老猿のオットット人生

石橋を叩いて渡れずオットットと転んで渡って七転び八起きならぬ七転八倒の人生

海老の思い出

2015年11月18日 09時40分20秒 | Weblog

昭和40年前半  俺さんまだ極真空手の本部道場で稽古をしていた頃の話し
合宿というわけじゃないけど  冬の伊豆七島で稽古してみようかということになった
メンバーは俺さんと自衛隊レンジャー上がりのN氏  後にS塾を設立したS氏

夜竹芝桟橋に集合したらS氏は来なかったので  俺さんとN氏の二人だけ
S氏は当時柔道三段で体が大きかったが  極真空手では白帯だった
来ないものは仕方ないから  二人で行こうと船に乗る

俺さん船に弱いから  冬に帰郷したことない
案の定船酔いで飲まず食わず  ヘロヘロになって実家に辿り着いた
しばらく実家で休んでいたら  猛烈に腹が減ってきた

両親は海老漁に出かけていて二人とも不在  田舎のことだからまともな食堂もない
二人で腹減ったなァ~  冷蔵庫を漁ったら“何だこりゃ?”と驚いた
これでもかと呆れるほど  茹でた伊勢海老が詰まっていた

すぐに食えるもの  といったら伊勢海老しかない
二人でガツガツ食ったね  満腹でゲップして(表現汚いけど事実だから)食い疲れで寝てしまった
起きたら両親が帰っていて  海老食ったのかと笑っていた

その後は二人で前浜に  誰も居ない冬の砂浜で吹き荒ぶ海風に向かって三戦と転掌で息吹
激しい海鳴りと西風に  負けられんわと唸り声あげてたら喉が痛くなった
夕食に伊勢海老の味噌汁が出た  二人共ウッウッとなって嫌々箸を付ける

朝から晩まで海老づくしじゃたまらんと  そうそうに東京へ帰ることに
それ以来かな  海老を見るとあの時のウッウッを思い出すのは
海老が嫌い  というわけではないが強いて食べたいとも思わない

両親が亡くなった今  海老についての事情を知らない妹は
俺さんを喜ばせようと  暮れになると毎年生きた海老を送ってくる
海老の処理係はもっぱら“ひものオカン”  海老と格闘する姿を俺さん高みの見物

海老を見ると  闘道では「形」をやっていないのに海鳴りと対決した三戦や転掌の息吹を思い出す