21歳の秋から、もうすぐ26歳になんなんとする25歳の春ににかけ、私は新国際空手道連盟芦原会館の門人でした。
満4年半の修行歴のうち、最初の半年は今は亡き山口県徳山支部、あとの4年は広島の中国本部に所属していました。
最終取得段位は初段。異動がなければ2段を受けようと準備していました。
大阪への異動をきっかけにいろいろあって、自然消滅的にやめてしまいましたが、私に初めて本物の空手を示していただき、素晴らしい技術を付与していただき、たくさんの素晴らしい先輩や同輩に会えた芦原会館には、未だに感謝でいっぱいです。
先代の芦原英幸館長は、今も多くの空手マンの夢として存在しています。
空手に関する勤勉さ、先見性、卓越した技術の発掘及び整理、教授方法の合理化、そして物理的な強さ。
どれをとっても、先代以上に輝きのある人を、私は知りません。
そしてその、先代に感化され、懸命に鍛え上げて生き残った諸先輩もまた、魅力たっぷりな方々ばかりでした。
私が今だに格闘技の指標としている、中国本部時代の先輩がいます。
金曜のインストラクターだったK田先輩と、水曜のインストラクターだったU野先輩です。
K田先輩は昇段に全く頓着のない人で、ボロボロの初段の帯をつけ、メチャメチャ厳しい稽古をつけてくれました。
蹴りもパンチも恐ろしく重く、早く、今だに勝てる気がしません。よく金玉を蹴られ、悶絶していました・・・。
私の記憶が正しければ、金曜はマジでやる気のある人以外全く近寄らない稽古で、確か1回の出席人数が10人前後でした。
この金曜稽古には、平成11年から14年3月まで、ほぼ毎回顔を出していたのが、私のハナクソほどの自慢です。
U野先輩は、水曜のビギナークラスの担当でした。
ただ、個人的に私によく目をかけてくださり、時間外に約束組手を徹底的にやってくれました。
ちなみにU野先輩の「課外授業」に引きずり込まれたビギナー黒帯には、その前蹴りがよけられず、稽古に嫌気がさし、やめていく人がままいましたが、私はありったけの勇気を振り絞って、なんとか食らいついていきました。そのおかげで、黒帯になって下の帯の方のサバキを受けるようになっても、そんなに困った記憶はありません。
U野先輩の名言。「サバキもろくにできんくせに、たまに稽古に来て威張ってる黒帯を見ると、腹立つ」。
黒帯には黒帯にふさわしい強さを備えるべきだと強く信じ、その強さを自他に求めたU野先輩の前蹴りは怖かった・・・腹に刺さる左の前蹴り。今思い出しても、チビりそうです。
そうやって当時のことを思い出してふと気づいたのは、「基本」と「約束組手」で技を練ることの重要性です。
当時芦原会館には試合や自由組手というものが存在せず、約束組手や「サバキ」と呼ばれるもので、技を練ることに眼目が置かれていました。
「自由組手をしないなんて、強さがわからない」なんて人も、たまにはいました。
今もそうですが、東京本部は勝手に試合に出たり、勝手に試合用の練習をしたりしていました。
今はそれが黙認じゃなく、公認状態になっているのがどうなんだろうと思うんですが。
しかし、様々な格闘技の修行を経て、たくさんの試合やスパーを行い、10本以上の黒帯を持つに至った今思いますが、あの修行方法は極めて合理的で正しいものだったと、断言できます。
試合でいい成績を残して、太く短く終わるというのであれば、勝つ方法は簡単です。
フィジカルトレーニングをやりつつスパーやミットを行って試合勘を養う練習をひたすらすればいいのです。
ボクシングがまさにそうじゃないですか。
世に「実戦」を謳う空手の多くがこれを勘違いしています。
「試合に勝てば実戦だ」「顔面を手で殴れば実戦だ」・・・・いずれも空手というものが持つ可能性を勝手に制限し、勝手なレッテル貼りをしているだけに過ぎません。
空手というものの可能性。あるいは体力作りであり、あるいは街でならず者に絡まれた時の護身であり、といった、多種多様なニーズに応じた多種多様なあり方を考えた場合、試合に出るとか勝つとか言うのも、確かにひとつの目的ではありますが、それが空手の全てではありません。
試合をしないから弱い、試合をするから強いというのは、とても短絡的で単細胞な考え方です。
先代のエラいところは、そういう単細胞な考え方を熟慮の末切り捨て、自分の納得するレベルになるまでやろうとしなかった、というところにあると思います。
そして基本を見直し、約束組手で技を練り上げる。
芦原会館は、極真から派生した他の流派に比べ、ダントツに技のバリエーションが豊富であるとの評価を受けますが、それは約束組手を重要視し、その実効性を絶えず探求する姿勢にあると思います。
技の有効性は二の次、とにかく優勢に試合を進めることだけがすべての価値観であるガチカチのスパーや自由組手からは、絶対に自由度や柔軟性の高い技は出てきません。
指導者は大いに、いにしえの芦原会館を参考にすべきでしょう。
空手と名前のつくものを始め、結構な年数が経ちます。今も沖縄拳法の大先生に師事して空手を細々続けていますが、大先生の話を聞くにつけ、先代の技術のスゴさが裏付けられ、びっくりすることが多々あります。
空手とは、試合で勝つことも重要なのかもしれませんが、自分の求める強さの姿をしっかり定め、それに必要なことをじっくり練磨していくということができるのが、本当の素晴らしさなんじゃないかと思います。
芦原空手、私が習っていたころの芦原空手には、そうした魅力がたっぷりあふれていました・・・・
今は門人じゃないので勝手なことが言えません。
満4年半の修行歴のうち、最初の半年は今は亡き山口県徳山支部、あとの4年は広島の中国本部に所属していました。
最終取得段位は初段。異動がなければ2段を受けようと準備していました。
大阪への異動をきっかけにいろいろあって、自然消滅的にやめてしまいましたが、私に初めて本物の空手を示していただき、素晴らしい技術を付与していただき、たくさんの素晴らしい先輩や同輩に会えた芦原会館には、未だに感謝でいっぱいです。
先代の芦原英幸館長は、今も多くの空手マンの夢として存在しています。
空手に関する勤勉さ、先見性、卓越した技術の発掘及び整理、教授方法の合理化、そして物理的な強さ。
どれをとっても、先代以上に輝きのある人を、私は知りません。
そしてその、先代に感化され、懸命に鍛え上げて生き残った諸先輩もまた、魅力たっぷりな方々ばかりでした。
私が今だに格闘技の指標としている、中国本部時代の先輩がいます。
金曜のインストラクターだったK田先輩と、水曜のインストラクターだったU野先輩です。
K田先輩は昇段に全く頓着のない人で、ボロボロの初段の帯をつけ、メチャメチャ厳しい稽古をつけてくれました。
蹴りもパンチも恐ろしく重く、早く、今だに勝てる気がしません。よく金玉を蹴られ、悶絶していました・・・。
私の記憶が正しければ、金曜はマジでやる気のある人以外全く近寄らない稽古で、確か1回の出席人数が10人前後でした。
この金曜稽古には、平成11年から14年3月まで、ほぼ毎回顔を出していたのが、私のハナクソほどの自慢です。
U野先輩は、水曜のビギナークラスの担当でした。
ただ、個人的に私によく目をかけてくださり、時間外に約束組手を徹底的にやってくれました。
ちなみにU野先輩の「課外授業」に引きずり込まれたビギナー黒帯には、その前蹴りがよけられず、稽古に嫌気がさし、やめていく人がままいましたが、私はありったけの勇気を振り絞って、なんとか食らいついていきました。そのおかげで、黒帯になって下の帯の方のサバキを受けるようになっても、そんなに困った記憶はありません。
U野先輩の名言。「サバキもろくにできんくせに、たまに稽古に来て威張ってる黒帯を見ると、腹立つ」。
黒帯には黒帯にふさわしい強さを備えるべきだと強く信じ、その強さを自他に求めたU野先輩の前蹴りは怖かった・・・腹に刺さる左の前蹴り。今思い出しても、チビりそうです。
そうやって当時のことを思い出してふと気づいたのは、「基本」と「約束組手」で技を練ることの重要性です。
当時芦原会館には試合や自由組手というものが存在せず、約束組手や「サバキ」と呼ばれるもので、技を練ることに眼目が置かれていました。
「自由組手をしないなんて、強さがわからない」なんて人も、たまにはいました。
今もそうですが、東京本部は勝手に試合に出たり、勝手に試合用の練習をしたりしていました。
今はそれが黙認じゃなく、公認状態になっているのがどうなんだろうと思うんですが。
しかし、様々な格闘技の修行を経て、たくさんの試合やスパーを行い、10本以上の黒帯を持つに至った今思いますが、あの修行方法は極めて合理的で正しいものだったと、断言できます。
試合でいい成績を残して、太く短く終わるというのであれば、勝つ方法は簡単です。
フィジカルトレーニングをやりつつスパーやミットを行って試合勘を養う練習をひたすらすればいいのです。
ボクシングがまさにそうじゃないですか。
世に「実戦」を謳う空手の多くがこれを勘違いしています。
「試合に勝てば実戦だ」「顔面を手で殴れば実戦だ」・・・・いずれも空手というものが持つ可能性を勝手に制限し、勝手なレッテル貼りをしているだけに過ぎません。
空手というものの可能性。あるいは体力作りであり、あるいは街でならず者に絡まれた時の護身であり、といった、多種多様なニーズに応じた多種多様なあり方を考えた場合、試合に出るとか勝つとか言うのも、確かにひとつの目的ではありますが、それが空手の全てではありません。
試合をしないから弱い、試合をするから強いというのは、とても短絡的で単細胞な考え方です。
先代のエラいところは、そういう単細胞な考え方を熟慮の末切り捨て、自分の納得するレベルになるまでやろうとしなかった、というところにあると思います。
そして基本を見直し、約束組手で技を練り上げる。
芦原会館は、極真から派生した他の流派に比べ、ダントツに技のバリエーションが豊富であるとの評価を受けますが、それは約束組手を重要視し、その実効性を絶えず探求する姿勢にあると思います。
技の有効性は二の次、とにかく優勢に試合を進めることだけがすべての価値観であるガチカチのスパーや自由組手からは、絶対に自由度や柔軟性の高い技は出てきません。
指導者は大いに、いにしえの芦原会館を参考にすべきでしょう。
空手と名前のつくものを始め、結構な年数が経ちます。今も沖縄拳法の大先生に師事して空手を細々続けていますが、大先生の話を聞くにつけ、先代の技術のスゴさが裏付けられ、びっくりすることが多々あります。
空手とは、試合で勝つことも重要なのかもしれませんが、自分の求める強さの姿をしっかり定め、それに必要なことをじっくり練磨していくということができるのが、本当の素晴らしさなんじゃないかと思います。
芦原空手、私が習っていたころの芦原空手には、そうした魅力がたっぷりあふれていました・・・・
今は門人じゃないので勝手なことが言えません。
ダンス空手マニアさま、はじめまして。弊ブログ管理者です。
中国本部で習ったこと、鍛えたこと、そして時折、同じ年代の道場生の方と徹夜で遊んだ(呉から通っておられたY下さん、Y山さん、その節はほんとうにありがとうございましたm(__)m。ちなみにいやらしい店で遊んだとかではなく、単純に飲んだり歌ったり…でした(;^ω^))ことなど、全ていい思い出ですし、また退会後、各種格闘技や古い空手を修行する過程で、たった1人でサバキを構築した先代、そしてそれを守り続けた芦原会館という組織のスゴさを感じ続けています。
今回の柔道サゲ記事が終わりましたら、芦原会館の記事をまた書きたいな~と思っております。
ものすごくお暇のある時で結構ですので、今後とも弊ブログをよろしくお願いいたしますm(__)m
> ありがとうございます!... への返信ありがとうございます😃サバキ不思議発見も楽しく拝見させていただいてます😃あの当時の芦原最高でした。北条スポーツセンターのカレーが凄く美味かったです😃今後ともよろしくお願いします