東尾根を登ってゆきます。
空堀
東尾根第三曲輪の城壁で左手は石積
第三曲輪を見下ろしています。
東尾根八合目あたり
第一段曲輪
第二段曲輪
第二空堀
尾根に着き、曲輪A
縄張り図は「山城探訪 上野編」宮坂武男氏著 曲輪Aは筑紫の穂のような形で、北、南に支尾根があるところです。
曲輪Aから北支尾根へ
北支尾根第一曲輪
北支尾根第二曲輪
第二曲輪から北支尾根を見返しています。
曲輪Aにもどりました。
城主は江見下野守で大戸浦野氏の配下であった。天文・弘治(1532-57)の頃、岩櫃城主の斎藤氏との戦いに敗れて浦野氏の本国、信州の小県郡へ逃れている。(吾妻軍記)江見氏は下野守の通り、ルーツは栃木から来ていると思われます。
横尾氏と(我が祖先)江見氏との関係
縄張り図のように、まだまだ西に遺構は続いていますが次回とします。
空堀
東尾根第三曲輪の城壁で左手は石積
第三曲輪を見下ろしています。
東尾根八合目あたり
第一段曲輪
第二段曲輪
第二空堀
尾根に着き、曲輪A
縄張り図は「山城探訪 上野編」宮坂武男氏著 曲輪Aは筑紫の穂のような形で、北、南に支尾根があるところです。
曲輪Aから北支尾根へ
北支尾根第一曲輪
北支尾根第二曲輪
第二曲輪から北支尾根を見返しています。
曲輪Aにもどりました。
城主は江見下野守で大戸浦野氏の配下であった。天文・弘治(1532-57)の頃、岩櫃城主の斎藤氏との戦いに敗れて浦野氏の本国、信州の小県郡へ逃れている。(吾妻軍記)江見氏は下野守の通り、ルーツは栃木から来ていると思われます。
横尾氏と(我が祖先)江見氏との関係
縄張り図のように、まだまだ西に遺構は続いていますが次回とします。