十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

戦後75年 「個」は強くなったか

2020-06-30 05:00:00 | 投稿

 

令和2611日付け北海道新聞(6面)の記事に、映画監督兼作家 森達也氏が、次のように書いていた。

 

『 戦後75年。つまり戦後の時代を人に例えるなら75歳。これから後期高齢者の時代を迎える。さすがにもう無理はできない。いろいろガタはきている。

 

でも同世代は、例えば吉永小百合さんやエリック・クラプトン。まだまだ現役だと胸を張ることはできる。思い起こせば65歳から74歳までの前期高齢の時代は、ほぼ安倍政権の時代と重複する。

 

いろいろ揺さぶられた。改憲が典型だが、道徳教科化や愛国心の強要など、戦前への回帰傾向が強くなった。

 

でもなんとか堪えた。踏みとどまった。まだ終わっていない。いや終わられたら困る。時代は常に連続している。これまでも、そしてこれからも。

 

だからこそ慎重に足をめたい。正しい方向を模索したい。だって少しでも角度を間違えれば、その誤差は時の経過とともに大きくなる。

 

 

戦後75年。ならば僕は問いたい。その戦争をあなたは何と呼びますか。政治家や皇族が使う「先の大戦」というフレーズが典型だが、日本が枢軸国側として参加したこの戦争は、まだ固有名詞を獲得できていない。

 

太平洋戦争や第2次世界大戦、大東亜戦争や十五年戦争など、呼称はいくつかある。でも統一されていない。

 

言い換えればこの国は、いまだにあの戦争を歴史として自らに刻んでいない。つまり終えていない。だから戦後75年という呼称がタイトルになる。

 

そもそもあの戦争はなぜ起きたのか。議論はいまだに続いている。決着できていない。

 

(中略)

 

この国は今も昔も組織の方が強いが、「個」がとても弱い。その帰結として同調圧力や忖度が発生しやすい。

 

集団は、敵を求める。そのほうが連帯を深められるし、為政者にとっては支持率も上がる。こうして芽生えた他国や多民族への敵意や憎悪は際限なく肥大し、自衛を大義にしながら戦争になる。

 

もし個が強ければ、国の暴走に対抗できる。でも、ならばこの国の個は戦前に比べて強くなっているだろうか。僕にはそう思えない。世界一ベストセラーが生まれやすい国との説がある。

 

誰かが買うから私も買う。誰かが読むから僕も読む。よるべきは大きな組織。個の声は自ら封じてしまう。

 

戦争中は皇国兵士で、戦後は企業戦士。共通することは、滅私奉公。つまり、個を捨てて(自分が帰属する)組織に奉公する。ならばこの国は同じ過ちを繰り返す。

 

でも75年目を目前にして、新型コロナという状況をこの国は迎えた。このウイルスはクラスター(集団)を直撃する。だから集まることはできない。会社や役所なども従来の形を変えざるを得ない。

 

ならば特に集団化が顕著だったこの国の人々の意識は、集団から個へ移行するだろうか。そう思いたい。でも現状においてまったく予測できない。

 

75歳。まだまだ老け込むことはできない。時代は常に連続している。実は区切りなどない。個が試される時代になる。

 

そしてその試練をクリアできるなら、この国の戦後はようやく終わり、新しい時代が始まる。クリアできなければ、曖昧な呼称の戦後はさらに続き、同じ過ちを繰り返す可能性がある。』

 

 

この記事を読んで、次のように思った。日本人は、長いものに巻かれろといわれるように強い者に就く傾向があり、御上に立てつくなともいわれる。

 

この御上(おかみ)とは、天皇や為政者、政治にたずさわる職員などに敬意を示す呼称であるが、会社の上司にあまり立てつくとしっぺ返しを食らうときもあるので注意しよう。

 

ただ人生は一度だけなので、自分らしく生きることが大切である。また人生には、運・不運がつきものだが、運を呼び込むのはあくまでも自分の努力が大きいので、不断の努力が大切だと思う。

 

戦後のことだが、中東シリアでは8年前に内戦が始まってから、現在も被害は留まることがない。親を失った子どもたち、戦争に駆りだされ負傷した子どもたちも、人生の貴重な時間を奪われている現実がある。

 

  2011年の内戦開始から8年目を迎えるシリアは、現在は複雑な勢力図となっている

  シリアの内情は混乱を極めており、終わりの見えない内戦状態

  解決のためには、シリアの国や政府、国際機関や周囲の国々の協力も必要だが、内戦が激化する可能性もあり、解決の糸口が見いだせない状況

(出典:外務省「わかる!国際情勢「アラブの春」と中東・北アフリカ情勢」)

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

 

注) 戦後

戦後は、戦争の終結後の短期または長期的な期間を指す言葉概念

戦争では多くの破壊や社会システムの大変革が行われるため、戦争が終結した後は社会体制などが新しく作り直され、価値観まで変化する。

 

このため、大きな戦争を一つの時代の区切りとして、戦前戦中・戦後という区分をする。 「戦後」はしばしば、戦争による混乱を抜けきっていない時代という意味合いを併せ持つ。 しかし、終わりを設けず現在までを含めることもある。

 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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ストイックな毎日

2020-06-29 05:00:00 | 投稿

 

ストイック」とは英語で「stoic」のことで、一般的には「欲において自身を律するさま」を意味する言葉である。

 

自分の感情や邪念を捨てて、目標に突き進む求道的な姿を指しており、「禁欲主義の我慢論」ではなく、むしろ「禁欲主義の幸福論」という考え方が根底にある。

 

知人のメールの中に「ストイックな毎日を送っていた」と書かれていたが、現在は、そのような毎日を過ごしていないという事かもしれない。

 

修行僧のような禁欲的な日常は、自分としては耐えられないだろう。一方で、各自が自由・気ままに振舞っていたら、必ず他人に迷惑をかけることになる。社会秩序の維持のためには、ルールや違反行為の取り締まりも必要となる。ただ、黒人を殺したアメリカの警察官のような行き過ぎは困る。

 

アメリカでは黒人の暴徒化が全国に波及している。メディアでは、この暴徒化を黒人差別を中心に報道しているが、コロナ禍に伴う失業者の増大による貧富の拡大が、人種差別に拍車をかけているとの見方がある。

 

また、朝のテレビで「ソーシャルディスタンス」に関して、バスの中でケンカになったことを報じていた。ご存知のようにソーシャルディスタンスとは、新型コロナの感染拡大を引き起こす密閉・密集・密接の3蜜を避けるための措置。

 

人の多いところやバスの中ではソーシャルディスタンスが必要で、そういう配慮が日本の新型コロナ禍の感染者や死亡者数が少ないのではないだろうか。

 

ソクラテスが言っているように「悪法も法なり」で、悪法でもルールには従わなければならないし、善くないルールは直さなければならない。

 

新型コロナウイルスの感染拡大は、まだ終息の目途は立たないが、日本だけがよければ良いという事にはならないだろう。理由は、バスの中のケンカの原因と同じである。

 

世界中に感染が広まっていけば、人類にとっては来年の東京オリンピッの開催よりも、コロナ禍の一刻も早い終息ではないだろうか。 

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

 

注) 禁欲主義

 

禁欲主義(きんよくしゅぎ)とは、感性的欲望を悪の源泉、またそれ自体が悪であると考え、それを出来る限り抑圧し徳に進み魂の平安を得ようとする道徳宗教上の立場。

イスラム教ではラマダーンとして、日の出から日没までの間、食物や水を含むすべての官能的な喜びを控えるという断食の形で禁欲を実践している。これはイスラム教の五行として信者の義務である。

 

[ユダヤ教・キリスト教世界の禁欲主義]

後期ユダヤ教黙示文学では、現在の悪が支配する地上にやがて訪れる「来るべき世」の審判に備えて禁欲を求めた。

また、エッセネ派のように聖性を熱心に追求するユダヤ教徒は禁欲的生活を実践した。紀元1世紀のユダヤ人著述家フィロンは、人里離れた場所で観想を目的とした禁欲的な共同生活を送るテラペウタイというユダヤ人コミュニティについて記録している。

[ヘレニズム世界の禁欲主義]

肉体(物質的世界)と魂(精神世界)を対立させる二元論的な人間論が信じられたギリシャ哲学の諸派では、禁欲(アスケーシス)を理想的な人格形成に至るための「の訓練」として捉えた。

 

プラトンは、誰もが分別を持ち、うつろいゆく世間とは然るべき距離を置く賢者になることを理想とした。プラトン哲学での哲学的生活には禁欲の実践が大きく取り入れられていた。

 

自ら求めず、自然(本性)に則り、運命に従うことを綱領としたストア学派にとって禁欲は必要不可欠な訓練だった。煩悩の源となる欲望を理性によって断ち、見せかけの善や悪に無関心でいられることはストア派の求めた理想的心境である。

 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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日本人の起源

2020-06-28 05:00:00 | 投稿

 

<日本人>

太古の昔、日本列島は氷河期には中国大陸や朝鮮半島と陸続きで、日本・中国・韓国などとの国境はなく、古代の人々は日本列島や朝鮮半島、中国大陸などの広い範囲に住み、様々な人種が日本に往来していた。

 

その後、氷河期を終わって間氷期の時期になると海水面が上昇して今のような島国となった。そして、日本列島に初めて定住した「ヒト」が、縄文人原日本人と言われている。

 

弥生期に入ってからは稲作とともに中国や朝鮮などから来た渡来人との交流が続き、日本は独自の民族、文化を開花していく。

 

<アイヌ民族>

アイヌ民族は北海道樺太千島列島カムチャツカ半島南部に住んでいる先住民族でアイヌ語母語とするアイヌを指しているようだ。アイヌ民族がいつから北海道に住み始めたことについては諸説があり定かではないが、13~14世紀頃にアイヌ文化が生まれたという。 

 

奈良時代の西暦八百一年、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷征討(えみしせいとう)を行なった史実もあるが、この頃の北海道はあまり知られていなく、「えみし」(荒ぶる人の意)は、現在の東北地方を中心に広い範囲にいた人を指していた。

 

従って江戸時代までは、和人と共に東北地方にもアイヌ民族が住んでおり、東北地方にはアイヌ語の地名が多数ある。なお、アイヌ語の地名は、全国のいたるところにある。

 

しかし、明治時代になってからのアイヌ民族は、北海道に追いやられて、生活の糧である狩猟やサケ漁も制限された。そして日本語も強要され、やせた土地に強制移住させられるなど多くの差別を受けた。

 

そのためにアイヌは和人と比べて生活水準が低く、アイヌ民族は滅びゆく民族とも言われ、その精神文化だけが細々と受け継がれようとしている。

 

アイヌ民族が文字を持たなかったこともあるが、歴史は常に勝利者の側から、つまり日本では和人側からみた「史実」や「正史」が記録されてきた。こうした記録以外にも江戸時代以降に多くの和人が蝦夷地を訪れ、そのほとんどが共通の視点を持って書かれていた。

 

その共通の視点とは、意識しているいないに拘わらず「文明化」された和人が、「未開」のアイヌを劣っている民族として見くだすというものであった。そのためにアイヌには、差別を受けた者としての辛い過去が強く感じられる。

 

明治時代に入ってからも、和人によるアイヌに対する詐欺的な交易は続けられる一方、アイヌへの差別は同化政策でも行われた。北海道の開拓が進むとともに、アイヌは住んでいる場所から追い立てられた。

 

そして自然の中で生きてきた彼らにはこれといった才覚はなく、低廉な賃金で和人に使われて細々と生きていくことしか出来ず、その生活は貧しさのドン底であった。

 

和人に言わせれば、「アイヌは、無気力で意志薄弱な劣悪人種である」ということになり、アイヌ民族への偏見がますます広がっていった。

 

文字が栄えたところには、必ず文字があった。その理由は、文字があれば文化が伝わり易かったからである。アイヌ民族が文字を持たなかったのはなぜだろうか。言葉、口承により何の不自由もなく生活しており、必要なかったのではないだろうか。

 

近代における人間の歴史は、国や社会の共同体を維持しつつ、如何にして自由になるかという人権獲得の歴史であったとも言えよう。

 

その結果、人間は近代化によって「自由」というものを手に入れたが、「自由になればなるほど人間は不幸になる面もある」という現実にも気づかなければならない。

 

あらゆる制約から自由になった人間は、自然への敬意、人と人の絆、地域社会の温かい人間関係を失い、格差拡大や自分中心主義になり孤立していくようにも見える。

 

その結果、過去には見られなかったような無差別殺人、いじめ、幼児虐待、親・子殺しなどの事件が起こりはじめている。

 

明治新政府が、アイヌ民族に対して行なった同化政策を我々は忘れてはならないと思う。知里幸恵のアイヌ神謡集には自然や先祖への畏敬、そして同化政策により迫害を受けた民族としての思いが強く感じられる。

 

平成314月、アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための法律「アイヌ新法」が制定され、アイヌ民族が日本の「先住民族」として認められた。令和2年7月には、「民族共生象徴空間」(ウポポイ)がオープンする。

 

だから、我々は、自然や先祖を敬愛してきた原日本人ともいえるアイヌ民族の精神文化を学び、「2020年がアイヌ民族の復権、日本人の起源について考え、取り組みはじめた最初の年だった」と後世の人々から言われるような年にしたいものである。 

 

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注) 和人

「倭人」とは日本人に対する古い呼称です.倭人の起源と形成,すなわち日本人の起源と形成過程に関するテーマは,明治以来人類学・考古学をはじめ,さまざまな分野の研究者によって論議されてきました.こんにちでは,縄文時代から弥生時代への転換期に渡来人と在来の縄文人が混血して,日本人の原型ができあがったという説が定説化していますが,その過程で重要な研究・論争の中心的役割を果たしたのが,九州大学の研究者たちと古人骨資料でした。

(九州大学総合博物館HPより)

注) 埴原和郎

埴原 和郎は、日本自然人類学者。東京大学名誉教授国際日本文化研究センター名誉教授。

福岡県北九州市出身。旧制成蹊高等学校を経て、東京大学大学院(旧制)修了

1958年、東京大学より理学博士。論文は「日本人及び日米混血児乳歯の研究」。

20041010日、肺がんのため京都市内の病院で死去。享年77

[主な著書]

  • 「人類進化学入門」(中央公論社、中公新書)
  • 「骨を読む」(中央公論社、中公新書)のち講談社+α文庫にて「骨はヒトを語る死体鑑定の科学的最終手段」へ改題
  • 「歯と人類学の話」(医歯薬出版)
  • 「日本人の成り立ち」(人文書院
  • 「日本人の誕生」(吉川弘文館
  • 「日本人と骨のルーツ」(角川書店)のちソフィア文庫
  • 「日本人の顔」(講談社
  • 「人類の進化試練と淘汰の道のり」(講談社)のち学術文庫にて「人類の進化史―20世紀の総括」へ改題

 

編著・共著編「日本人の起源」(朝日新聞社、朝日選書)

  • 編「日本人はどこからきたのか」(小学館、小学館創造選書)
  • 編「縄文人の知恵」(小学館、小学館創造選書)
  • 編「日本人の起源」(小学館、小学館創造選書)
  • 編「日本人新起源論」(角川書店、角川選書
  • 編「日本人と日本文化の形成」(朝倉書店
  • 梅原猛との共著「アイヌは原日本人か」(小学館)
  • 「日本人の起源」(朝日新聞社、朝日選書・1989年)

 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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太平洋戦争続行決定の日

2020-06-27 05:00:00 | 投稿

令和268日、NHK第一放送「今日は何の日」を聞いていたら、その日は太平洋戦争続行決定の日であった。 

太平洋戦争は脚注のとおりであるが、日本が726日に発表されたポツダム宣言をドイツのように受諾していれば、広島や長崎に原爆が落とされずにすんで、多くの尊い命を落とさなくて済んだであろう。歴史上の不運であったというしかない。

歴史は事実の積み重ねであるから、歴史にもしという言葉はない。ただ、原爆にしても新型コロナ禍にしても、人間は大きな出来事に遭遇しないと変わることが出来ないのだろうか。そのような意味では新型コロナ禍は、人間同士が殺し合う戦争でないから、まだ救われるのかもしれない。

アメリカで起こっている人種差別の抗議デモも大きな出来事であり、これによりアメリカは変わるだろう。そして、トランプ大統領も交代し世界が変わるだろう。

いつも思うのであるが、「人間は共生の大切さを気付かない愚かな生きものである」ということである。

「十勝の活性化を考える会」会長

 注) ポツダム宣言

ポツダム宣言は、1945年(昭和20年)7月26日イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において大日本帝国日本)に対して発された、全13か条から成る宣言である。正式には日本への降伏要求の最終宣言。

 他の枢軸国が降伏した後も交戦を続けていた日本は、19458月14日にこの宣言を受諾し、19459月2日に調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦太平洋戦争)は終結した。

 注) 太平洋戦争の年表

太平洋戦争の年表では、3年9ヶ月に及ぶ日本満洲国タイ王国アメリカ合衆国イギリスオランダソビエト連邦など連合国との戦争経過を示す。

[開戦までの経緯]

1937年昭和12年)7月7日に始まった日中戦争支那事変)によって、日本の満州事変以来の日本の中国進出を警戒する英米仏と、日中戦争の長期化は欧米の対中軍事支援によるとする日本の関係は急速に悪化、アメリカ合衆国が航空機用燃料・鉄鋼資源の対日輸出を制限するなど、日本の締め上げが図られた。それでも中国から撤退しない日本は、ヨーロッパにおいて第二次世界大戦を繰り広げるドイツイタリア1940年日独伊三国軍事同盟を締結し、ヴィシーフランスとの合意のもと仏領インドシナへ進駐し事態を打開しようとするが、アメリカは石油輸出全面禁止などの経済封鎖を以て、これに応えた。その後、数度にわたる日米交渉も難航し、アメリカは1941年(昭和16年)11月26日ハル・ノートを日本側に提出した。これを最後通牒と受け止めた日本は、12月1日御前会議で日米交渉の打ち切りと日米開戦を決定、択捉島単冠湾からハワイ真珠湾へ向けて出撃していた日本海軍機動部隊12月8日の戦闘行動開始命令が伝達された。

[1941年(昭和16年)]

日本軍の真珠湾攻撃により炎上する戦艦

連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将

12月8日 日本、英米に宣戦布告(太平洋戦争開戦)。

[1942年(昭和17年)]

ミッドウェー海戦で米軍の攻撃を受け炎上する空母飛龍

 [1943年(昭和18年)]

[1944年(昭和19年)]

マリアナ沖海戦で撃墜される日本軍機

コーンパイプを咥えるマッカーサー(1944年レイテ島にて)

B-29爆撃機

1945年(昭和20年)[編集]

ヤルタ会談

硫黄島の戦いに向かう米海兵隊

沖縄戦 沖縄に上陸する米軍 (4/13)

 長崎市への原爆投下によるキノコ雲

 

 降伏文書調印時の日本側全権代表団

 3月10日 東京大空襲

 (出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 

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アイヌ木彫家“貝澤徹”

2020-06-26 05:00:00 | 投稿

 

先日、北海道平取町二風谷(日高管内)に住んでいる、アイヌ木彫家貝澤徹氏の工房を訪ねてきた。

 

彼は、531日の民放テレビ「情熱大陸」に放映されたこともあり、全国から3千本の電話があったそうで(テレビ局調査)、テレビを見た千葉県に住む人は、飛行機で日帰りできて、「鯉」の彫刻を発注していったそうである。

 

また貝澤は、放映効果による電話の殺到で注文に応じ切れないことを予想し、作品を紹介しているブログを削除したそうだ。当たり前だが、メディアの力をまざまざと思い知らされた。

 

 貝澤にとってアイヌとは、家族の歴史と生活の一部でありながら、そのアイヌの歴史を正確な形では伝えられてこなかった。だからこそ、「この現代において、アイヌとは何なのか」と問い続ける葛藤が、人々の心を揺さぶるのだろう。なお、貝澤徹氏は、息子の義父でもある。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

【参考】

  • 202063日付け「十勝の活性化を考える会」ブログ

 

アイヌ木彫家貝澤徹氏

 

先日の日曜日、民放テレビ「情熱大陸」で、アイヌ木彫家貝澤徹氏を放映していた。貝澤徹氏は、アイヌ文化を守り続けるために日高管内平取町二風谷で、木を彫り続けている。

彼の作品は、イギリスの大英博物館にも展示されており、一昨年、ロンドンなどでアイヌ文化に関する講演も行っている。アイヌの伝統工芸技術を駆使しつつ、故郷に対する愛着と葛藤を現代的な感性で表現している。

トンボや衣服、家族のつながる手などの作品は、世界各地の人々を魅了しており、受注してから納品まで5年もかかる作品もあるという。

来月、白老町にオープンする国立民族象徴空間「ウポポイ」にも、アイヌの入れ墨をした女性を描いた木彫作品が展示される。 (後略)

 

2) 貝澤徹

1958年、二風谷に生まれ、工芸家の父(勉)やその仲間の職人に囲まれて育つ。 曾祖父の貝澤ウトレントクは、明治時代に名工といわれた二人のうちの一人。

その曾祖父から引き継ぐ伝統を重視しながら、そこに独自の感性と技術をとけ込ませ、自分らしさやメッセージを表現する、独創的なアイヌアートに精力的に取り組んでいる。ふと気づいたことを題材に作品を創作。代表作「UKOUKU(ウコウク)/輪唱」は、昔のアイヌ民族の入れ墨をした女性の手の写真から発想し、世代交代しながら文化が受け継がれるというメッセージをこめて創り上げた。北海道アイヌ伝統工芸展北海道知事賞ほか受賞多数。「北の工房 つとむ」店主。

 

(出典:平取町ホームページより)

 

 

木彫り大作、作業大詰め 3月に札幌で展示のシマフクロウ 

平取の貝沢さん

木づちで慎重にのみを打ち、作品作りに没頭する貝沢徹さん

 

 

 【平取】町二風谷の工芸作家貝沢徹さん(60)がアイヌ民族の守り神であるシマフクロウの木彫りの大作に取り組んでいる。札幌市が2019年3月、市営地下鉄南北線さっぽろ駅構内の歩行空間に展示するオブジェだ。貝沢さんは「多くの人に親しまれる作品に仕上げたい」と日々、木づちでのみを打っている。

 白老町の民族共生象徴空間の20年開業をアピールする「アイヌ文化を発信する空間」に設けられ、同空間では最大のオブジェとなる。貝沢さんは英国の大英博物館に作品を出品するなど高い技術に定評があり、札幌市から今春に制作を依頼された。

 作品はアイヌ民族の守り神シマフクロウが空に飛び立つ姿で、高さは2メートル40センチ、左右の翼を胴体に合わせると、両翼は4メートル超となる。原木は平取を流れる沙流川にあった埋もれ木で「いつか大作を制作するために保管していた」という。

 貝沢さんにとってこれほど大きな作品は初めて。胆振東部地震で工房内の作品も倒壊する被害を受けたが、原木を立てずに作業をしていたため、シマフクロウ像の倒壊は免れた。「立てていたら倒れて割れ、やり直しだった」と話し、守り神に救われたことに感謝している。  

  (出典:20181210日付け、北海道新聞 電子版より)

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