、この夢は「何で見なければならないのか」が全く分からなかった。「17歳にもなっていい加減砂遊びをやるなんて」という思いもあったし、そもそも砂遊びに参加してくる子供の正体がいつまで経っても不明なままだった。
そのため、この夢を見た後はいつもすっきりしない寝起きを迎えることになる。いつもと同じ目玉焼きも、トーストも、民放ニュースの喧騒も、この朝に限ってはどうしようもなく不快に感じるのだ。それは、ただでさえ億劫な学校生活をますます灰色に塗り潰すことにも繋がった。

それでも、いつもならばまだ我慢できた。だが、この日はあまり体調が良くなかったせいか、試験前だったせいか、それとも別の理由か、妙に腹立たしくてならなかったのだ。
「そろそろ、お前の正体をつかんでやるぞ」
いつの間にか握りしめていた赤いスコップで砂を掘り返しながら、僕は注意深く周りを観察することにした。


いつも以上に、公園の景色には生気が感じられなかった。
無音。
無臭。
あるのかないのかはっきりしない色。
そんな公園に、一際はっきりしない存在が紛れ込んできた。

・・・少年だ。


~chapter 2
次の瞬間には、少年はかがみ込んで一緒にスコップで砂場を掘り返していた。
年頃は5,6歳といったところだろうか。青いつなぎのズボンに、ライオンのロゴが入った白いTシャツ。坊ちゃん刈りに綺麗に整えられた髪。だが、全てが色褪せて見えていた。表情は相変わらずぼんやりとしていて、彼が誰なのかは相変わらずつかめない。
少年はスコップで掬い上げた砂を集めて大きな山を作っては、それを解体することを繰り返していた。少年心を忘れた今の自分にとっては、はっきりいって何が楽しいのかが分からなかった。誰もが、こういった道を系由してきたのだろうか。
ちらちらと少年の顔を見上げては、僕は次の言葉を出そうか迷っていた。相手に語りかけるだけなのに、こんなに躊躇うのはいつ以来だったろうか。

「楽しんでいるか?」

自分でも思いもしていなかった言葉を口にしてしまった。
何故だ。いつもの夢と違う。僕はひどく混乱していた。
僕の問いかけを聞いているのかいないのか、少年は相変わらず無言でスコップで砂場を掘り返し続けていた。不安になり始めた頃、ううん、という返事が返ってきた。

「もう、砂遊びにはそろそろ飽きてきた」

周囲によく響きわたる高音。外見の年齢以上に幼さを感じさせる声だった。

「別の遊びを探したらいいじゃないか」
僕は砂場を掘り下げる作業を休めて、ぼんやりとした顔の向こうを何とか見つめようとした。夢なのに、ひどく喉が渇き始めてくるのが不思議でならなかった。
「知らない」
少年も、スコップを動かす手を休めた。

「僕は 大人になるまでに いなくなってしまったから 知らない」


骨をへし折るような頭痛と、油蝉の啼き声のような不快な耳鳴りが僕に襲い掛かってきた。世界がブラックアウトする前に、もう一度僕は少年の顔を見上げてみた。

「会いたかったよ」

10年前にこの世から姿を消した、友人の姿だった。


~chapter 3
夢は終わってしまった。いや、正確には停止してしまった。少年はいつの間にか姿を消し、僕は一人砂場に残されていた。
僕はブランコに座って、呆然としながら公園の景色を眺めていた。少しずつ、ばらばらになっていた昔の記憶が繋がってくるのを感じていた。

+++++

少年はユウキといって、僕の幼稚園時代の遊び相手だった。いつも、「みどり公園」の砂場に行くと、彼が黙々と砂場で一人遊びをしている光景に遭遇したものだった。初めのうちは、彼がスコップで砂場を掘り返し続けるのを眺めているだけだったが、いつの間にか僕もその儀式に参加するようになっていた。
彼はあまり自分から喋らない子供だったが、はにかんだ笑顔が実に相手に好印象を与える少年だった。また、同じように砂場を掘り返す動作の中でも、その日その日の表情や姿勢の違いによって、彼は違った一面を見せていたように感じられた。幼少の頃の僕は、そうした微妙な違いを見つけにいくのがたまらなく好きだったのだ。そのため、一緒に砂場を掘り返していると、会話をしているような不思議な感覚にとらわれたものだった。とにかく、僕は彼と会うのが楽しみで仕方が無かったのだ。
だが、僕が大きくなるにつれて、そうした関係も次第に退屈に思うようになってきた。砂遊びの他にもしたいと思うような遊びはたくさんあったし、彼の他にも遊び相手もたくさんいたのだ。砂場で一人遊びを続けているユウキは、いつまでたっても同じことを繰り返し続けているようにしか見えないようになった。僕は、それが実に退屈であり、次第に腹立たしくなってきたのだ。
ある日、思い切って「他の遊びはしないの?」と彼に聞いてみた。だが、彼はあまり気乗りしない様子だった。僕は堪りかねて、彼の腕をつかんで滑り台に連れて行こうとすると、彼は信じられないほどの強い抵抗を示した。何故、彼がそこまで砂遊びに拘るのか、僕は全く理解できずに混乱したものだった。その一件があって以来、僕は砂場から足が遠のくようになっていった。砂場に足を運ぶ度に変わらず砂遊びをし続けている彼を見るのは、とても腹立たしく、耐え難いことだったのだ。今から思えば、彼は単に心の準備ができていなかっただけかもしれない。だが、当時の僕はそのように考えるほど人間ができていなかった。
僕が小学校に入ってからは全く彼と会う機会が無くなってしまった。日常生活は学校を中心に回るようになり、そこには彼と触れ合わないといけない必然性はほとんど無かったのだ。

夏が過ぎ、秋が暮れようとしていた時期に、母さんが痛ましい顔をして僕に話しかけてきた。
「あのね、もうユウキ君とは会えないかもしれないよ」
「どうして?」
「お父さんとお母さんと、遠いところへ出かけていったんだって」
「そうなんだ・・・」

失業して絶望した父親が母親と子供と無理心中を図った、というニュースを知ったのはずっと後のことだった。亡くなった子供の名前を聞いた時は、自分が何もできなかったことにひどく後悔したものだった。
だが、時が経ち、日常の煩雑さに追われているうちに、そうした痛ましい過去も、自然と思い返すことが少なくなっていった。時々は思い出したように公園でユウキと砂遊びをする夢を見て、その度に彼の一家の墓参りに行くようにはしていた。しかし、次第にその頻度も少なくなり、ついにはぱったりと足を運ばなくなってしまった。そして、ついには何も思い出せなくなってしまったのだった。

彼はこの世界から姿を消してしまった。僕はこの世界で生息し続けた。小学校と中学校は特に何の問題も無かったが、高校に入ったあたりから登校するのが億劫になるようになった。周りに話の合う友人があまりいなかったし、何のために勉強をし続けないといけないのか、疑問に持つようになった。要するに、毎日が全く楽しくないのだ。
そうなり始めた頃から、段々砂場で遊び続ける夢を見るようになってきた。今から思えば、多分、僕も無意識のうちに前に進むことがしんどくなってきたから、こんな夢を見るようになったのかなと思う。少年はあくまで僕の頭の中の存在であり、少年は本当の彼自身ではないはずだ。彼が答えを求めているのは、僕が無意識のうちに答えを求めているということなのだろう。

+++++

そこまで考えて、ようやく合点が行ったように感じた。そして、この夢を終わらせるための手順もようやく見えてきた気がする。だが、それはある種の傷みを伴うものであることは間違いなかった。
ぐるぐると頭の中に選択肢が回り、それは揺れながらもある一点で静止しつつあった。そうするしかないよな、とつぶやいた頃、静止した公園には客人が来訪していた。僕が今一番、会いたかった友人だ。


~chapter 4
ユウキは話すか話さないか迷った素振りを見せたが、ようやく話し始めた。

「決めた?」
「ようやくね」
「じゃあ、もうこんな夢は見なくてもいいよね」
「ずっと忘れていたよ。ごめん」
「いいよ」

彼はそこまで話し始めると、押し黙った。僕の次の言葉を待っているのだ。
タイミングを逃してはならない。後悔したくないから。

「もう、行くことにしたよ」
「そう」
「だから、もう砂遊びはしない」
「そう・・・」

「俺が全部伝えてやるよ」
前々から伝えようと思っていた言葉だ。
「酸いも甘いも全部知り尽くして、とびっきり面白い話を聞かせてやるよ」

少年はお菓子をもらった時のように、ぱっと口元を綻ばせた。
白く輝く歯に、赤いりんごのように染まった頬。
青々と茂る葉の隙間から零れ落ちる陽射し。

色が、世界に戻ってきた。



~epilogue
夏休みの最終日の2日間、僕はやり残した宿題を片付けに電車に乗った。ユウキ一家の墓は、僕の家からはとんでもなく遠い場所にあった。蝉の叫び声と、夏の残り火のような陽射しを浴びながら、人通りの少ない石畳をゆっくりと登っていった。僕は、彼に語り続けるために、歩き続けないといけない。

生い茂った木は外界と隔絶されたような雰囲気を醸し出していた。苔が墓石に蒸し始めていたために、墓標を読み取るのには苦労した。20個ほどの墓石を回った末に、僕はようやく目的地を見つけた。墓石を水で清めてから線香をあげ、手を重ねて僕は静かに語り始めた。

「誰もが旅を続けるための理由を探しているんだ。今日はそんな話でもしようか」



夢の終わり。
理想の最期を目指して。