■ 命の重さの違い
人の命はみんな同じというけれど、実際には比較したときに重い軽いがあるんだなと。結局それはこれまで生きてきた実績と、それを踏まえた上での将来性で判断されるのだろうなと。
* * *
■ 戦争のある国
戦場から日本に流れ弾が届いた。という感覚。日本そのものがテロに狙われるという宣言をされたのに感覚が甘いとは、今、思いました(- -;) 例えば地下鉄に毒ガスをまいたり、オフィス街に車で突っ込んできて凶器を振り回したり、イベント会場を爆発させようとしたり、何かをしようとするかもしれないわけですね。以外と日本も色々起こってるな…安全安心平和な国とか言えないじゃん。
警察の皆さんがんばってください。よろしくお願いします。いや本気でお願いします。
* * *
■ ヨルダン
犠牲になったヨルダンのパイロットの苦しみを思うと、果てしなく苦しい。遺族の方たちもさぞ悔しかろうと思う。心から哀悼を捧げます。お悔やみを申し上げます。
日本人2人の死の悲しみを分かちあってくれたことに深く感謝いたします。
正直、処刑の応酬という苛烈な自体に戦いています。
ヨルダンの国の怒りを思えば気持ちはわかるけれど、日本の自分の感覚で言うなら感情で命のやりとりをするものではないと思うし、同じことをして同じところまで落ちてやるものかと思う。
たぶんこれは文化の違いだと思うのだけど。
少なくとも、強烈な悪意に直面しているあなた方のご無事をお祈りします。
* * *
■ ムスリムの人たち
本当に毎度毎度、なんでこの人たちは日本にこんなによくしてくれるのだろうと感激にたえません。
人質になった2人の無事を祈ってくれて、擁護する主張をしてくれて、無事をお祈りしてくれて、そして死を悼んでくれて本当にありがとうございます。
* * *
■ 政治家は…言葉を選べよこの野郎
うっかり怒ってしまいますが(´・ω・`)
公共に公式な言葉を流すのだから、ちゃんとその言葉の意味とニュアンスと聞く人に与える影響を考えてから発言をしてほしいものです。
言葉は伝わったことが発言内容なのであって、つもりの気持ちじゃ伝わらないんだよ?しかも政治家だろう。メッセージを発信するのが仕事じゃないのか。正しく発信しなければ主張も議論もあったものじゃない。
「こういうつもりだったんだろうなぁ」とかフォローされているようじゃ政治家失格だよ。と、私なんかは思うわけですよ。
まず、人質がいるとわかった上での安倍首相のスピーチは本当に意図したものなのか?
WEB上に人質公開される前の時点でずいぶん攻撃的な表現だなと私は思ったよ。
公開されてから慌てて人道支援を繰り返していたように見えたけれど、元より意図的に強く言うつもりであったなら言い直す必要ないよね。
最初のスピーチは欧米諸国へ強くアピールして、人質をとられたら慌てて表現をかえてごまかしたように見える。そのことで最初のスピーチの強さが弱まる。日本の立場の曖昧さ、軽薄さに思えるんだ。
本当に最初の攻撃的なスピーチは必要だったの?
鞭打つつもりがないのに「蛮勇」とかいう言葉を使っちゃうとか。日本語には無茶とか無謀とか、軽率とか、ちょっと浮かぶだけでぽいぽいこの手の言葉が出てくるのですが、この場面でこの言葉をチョイスすることが蛮勇だわと思う。あくまで私見です。
フォローされちゃう云々の元首相はこの件には関係ないけど引き合いに出しちゃいました。キャラ的には嫌いじゃないのですが。私も漢字フェチなのでちょっとね(´・ω・`)
* * *
■ 中東諸国の政府
ものすごい板挟みで大変だなあと。
意見の強そうな国民。反米感情、強く対立する勢力。
これをまとめて…まとまらなさそうだけど。だましだましやっているんだろうか。隙を見せると敵勢力に襲われそうだし、守りに入りたくても、身内が目の敵にしているのは身を守るために手を組みたい相手だったり。
大変そう。すり減りそう(´・ω・`)
* * *
■ 助けたいと思うこと
火事現場、水難事故。助けたくて被災者が増える。わかっていても助けようとしてしまう。子供に恥じない生き方をしようとしたのかもしれない。ジャーナリストとしての探究心と使命感はあっただろう。飛び込んだ動機として理解できなくもない。
無謀だったと思う。程度を見誤ったのか何かはわからないけれど、危険はわかっていたはずだ。
自己責任と言って責めるけれど、責めて何があるの。
そもそも亡くなったという結果が責任をとっているじゃないか。もし生きて帰れたなら、その後の人生をどう歩むかが責任の取り方でしょう。
命を贖ってなおこれ以上の責任ってなんだ。
でも本人の責任の拠出じゃなくて、見ているものとして助けられるものなら助けたいだろう。
助けられるものなら助けたい。万に一つの可能性に全力をかけることの何が悪い。
助けられるかもしれない人に、手をさしのべることをせず、放置して見殺しにして、自分が後悔にさいなまれるのも、悪魔になるのも自己責任ですよね。
* * *
■ アムネスティの反応が気になる
死刑廃止を訴える国際団体さん。処刑の応酬という最悪な経過をたどっているのですが、この場合、この団体はヨルダンにどういう反応をするのだろうか。とこっそり見ています(´・ω・`) とりあえずヨルダンを諌める声明までは確認しました。けど…弱っちいな。インパクトも力強さも感じられない。
人の命はみんな同じというけれど、実際には比較したときに重い軽いがあるんだなと。結局それはこれまで生きてきた実績と、それを踏まえた上での将来性で判断されるのだろうなと。
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■ 戦争のある国
戦場から日本に流れ弾が届いた。という感覚。日本そのものがテロに狙われるという宣言をされたのに感覚が甘いとは、今、思いました(- -;) 例えば地下鉄に毒ガスをまいたり、オフィス街に車で突っ込んできて凶器を振り回したり、イベント会場を爆発させようとしたり、何かをしようとするかもしれないわけですね。以外と日本も色々起こってるな…安全安心平和な国とか言えないじゃん。
警察の皆さんがんばってください。よろしくお願いします。いや本気でお願いします。
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■ ヨルダン
犠牲になったヨルダンのパイロットの苦しみを思うと、果てしなく苦しい。遺族の方たちもさぞ悔しかろうと思う。心から哀悼を捧げます。お悔やみを申し上げます。
日本人2人の死の悲しみを分かちあってくれたことに深く感謝いたします。
正直、処刑の応酬という苛烈な自体に戦いています。
ヨルダンの国の怒りを思えば気持ちはわかるけれど、日本の自分の感覚で言うなら感情で命のやりとりをするものではないと思うし、同じことをして同じところまで落ちてやるものかと思う。
たぶんこれは文化の違いだと思うのだけど。
少なくとも、強烈な悪意に直面しているあなた方のご無事をお祈りします。
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■ ムスリムの人たち
本当に毎度毎度、なんでこの人たちは日本にこんなによくしてくれるのだろうと感激にたえません。
人質になった2人の無事を祈ってくれて、擁護する主張をしてくれて、無事をお祈りしてくれて、そして死を悼んでくれて本当にありがとうございます。
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■ 政治家は…言葉を選べよこの野郎
うっかり怒ってしまいますが(´・ω・`)
公共に公式な言葉を流すのだから、ちゃんとその言葉の意味とニュアンスと聞く人に与える影響を考えてから発言をしてほしいものです。
言葉は伝わったことが発言内容なのであって、つもりの気持ちじゃ伝わらないんだよ?しかも政治家だろう。メッセージを発信するのが仕事じゃないのか。正しく発信しなければ主張も議論もあったものじゃない。
「こういうつもりだったんだろうなぁ」とかフォローされているようじゃ政治家失格だよ。と、私なんかは思うわけですよ。
まず、人質がいるとわかった上での安倍首相のスピーチは本当に意図したものなのか?
WEB上に人質公開される前の時点でずいぶん攻撃的な表現だなと私は思ったよ。
公開されてから慌てて人道支援を繰り返していたように見えたけれど、元より意図的に強く言うつもりであったなら言い直す必要ないよね。
最初のスピーチは欧米諸国へ強くアピールして、人質をとられたら慌てて表現をかえてごまかしたように見える。そのことで最初のスピーチの強さが弱まる。日本の立場の曖昧さ、軽薄さに思えるんだ。
本当に最初の攻撃的なスピーチは必要だったの?
鞭打つつもりがないのに「蛮勇」とかいう言葉を使っちゃうとか。日本語には無茶とか無謀とか、軽率とか、ちょっと浮かぶだけでぽいぽいこの手の言葉が出てくるのですが、この場面でこの言葉をチョイスすることが蛮勇だわと思う。あくまで私見です。
フォローされちゃう云々の元首相はこの件には関係ないけど引き合いに出しちゃいました。キャラ的には嫌いじゃないのですが。私も漢字フェチなのでちょっとね(´・ω・`)
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■ 中東諸国の政府
ものすごい板挟みで大変だなあと。
意見の強そうな国民。反米感情、強く対立する勢力。
これをまとめて…まとまらなさそうだけど。だましだましやっているんだろうか。隙を見せると敵勢力に襲われそうだし、守りに入りたくても、身内が目の敵にしているのは身を守るために手を組みたい相手だったり。
大変そう。すり減りそう(´・ω・`)
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■ 助けたいと思うこと
火事現場、水難事故。助けたくて被災者が増える。わかっていても助けようとしてしまう。子供に恥じない生き方をしようとしたのかもしれない。ジャーナリストとしての探究心と使命感はあっただろう。飛び込んだ動機として理解できなくもない。
無謀だったと思う。程度を見誤ったのか何かはわからないけれど、危険はわかっていたはずだ。
自己責任と言って責めるけれど、責めて何があるの。
そもそも亡くなったという結果が責任をとっているじゃないか。もし生きて帰れたなら、その後の人生をどう歩むかが責任の取り方でしょう。
命を贖ってなおこれ以上の責任ってなんだ。
でも本人の責任の拠出じゃなくて、見ているものとして助けられるものなら助けたいだろう。
助けられるものなら助けたい。万に一つの可能性に全力をかけることの何が悪い。
助けられるかもしれない人に、手をさしのべることをせず、放置して見殺しにして、自分が後悔にさいなまれるのも、悪魔になるのも自己責任ですよね。
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■ アムネスティの反応が気になる
死刑廃止を訴える国際団体さん。処刑の応酬という最悪な経過をたどっているのですが、この場合、この団体はヨルダンにどういう反応をするのだろうか。とこっそり見ています(´・ω・`) とりあえずヨルダンを諌める声明までは確認しました。けど…弱っちいな。インパクトも力強さも感じられない。