東経大ラグビー部
「集中ということばの真の意味は」
安部泰人
今シーズン初めてのゲーム観戦であったが、これまでのゲームがどのようなゲーム展開をして、どのようなゲーム運びをして勝敗の結果に結びついたのか、ゲームの結果から、ゲームの内容を想像するしかなかった。しかし、今回のゲームを観戦して、ある程度のゲームの中身が見えてきたような気がした。それは、春シーズンの時よりは数段の進歩の度合いが顕著に見えてきたからである。良い点は良しとして、全体としての見方は別にあるので、それは後で述べることにするが、ともあれ、全くゲームを見ていないものが、戦評に近いコメントを書くことは、全くもって厚かましいとしか言いようがない。このことはお詫びしお断りしておきたい。しかし、これもラグビーの先輩としての務めであると心得ているので、個人的な意見であることを理解していただきたい。コーチの指導が第一であることは言うまでもない。
さて、個々のプレーについての指摘は避けることにするが、ゲームの流れをどの地点でどのようにとらえるか、そこを見直した方が良いのではないかと思う。具体的に云うと、ゲームの時間的経過とインフィールド内の味方の陣容との位置関係によって“何をどうすれば良いか”といことを考える必要がある。たとえば、相手22メートル近くの場合と、味方22メール付近では全く違うわけであるので、その時はチャンスの時もあればピンチのときもあるわけであるから、その時のプレヤー同士の意思疎通が徹底しておかなければならない。
この様な場面の時に、よくプレヤー同士が「集中しろ」という言葉を掛け合うが、さてこの集中という言葉は、何に対して集中するのか、ボールなのか、相手に対してなのか、味方同士なのか、はなはだ抽象的な言い方ではっきりしていないのが現実ではないか、と思われる。意識の中では確かに分かってはいるのであろうが、本当に分かっているかどうかということである。
この集中という言葉を、「緊張しろ」とう言葉に置き換えてみてはどうか。つまり、緊張することによって周囲に気を配る。目線や相手の動きに対する目の付け所を厳しくして見張る、という行動に移れるのではないかと考える。この「緊張しろ」という言葉で激を飛ばすことによってより具体的な指示に値するのでないかと思う。つまり、「緊張しろ」「意識しろ]ということになる。
現状の現場のプレー上においても同じことで、変わることはないと思うが、相手22メートル近くでは、トライチャンスであるので、緊張の度合いを高め、神経を研ぎ澄ませるといった意識に移ることは確かであり、テンションが高まるのも事実である。「緊張しろ」あるいは「意識しろ」という掛け声の方が実際的ではないかと考える。緊張が高まればミスをする確率も低くなっていくものである。
「集中」と「緊張」とは、同意語であるように聞こえるが、経験的には確かな違いがあるようである。
ここで、良いプレーとそうでないプレーとの比較をしてみたい。先ほども述べたがよいプレーは良しとしてであるが、例えば、走力はスピード及び力強さがあればプレーは生かされる。今回のゲームで立証された。ハーフライン近くから7が抜けてトライに結びつけた。まさにスピードと力とが合いまったプレーが示してくれた。
全く反対のこととして言えるのが、モール、ラックのサイドからのショウトパスによる突っ込みであるが、これの効果的戦術を考えた方が良いのではないかと思う。
鋭い突っ込み、しかもスピードに乗った姿勢の低いシャープな突っ込みが求められる。このプレーを効果的に生かしていけば、もっと追加点を得ることができると思える。今一つ気が付いたことは、押し込まれたとき、キックによってその場面を有利に地域挽回をしようとしているキックがあった。このプレーについては、これも効果的な解決方法を考えた方が良いと思われる。
最後に、これは一番大切なことであるが、セットスクラムに対する認識について、どのように考えているかである。ラグビーの本質が如何に変わろうとしてもスクラムの重要性については不変である。変わることはない。つまり、スクラムの強化というものがラグビーをプレーする上で重要な要素を持っていることはいうまでもないのである。このことは理解できると思う。
ジャパンチームが世界の強豪チームに伍して戦い抜くためにはスクラムの強化しかないということに目を向けたことは承知の事実である。
したがって、スクラムの強化について、考えてもらいたい。最近のスクラムの組み方は
接近して双方の首を入れ合うといった方法である。そこには強力な衝撃もない。したがって、組んでからの勝負となる。そうなれば組む前に対するテクニックと組んでからのテクニックとがある。その双方が有利になる汲み方を練習するのが当然であると云える。したがって、有利になる方法を練習すればよいということになる。また、スクラムは押すことに意義があるのである。
昔から、スクラムの前3人はスクラム専門の職人でなければ組めないと云われたものである。専門職である。それほどに難しい一面もあるということである。スクラムの強化を考えていただきたい。
チームとして、わずかな違いが勝敗を左右することは経験的に分かっている。したがって、残された日々の練習の中で「何をどうすれば良いのか」という課題を常に求めながら、無駄のない時間を有効に活用して練習に励んでいただきたい。健闘祈る。
「集中ということばの真の意味は」
安部泰人
今シーズン初めてのゲーム観戦であったが、これまでのゲームがどのようなゲーム展開をして、どのようなゲーム運びをして勝敗の結果に結びついたのか、ゲームの結果から、ゲームの内容を想像するしかなかった。しかし、今回のゲームを観戦して、ある程度のゲームの中身が見えてきたような気がした。それは、春シーズンの時よりは数段の進歩の度合いが顕著に見えてきたからである。良い点は良しとして、全体としての見方は別にあるので、それは後で述べることにするが、ともあれ、全くゲームを見ていないものが、戦評に近いコメントを書くことは、全くもって厚かましいとしか言いようがない。このことはお詫びしお断りしておきたい。しかし、これもラグビーの先輩としての務めであると心得ているので、個人的な意見であることを理解していただきたい。コーチの指導が第一であることは言うまでもない。
さて、個々のプレーについての指摘は避けることにするが、ゲームの流れをどの地点でどのようにとらえるか、そこを見直した方が良いのではないかと思う。具体的に云うと、ゲームの時間的経過とインフィールド内の味方の陣容との位置関係によって“何をどうすれば良いか”といことを考える必要がある。たとえば、相手22メートル近くの場合と、味方22メール付近では全く違うわけであるので、その時はチャンスの時もあればピンチのときもあるわけであるから、その時のプレヤー同士の意思疎通が徹底しておかなければならない。
この様な場面の時に、よくプレヤー同士が「集中しろ」という言葉を掛け合うが、さてこの集中という言葉は、何に対して集中するのか、ボールなのか、相手に対してなのか、味方同士なのか、はなはだ抽象的な言い方ではっきりしていないのが現実ではないか、と思われる。意識の中では確かに分かってはいるのであろうが、本当に分かっているかどうかということである。
この集中という言葉を、「緊張しろ」とう言葉に置き換えてみてはどうか。つまり、緊張することによって周囲に気を配る。目線や相手の動きに対する目の付け所を厳しくして見張る、という行動に移れるのではないかと考える。この「緊張しろ」という言葉で激を飛ばすことによってより具体的な指示に値するのでないかと思う。つまり、「緊張しろ」「意識しろ]ということになる。
現状の現場のプレー上においても同じことで、変わることはないと思うが、相手22メートル近くでは、トライチャンスであるので、緊張の度合いを高め、神経を研ぎ澄ませるといった意識に移ることは確かであり、テンションが高まるのも事実である。「緊張しろ」あるいは「意識しろ」という掛け声の方が実際的ではないかと考える。緊張が高まればミスをする確率も低くなっていくものである。
「集中」と「緊張」とは、同意語であるように聞こえるが、経験的には確かな違いがあるようである。
ここで、良いプレーとそうでないプレーとの比較をしてみたい。先ほども述べたがよいプレーは良しとしてであるが、例えば、走力はスピード及び力強さがあればプレーは生かされる。今回のゲームで立証された。ハーフライン近くから7が抜けてトライに結びつけた。まさにスピードと力とが合いまったプレーが示してくれた。
全く反対のこととして言えるのが、モール、ラックのサイドからのショウトパスによる突っ込みであるが、これの効果的戦術を考えた方が良いのではないかと思う。
鋭い突っ込み、しかもスピードに乗った姿勢の低いシャープな突っ込みが求められる。このプレーを効果的に生かしていけば、もっと追加点を得ることができると思える。今一つ気が付いたことは、押し込まれたとき、キックによってその場面を有利に地域挽回をしようとしているキックがあった。このプレーについては、これも効果的な解決方法を考えた方が良いと思われる。
最後に、これは一番大切なことであるが、セットスクラムに対する認識について、どのように考えているかである。ラグビーの本質が如何に変わろうとしてもスクラムの重要性については不変である。変わることはない。つまり、スクラムの強化というものがラグビーをプレーする上で重要な要素を持っていることはいうまでもないのである。このことは理解できると思う。
ジャパンチームが世界の強豪チームに伍して戦い抜くためにはスクラムの強化しかないということに目を向けたことは承知の事実である。
したがって、スクラムの強化について、考えてもらいたい。最近のスクラムの組み方は
接近して双方の首を入れ合うといった方法である。そこには強力な衝撃もない。したがって、組んでからの勝負となる。そうなれば組む前に対するテクニックと組んでからのテクニックとがある。その双方が有利になる汲み方を練習するのが当然であると云える。したがって、有利になる方法を練習すればよいということになる。また、スクラムは押すことに意義があるのである。
昔から、スクラムの前3人はスクラム専門の職人でなければ組めないと云われたものである。専門職である。それほどに難しい一面もあるということである。スクラムの強化を考えていただきたい。
チームとして、わずかな違いが勝敗を左右することは経験的に分かっている。したがって、残された日々の練習の中で「何をどうすれば良いのか」という課題を常に求めながら、無駄のない時間を有効に活用して練習に励んでいただきたい。健闘祈る。