十勝の活性化を考える会

     
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DNAで語る「日本人起源論」の本

2020-02-17 05:00:00 | 投稿

先日、篠田謙一著「DNAで語る日本人起源説」の本に、以下のような興味深いことが書かれていた。

 

これまでの日本人起源論

 『「日本人はどこから来たか」という問いには、私たちのアイデンティティに直結する問題ですから、古くからさまざまな人びとによって語られてきました。

この本の目的は詳しい学史を記載することでないので簡単に説明しますが、西洋の学問が本格的に導入されはじめた明治171884)年には、当時東京帝国大学理学部の学生であった坪井正五郎らにより「じんるいがくのとも」(日本人類学会の前進)が結成されて、自然科学の文脈の中で日本人の起源の問題が取り扱われるようになっています。ただし明治時代の人類学は考古学や人類学を包含した学問で、そこで議論される日本人の起源論もさまざまな分野の研究も含むものでした。

しかし、大正時代末期以降、全国各地で古人骨が大量に発掘されるようになると、人骨をもとにした形態学的な研究によって起源が探られるようになっていきます。

 

人骨形態をもとにした研究は、縄文人と弥生以降の集団に形態学的な違いを見いだしましたが、その違いを説明する理論として、在来集団に周辺から渡来した集団が混血して日本人が成立したと考える「混血説」と、小進化の考えを根底においた、日本人の骨格形態の変化は環境要因によるものだと考える「変形説」が提唱されました。第二次世界大戦後は、人類学の専門家の間では生業形態の変化を重視した「変形説」が支配的で、渡来人との混血という考え方をする人は小数でした。

 

しかし、戦後間もない時期に行われた北部九州地方を中心とした地域での弥生人骨の発掘とその分析が進んだことで、縄文人から弥生人への移行に混血の影響を認める研究者が増えていき、1980年代を境として混血説で日本人の起源を説明するようになっていきます。

 

そして現在では90年代以降に埴原和郎によって提唱された、旧石器時代人につながる東南アジア系の縄文人が居住していた日本列島に、北東アジア系の弥生人が流入して徐々に混血して現在に至っているという「二重構造説」が、定説として受け入れられています。 (後略)』

 

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注)「二重構造説」による日本人形成過程

DNADで語る「日本人起源論」121ページより)

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