尾野山城は長野県上田市生田(旧丸子町)にあります。
尾野山城地図
県道186号線で愛宕神社への道案内がされている市道に入ります。
道が狭く駐車に困るため、県道の路駐帯に停めて、愛宕神社を目指したほうが良いです。このレ点の道を登り
水道施設の道を登ってゆきます。
愛宕神社の登り口
旧丸子市街
5分も登れば
愛宕神社
神社から馬場のような尾根を進み(曲輪と思われます。)
虎口が見えてきました。
土橋
虎口
登ってきた土橋を見下ろしています。
本丸城壁が見えてきました。これ以降は次回に
尾野山区の南西の山頂にあるこの城跡は、海野氏の勢力下にあって、尾ノ山氏が守っておりました。
千曲川に臨む山並に、茂沢城、孫台、三日城などの支城を配置し、山頂からの眺望もよく北側から依田の平を守る
機能を持っておりました。
そのため、度々戦禍に巻き込まれてきました。特に天分10年(1541年)の海野平合戦には、この城は、武田、諏訪
、村上の連合軍に攻められて落城し、海野氏は滅亡に追い込まれました。城の北側の山麓、赤畑地籍には館跡が
残されています。「尾野山史跡めぐり協議会」
尾野山城地図
県道186号線で愛宕神社への道案内がされている市道に入ります。
道が狭く駐車に困るため、県道の路駐帯に停めて、愛宕神社を目指したほうが良いです。このレ点の道を登り
水道施設の道を登ってゆきます。
愛宕神社の登り口
旧丸子市街
5分も登れば
愛宕神社
神社から馬場のような尾根を進み(曲輪と思われます。)
虎口が見えてきました。
土橋
虎口
登ってきた土橋を見下ろしています。
本丸城壁が見えてきました。これ以降は次回に
尾野山区の南西の山頂にあるこの城跡は、海野氏の勢力下にあって、尾ノ山氏が守っておりました。
千曲川に臨む山並に、茂沢城、孫台、三日城などの支城を配置し、山頂からの眺望もよく北側から依田の平を守る
機能を持っておりました。
そのため、度々戦禍に巻き込まれてきました。特に天分10年(1541年)の海野平合戦には、この城は、武田、諏訪
、村上の連合軍に攻められて落城し、海野氏は滅亡に追い込まれました。城の北側の山麓、赤畑地籍には館跡が
残されています。「尾野山史跡めぐり協議会」