夜波ログ-グ-

おはようございますzzz ぐだぐだなほぼ日記ブログです。

終戦の日ですね

2015年08月14日 13時36分43秒 | 日本と海外とか平和とか未来とか?
さすがに戦後70年だからか戦争特集みたいな特番がいっぱいやっていて、
まあここ数年、戦争特番が少なくなったなあ。それはそれでいいのかなあ。よくない風潮なんじゃないかなあと思っていたわけで、
終戦の日近くの短期間重点になっていますが特集がいくつも組まれていて少しほっとした面もあるのだけれど。
まあただね、山ほど見て知ってる内容だと、どんだけ悲惨か前情報でわかっているから見るのが辛い。「火垂るの墓」は見ていられる気がしない。
他にやることに追われてもいたので今回の放送はスルーしたのですが、
ツイッターでいろいろ見てたら眠れなくなった(´・ω・`)

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戦争が始まる前にはこういうことがあった(一例)
外国語、外来語のことごとくを敵国語として日本語に置き換える。いろいろ不自然な状態だったようですね。当時の人がどう思っていたのか知らないけれど。まあ野球は困っていた雰囲気にとれました。(ここら辺に今の時期に…という空気を置いておこうかと)

  ■ ■ ■

国が間違えれば人が死ぬ。
ということだと思うのよ?

一般の人も、兵士も、相手国の人も、
いい人も、ろくでなしも、
戦争を始めた人も続けた人も、終わらせた人も。
そういうことの結果だと私は思うの。

そうしたとき、
戦争で亡くなった人にまとめられるのはおかしくないことだと思うの。

そして、
歴史の禍根としていつまでも恨まれることも結果の一つだと思うの。
このごだごだ含めて戦争は終わっていないのだなあと思う。

世界戦争のこともあれだけど、
すでに歴史上の出来事となっている、耳塚とか鼻塚とかの話を知ったときには痛ましいと思ったし、日本の歴史を作った人がしたこととして申し訳ないと思ったのですよ。ちょっと清正さんの見方が変わっちゃったほどですよ。

過去になったから、日本が不当にしたことを申し訳ないと思う気持ちがなくなることはないと思うのです。

日本は世界大戦においてアジアの国に対して、悪いことをしなかったとは、言っていないのです。日本の今までの人たちがそれこそ卑屈なまでに償ってきたことを、なかったかのように言われることが我慢ならないです。
だからといって、そうしてきた世代の苦労を水の泡にするように日本は悪くないとか言い出すのは論外なのですが。

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結果から見ればもしくは
原爆の跡地は悲惨だった。戦後、日本は国際的に発言力を持てるようになり、これは使ってはいけないと発信できるようになった。
現在までのところ、核兵器は使われてはいない。

未だ使ったことがない状態であれば、どんな結果が出るかはわからないから使ってみなければわからなかった。威力が甚大で、日本に決断を迫る切り札になるから使った……
これはあれか、
想定できなかったのか。
想定する必要があったんじゃないか。
そういう話なんだろうか。

まあ過去に対する正当性なんて論じても意味がない。

でも、広島と長崎の苦しみを知った上で、絶対に言えることはある。

○ 2度と使ってはいけない。
これ以降で使う人間は、間違いなく人道にとっての敵だ。

○ 人体実験をしてはいけない。
当たり前だけれど、戦争の中で幾度も行われてきた。攻撃や尋問としてうやむやにしやすいのだろうし、兵器の開発に欠かせなかったのでしょう。日本軍だってやっていたさ。
原爆にしろ毒ガスにしろ枯れ葉剤にしろ、悲惨さは言葉に尽くせない。
使ってはいけないものを使ってしまったからだ。
ここの文章では言いきるよ。
一度目はわからないからいいなんて理屈は通じない。

だからといって人のいないところであればボカンバカンやっていいものじゃないけれどさ。
なんだか平和っていうのが兵器を必要としない世界だって考えると、とても遠いって思えて切なくなる。

  ■ ■ ■

爆薬も核も使えるように発明した科学者たちは、兵器にして人を害そうと思ったわけじゃない。技術を武器に使おうと進めたのは結局時の政治家たちだ。
決断するとき、道を決めるときに、先に何があるかわからない。
今決める法律が間違っても平和を損なうことがないように将来を見据えて、防止策を考えることが必要なんじゃないんですかねえ。
この時に、この時の政治家が、どうしたいなんて論じてないんだ。道標をきちんとつけなさいと言いたい。

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とりあえず駆け込み更新

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